第24話 異獣が持つナイフ

 アンリから解放されたルオンが落下する。


 それを異常な速さで駆けつけ、受け止めたものがいた。


 その速さを例えるなら、前にいた人物がひと瞬きした刹那で、姿を消し、地球を一周してきて、背後からぽんと肩を叩いてきた馬鹿速さである。


 尋常ではなかった。

 イカレタレベルであろう。


 ルオンはぽかんとしてしまった。目の前には青い粉塵があったはず。何故か、瞬きしたら、その青い粉塵の中にいたのだ。

 ルオンは誰かに抱きしめられているのは感じる。だが、深い粉塵の中にいるため、視界が悪く、その誰かがよくわからない。


「あの……シュラちゃんなの? ……シュランさんなの?」


 恐る恐る尋ねると、硬質化して薄い緑と白が入り混じった優しい色の左手が見えた。ルオンは恐ろしさに身を縮めた。ルオンはその左手に強く抱きしめられている。


「混沌体になっちゃったの? いやだよ、私……そんなの。前は、私の命を移して助けられたけど、もう、手遅れだよ。それじゃ……私、哀しいよぉ……」


 薄れてゆく青の粉塵から、その姿が見えてくる。


 黄金の双眸が輝いていた。


 背丈はそんなに変化しておらず、足元まで、淡い緑の銀髪が伸びている。

 全身はやはり硬質化した皮膚のよう。黄金色の瞳が輝く右の眼窩がんか下には、皮膚がぼろぼろと崩れて、亀裂が入っていた。亀裂の中に覗ける黒い空間には何かがいるみたいだった。


 そして両腕や至る部分より、ナイフに酷似した突起物がある。特に鋭い爪を備える右腕が多い。その爪を備えた右手はどす黒い青色をし、朱色の入れ墨みたいな線が右顔半面から右脚まで禍々しく広がっていた。


 それが異獣の魔神ーーシュランが変貌した姿であった。


《ルオ……》


 発したのは波動である。

 ルオンはびくっと驚いた。眼があって、慌てて鼻を手で覆い隠し、顔を背けた。


「あの……見ないで……鼻が壊れちゃったの……醜いんですよぉ! こりゃぁ!」


 ルオンはなるべく明るくいおうとした。でも、語尾はしぼんで元気がなく、酷い哀しみに満ち溢れていた。

 シュランは爪の右手で傷つけないように、そっとルオンをこちらに向けさせた。鼻を隠した掌の下に顔を寄せる。


「え……!」


 一瞬、ルオンは思考を停止させた。何をされているか、判らなかった。

 シュランがルオンの顔に流れた血を舐め取っていた。


「あう! ああ……なに、なんですか。なにをしているのですか。あうーぅ」


 真っ赤になってルオンは困惑する。半開きになった口に、時々、シュランの舌がちろちろ入った。ルオンはどきどきする。シュランはあまり気にした様子でなく続ける。


「シュランさん……あの、シュラちゃんー! 舌が口に! あうー!」


 ルオンは恥ずかしさから逃れるように悶えた。


「何をするですか? なーて、シュランさんは早急ですか! こういうことはもっと親しくなってから……ややっ! 違う! 親しくなったってこんなことは……いかん、ことですよ。いかんですよ。いかんこと……でも、ちょっとやってもいいですかな……。ちがう。本心じゃないですよ。ああん!」


 ふいにシュランが顔を離す。暫く、じっと見詰められ、波動があった。


《元気……でた……?》


 ルオンは身体の芯から熱さが込み上げ、


「もう、知らないですよ!」


 羞恥に、ぷいっと顔を背けて、怒った調子で言った。


《イデア化しただと! 我らの贄にしか値せぬ存在が! 炭素物上がりなど、我ら従者で瞬く間よ!》


 腹立たしい事実を受け止められず、アンリは復元した腕をふって指示を飛ばした。滞空していた赤い海鞘ほや衝動体アーヂ群数千匹が、回転しながら押し寄せる。


《――持つしか……ないのか……》


 シュランはぽつりと波動を発した。

 右手の朱の入れ墨がかっとオレンジ色に発熱し、シュランは紫の瘴気を吐き出した。右眼窩下の皮膚質がぼろぼろと崩れ、ルオンの元へ落ちてくる。

 視線を感じて、ルオンはまじまじとシュランの亀裂の闇を覗き見た。


(……誰かいる……! 誰……?)


 身を竦めた。落剥する皮膚の亀裂の闇で、にっと笑ったものがいた。


 ふっとそれは消えて、闇となった。


 シュランは双眸を異様に輝かせると、発熱する右手を衝動体アーヂ群に向け、横に薙いだ。


 刹那、数千の海鞘ほやが――削がれた。


 右手が薙いだ軌道にいた海鞘は、体の一部分。上部、中部、下部と、どこか一部分だけをすっぱりと削がれ、残った肉片だけで一度ぴくぴくと痙攣すると一斉に爆発した。

 シュランのひと撫でだけで、数千の、全ての敵があっさりと倒されてしまったのだ。


「シュランさん……凄すぎ……!」


 ルオンが眼をきらきらさせながらシュランを見詰めた。完全に恋する乙女の目をしていた。


《認めぬ! 下らぬ存在がイデア化など!》


 アンリが猛然と駆け出した。

 シュランの右手がゆっくりと残像を描きながら、前方へ差し向けられる。


 強烈な衝撃波があった。


 シュランは仁王立ちするのみ。

 微動だにせず、片手一本だけで、黒き巨獣の体当たりを受け止めている。巨獣の躰には手は届いていない。防禦結界と衝突したのだ。


「あの……本当に、シュランさんなの?」


 胸の中のルオンがオドオドと尋ねた。返答はなく、眼の下の皮膚が落剥してきた。


(ああ! やっぱり……誰か、いるですよ!)


 亀裂の隙間に、アンリへ向け、きざぎざ歯で残忍に哄笑する闇の誰かがいる。

 シュランの右手の朱模様が発熱し、アンリの防禦結界を緩慢な速度で侵食して進んでいく。一気に削げない。やはりアンリは高位の存在であり、防御結界が強固だ。


《しゃらくさい! ――な!》


 アンリは後方へ跳躍しようとしたが、簡単に引き戻され、着地する。シュランの右手が防禦壁を掴んで離さない。


――【運性神力】

 

 あのシュランの怪力がイデア化で倍加し、さらに力を累乗させていくあの馬鹿事象【運性神力】の効果が働いていた。

 もはや億万乗と倍加した怪力を引っぺがせるは難しい。

 ゆえにアンリはシュンランの怪力から逃げられなかったのだ。


「シュランさん!」


 鼻を押さえたまま、ルオンが叫んだ。

 赤エイ・フォルネウスの触手がぐねぐねとシュランに巻き付いてきた。首や右腕を締めつけながら、煙をあげ溶解し始める。構わずシュランはそのまま右手を侵食させる。


《苦痛を……感じてないのか……!》


 フォルネウスが驚愕の波長を発した。

 グラシャラボラスも、かま首をもたげ、弓なりに口をさき、火炎を――


《シュラ坊っ!》


 水晶の近くで転がっていたミャウがぐるりと首を正常に戻し、飛び立った。


超高次元形態化イデアトラスト――――ライザーナイト》


 それは一条の雷光であった。霆と化したミャウが疾走すると、触手が薙ぎ焼かれた。


 瞬刻、シュランの右側面に、勇壮な戰乙女が昂然と立っていた。野生味溢れ、猛々しい全姿は流線形が美しい甲冑に包まれ、手には雷電が迸る【理力神具】を構えている。

 肢体は物質に見えない。放電する黄白色の雷霆化していた。純粋なエネルギー体に近い。


 そして――


 宙で釘刺しになっていたマーシャがぱちりと眼を開けると、身体が水色の光となって、怪物達が群がるある場所へ一気に流れた。


 群集していた怪物が爆砕する!


超高次元形態化イデアトラスト――――ヴァルカンスミス》


 怪物を割って出現したのは、ゲオルグだ。ミャウとは違い、全身が鉱物的な金属化していた。重圧感を漂わせる硬質な鋼鉄鎧の体躯である。ゲオルグの腹の所には透明な球があり、膝をかかえた姿で水色に発光するエネルギー化したマーシャがいた。


 え? 嘘と、腹の球体に入ってしまったマーシャもたまげている。


 ゲオルグは豪快に歩を踏み締め、跳躍した。持っていた巨大な鉄槌を横から突きあげる。鉄槌には陽炎がにじんでいる。【浄化の火メキド】を固めた浄化神具。


《この鉄槌は! 無念に死んだ仲間達の怒りと知れー!》


 ゲオルグは大喝の波動を放ち、グラシャラボラスの吐き出した火焔の息吹を、逆に煽り、もろとも、鉄槌が頭部を粉砕した。


《おイタがすぎるはー、お仕置きだよー!》


 ミャウも、青眼に構えていた雷電棒を大回転させると、一閃した。赤エイの巨躯が、斜めに分断され、上下にずれた。


《他も、イデア化しただと! ユミルだな! ユミルめ!》


 巨獣アンリが苛立たしく叫ぶ。ユミルがもしものとき与えていた加護にはイデア化するための事象があったのだ。


 シュラン達の反撃が始まる。

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