第4話 土星ふたたび

「さて。ここは……どこなんだ……」


 シュランはかぶりをふって周囲を伺う。


 不思議な空間であった。なにかしらのオブジェだろうか。色彩様々な立方体や円柱などの立体物が浮いている。立体物は忽然と消えたり出現したりし、壁や床などに衝突すると、そのまま内部へ浸透していったり、跳ね返ったりする。


 静かな沈黙があれば、ぽろんぽろんと奇妙な音もする。立ち並ぶ大理石の柱に至っては、耐えず表面上に映像が映っているのか、虹みたいな光の模様がうねるように動いていた。


 その虹柱と虹柱の間にある黒い壁面には、ぽっかりと穴が開いている。穴は三角型や十字、四角形、円窓型など多彩で、その先に覗けるのは――


「があ、があ、があ、があ!」


 と鳴きながら、赤銅で造られた時計仕掛けのアヒルの親子達が通り過ぎてゆくものがあれば、流星が流れてゆく宇宙……潮騒の香りと音が聞こえてくる海岸……


「ぽにょん、たんたん……ぽにょん、たんたん……」


 とバネみたいな軍団が伸び縮みして進んでゆく密林……軽やかな風が吹く草原……根元に水晶を抱えた紫の大樹の森……と、まるで何処か別次元の空間が見えるのである。


「訳がわからんが、すごいな。あの虹の柱……俺につくれるかな。角おどるな~」


 シュランがそう感想をもらしたときであった。


 シュランが寝かされていた蒼い石板。床からほんの少し空中で浮かんでいたベッドらしきもの。その右角に眼がひとつ浮かんだのだ。


 ひとつ浮かんだと思ったら、また横にひとつ。


 一列浮かんだと思ったら、折り返して二列。シュランが座っている所を目指して、瞳が一斉に浮かびだしていった。

 驚いたのはシュランである。幾つもの眼が迫ってくる気味悪さに飛び退った。


「きゃあ!」


 跳んだ所が悪かった。ルオンの真上。


 少女の脚を開かせ、合間に落ちていた。シュランがルオンを押し倒した形となっている。左手に柔らかい弾力を感じた。シュランの左手が少女の意外に大きな胸を鷲掴んでいる。

 妙な間があった。互いになにが起きているかわかってないという間があって、思考が状況を把握していく。


(や、やわらすぎ!)


 とシュランはいけない感想を一瞬持って、はっとして気付くと、ルオンと眼があった。


「……胸……いたいよぉ」


 慌てて左手を離す。


「……シュ、シュラちゃん!」

「はい!」


 うわずった声で返事する。


「い……いきなりですか……そのぉ、あーですよ。そりゃ、こういうこと早急な人だと、知ってますよ。でも、でも、私にも準備が……心の準備くらちゃい」


 そこまで言って、顔を背けるとルオンはかぁーと顔を真っ赤にした。


「なに、口走ってる! それよりアレ、アレなんだぁ!」


 シュランは大慌てで跳び起きて指さす。


 黒石板アルが屈んだルオンと同じぐらいの大きさとするのならば、その十倍ぐらいの大きさがある蒼い大石板。さっきまで、シュランが寝ていたもの。


 蒼い大石板の全身には数十の眼が現れており、その目に静かな威圧感を漂わせ、シュランとルオンの二人を凝視している。


 ルオンがぴょっこんと起きて、身を捩って言う。


「やぁん! 恥ずかしいぃ! 見ちゃ、いやですよ!」


 ルオンと黒石板アル、蒼い大石板までぽっと赤くなった。


「皆して、恥ずかしがるな! それよりアレは! 眼が一杯ある、あの人は何ですよ!」


 シュランはかなり狼狽し、ルオンの口調を真似てしまった。


「眼は百個ですよ。ヘカトンケイル巨人族のブリアレオスゆーです、わ。アルゴスちゃんなんか、私じゃ数えられない程の眼があるから、ブリアちゃんの百個は少ない!」

「……眼が百個? 更に数えられない人も!」


 あらぬ想像をしながらシュランがまじまじと見返すと、蒼石板ブリアの百個眼全てが瞬きした。シュランは絶句するのみ。


「……えー、ブリアだっけ? よろし……あたっ、あたたたたたたたっ!」


 シュランの右手が痛みだした。押さえた右手を見ると、義手だろうか。氷のように透けて、向こうが見える。その右手が段々と黒ずんで、猛烈な激痛となってきた。


「シュラちゃん、大変! 痛み止めの薬、作ってくるですぞぉ! 少し待って! アルちゃん、ブリアちゃん、手伝うですよ!」


 仰天したルオンが飛びあがり、慌てて走りだした。黒石板アルと蒼石板ブリアが追従し、シュランは広い部屋に一人残された。

 シュランは右腕を押さえ、床を這いずって進み、壁に背を預けた。痛みが右手から侵食し、蝕み、全身までもさいなむ。荒い息を整えながら、部屋を見渡した。


「……なんか、硫黄っぽいのくるな。数百度の高温に生きる弗素型生命って奴?」


 それは数百度の世界で生活する生物というよりは、数百度の炎の塊であった。燃え盛る炎焔の塊から四本脚が伸び、それで歩行する生物に近い。四本脚は燃えてはおらず、粘土みたいな泥の脚をにゅるにゅると右、左と伸ばしては、歩いて来る。


 のたくり、のたくり。


 途轍もない遅さだ。


 炎塊はゆっくりと泥の四本脚を交差させながらやってくる。


「動き、おそいし。なにを考えてんだろうな……」


 シュランが何げにつぶやいたとき、ルオンが大理石柱の影からぴょっこっと顔を出した。石板達も、だ。


「スルトちゃん! 食べちゃダメ! 私の大事な人!」


 言って、ルオンは柱の影に消える。制止を受けた炎塊スルトが脚を宙に繰り出したまま、動きを止めた。


「こいつは俺を食べようとしていたのか!」


 シュランは呻いて、炎塊スルトを眺めやる。妙な睨み合いがあった後、シュランは口の端に意地悪い笑みを飾り付け、言ってやった。


「お前、うまそうだな。俺が喰ってやる! 液体窒素のふりかけでもかけてな!」


 炎塊スルトが恐怖に身震いをした途端、


「なんちゅー速さだ!」


 四本脚を凄まじき高速で繰り出し、脱兎の如しで逃げ出していった。瞬く間もなくいなくなった炎塊スルトに、シュランは唖然とした。


「全く変な所だ。まあ、あいつらから見れば、俺の方が変かもしれんが……」


 シュランは笑った。右手の激痛はまだあるが、だいぶ治まっている。


(……みんな、どうしたかな……死んじまったよな……)


 シュランの心に、右手の激痛よりも苛烈な痛みが走った。心が酷く翳る。

 ふと、シュランは壁に開いた窓穴の先にあるもの気付き、覗き見た。

 宇宙空間が広がっていった。闇に抱かれて、星々が煌めいている。


 輪を飾った星――土星の姿もあった。


「あいかわらず、土星はでけーな。人がちっぽけな蚤みたいなサイズにな――」


 シュランはあのときのように感慨深く土星を眺めることができなかった。なにか変である。目の錯覚か。シュランは眼をこすった。なんとなく左手を窓へ伸ばしてみると、強化硝子などもなく、手を伸ばすことができた。


「そのまま宇宙と繋がっている?!」


 シュランはうろたえながらも、窓枠に手をかけ身をのりだし、中に入っていった。窓からぽんっと放たれたように、シュランは宇宙空間に飛び出した。

 シュランが後を見ると、侵入してきた同じ形の窓穴だけが空間にぽっかりとある。


「え? え? おう! 空気は?」


 焦ったシュランは自分の全身のあっちこっちを触りながら調べてみた。


 少女ルオンは白を基調した淡い桃色の線が刺繍された上衣を着用していた。半袖で健康的な生足が覗く半ズボン的な古き時代の被服だ。それに酷似していたが、下腹が鎧みたい硬質化していて、鎧と服が合わさったような服装である。顔にも触れたが、普通の顔の感触があり、地肌のまま、宇宙を漂っている。


宇宙服スーツ、きてない!」


 驚く間もなく、土星が間近に迫っていた。ぶつかると察知し、止まれと叫ぶように念じた。無重力にも関わらず、シュランは自分の意志で飛行を止めることができた。


「でかい! けど、小さい!」


 シュランは唖然としながらも呟いた。窓から見たときも異常であった。


 直径十二万キロもある巨大な土星がシュランの身の、


「俺の身長――六千キロ?」


 二十倍ぐらいの大きさにしか見えない。ピンポン玉から自動車サイズまであるはず土星の輪の氷も、全てが粉末状にしか見えない。まるでちょっとした模型サイズの土星が目の前にある感覚で、遠近感が酷く狂ったようであった。


「そうだ。これは立体映像か!」


 シュランは己を納得させるように叫んだ。しかし、土星の輪の近くで、きらっと輝いた物体を目撃してしまった。


「嘘!」


 それは、あのコロニーの無残な残骸であった。爆発で裂かればらばらとなり、銀色の破片が浮遊している。

 そして、蚤サイズの――突如、視野が拡大して、見覚えのある人間や異星人達の、無数の遺体が見えた。数千数百の骸が宇宙空間を漂っている様は、酷いものであった。


「ああ! みんな、親方! マーシャも!」


 半身を失った親方ゲオルグとマーシャが漂っていた。


 悲嘆と恐怖の戦慄がシュランの心を蝕んでいく。


 理性がこれは現実ではないと受け入れるのを頑固に拒否する。唇が、指先が、全身が小刻みに震えはじめ、どこかに逃げたいという衝動が襲いかかった。


「え!」


 そのうえ、また信じられぬものを眼に焼きつけてしまった。

 シュランの鼻先を、悠然と死を誇示して、それは通り過ぎた。


 首がねじれたミャウを大事に抱える――

 氷漬けでありながら所々火傷し――

 右手を失った――


「なんなんだよぉぉぉぉ! これはぁ――――!」


 絶叫する身長六千キロのシュラン。その血走った眼球前を――


 蚤サイズのシュランの遺体が漂っていたのである。


 そう、生きている身長六千キロのシュランが、蚤サイズで死んでいるシュランを見ているという、異常な事態が起きていたのであった。

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