おしまいの三十三日(上)

 学と時哉が、橘葉流と松木明江、川上行久を伴って警察署を訪れた日の朝、保育園が始まる時間に、未來を作る会の一部の会員たちは行動を起こした。


 認可されているかされていないかに関わらず三戸里市にある保育園の保育士の目が届きにくい場所に火をつけたり、火で燃やすことが困難と判断した保育園には、圧力鍋または金属パイプで作った手製の爆弾を入れたダンボール箱の中を置いたのだ。


 火をつけられた保育園では、子どもを預けに来る親たちの対応に追われていたので火にすぐ気づかず、気づいたときには大きく燃えていた保育園が多数出た。だが幸いにも、表側の出口までは火がまわっていない保育園がほとんどだったので保育士と子どもたちは、火がまだまわっていない出口から避難した。避難の途中で怪我をした園児が全体の二割ほどいたが、火災の被害を受けた園児と保育士はいなかった。


 一方手製の爆弾入りダンボールが置かれた保育園の多くでは、不審なダンボールに気づかず爆弾が爆発する事態が起きた。鉄筋コンクリートの壁が吹き飛び、部屋の中にいた園児と保育士が瓦礫の山の中に埋もれるショッキングな光景がテレビ画面に映る。その普段はテレビを見ない人も思わず画面に釘付けにする光景から、死者が多数出るのは避けられないと見られていた。しかし後日、確かに壁は崩れ園児と保育士たちは吹き飛ばされ壁の破片まみれになったが、死者は一人も出なかったことが判明した。


 さらに同じころ、三戸里市市内にあるマンションの一室で爆弾が爆発する事件が立て続けに三回も起きた。多くの人が出かけている時間帯の上、爆発はその一室を破壊するだけで終わったこと、さらに部屋のなかには誰もいなかったことで被害は最小限なものだった。爆発した物件は、いずれも未來を変える会の関係者が借りている物件で、警察が家宅捜索のために捜査礼状が取れないか検討し始めた矢先だった。


 未來を変える会によるこのような好き勝手を、警察も黙って見ていた訳ではなかった。まず、三戸里市の北側の保育園に火炎放射器で放火していた三戸里市東部にある三戸里東が丘中学に通う中学二年生の森下夏菜と、その手伝いをしていた都内の大学の二年生、茂田直海しげた なおみ、三戸里市の南側の保育園に放火していた三戸里市西南部にある三戸里上岡小学校の五年生田中勇樹たなか ゆうきと彼を手伝っていた大学生の富川道治とみかわ みちはるを補導及び逮捕した。彼らはそれぞれ犯行に使われた火炎放射器は未來を変える会の大学の工学部に所属する会員が大型の水鉄砲を改造して作成した物と証言している。茂田と富川は各々二日前に他の会員からこれらの火炎放射器を受け取り、事件当日の朝に各々森下と田中に火炎放射器を渡したと証言している。この手製の火炎放射器は、五、六回打つと使えなくなる仕様なので、森下と田中は火炎放射器を保育園に火をつけると、その都度茂田が運転する黒い軽自動車、富川が運転する白のミニバンに戻り使えなくなった火炎放射器を茂田に渡し、新しい物を茂田と富川から受け取り別の保育園に向かったと証言している。その間に茂田と富川は森下と田中の向かう保育園の近くに移動し、使用済みの火炎放射器にやはりこれも別の会員から渡された、五百ミリリットルペットボトルに入った灯油などを混ぜた透明の燃料を補充していたと証言した。


 犯行動機を問われると茂田直海と富川道治は二人とも、人の話を聞かない独断的な安江興作のような人間を市長に選ぶことしかできない三戸里市をおしまいにするという櫻架名の思想に共感したからだと答えた。世間は茂田直海と富川道治の、おしまいにするという柔らかな言葉で語られた思想に戦慄する。


 他の二人については、森下夏菜は中学生が手っ取り早くお金を稼ぐにはこれが一番だったと言い、田中勇樹は焼き肉を食べさせてもらったからと答えた。


 あわせて森下夏菜と田中勇樹の二人は、どこで未来を変える会に出会ったかを問われると、それぞれ別の日にちに学校で、子どもでもできる仕事を三戸里市中央の市立図書館の三階で紹介してくれるという噂を聞いたと答えた。彼らはそれぞれ噂を訊くと、自ら進んで図書館に行った。中央図書館の三階には興味本位や怖いもの見たさの軽い気持ちで図書館を訪れる小中学生がたくさんいたが、茂田と富川は彼らには声を掛けずに森下と田中だけに声を掛け、未来を変える会に誘った。茂田と富川にこの事実を確認すると、二人の通う学校にスマホを持っている生徒を通じて仕事紹介の噂を流したことを認めた。しかしそれは森下と田中を狙ってやったのではなく、自分たちの仕事を手伝ってくれる、人生に行き詰まった子どもを探すためだったと答えた。


 そのうちに、森下夏菜の事情が明らかになった。彼女の家は母子家庭で三戸里市の市営住宅に住んでいたが、最近市営住宅の家賃が払えず市営住宅を立ち退きを迫られていたこと。市営住宅の家賃は経済的に支払えない場合減免される制度があるが、市では聞かれない限り教えないという機械的な態度を取っていたこと。犯行の前日、彼女が家の郵便受けに入れてあった家賃の督促状兼領収書を銀行に持っていき、未来を変える会の人間からもらったと思われる現金数万円で滞納していた家賃を支払ったこと。さらに彼女が母親の銀行口座に一年分の家賃の金額を入金していたことがわかると、世間に深い衝撃を与えた。


 それから、小学五年生の田中勇樹は保育園の園児が火事で怖い思いをしたことをどう思うかと聞かれ、三戸里市は住んではいけない危険な場所と防災行政無線で毎日毎日うるさいほど注意されていたのに、危険な三戸里市の保育園に通っていた園児の自己責任と言い、自分が警察に捕まり死刑になるのも自己責任と顔色一つ変えず平然と答えた。


 加えて、お金があれば悪いことした政治家も許される、この世界ではお金持っている人が勝ち組で正義だから、人を殺してもお金を手に入れた人間が正義と能面のような顔で言ってのけ、大人たちを震撼させることになる。


 一方、食事が出る度に彼の能面のような顔は崩れ「すごい! 豪華だね」と年齢にふさわしい笑顔になる。さらにおかわりして良いと捜査員が言うと、きょとんとした顔になり、次の瞬間やったーと叫ぶなど、取り調べをしている時のクールな様子と違うギャップが捜査員を戸惑わせた。


 実は田中勇樹の家も森下夏菜の家と同じく母子家庭で、父親は妹がお腹にいる時に、事業に失敗して借金を作り、自分の名前を書いた離婚届だけを残して失踪している。母親は離婚して借金を払わずにすんだが、パートの給料だけでは生活が苦しかった。そこで市役所に行き生活福祉課の窓口で相談したが、苦しくなるのはわかっていたのになぜ二人目を生んだんですかと問い詰められ、生活保護を受けるのを諦めた。彼女は米を炊くのは極力減らし、ホットケーキを水に溶かした物や乾燥タイプのうどんなどを多目に食べるなど、最大限に切り詰めて生活していた。


「僕が刑務所に入れば、お母さんも妹の友理奈ゆりな一人だけの面倒を見ればいいから楽になるね」


 勇樹がふと漏らした言葉を聞いた捜査員は、わずかの間彼に言うべき言葉が出て来なかった。やっと言葉を絞りだし、楽しみにしていることは何かと聞いた。


「楽しみか。特にないけど。ああ、三日前、富川さんがお母さんに内緒で、僕と友理奈をディズニーランドに連れていってくれたんだ。ジェットコースターいっぱい乗って。チョコと苺のアイスクリーム友理奈といっぱい食べて。 ミッキーマウスとかがパレードしているのを友理奈と二人で見て。あんな楽しいことは、もう二度とないだろうね」


 楽しそうに思い出を語っていた瞳に、諦めの光が宿る。


「俺のことを利用するためだとしても、富川さんだけが俺と友理奈に親切にしてくれた。だから、あの人のためには何でもする。どっち道このまま真面目にやっていても飢え死にする未来しかなかったし」


 後にこれらのことが報道されると、森下夏菜と田中勇樹のような家庭に生活保護を許可しなかったことが事件を拡大させたという抗議の電話が市役所に多数来た。また、市役所前に抗議するデモ隊が集まった。その一方、生活保護の条件は厳しくて良い。生活福祉課は何も悪くないという激励の電話や、市役所に抗議するデモ隊に抗議する市役所応援団が市役所の前に集まった。市民は殺伐とした市役所の前の雰囲気に考え方の違いに関わらずげんなりし、支所で出来る手続きは交通費をかけても支所でやることにして市役所には近づきたくないという人が続出した。それからこの出来事は、すでに様々な案件をかかえ、ただでさえ疲労している市役所の職員をさらに疲労させることに大いに貢献した。後日、この出来事が最後の引き金になって、うつ病を発症する者が職員の中に多数出たという。


 次に、圧縮鍋金属パイプでできた爆弾をダンボール箱に入れたものを保育園の前に置いた犯人が逮捕される。木田香、八十三歳と彼女に付き添っていた大学生、水岡梨々香みずおか りりか十九歳、中野麻理子、七十九歳と彼女に付き添っていた青応大学出身で未来を変える会の三聖女の内の一人、柏木深雪の四人だ。


 彼らは全員捜査員の取り調べを受けることになる。しかし捜査員たちは、すぐに木田香と中野麻理子の取り調べがほぼ不可能なことを知る。二人から事情を聞いても「不法外国人は打倒します」「不法滞在者は絶対に許しません」などのかみあわない言葉が大量に帰ってくるだけで会話が成り立たないのだ。捜査員たちは二人のことを知るために二人の家族に丁寧に事情を聞いた。すると思いもよらない光景が浮かび上がって来た。


 そもそものことの発端は、中野麻理子の五歳年上の夫である義次よしつぐが、十年前の寒い朝に心筋梗塞で亡くなったことだったのかもしれない。


 夫を急に亡くし、魂が抜けたように生気を失った顔をしている麻理子を心配した家族は、義次が使っていたパソコンを引き継いでブログを書いてみてはどうだろうと麻理子に言った。最初は自分にはできないとしり込みしていた麻理子だが、家族に勧められしぶしぶパソコンの前に座り、夫が書いていたブログを読んでみる。


 そこには生前の夫が感じていた小さく強い幸福や、独自の考えが形となって残っており、それは麻理子の心を暖かくした。


 麻理子は夫の残したブログを毎日読むようになった。そのうちに、自身も夫と同じ場所にブログを作り、毎日何かしらを書くようになる。そして、ブログの書き方の勉強のために他のブログも読むようになった。


 最初の内は旅行記や、花のブログなどを読んでいたのだが、ある時何万人も読者のいるニュースブログを読んだ。そのブログは外国人がこの日本を狙っている、移民を受け入れてはいけないという恐怖を煽って読者を増やすことで有名なブログだった。彼女はこのブログに激しく共感し、以来自身も日本を狙う外国人には気をつけなくてはいけないとブログに書くようになる。


 加えて四年前軽い認知症であることが発覚した辺りから、自身の財布を家族がぬすんだと訴えるなど、攻撃的な面が強く出るようになった。


 ちょうどこの頃認知症患者が通う施設で木田香、松木明江、青木と出会っている。麻理子は彼女たちに移民を受け入れてはいけないと説いた。青木や松木は麻理子の主張についていけず上手に受け流したが、木田香は他の三人よりも認知症が進んでいたこともあり、麻理子の主張に素直に頷いた。以来二人は結び付きを強めていく。


 未来を変える会の会員が彼女たちと出会ったのは、ちょうどこのような時期だった。後に明らかになることであるが、櫻架名は家族や周りの人間から自身の主張をやんわりとたしなめられていることに不満を抱いている麻理子の気持ちを見抜き、麻理子の考えをひたすら誉めちぎった。それに気を良くした麻理子は木田香と共に、移民から国を守るためと櫻架名に言われるがままに、未来を変える会の行う犯罪行為に手を貸すことになる。




























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る