第5話 少女の思い

 自分の亡骸を、仲間達の亡骸を、目撃しまったシュランが、最初にしたことは漂う数百の遺体を掻き集めることであった。

 救いたい、助けたい、と必死に掻きむしった。


 胸元へ、胸元へ。


 しかし、何故か、シュランの両手は虚しく空をきるのみ。遺体にも、コロニーの残骸にも触れることができない。まるでシュランの躰が亡霊になったように、何も掴めず、あらゆるものが透き通ってしまう。


「なんで! どうしてぇ! ひーぃ!」


 シュランは一心不乱に掻きむしり続けた。その内、無駄だと理解すると、ガクッとうな垂れた。うな垂れた姿勢のまま、心に去来した寂寞の思いともに宇宙を漂い始める。

 漂うシュランの心を耐えようのない黒い絶望が満たす。


「シュラちゃん! 外に出ると、危ないよ」


 いつの間にかやってきたルオンが立っていた。

 返事がなく、不審を抱いたルオンがシュランの顔を覗き、電撃を受けたように身を震わした。ルオンは土星の輪の辺りを窺い、全てを察知する。


「戻ろう……シュラちゃん、座天翔船ソロネに……」


 ルオンはシュランの二の腕をとった。ルオンは泣きそうになりながらも下唇を噛んで耐え、シュランを引っ張った。


 部屋に戻ったルオンは、シュランを壁にもたれかけさせてやる。それでもシュランは俯いたままで、心配になったルオンが声をかけた。


「シュラちゃん……?」


 反応はなかった。シュランの心中で、激浪と呼ぶべき感情の渦巻きと過去の情景が錯綜していから。


 数日前には、談笑し笑いあった仲間の顔……

 それがもうない。


 ふざけあい、笑っていたミャウ姉……親方ゲオルグ……マーシャ達の顔も。


 そんな仲間を無残に踏みにじったあの影男への怒涛なる憤激と復讐心が沸き立つ。

 だが、それよりなおも、躰の奥深くから狂おしいほどの絶望が込み上げてくる。


 父が……ユーリアが……みんなが……


 シュランは世界に絶望する。理不尽さと哀しさだけで出きているような世界が、ただ、平和に穏やかに毎日を過ごしてきた人々の命を無残に無慈悲に奪う世界に。

 なにより、そんな世界に抵抗できない矮小な自分に。


「……俺は、無意味だ………無力で……惨めで……この存在すら、無意味なんだ。誰も助けられない……」


 ぽつりと己の身を斬るように言った、シュランの唇は震えていた。


「そんなことない! シュラちゃんは私を……」


 ルオンは言い掛けて、ぎょっとした。シュランの潤んだ瞳は泳いでいた。右手が黒ずみ、血管を浮かび上がらせもぞもぞと動いている。


 ――俺は……無意味でない。


 暗く暗く薄れ、忘失しつつあるシュランの意識に、何者かが語りかけてきた。


「俺は……無意味でない……?」


 ――そうだ。この残酷なる世界こそが、全ての源。だからこそ、誰も贖えぬ。その世界こそ呪え! 運命を呪え!……呪いの果てに、座を……


 まるで、波長を合わせるようにぶつぶつと断絶された暗い意識が語りかけてくる。


「運命を……呪え……?」

「ダメですよ! 存在がかわっちゃう、元気! 元気、出すのですよ……げんきぃ……」


 励ましの声をかけたルオンの語尾はしぼんでいた。今のルオンの力ではシュランを救えないと悟り愕然となったのだ。


 胸がつまるような哀しい程の間があった。


 ルオンは唇を噛んで、こぶしをぎゅっと握った。


「シュラちゃん……」


 意を決して、ルオンは顔を寄せ、シュランの背に手を滑り込ませ、強く抱きしめた。


 ルオンが唇を重ねる。


 シュランがずりずりと背を擦って滑っていったが、ルオンは構わず唇を重ねる。強かにシュランが頭を打ち付けたが無視して続ける。そのうち、意識を取り戻したシュランがもごもごと動き振り払うとしてきたが、ルオンは抱きしめ逃がさず熱烈な口づけを続けた。

 真っ赤になったシュランはルオンの両肩を掴んで、強引にひっぺがす。反撥の言葉を叩きつけようとしたが、


「シュラちゃん……」


 ルオンが非常に張り詰めた表情をしていたので、シュランは気負いを削がれた。ルオンの瞳には今にも泣き崩れそうであり、怯えすらもあった。

 そんなルオンに、シュランはかける言葉がなく不甲斐なさを感じた。


 が。


「やー、すごぉーいキスをされちゃいましたよぉん!」


 などと、ルオンが頬を染めて嘯いた。


「されたは、こっち!」


 ルオンの表情の落差に、シュランは調子を物の見事に粉砕された。


「その……! なんだ!」


 シュランは困惑に陥っていた。ルオンは目をぱちぱちとして不思議そうな表情をする。


「あれ、シュラちゃんがそんなこと言うですか? むー変ですな……」


 ルオンは腕組みしぶつぶつと考え込んでしまった。


「だから……」


 シュランは言いかけて、ある視線に気付いた。


 じーと見ていた。

 百と一の、視線が。


 唖然と口をひん曲げたシュランを見て、ルオンが振り返る。


「もしやらして、アルちゃん、ブリアちゃん……見てたの?」


 石板二匹は躰を曲げて頷きの意を表した。


「それもらして、最初から?」


 再び頷かれ、赤くなったルオンはシュランをばっと顧みた。


「これもらして、シュラちゃん! こりゃ、赤面ものですよ――――!!」


 ルオンははしゃぎながらシュランに抱きついた。


「抱きつくな! あた、あたたたたたっ!」


 シュランは忘れていた痛みを自覚し右手を押さえた。


「あ、ごめんですよ。痛み止めだった、アルちゃん!」


 やってきた黒石板アルの角をルオンが軽くこづくと、白銀色に輝く包帯とトネリコの葉が飛び出た。


「アルちゃんは、ここに色々しまえるんだ。この葉っぱは、木精霊の葉メリアリーフってゆーですよ」


 ルオンが指先にのせた青銅色に輝く葉をつんとシュランの右腕に当てると、痛みが嘘のようになくなった。


「暫く我慢してね。もう少ししたら、世界樹や生命樹ぐらい創造できるようになるから……これ、再生の力を込めた包帯ね」


 ルオンはシュランの右手に包帯を捲き始めた。


「創造?」


 引っかかった言葉を反芻した。ユミルじーさんの仕事も創造だとかいっていた。


「うん……それよりシュラちゃん!!」


 突然、ルオンに叱咤され、シュランは身を躍らせた。


「ああ、ごめん。あのね、シュラちゃん、自分の存在を、無意味なんて思わないですよ。きっと意味がある! 妹の……ユーリアちゃんだっけ? シュラちゃんがそんなことを言ったら、あーですよ」


 ルオンは真摯な思いを込めて言葉を紡いだ。


「ユーリアちゃんが生きたかけがえのない数秒が、意味なくなっちゃう。だって、その数秒がシュラちゃんの心に残してくれたこともあって、それを無意味にしちゃうでしょ」


 シュランは右手に捲かれていく包帯の、ルオンの手付きの優しさが、心にしみた。


「考えてみて。世界は、ううん。宇宙はものすご~く広いですよ。そんな広くて、闇と無と死だけが溢れた世界に、ぽつんぽつんと輝くように命の存在があるの。そんな所に存在すること自体が貴重で、奇跡でしょ。だから存在することの奇跡を放棄しちゃダメ」

「存在することの奇跡……」


 シュランは言葉を噛み締めた。


 一光年は約九兆キロ。銀河は一〇万光年の大きさである。一〇万×九兆キロだ。


 その銀河は、大マゼラン雲やアンドロメダ銀河の中にある一〇〇〇万光年内の一部。


 更に、それらはかみのけ座や乙女座銀河団のある二億光年の中の一部だ。宇宙の広さを二億光年×九兆キロと考えても、途方もなく広く、そんな所に、命が存在する。

 

 命が存在するという、キセキ。


「うん! だから、シュラちゃん、頑張る。私も自分がゴミだと思っていたけど、いいことあった。それ、捨てちゃダメなんですよ。そう考えないと、私、それはそれは哀しいですよ。はい、できた! あれ?」


 包帯を捲き終え、ルオンは目をぱちくりとした。シュランがじっと見詰めている。


「ありがとう……ルオ……」


 助けられ、今までのことの全てに、シュランはできる限りの誠意をこめ言った。この子は絶望しかけたシュランの心を晴れ晴れと救ってくれたのだ。

 ルオンは最初くすぐったいような仕草をみせたが、思いたって叫んだ。


「シュラちゃん! 忘れている!」


 ルオンは何度も腕を振り上げながら明るく言った。


「他人行儀! 他人行儀! 親しくない! 親しくない! ちゃん、つけるですよぉ!」


 もちろんシュランは付け加える。


「……ちゃん」


 互いが顔を見合わせ、おかしくなって、笑顔で笑った。

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