第8話 ユミル
人のサイズに縮小したシュランの一行は遊歩道を黙々と進んでいく。
すると闇の奥先。緑の円卓のようなものが朧気に浮かんで見えてきた。
近付くにつれ、渓声が聞こえてくる。緑の円卓から青と白の水の流れが下方へ落ち込んでいる。そして、辿り着いたそこは――
「昔懐かしい、田園風景だ……」
ゲオルグが澄んだ空気を飲み込むような動作をした。
清清しい風が頬をうつ。
まぶしいほどの緑が眼に飛び込む。
緑の山々。谷川の流れ。涼風にそよぐ林野。そこは壮絶なる美しい自然の地であった。
「あ! またあいつ!」
「どうしたですよ、シュラちゃん」
「いや、なんでもない……」
あの四つ脚の炎塊スルトがお花畑で無邪気に蝶々と戯れていたのである。シュランの視線に気付き、炎塊スルトはビクッと驚き逃げだしてしまった。それだけのことである。
「そうですか……ユミルじーさん、あっち!」
ルオンに先導されてゆくと、奇妙な螺旋を描く煉瓦つくりの一軒屋があり、その側で畑を耕す老人がいた
「連れてきたですよ」
ルオンが声をかけると、小さな老人は鍬から手を離した。振るう者がいなくなったのに鍬は自分の意志でもあるのか、そのまま畑を耕し続ける。
「これは、これは、遠い息子達と娘達よ。よくぞ参られた」
老人の背丈はルオンの半分もない。青のとんがり帽子と衣を着て、長い髭を蓄えたその姿は、まるで童話にでてくるような魔法使いを彷彿させる。
そんな表現が際も似合う。と言いたい所であるが、老人の肌は霜のように青白く、顔全面をうめつくす髭も眉も真っ赤な赤毛であった。左目は閉じて、右目だけを見開いている。
「このじーさん、ぼけているぞ。俺達を息子って。どこかの施設に放り込もうぜ。いたっ!」
「お黙り! 失礼なことをいわない」
勝手に動く鍬を横目に見ていたミャウがシュランの足をふんだ。
「ほほほっ……生意気で、糞ガキそうじゃの……」
「口も悪そうだ。このへっぽこじーさん。口に綿詰めて川に投げ込もうぜ。いた!」
ミャウにつねられた。その隣でマーシャがゲオルグに囁く。
「なんだか、小さくって可愛いと一見思ってしまうけど、実際は服と身体の彩りがおかしい。生理的に、気持ち悪いわ」
「こら、失礼なことを! 本当のことを、事実のようにいってはならん」
「ほほほっ……絞め殺したい愉快な奴らじゃ……ほほほっ」
「……ルオンちゃん、今…」
「ユミルじーさん、本当に口が悪いですよ。言い負かされた悪魔や悪神が夜な夜な枕に涙を流すは、星の数ほど。でも、良かった。みんな、気に入られたですわ」
「気に入られたのかい、これで? ふーん」
ミャウは理解不能ばかりに肩を竦めた。
「わしの名はユミル。立ち話もなんであろう、ほい!」
小さな老人ユミルの片手に、ぽん、とオーク樹の
途端、途端である。
凄まじき水しぶきをあげ、全員が海面へ垂直落下した。色とりどりの魚と海草と珊瑚礁。突如、出現した海の中で皆が溺れる間もなく、ぱっと元の田園風景に戻る。
「なんだ、今のは! スコールか?」
飛び上がって雫を振り払い、シュランが叫んだ。
「シュラン君、違うわ、これ――」
びしょ濡れのマーシャが手の甲をひと舐めして確認する。
「しょっぱい。塩水、海水よ」
「そうじゃ。わしらは一瞬じゃが、海に落ちた気がしたぞ!」
ゲオルグが驚きの声を張り上げる。
「ほほほっ……すまんのう。机と椅子をだすつもりが、海をだしてまったぞ。わしはへっぽこで、ぼけが始まっておるようじゃ……ほほほっ」
ユミルが楽しげに笑う。悪愚痴へのちょっとしたお返しらしい。
「今の海はじーさんがやったのかい?」
ミャウが動じることなく、冷静に問う。
「なんか映像を見せただけじゃ」
「お馬鹿! 現実だよ! 見てみい、この躰!」
ミャウは叱咤して、全身をふるい、毛を逆立たせ水をはじきだした。海が出現した時間は判断もできない刹那的である。しかし、今もなお、身体は海水で濡れている。
そう――
「見せるだけの立体映像に不可能な、個人個人の経験があるんだよ。味覚もあるし……」
現実に、海中が出現し、瞬く間に消滅したのだ。
「一体、じーさんは何者だい? そうだ、あたい達の身体も!」
「慌てるでないぞ。それはゆるりとお茶でも飲みながら、ご説明しよう。デカ乳娘よ!」
「デカ乳は余計だよ! チビじじい!」
老人ユミルはミャウの怒りをほほほっ……と笑ってやりすごし、椅子に座った。
いつの間にか忽然と五脚の椅子と円卓が出現している。円卓の上には、湯気をあげるとティーカップと奇妙な形の果物やお菓子みたいなものまで置いてある。
「デカ乳娘に、チビじじいかい。ほほほっ……二股オカマに、糞ガキ。まさに最悪な、明日を生きる希望もなくなるような日じゃの~」
ひとりごちるユミルに、ルオンは天真爛漫な笑みをぱっと咲かせた。
「みんなさん! 好かれて、もう家族並みですよ! 座って、お茶を飲むです!」
シュラン達はなんともいいがたい表情をしながら、座った。ルオンに勧められ、ティーカップの薄茶色の液体を飲む。甘く爽かな美味であった。全員がお茶で一服し落ち着いた所を見計らって、ユミルがなにげに口を開いた。
「そうじゃの~。なにから説明すればよいか。あれがいいじゃろ。そう、お前達は――」
飲みかけのカップを口許につけたまま、誰もが聞き耳をたてた。
「わしが、産んだ! それもう難産じゃった」
ぶっと茶色の噴火があった。ルオン以外の全員が吹き出してしまった。
「じーさん、冗談がきついぜ! 角折れちまう」
「シュラちゃん。冗談じゃなくて、ユミルじーさんは本気ですよ。だって、この世界を創ったのは、ユミルじーさんですぞぉ」
ルオンの発言が理解できず、暫し間があった。
「さっき見た、渦巻き星とか太陽とかも造ったわけ?」
うずうずとしたマーシャが火蓋をきってルオンに尋ねた。
「うん。ユミルじーさんはこの
「ほう、わしらは宇宙船の中にいたのか。でかい船なんだな」
ゲオルグが風にそよぐ平原を見渡した。
「ううん、
「それって、きっと空母タイタニスぐらいあるだろうね。見てみたいわ、あたい」
ミャウは処女航海で氷の隕石によって真二つに割れた悲劇の宇宙艦、全長一キロの巨大宇宙空母タイタニスを思い浮かべた。
「わからないですけど、それぐらいですよ、きっと!」
ルオンがいう智天超絶戦級球体ケルビムは直径約一四〇〇〇万キロ。地球の約千九十倍である。このとき、ミャウとルオンの間には地球に着陸できるものと、地球を着地させることができるものとの常識はずれな差があった。それを知っているユミルは、まこと愉快じゃの。ほほほっ……と笑っていた。
「もう、船の話とかはいいでしょ! 星間ガスから原始星。そう恒星や太陽を日常的に造りだせる超科学力をもっているのね。これからは植民地星を探すこともないし、
「あらら……じゃあ、あたい達コロニー建設員は首だね」
マーシャの言葉を受け、あまり残念そうでない口調でミャウは言った。
「他に、他にはないの!」
知識欲の亡者と化したマーシャが老人ユミルに俄然と迫る。
「ほほほ……『音』も創ったぞ」
「音? 今、会話している声のこと? 翻訳機のことかしら? なんて高性能!」
「三番目ぐらいに『光』を創ったかの。六、七番目に『水』じゃ。水素とか酸素を創造したことになるじゃろうの~」
「光? この照明って、嘘! こんな自然光に近い光も! どんな照明器なの!」
マーシャは興奮しながら蒼穹を仰ぎ見た。どうみても大空でしかない。この緑の円地の周囲は暗黒世界であるから、ずば抜けた指向性を備えた莫大な光量である。
「凄い科学技術だわ」
「いや――科学じゃないな……」
感嘆するマーシャの喜びに、黙り込んでいたシュランが水を差した。
「何故よ!」
「科学じゃ作れないからだよ。科学からは、音を鳴らす機械や光を放つ照明器具なんかの道具は作られる。でも、このじーさん。『音』、『光』、『水』、そのものを創ったと言っている。結局のところ、科学は物質や法則から何か道具を作りだす技術だ。そう――」
シュランが断言する。
「科学は材料がなきゃ、何も作れない。無から何もつくれない。道具を作るための、根本的な元は作れないんだ。なのに、このじーさんが言わんとしてることはまるで……」
「だから、シュラちゃん。あーですよ。ユミルじーさんは、この世界全てを創ったですよ。創造主さまに、ご命令されて!」
ルオンの調子は明るく溌剌としていた。しかし、それはどこか厳かな神託のような響きがあり、シュラン達四人は稲妻の直撃を受けたごとしに、身を硬直させてしまった。
「この、ご老体が……天地万物の全てをお造りになったと?」
「うん! そーゆことになってしまうですよ」
恐る恐る尋ねたゲオルグに、ルオンが軽やかに答える。
「どれ、ひとつ昔話をしてやろうかの。わしがこの世界を造りだしたときの話じゃ」
「あの、それは――神が光あれと言うと、光ができた、から始まる、創世神話のことだろうか? 七日間で世界を創ったとかの?」
ゲオルグは戸惑いながらも訊いた。
「ほほほっ。その話じゃ。天地創造は七日間の急拵え、そう、突貫工事であった。だから、できあがった今の世界は、あっちこっちの空間にほころびがあり、欠陥だらけなんじゃよ」
「突貫工事の――――欠陥だらけ!?」
シュラン達四人は声を合わせ素っ頓狂に唱和した。
老人ユミルは愉快で堪らないという笑声をたてるとのんびりと語り始めた。
「天地創造。それは――わしにとっては、ほんのちょっぴり前のことじゃ……」
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