第2話現場検証の二日目

次の日は天気予報の通り、朝から雨模様の天気だった。今日学は午前中しか講義を取っていなかったので、昨日の打ち合わせ通り午後から時哉について三戸里市に出かけることになった。人に会っても失礼ではないようにと、ワイシャツに紺のブレザー紺のスラックスに茶色の革靴を身につけた学と黒のスーツの上下に黒の革靴をはいた時哉は、歩いた方が現場の雰囲気をつかむことができるとの時哉の意見により電車とバスを乗り継ぎ約一時間少々で三戸里駅に着いた。


「現場はここから十分程度らしいから歩いて行こうと思うけど大丈夫かい」


時哉の問いに学は大丈夫ですと答えたので、二人は辺りを見渡しながら歩くことにした。サイカ駅を走っている電車はすべてJRの電車だがここでは私鉄の電車しか走っていない。そんな違いはあるものの駅舎はサイカ駅と変わらぬ大きさで駅の周りもそれなりに賑わっていると学は思った。


「この事件についてどのように考えますか」


学は左側を歩く時哉に話しかける。


「まだ何も考えてはいないよ。ただ」


「ただ」


「現場に遺族が知らないフロアライトが置いてあったことが気になるね。それを置いた人間の、何らかの意志の様なものを感じられる気がする」


「何らかの意志ですか」


「うん。最もそれがどのような意志なのか全く見当がつかないのだがね」


このような話をしながら学と時哉が歩いていると、向こうから八十歳以上に見える白髪混じりの髪にきつめのパーマをかけた青を基調とした花柄の長袖シャツと黒のズボンに白い平べったいサンダルという姿の女性が歩いてくるのに気づいた。女性の歩いている姿はなにかを探しているようにも、迷子になったようにも見える。


「こんにちは」


時哉は女性に話しかけた。時哉はいつも、道行く人に気軽に話しかけ挨拶をすることが習慣になっている。そのとき学は後ろで時哉の様子を見守ることが習慣になりつつあった。


「こんにちはー!」


女性はシワだらけの顔をくしゃっと笑顔で歪ませて、にこやかに挨拶を返した。


「失礼ですが、どちらへ行かれるんですか」


「仕事に行きます」


「そのお年でまだお仕事をしていらっしゃるんですか。すごいですね」


時哉が感心した様子をみせると、女性は「いやあ、それほどでも」と照れた様子を見せた。時哉がさらに女性に訪ねようとしたとき、誰かが人を探しているらしき声が聞こえた。


「あれ、もしかしてあなたを探しているんじゃないですか」


時哉が女性に訊ねると女性は「そうだった気がする」とあやふやな返事をした。時哉は女性を声のする方にゆっくり誘導して歩き始めたので学も黙ってそれに従った。


「松木さーん」


歩き始めてすぐ誰かを呼んでいた声の主の姿が向こう側の道路から現れた。その姿を見た学は心臓が止まりそうになり、英語の例文が頭を駆け巡る。What a beautiful woman she is ! 彼女はなんて美しい女性なんだ! そんなあやふやな英語で叫びそうになるくらい彼女は美しいと学は思った。程よく豊かな胸の膨らみの辺りまでの髪の毛は波のように豊かにうねる。色白な肌。湖のような瞳。ちょうど良い大きさの鼻と艶やかな赤に塗られた唇。学が我を忘れて彼女を見つめているうちにこちらに来た彼女は女性のもとに駆け寄った。


「松木さん。大丈夫でしたか」


「あんた誰だっけ」


「今日一緒にお仕事をするボランティアのさくらです。お仕事中に突然居なくなるから心配しましたよ」


「そうだった。そうだった。すみません、主任」


松木さんと呼ばれた女性は申し訳なさそうに頭を下げて謝った。それに対して櫻と名乗った女性は笑顔で気にすることはありませんというと、学たちの方に向き合い、松木さんを保護していただきありがとうございますと言い、頭をさげた。


「いえいえ、私たちはこの方とお話していただけですから。それより失礼ですが、あなたはこの方とはどのようなご関係ですか」


「私は青応せいおう大学二年生の櫻架名さくら かなと申します。大学では青応ボランティアサークルに所属しています。このサークルではその名の通り様々なボランティア活動を行っていて、ここ数年は地域のお年寄りが出かける場を作るをテーマに地域のお年寄りに仕事を作ったり、紹介したりして共に仕事を行う活動をしています。私はこの地域の担当で松木さんは私がお世話している方の一人です。今日は私が少し目を話した隙に松木さんが出て行かれてしまって困り果てていたところでした。本当にありがとうございます」


櫻は深々と頭を下げた。


「どうぞお気になさらず。それより私たちは実はこういう者でして」


時哉は名刺を櫻に渡し、昨日この辺りに来たか、もし来たなら不審者を見なかったかと聞いた。


「この辺りは昼間ほとんど人がいないので。一応セールスマンらしき方が二人連れだって歩いているところを見ましたが、それだけですね」


「そうですか。ありがとうございました」


***


去っていく彼女と女性の姿が小さくなるのを学は見送り、ため息をついた。


「もういいかい」


時哉の声に学ははっと我に返った。


「すみません」


「仕方ないよ。美しい上に他人のために率先して働くすごい女性だからね」


時哉と学は彼女たちに背を向け横沢家を目指した。


***


車が一台通るのがやっとの幅の道路を左に曲がり右側に並ぶ家の四件目に横沢家はある。そのクリーム色の壁と青い屋根の家の前に行き、黄土色のドアを開けると、制服姿の警察官が姿を現した年の頃四十すぎらしき彼は、市長に頼まれて時哉たちに捜査の状況を教えることになっている。予想されたことだが、非常に不機嫌そうな嫌そうな顔つきをしている。


「はい。事件当日の現場の写真のコピーです」


投げるように渡された写真を受け取った時哉はそれらの写真を見る。学も時哉の横から写真を見るが、横沢真央の死体を目にすると思わず目を背けた。髪を栗色染めた、生きていたときはお洒落だった女性がトイレの床に足を投げだしトイレの右側の壁に上半身を預け倒れている。


「死亡推定時刻はいつ頃ですか」


「午後五時ごろです。横沢真央は普段職場であるスーパー有西ゆうせいでの勤めを終えると、いったん家に帰ってから保育園に長女の美央みおを迎えにいくことが習慣になっていました。家に帰ったときに襲われ、そのままトイレに連れ込まれたのではないかとみられています」


「なにか盗まれた物はなかったのですか」


「バッグに入れてあったはずの横沢真央の財布が見つかっていません。ついでに、バッグは玄関の床に置かれていました」


「横沢さんのご主人が帰って来たのは何時ですか」


「七時半頃です。横沢真央の夫、佑二ゆうじはその日八時頃まで仕事をする予定でした。五時すぎに保育園から電話がかかってきて真央が美央を保育園に迎えに行っていないことがわかりました。急なのですぐには職場を抜けられなかった佑二は保育園に延長保育を申し入れ、七時に保育園に美央を迎えに行っています」


「ご主人にはアリバイはありますか」


「本人の証言によるといつもご主人は朝七時半に、奥さんは八時すぎに家を出ているそうです。職場でも長時間席を外したといったことはなかったようですよ。最も塩素ガスを発生させるのに大した時間はかかりませんから、絶対にご主人にはできないという強固なアリバイではないのですが」


「夫婦仲は円満でしたか」


「特に悪いという話を聞きませんね。それよりも、捜査員の中ではこれは市長に対する当て付け自殺だという意見があります」


「まだ地裁での裁判の判決が出ていませんし、遺書もないようですし、それにテーブルがあります。あれはどうみても横沢さんがトイレのドアを開けて外に出ることができないようにした明確な殺意の表れだと思うのですが」


「それですがね。そもそもテーブルが最初から置かれていたという証拠が今のところ見つかっていないんです」


「テーブルは横沢さんがお亡くなりになってから置かれたということですか」


「その可能性はあります。その場合事故または自殺で亡くなった奥さんを発見したご主人が、市長への嫌がらせのためにテーブルを廊下に出して他殺であるかのように装ったということでしょう。そう考えるとテーブルの上に有ったフロアライトもご主人が他殺を装うために物入れの中にしまっていた物を置いたと説明がつきます」


「横沢さんのご主人には当日そのような作業をやる時間がないと思われるのですが」


「あらかじめ用意して置けば短時間で済む。最も証拠が出て来ないとどうにもならんがね」


「他に容疑者はいないのですか」


「職場や友人関係なども調査しているが今のところトラブルに巻き込まれていたという情報は入ってきていません」


「あと、午後四時半頃横沢さんの家からすぐの公園で、家に帰ろうとしている女子小学生から名前を聞き出そうとした怪しげな七十歳くらいの老人がいたとか、セールスマン風の男たちが歩いていたとか不審者の情報は色々ありますが、事件との関わりはまだ捜査中です」


捜査員から得られた情報は以上だった。時哉は捜査員に丁寧に礼を言うと学と二人で現場を改めて見たが犯人を特定できるような情報は得られなかった。


そのように学と時哉が横沢家で調査をしていたころ、三戸里市では新たな事件が起こっていた。













































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