第3話 双角の少女ルオン

 シュランは泣いていた。


「どうして……泣いているです……?」


 切なそうな声が聞こえた。


「ユーリアが、ううん、妹が――」


 シュランは目を手で覆った。


「一日も生きられなくってね……それが悲しくって……悔しくって……」


 手の合間から涙が止まらない。耐えて耐えても涙は溢れる。墓標にあんな日付を刻まなければいけなかった母の気持ちを思うと心が強く乱れる。


「どうにもできなかった自分も、許せなくって……!」


 視界の隅に、双角の少女がちらちら見えた。泣いていることを隠そうするが、涙は奔流となって溢れてしまう。くそ、情けないと肘で顔をぬぐい、感情の起伏を押さえようとシュランは半身を起こした。この夢を見てしまうと心が弱くなる。


「……すまない、情けないところを……あの、君が助けてくれたのかな。ありがとう……」


 シュランは少女の方を見て、ぎょっとした。

 少女の顔はくしゃくしゃの泣く寸前。


「うわ――――ん!!」


 泣きだしてしまった。おお泣きである。どうやら、もらい泣きらしい。慌てたのはシュランである。洪水のように泣きだして、鼻水まで……

 少女から大人の女性へ移る、丁度、そんな年齢なのだろう。少女は童顔のようで、どこか大人びた色気もある、なかなかの美人顔が、思いっきり崩れた。

 シュランがどうすべきかとあたふたした所へ、横から布巾みたいなものを差し出された。


「どうも。ほら、美人が台無しだぞ」


 布巾で少女の顔を拭いてやる。少し衝動がおさまって、落ち着きを取り戻した少女は、


「貴方も……だめ、泣いちゃいかんよぉん」


 と今度はシュランの顔を手でぐちゃぐちゃとこすった。少し乱暴であったが少女の暖かい好意と素朴な優しさを感じて、されるがままにした。


「これ、ありがとう……おおっ!」


 シュランは布巾を貸してくれた相手に返そうとして驚きの声をあげた。

 眼が一つある黒塗りの石板がいた。互いに身震いをして驚く。手渡そうとした布巾は何故か、石板の角にあたると光の粒子を振りまいて消えてしまった。


「あの……なに……」


 言葉が声にならない。


 太陽系の広さは百億キロであり、銀河系は十万光年である。一光年は約九兆四六一○億キロ。それで計算すると、銀河系はなんと約九兆四六一○億キロ×十万の広さとなる。


 そう、宇宙は広大、広すぎるのだ。


 人類は三十弱の文明と知的生命と遭遇したが、太陽系から一〇〇〇光年の範囲内で約一〇〇〇個の恒星があり、さらに銀家系の広さでそれを求めれば、まだ遭遇したことのない、身体の化学組成や基礎代謝が人間と違う知的生物がいる可能性は低くない。


 人間やスピカ星族は炭素からなる蛋白質型生命で、まさに水の生命体である。


 そして、シュランいや、この時代では少なくとも現存すると云われる、アメリカの生化学者アイザック・アシモフが提唱した宇宙のどこかにいるではないかという六種類の知的生命のタイプや科学者達が推測したことをまとめると、おおよそ、次項の五種類の化学組成がことなる知的生命とは遭遇してない。


 アンモニアからなる蛋白質型生命。

 水素からなる脂質型生命。

 メタンからなる脂質型生命。

 硫黄からなる炭化弗素型生命。


 そして、珪素からなる、


「シリコン型生命って奴? 会話できるのか?」


 そこでシュランは驚きで、双角の少女を見詰めた。


「やや、そんな見詰めない。はずかしい!」


 ぽっと赤く顔をそめた少女に軽くこづかれた。

 少女は……炭素ぽっい。瞬きする一つ目の石板生物は珪素ぽっい。そして少女の背後をたまたま通り過ぎて何処かへ行った、怪しげなアメーバ状の生命はメタンぽっい。


 ぽっいとは珍妙な表現だか、これからの新時代はそんな元素が違う生命との出会いが多くなってくるのだろう。そう想うとシュランは嬉しくて堪らない。


「宇宙って、でけぜぇ! シリウスなんてちっぽけだ!」


 などと、感動のあまりシュランは叫んだ。


「あの、その子は……金属生命体というものか?」


 シュランは興味にかられて尋ねた。


「え? この子は巨人族のキュクロプス幼体です、わ。子供ね。名前はアルゲス! 私の初めてのお友達、アルちゃんゆーうですよぉ!」


 双角の少女は溌剌として答えくれた。だがそれは、シュランとしては望んだ答えではなかった。てっきり、その石板生物アルちゃんは珪素からなるシリコン型生命で……との返答を期待していたのだ。しかし、シリウス人を説明するとき炭素からなる蛋白質型生命で、と言う筈がないのに気付き納得した。


「アル……か、よろしくな!」


 シュランが挨拶すると、アルも躰を曲げて挨拶を返してくれた。どこかに翻訳機でもあるのか、先程から少女の言葉が理解できるように言葉が通じるようだ。

 シュランは安堵した。元素の化学組成が違えば、精神構造の基礎が違いすぎるゆえ、考え方や会話の方法も多種で、意志の疎通をはかるのが困難だろうと思っていたのだ。


(そういえば……泣いてくれたもんな、この子……)


 ある程度の知性と進化がある場合に、あらゆる生命体に共通するジェネラル・アンダースタンディングが成立しているのかなと、シュランは昔読んだ文献を思い出していた。


「それで、それでね、貴方の下にいるその――」


 言い掛けて少女は何か思いだしたらしい。

 シュランが寝かされていたベットの横で、少女は胡座をかいて座っていた。ぺろっと舌をだして、いっけなーいという表情をすると、少女は自分の額を軽くこづいた。


「あの、してないですよ。私の自己紹介! 私からでいい?」

「はっ! どうぞ!」

「うん! そこ動かないで待っていてね」


 少女は胡座をかいたまま、くるりと回ってシュランに背を見せた。すると黒石板アルがすっと少女の前にきて、その断面を光り輝く鏡に変えた。


「……」


 少女の小さな肩と腰まである長い白桃色の髪が小刻みに揺れている。どうやら、鏡を見ながら身を整えているらしい。


「はい! お待たせ! あ、いいよ。怪我しているんだから、そのままで」


 少女が立ち上がったので、シュランはベッドから降りようとしたが、そう言われてしまい、迷ったあげく、ベッドの上で正座するなんとも不本意な恰好に。

 少女は左掌をびっと向け、満面の笑みで自己紹介する。


「私は……私の名前はルオンノタルゆーうですよ。創造のお仕事しているユミルじーさんの……孫孫孫孫孫孫孫孫孫孫。んー孫娘になるのかな? 今度からお手伝いするんだ!」


 元気よく発言する少女に、シュランは何とも言えない感情を覚えた。角がスキップするような感覚を覚え、思わず、角を押さえる。


「あの……」


 シュランが角を押さえたので、少女が不安そうに身を屈めてきた。


「何でもない! 続けて」

「うん! じゃあ、好きな食べ物はね……ないなぁ! 好きな言葉も……ないなぁ あれ、好きなもの何も……う~ん、ないぞぉ……う”~」


 言葉を促すにつれ少女は暗く沈んでいった。合わせて黒石板アルも身を縮めていったが、少女は突然ぱっと明るくなって言う。


「あ! 好きな人はいる! 友達アルちゃんの巨人族のみんなと、ユミルじーさんと……あと、そのぉ……なんですかぁ……」


 ルオンノタルと名乗った少女はちらちらとシュランを盗み見ながら、真っ赤な顔となってしまった。シュランは少女の行動に頬をぽりぽりとかいて、対応に困った。


「ああ、ごめん。するですよぉ! 貴方の自己紹介!」


 少女ルオンはベッドのふちにすがるように手を乗せ、もう期待に胸膨らむ輝けんばかりの瞳で、シュランを見る。黒石板アルもきらきらと期待し見ていた。

 そう、期待されても困るのだが……と角をごりごりかいて、シュランは言った。


「俺はシュラン・エアス・アクウィラだ……」

「ほう、シューちゃん、ゆうですな!」とルオンは喜んだ。

「シュランだよ……」

「シュンちゃん?」と首をかしげる。

「シュランだって……」

「ランちゃん?」逆に首をかしげる。

「だ・か・ら、シュラン!」


 言い聞かせるように言うと、ルオンは何度も腕を振り上げながら猛抗議してきた。


「他人行儀! 他人行儀! 親しくない! 親しくない! ちゃん、つけるですよぉ!」


「俺はちゃんとか、坊とか、君とか、嫌なの。子供扱いされるみたいで! 特に、お前みたいな小娘に、ちゃんなど呼ばれたくない!」


 双角の少女ルオンが怒ってむくれた。


「アルちゃん、きいたですか? 小娘だって! 一生懸命、看病したのに、あーですよ。巷でゆう、恩を仇でかえすってヤツですよ。初めて経験したです、わ。きっと、この後、私をルオンなどと呼びつけにするでしょうよ。それはそれは、恐ろしいことですよ!」


 黒石板アルがあまりの恐ろしさに身震いをし、白目を浮かべ、倒れた。


「……。いいよ、好きにして」


 溜息ひとつし、渋々、従った。


「ややっ! 好きにしていいの!……あのぉ、なら、そのぉ、何ですかぁ?」


 また、シュランをちらちら見ながら顔を真っ赤にした。


「……シュ、シュ……シュラちゃんと呼ぶよ……」

「何故、赤くなる?」


 素朴な疑問を口にした瞬間、何故か、ルオンは顔を真っ赤から真紅色に染め上げた。そして、胡座をかいたまま身体を前後に揺すりながら言う。


「い……いわせるですか? これは……ものすごいよ。それに……これ位しないと……駄目でしょ……これでも……がんばって、貴方の思いに答えているんですよ……」


 ルオンはもうゆであがったみたいな顔をして続けた。


「だから……シュ、シュ……シュラちゃんは……私をあーですよ。ルオちゃんと呼ぶことになってしまうですよぉ」

「なってしまうのですか」


 思わずシュランは相槌をうった。


「そう、なってしまうですよぉ」

 なんだか、少女は一人で盛り上がっている。


「ああ、わかったよ……ル・オ!」


 シュランは少しばかり意地悪してみた。ルオンは俄然と、もう輝けんばかりの瞳をして身をのりだした。エメラルドグリーンを薄めた美しい瞳が見ている。


 よごれなき瞳が見ている。


 純真無垢な瞳がシュランを映す。


「……ちゃん」


 あまりにも純真すぎる瞳に負けてシュランは言いくわえた。


「むー。なんか間があったけど、初めてだから、よしとするでしょ」


 不満そうにルオンは腕組みをして心中で独白する。


(でも、このままだと、ちゃんを付けてくれそうにないですね。どうにかしないと!)


 同じくシュランも腕組みをして思い悩む。


(はー、ちゃん、だってよ。子供扱いだな、どうにかしないと!)


 と、そこで、互いの視線に気づいたシュランとルオンは、その心うちを隠すかのように、にかっと笑いあった。

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