第22話 破滅の足音

「うるさい! 黙れ!」


 シュランが恐怖に飲まれまいと拳に力を込め叫ぶ。


《では、これを見て、知るがいい!》


 アンリはシュランの顔に現れた焦燥をあざ笑い、己の躰に手をつきいれ、球状星団の一角を取り出した。


《我らの従者よ! 存在せよ!》


 アンリの力ある波動が走り、星々が撒かれると、闇の大空が赤く染まった。


 赤い袋が漂っている。その赤い表皮には緑の血管が生々しく脈打っている。原索動物げんさくどうぶつ海鞘ほやに似た怪物達。醜怪なる衝動体アーヂの数千の軍団が瞬く間に創造された。


「なんて数! 勝てないわ……どうやっても、こんな相手!」


 赤く染まった空を見上げて、マーシャが三叉槍ピナーカをぽろっと落とす。ある程度、使いこなせるようになった円盤武器スダルサナもふらふらとして墜落した。


(嘘だろう……また怪物を産み出しやがった!)


 シュランは声をだせずにうめいた。アンリはあれだけの軍勢を創造して、さらにまた軍勢を創造してきたのだ。

 この下僕を産み出し攻撃してくるというのは、真面な神経の持ち主なら答える。人間の世界で数千の創造し襲い掛かってくる怪物などいないのだ。いや、その行為をできるものこそが、真の怪物であり、神なのだ。

 悪神アンリが創造した衝動体アーヂが布陣したことにより、このエリア地域の感情と運命の気勢が汚染されていく。

 悪神アンリが好む感情は恐怖、破壊、絶望。

 アンリが持つ【情感高揚】の効果がより発揮されてくるのだ。

 無慈悲なリンゴの皮むき機が皮から果実まで削ぎ落としていくかごとく、シュラン達の理性と感情が削がれていく。

 人の精神ではもはや逃れられない。

 実力差をまざまざと見せられつけ、さらに【情感高揚】の効果が浸食してくる。

 真っ黒に。真っ黒に。

 静かな跫音きようおんを響かせ、シュラン達に恐怖が迫ってきた。かなう相手でない。一抹の怯えと恐怖が表情にでてしまう。


 ここまでシュラン達が善戦できたのはアンリ達三神にカルチャーチョックがあったことが原因であり、攻撃がまだまだ緩かったのである。その尾を引いた感情的衝撃も整理され幾分か回復してきた頃であろう。本来の力を取り戻したアンリ達による一方的な蹂躙が始まるということである。

 

 シュラン達は神体になったばかりであり、【衝動体創造】やプレーン持ちでない。これが歴然たる戦力差になって跳ねかえり、あとはシュラン達をじわじわと追い詰めるだけとなる。


《くくくっ……これを千年は続けていいのだぞ! 今回は時間がたつにつれ邪魔が入りできぬ。遊びは終りだ! グラシャラボラス! いい加減、その炭素物を、捕まえ――》

 

 アンリは波動を発しかけ、思案すると波動を放った。


《――いや、閉じ込めろ! 仲間が生きたまま、死にゆく最高のきょうを催してやれ!》

《御意!》


 白銀毛玉グラシャラボラスは応じると、線が複雑に入り組んだ印を結んだ。

 シュランはその迸る光の印が直進してくると察知し、咄嗟に身を翻した。


「あっ! しまっ……」


 そう思ったときには遅かった。別の空間を渡って、後背より命中してしまった。元人間であるシュラン達は空間に対する認識がまだまだ甘いのだ。

 薄藍色の発光があり、水晶がめきめきと広がって、シュランは巨大で城のような水晶に閉じ込められた。意識はある。でも、動けない。


「シュラ坊!」

「シュラン!」


 叫んだのは、ミャウとゲオルグ。


 その一瞬をつき、赤エイ・フォルネウスの触手がミャウに巻き付いた。


 一方、マーシャの側面には兇猛な衝撃波が走り抜けた。ゲオルグとマーシャを繋ぐ光の糸が千切られ、苦痛の声をあげたゲオルグの半身が下へ落ちていった。次元壁の地面に叩きつけられたゲオルグに、わっと、怪物達が群がる。


「いやあああぁっ! やめて!」


 反狂乱になりもマーシャは駆け付けようとしたが、


「きゃあっ!」


 太股に銀の針が突き刺さった。グラシャラボラスの毛だ。

 空間に縫い止められ、マーシャは逆さに宙ぶらりんとなった。太股から流れた血が、顔まで届き、赤く染め上げた。けれども、マーシャは構わずゲオルグへ手を伸ばした。


「やめってたっらぁ! ……ギャアッ!」


 伸ばした掌に、銀の針が突き刺さった。


(また、また、なのか……!)


 水晶の中のシュランは何もできない。虐殺を見るだけだ。


 ごん、とぶつかる音がした。


 水晶の外に、ミャウの顔が押し付けられている。首や全身に、触手が巻き付けられ、じわじわと締めつけていく。


 ミャウは何故か、笑顔をつくった。


 口許に血を付けたまま、微笑みを浮かべ、左右に何度も首をふった。


 あたいは、平気だから……


 そんなことを言っている気がした。


 どっと涙が溢れ出た。


 何もできない。ミャウの顔はゆっくりと右を向き、最後には後ろを向きになった。触手が解かれ、ミャウの後頭部が水晶の外をずりずりとすって落ちていった。

 最後にミャウの頭部が地面に酷く叩きつけられた鈍い音がひとつ。

 シュランは衝撃のあまり、言葉を失った。

 

 ――なあ、持つしかないだよ

《――いいか、先ほど渡した光の球は特別なもの!》


 唐突に二つの声が聞こえた。

 消失してゆく意識の中で、真っ暗な世界の中で。


 一つはユミルの声だ。それはシュラン達全員に聞こえた。もう一つは、誰か判らない。

 ただ、その声はシュランだけに届いていた。聞いてはいけない、耳をかしてはいけないその声が。


《それを、全身に、魂魄ソウルの奥まで行き渡らせ覚醒するのだ。そうすれば、イデぁ……糞ガキ! それに耳をかすな! それに心を開くなぁ……》


 焦ったユミルの声は徐々に小さくなって消失した。反面、もう一つの声は、鮮明に聞こえるようになってきていた。


 ――所詮、世の中など、こんな物だ。弱きものは踏みにじられる……


 それは誰の声か。シュランの心の奥底より、響いてくる。


 ――持つしかないだよ。俺は、もうそれを知っている。


「そんなこと……」


 闇の虚空に立つシュラン。それはシュランの心の奥底に眠る心象風景か。

 そのシュランの右手がぎーっと勝手に動き、顔までくると掌の真中がぱっくりと裂けた。ぎざぎざの牙が幾つもある、その口がシュランに語りかける。


 悪念に満ち、浅ましいほどイヤラしい語り口で、ぎざぎざ牙の口が話しかけてくる。


 ――ほほう、そうかな? 俺の故郷シリウスの戦争を終結させたのは誰だ?


「…………」


 何も答えられないシュランを見透かして、右手の口は残忍な笑みで語り継ぐ。


 ――何千にも殺してきた奴だろ? それで、英雄扱いだ。お前の妹を奪い、父を奪った奴等がな! 平和を築く者など、そんなものだ。だから……


「違う! 真の平和を築いたのは、戦火から立ち上がってきた人々だ! 建物を造り、落胆した者を励まし、悲しみにくれる人達と手を取り合い、瓦礫の街を少しずつ復興させてきた。俺はそれを見てきた!」

 ――では、無抵抗のまま、なぶられろというのか? よく見てみろッ!


「…………」


 シュランは水晶の中で閉じかけた眼を開き、薄らいでいる視野で眺めた。


 ――ほら仲間が死んでゆくぞ! 食われている! 刺されていく! あのときの惨劇を繰り返すのか? 力がないが為の無力さを、あの怒りを、あの痛悔を忘れたのか?


「…………」


 ――ほら、愛しきあの子も!


 ぎざぎざ口が、唾液を牙に粘つかせ、にやっと残忍と笑った。

 ぼんやりとした視界の中で、ルオンの姿が見えた。

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