ざわつく十五日の昼

朝の講義にぎりぎり駆け込んだ学は、そのまま大人しく講義を受けたが昼になり講義が終わると、すぐに同学年の濱田将生はまだ まさきを探す。彼は圭吾と同じ剣道のサークルに入っていると聞いたことがあるからだ。


「なあ、三戸里市に雪が撒かれた事件のこと知ってるか」


ちょうど学生食堂に向かう途中の濱田を捕まえ話しかける。


「知ってるどころの騒ぎじゃないぜ。俺三戸里市に住んでいるからな。昨日は大変だったぜ」


濱田は自分の家の辺りは何もなかったが、夜の間ずっとパトカーや救急車が走っていてうるさかったことや、駅前に雪を撒いていた集団を注意しようとして怪我をさせられた人達が三戸里駅の前の広場に連れて行かれた後置き去りにされた話をした。それから、二人で学生食堂のカウンターに行き食券と食事を引き換えて、白い長方形のテーブルの側に置いてある椅子に二人は座り、学はカレーライスを、濱田はコロッケや鳥の唐揚げなどのおかずに味噌汁、ごはんがついた定食を食べ始める。


「先輩のことはよく知ってるよ。高校で同じ部だったから」


「同じ部ってことは、もしかして剣道部?」


「うん。俺と先輩は高校でも剣道やってて。で、俺もそうだけど、先輩も真面目に練習しているけど、県大会止まりで全国とかほど遠くてさ。最も、俺はそれなりに頑張ろうと思ってやるようになったけど、先輩は真面目だから、行き詰まっていたのかも知れないな」


「まだわからないけど、先輩が雪を撒こうとしたのはそれと関係あるのかな」


「それもあると思うけど、先輩が変わったのは『未来を変える会』に入ったせいだと思うぜ。あの会に入ってから、先輩は明らかに様子が変わったからな」


「未来を、変える会」


「 政治や経済について考え、より良い未来を作るっていう理想を掲げている、大学生の団体だよ。十年前ほど前に東京にキャンパスがある大学の英語研究会が、文化祭の時に近隣の大学の大学生を呼んで討論会を開催しようとしたのががきっかけで」


「この、討論会を企画した大学の英語研究会は、男と女の割合が二対八と女の方が多い上に、その女の子たちが皆可愛い子たちだったんで、政治や経済を真面目に考えている奴の他に、政治にも経済にも一ミリも興味のない奴等が押し掛けてきて」


「結局討論会自体は参加者をくじ引きで選んで開催したけど、せっかくたくさん集まってくれたから、討論会が終わった後も交流しようということになって」


「それが、この団体の始まりだったらしいって聞いたけど」


「なんか、すごく真面目な団体みたいだけど」


「うん。全体としてはすごい真面目だよ。ただ単に女の子と仲良くなりたいという理由でここに入会している男のせいで、一部に浮わついた空気が漂っているけどね」


「ふーん。なあ、今までの話を聞いてると、その団体と先輩が雪を撒いたことは、全く関係ない気がするんだけど」


「うん。多分『未来を変える会』自体は何も悪くない。ただあの会には色んな奴が居るから、悪いことを皆に教える奴がいて先輩はそいつと知り合ったことで悪い影響を受けた気がするぜ」


「そうなんだ」


学は話を聞きながら「未来を変える会」に潜入する必要があると思い始めた。


***


学が濱田と話していた時とほぼ同じ時間。三戸里市西部樹下町にある樹下成山きのしたなるやまという名の県立高校の二年一組の教室で、藤井花野美はクラスメイト三人と机をくっつけてお弁当を食べていた。


「うわっ、美味しー! いつもながら花野美のお母さんの卵焼きって本当に美味しいよね」


向かい側の席に座る佐野ユカリがさっきアスパラガスのベーコン巻きと交換した卵焼きを頬張りつつその味を誉める。


「べつに大したことないって」と、 花野美がユカリに言うと、右隣の席の本川敬菜もとかわ けいなが話し出す。


「いや、花野美のお母さんのお弁当はいつも本当に盛り付けも可愛いし美味しそうだよね


敬菜の向かい側の席に座る赤坂唯あかさか ゆいも、敬菜の言葉を肯定してうなづくと「それに比べてうちのお母さんっていまいちお弁当のセンスがないんだよねえ」と愚痴をこぼした。


「あんたのお母さん六時半には仕事に行くんでしょ。それなのに、お弁当作ってくれるんだから、もんく言える立場じゃないでしょ」


ユカリの言葉に「そうなんだよねえ」と言う唯を見ながら、花野美は誰にも気づかれないようにそっとため息をついた。


実は花野美には、誰にも言ってない秘密がある。といっても、大した秘密ではない。花野美自身さっさと本当のことを話してしまいたいと思っているのに、何故かこの高校で一番仲の良い三人にもいまだに言えずじまいでいる。


このお弁当を作ったのは、本当はお母さんじゃなくて、お父さんだということを。


花野美の母親の静子は看護婦だ。花野美が生まれる四ヶ月前から花野美と二つ違いの妹の野々香ののかが三歳になるまでは家にいたが、その期間を除けば、家にいるよりも病院にいる方が長い。


静子がこんな風に病院で活躍できるのには、夫の光則みつのりの協力が大きい。光則も会社員で決して暇なわけではないが、静子より時間の融通がきく。そこで保育園の送り迎えや、行事の参加などで光則が二人の世話をすることはよくあった。


二人が学校へ通うようになると、よく授業参観にも来ていたし、PTAの仕事もできる範囲でこなしている。


家事も得意ですべてを驚くほど手際よくこなしていたが、そのなかでもとりわけ料理は好きなようだ。忙しいにも関わらず市販の出汁ではなく、暇なときに自分でだし汁を作っておき、冷蔵庫に保存している。


花野美はこんな父親を尊敬しているが、たまにケンカをするときもある。昨日もそうだった。


「花野美、ごめん!!」


花野美が夜家に帰ると、 光則がひどくすまなそうな顔で出迎えた。どうしたのだろうと不審に思う花野美に光則は洗濯ものが入っている洗濯かごを差し出す。


「間違えてお前のものを、洗濯しちゃったんだ」


花野美はその洗濯かごを見て何が起こったか気がついた瞬間。


「何してるのよ!!」と、花野美は大声で言う。


洗濯かごを光則から奪うように受け取ると、ベランダへ急いだ。





「あーあ」


花野美は誰にも気づかれぬようため息をつく。小学六年生頃から、花野美は自分の服を光則に洗濯してもらうのが苦痛になった。そこで、自分の服は自分で洗濯するようにしていたのだが。


今週はバスケットボール部でいつも以上に練習して、疲れていて。だから家に帰るとすぐに寝てしまい、洗濯ものに構うエネルギーは一ミリもわかなかった。


「だからって、洗濯ものを仕分けて置くのを忘れていい訳じゃない」


深い罪悪感とともに、思い出す。自分の洗濯ものを分けずに、静子の洗濯ものと一緒に置いたままにしまったのは、花野美だった。光則は何一つ悪くない。


なのに、光則が悪いかのように花野美は振る舞い、怒ってしまった。あれは、非常に良くなかったと、花野美は思う。


「帰ったら、お父さんに謝んなきゃ」


花野美は、ごはんを噛みしめながら考える。


「花野美、先生来てるよ」


敬菜が花野美の肩を軽く叩きながら言う。花野美が慌てて薄緑の引き戸のあたりに目をやると、担任の関川せきかわが黒板近くの入り口で花野美を呼んでいる。


「藤井。お母さんからたった今電話があった。お父さんが交通事故にあわれたそうだ。お母さんがもうすぐ君をむかえに来るそうだから、すぐに帰れるよう準備しておきなさい」

























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