第9話 天地創造 ユミル版

 その頃は、まだ地球テラは存在しておらず、地球テラの公転周期で年月を数えるのも酷く滑稽であるが、おそらく約八〇〇億年前のいにしえの頃。


 世界は、精神であり、念動であり、魂魄であり、波動だけであった。


 一次元の赤い点がゆらゆらと舞い、物質も原子もないただ、ただ、淡い緑の世界プレーンをとことこ歩く蒼き人影がいる。燃え盛るように蠢く黄金の波動棒を携える、蒼き青年の人影――若きころのユミルであった。


 ユミルは波動であり超精神体である。好青年と猛者の印象がある蒼い人影である。


《ユミルよ……ユミルよ……》


 響いたのは声ではなく、神聖なる波動である。

 蒼き人影ユミルの存在そのものまで居抜き、鮮烈な白銀の光が緑の世界プレーンを照らしだした。


「そう。その時、恐れおおくも創造主さまが、わしの目の前にそのお姿を現したのじゃ」


 迸る白き光。まるで後光のように放たれる光の中に、輝く男の顔が浮かんでいた。輝く創造主の相貌は、慈悲と威厳を備え、気高く神々しい非の打ち所のないものであった。


《ユミルよ……これを汝に……》


 再び聖なる波動があると、上空から左右に揺れながら、一枚の白い面が舞い降りてきた。


「わしは森厳なる想いに浸りながら、わしのような下賎な輩が賜るのはもったいない限りだと拝伏し、恭しく両手を差し出して、その一枚の紙を受け取ったものじゃ……」


《なんじゃい、こりゃ……》


 実際は馬鹿にしたような波動を躰から発し、若き日のユミルは立ったまま、それも左手は鼻をほじったあと尻を掻きながら、白い面を右手でバシッと掴み取った。


《我々は汝に命ず。汝はその律に基づき、世界プレーンを創造せよ……!》


 若き日の、蒼き影ユミルは一瞬、ほうけた。


「わしは震撼した。紙にはたった七日で天地創造を行えと記されていたのじゃ。まさに不可能なことじゃ。たった七日で天地創造とは! しかし、此れほど、名誉があり崇高な命があろうか。それをわしに……! 身に余る光栄であり、至福なことである。もちろん、わしは二つ返事の『はい! わたくしめがやらせて頂きます』と即答したもんじゃよ」


《やれるか! おんどりゃー! 七日だと? 常識をしき考えろ! ブラック会社か!》


 と不服とばかりに問答無用で斬りかかった若き日のユミル。


《出きるわけがなかろうがぁー! こんなの! お前はアホかっ! バカかっ!》


 ユミルは灼融の神剣マキア――黄金の波動棒で創造主を蛸殴り。


《死ね! 死ねっ! このくそ! 殺してやるぅ!》


 ユミルは創造主を、乱打、乱打、乱打、乱打、乱打、時にはけっぽる。


《畜生! エロヒムめ! 脚に噛み付くな! でい! ギボル滅びろ! 滅してやる!》


 斬撃、斬撃、連撃、痛撃、万殺の滅多切り!


《おらおらおらおら! ツァバト、くたばれ! ちっ! エル・ハイ・シャダイかっ!》


 ユミルが波動棒を乱舞させるにつれ、幾何学的な線と円線の爆発が乱れ狂い散華する。そのうち、ユミルと創造主とのスキンシップがほんの少し乱暴になった。数兆度の核爆発が乱発し、数万の空間障壁が粉砕された。


《おりゃぁぁぁぁ! くたばれーぇ!》


 と、ここまでコンマ0.000000000002秒。


 とその、コンマ0.000000000001秒後。蒼い顔に、なお青い痣をつくったユミルがつっぷし倒れていた。創造主にのされ、完敗だ。


《ユミルよ……。世界を創造せよ。その完全なる律に基づき……!》


 ほんのちょっぴり怒った波動を発し、命じると創造主が掻きえた。


「創造主様の姿が消えた後も、わしは喜びのあまり、何度も感謝の意を唱えたものじゃ」


《おもいっきり殴りやがったな! あの野郎! いつか必ずっ!》


 若きユミルは復讐を誓った。


「そして、すぐさま世界を創造すべく、わしは賜れた設計図に目を通し、その素晴らしさに驚いた。なんと緻密に書かれ、完璧な設計図だと!」


《なんて、ずさんな設計だ! 最初に光を造れだと? アホかっ? まず、光が存在するための、世界プレーンと低次元空間が必要じゃねかい! それだろ、最初は!》


 ユミルは不完全な設計図に呆れ返った。


「挑戦しがいのある設計図にわしは俄然、意気衝天した。早速、作業に開始したが、『光』を創造するのが意外に困難で、難儀し、一日がかりの作業となった」


《くそっ! やる気なくすぜ!》


 ユミルは意気消沈しつつあったが、ない意気込みをふり絞り、まず始めに世界プレーンを定義し、空間障壁を開拓し始めた。


《『光』は一瞬で造れそうだが、『空間』は整えるだけ一日が終わっちまうぜ!》


 淡い緑の世界プレーンに黒いしみが造られた。その場所を基点として、ユミルは巨大な鉄槌と形を変えた黄金の波動棒で、波状にゆらぐ線を叩き、空間を整えた。

 黒いしみが広がっていく。猛烈な勢いで鉄槌マキアが振るわれるたび、念や波動が、空間障壁や次元隔壁に変化する。空間が神速的量産で創造されているのだ。


《間にあわんぞ、こりゃ!》


 死にもの狂いで叩き続け、緑の世界プレーン全てが闇の世界プレーンに転じたのはもう一日目が終わる頃であった。疲れきったユミルが片膝つきながら、光あれ! と思念を発すると光の存在が定義され、右手より幾つもの光の球が飛び散った。


「次の二日目は水素から酸素までの元素を創った。三日目、元素創りにも慣れて九二個まで数えていたが幾つ創ったかは忘れてしまったよ」


 ユミルは背中を丸め、針状となったマキアで原子レベルの作業を細々と繰り返した。


《これで九一個! 次の九二番目は……元素を創る度に重くなる! やってられん!》


「三日目が終わる頃、創造主様の設計に基づき、わしは植物の生命マイトを創った。生命マイトとは、環境の中から生命マイトが発生するため種、謂わば万物に宿る気みたいなものじゃ」


《環境に応じ、自己成長と進化する生命マイトを創造せよ、ってかい? 言うのは簡単だぞ! その仕組みは……書いてない! 俺が考えるのかい? ラクしやがって!》


 波動念を凝固させ球とした生命マイトに、ユミルはペン軸と変形したマキアで焼き込むようにして韻を書き付けていく。


《わが光を受け、成長するね~。それでなくても自立型は難しいのに~》


 生命マイトの仕組み――苛酷な環境から生命マイトが発生し進化してゆく過程方式を考えながらの作業である。瞬く間に、できそこないの球がユミルの周囲に溢れた。


《環境に応じて……環境に応じて? 環境?》


 何か不信を抱いたユミルは創造主がもらった白い面を読みふけった。


《……四日目は『音』、『色』などの存在定義……五日目は天と水から発生する生命マイトの造り……六日目は我々の精神末端を担う映し身……用はオレ達と同じ精神感情をもつ生命マイトだな。かーっ! 難しい創造させやがって! んで、最後の七日目は……あれ?》


 慌てたユミルは白い面と周囲の黒い空間を交互に見比べた。


《ないぞ! やっぱり、抜けてる! アホや! この空間、そのままじゃないか! こんな原子だけの停止空間じゃ、生命マイトを蒔いたとしても、生命なんて永遠に生まれない!》


 現在の世界プレーンは原子が停止してあるだけである。空間流動もなく、水素原子と酸素原子が接合し、水分子となることもない。原子が動くことのない停止空間だ。

 亞空間起伏と流動によって、様々な原子と原子が適度に混ざり合い、星間ガス濃度の高い場所が生まれ、そのうち原子星が形成され、核融合反応が起こり、星や太陽が誕生しないのである。そんな変化のない世界プレーンでは生命が誕生する訳がないのだ。

 もっと簡易に述べれば、納期期間七日の天地創造計画書には、星や太陽を生み出す工程がすっぽりなく、宇宙空間で生命が発生するのに適した環境、所謂、生命居住可能領域とも呼ばれるゴルディロックスゾーンなかったのである。


《どうする? この設計図通りやったら無意味な、アホな世界が……滅茶苦茶な設計しやがって、畜生――! 同時進行だ!》


「四日目。わしは音や色。星や太陽を創造した」


 ユミルは櫂状となったマキアに立ち乗りし、凄まじき速度で飛びたった。


 元来、地球は太陽の周りを秒速三〇キロで公転しており、それらの太陽系も銀河系を秒速二五〇キロで公転している。秒速二五〇キロは、マッハ七五〇である。マッハ1は時速一二〇〇キロ。


 即ち、九十万キロで公転する星々を創造しようとしているのだ。


 ユミルは光を越えた超越速度で飛行しているのである。人間から見れば途轍もない速さだが、波動であり精神存在であるユミルにとって、光以上の運動速度は至極、日常的なものであった。


 ユミルは光を越えた速度、時間の流れに近い、通称『時流速』で、世界全域を飛行し渦を巻くようにグルグルと大回転する。


 それは、まさに宇宙規模の大旋風。


 激しい空間流動が起き、停止していた原子が乱れ狂う。

 亜空間の軋みが原子を圧迫し、プラズマがほとばしり、原子核と原子核が衝突して、核融合し、天文学的な量のエネルギーが奔流となって放出される。


 ユミルは大旋風の激流を疾走し、一条の流星になっていた。尾をひくように、数万の超新星爆発が連なって巻き起こっている。空間は激震し、次元障壁が軋み橈む。


 流星となったユミルは右手から強力な重力球を放つ。


 重力球によって、空間がたわみ、谷や山のような空間連峰が生み出された。数多の原子が低い空間に流れだし、混ざりあい、各箇所に星間ガス濃度の高低が発生する。

 時同じくし、ユミルは左手より、


《音あれっ!》


 波動を発し、『音』の存在を定義した。忽ち世界プレーンに轟音が轟いた。無論、空気はないので人間が知覚可能な音などではなく、超精神体が知覚しえる高次元の超新星爆発音や空間が軋み唸る、けたたましい次元音が響くのである。


《色あれっ!》


 続け様に『色』を定義する。すると、飛ぶユミルを追うように世界プレーンが染まっていった。無色であった全てのもの――超新星爆発は青白く、爆発は赤く、星間ガスは緑からオレンジ、星雲は青や紫と、色彩の烈波が世界プレーンを染め上げる。


 こうして、様々な存在を定義しつつ、同時に恒星や太陽が生まれるための下地造りを行う苛酷な二重作業が終わったのは、五日目の半ば頃であった。


《だめだ、間にあわん……半日遅れだぁ……》


 空間の狭間に逃げ込んで、ユミルは安楽椅子としたマキアにへばり寝そべっていた。


《いや。その前に、俺が消滅しちまう……アホや…こんな設計図……でも宮仕えだし……》


 ユミルの蒼い躰が揺らぎ、波動が漏れていた。世界プレーンに何かの存在を定義するや何かを創造するには、己の精神を千切って行うため、躰の波動が乱れてきているのだ。

 所謂、疲労困憊の状態であった。


 と、そのときである。


 空間を硝子のように打ち破って飛び出てきたものがあった。


《ダーリン! 見っけ!》

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