この世界はあなたを必要としないの十三日目(下)

「最も安江市長だけが悪いんじゃありません。三戸里市には、三戸里市を良くしようとする人材がいないんです」


「そんなことはないと思いますよ」


「いいえ、そうなんです。安江市長が保育園改革を行ったあとに市長選挙があったのですが、市議会の全ての会派が安江市長を推薦しました」


「また、安江市長を脅かすような有能な人物も選挙に出ませんでした。そのため、安江市長は二位の野党候補に大差で勝利しました」


「さらに、三戸里市民は半数以上が選挙に行きませんでした。そのなかでもとくに私と同じ三十代は、五パーセントの人しか選挙に行きませんでした」


「犯人はこんな三戸里市民が嫌いだから、三戸里市民を殺すのかもと思うと、私は犯人を責める気になれません」


「私は犯人より、亡くなった横沢真央さんの方がよほど三戸里市の未来を考えていたと思いますよ」


「横沢さん。あの人は偉かったです。訴訟などして目立てば叩かれるのに、それを気にしないで」


「実際、横沢さんと他のお母さんが訴訟に踏み切ったとき、ワガママだとか自己中とか心ない批判をする人がたくさんいました。本当は小手先の手段で保育園問題を解決しようとする市を批判するべきだと思うのですけどね」


「それはともかく、日本では保育園に入れるか入れないかを審査するのに、それぞれの状況を点数化して点数の高い人から保育園に入れる制度になっています」


「三戸里市の新しい保育園制度では、育児休暇が終わった後は退園した育児に百点をつけて必ず元の保育園に戻れるようにするそうです」


「やらないよりやった方が良いに決まって居ますが、子どもは物じゃないんだからそう簡単に上手くいかないと思います」


ここまで話すと芹香は目を静かに閉じた。時哉と学がなにも言わずに見守っていると、目をゆっくりと開きまた話し始めた。


悠真ゆうまは、失礼、この写真の子どものことです。彼が保育園に入ってお友だちと一緒にいることで良い影響を受けていると感じ、私は彼が保育園で成長していく姿を楽しみにしていました」


「ところが数ヵ月前、私は避妊に失敗して妊娠してしまったのです」


「仮に第二子が生まれれば、悠真は育休退園になります。育休から復帰するときは、悠真に加え、第二子の入れる保育園も探さないといけない」


「もし一年後育休から復帰するとき二人とも保育園に入れなかったら、私の勤めている会社は育休休暇を一年以上はとりずらいですから、会社をやめるしかありません」


「しかも妊娠するとは思っていなかったため、気づいたときにはすでに楽に中絶出来る三ヶ月を過ぎています。私は色々考え、やがて気がつきました」


「私が一番嫌なのは、悠真が保育園をやめさせられること。それを避けるためには、第二子を絶対生んではならない。そこで私は、高いリスクがあっても、中絶する道を選ぶことにしました」


「ところで、悠真がお腹にいるとき、私はつねに綺麗なことを考え、綺麗なことを口にしようと心がけていました」


「しかし第二子を中絶するとき、私は本当のことを考え、本当のことを口にしました」


「この世界はあなたを必要としない、この世界はあなたをいらない。保育園に入れない子どもは生まれて来てはいけない。あなたが生まれることが出来ないのは、保育園に入れない市に住んでいる母親のもとに生まれて来た、あなたの自己責任って」


話しているうちに段々何かにとりつかれたような表情を浮かべ芹香は話をしていたが、急に静かになると時哉に頭をさげた。


「すみませんね。色々言いましたけど、悠真が小学生になるまで完璧な避妊をしておかなかった私の自己責任だってことは分かっているんですよ」


「ただあの日、病院からまっすぐ市役所に直行して、第二子のことで色々手続きをしているとき、待合室に置いてあるテレビに映っている安江市長を見たら、ついあんな手紙を書いてしまって」


「本当にそれだけのことで、犯人のこととか全く知りません。思わせ振りな手紙を書いてしまい、市役所の方にも、あなた方にもご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません」


「お気になさらないでください。それより、お子さんのご遺体は警察から帰って来ましたか」


「予定では明日帰してもらえるそうです。そうしたら病院で紹介された火葬場で焼いてもらい、綺麗な骨壺に詰めて、主人の実家のお墓に入れさせてもらいます。そのとき、今度は絶対三戸里市に生まれて来ないように、子どもを大事にしてくれる、もっと良い所に生まれるようにと、教えてあげるつもりです」


「そうですか」


「あの、もうすぐ子どもを保育園に迎えに行かないと行けないので、すみませんが」


芹香が申し訳なさそうに言うと、時哉は「こちらこそすみません。長居してしまいました。今日はお話ししていただきありがとうございました」と挨拶し帰ろうとする。隣でメモをとっていた学も筆記用具を片付けて帰る準備を始めていた。


「あの、そちらの若い方」


学は芹香に呼び止められた。


「日本は少子化に困っていると言いますが、それは嘘です。本当は誰も子どもなんていらないんです。そして、若い人たちも困りません。日本が駄目になればみんな自然に日本を出ていきます。日本にこだわらなければ、いくらでも良い場所はあるんです」


「なんて、三戸里市から引っ越すことのできない私が言うのはおかしいですね。でも、大人たちに騙されず、賢く生きていってくださいね」


芹香の瞳には痛いほどの真剣さが見てとれた。学は何と言って良いか分からず「そうですね」と相づちを打つことしかできなかった。















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