第9話 ことはそう簡単に運ばないのだが②

 午前中はごくごく平和裏に過ぎ去った。あの今度は佐倉木と名乗った教育実習生の受け持ちの授業は無かったし、相変わらず俺の席の後ろでは武藤さんを中心として女子の語らいが休み時間の度に繰り返されていたが……。

 俺は俺で、谷口と寺脇――二人の席はごく近い――のところで吉田なども交えて、無駄話に興じた。弁当の件について武藤さんからの話もなにも無かった。


 すっかり忘れているのか、それともあえてそうしているのか、タイミングを見いだせないまま先送りになっているのか。わからないが、とにかくあっという間に昼休みがやってきた。

 四時間目の終了を告げるチャイムが鳴り響き、それぞれがいざ昼食の準備を始めようとしているところで、武藤さんが俺に、


「中庭で待ってるから」


 と人目を気にしながら告げると、なにやら紙袋を提げて、先に教室を出て行った。

 俺も一人前に思春期前回の男心を発揮して周囲の反応を伺う。偶然が続くのか、俺と武藤さんの短いやり取りは他には漏れていないようだ。

 俺は、そのまま教室を出て、中庭に向かった。どう切り出せばよいかわからずじまいだったので、いつもの昼食メンバー達には何も言わずに。


 さて、それなりに混雑する廊下をすり抜け、極端に人影がまばらになった校舎の外で、昼休みの校外ってこんなに人けがないもんなのかな? とかなんとか考えながら、中庭を目指すと、ベンチに座って待つ武藤さんの姿が見えた。


 昨日の伝言を信じて、昼食の用意をせずにのこのことやってきた俺。ジャンボ宝くじ三百円当選確率と同等程度の確率を秘めた期待は見事に的中。


「これ、美味しいかわかんないけど、昨日言ったお弁当」


 あ、ありがとうと言うべきか、それとももっと気の利いたセリフを……って思いつかねぇや。当然という顔して受け取るわけにもいかないしな。


「ありがとう。いただいて……いいの」


 これぐらいでいいんだろう。


「うん」


 そういって微笑んでくれる武藤さんの顔を眺めつつ、俺はちょっと別のことを考えだしてしまった。


 こんな現場目撃されたら……。女子生徒から浴びせられる好奇心兼なんであいつが的な蔑みの目や、それより怖いのは男子生徒からの羨望を通り超えたその奥に潜む敵意、場合によっては殺意。そんなものを向けられても言い訳のしようのない、すら恐ろしい状況下であることも間違いない。が、そんなことはもちろん口には出せない。

 都合の良いことに、周囲には今のところ誰もいないが……。いつ誰が通りかかってもおかしくはない。

 これはさっさと食べて退散したほうが賢明なのか……。それとも、二人っきりで内密の話をもうちと沢山聞く絶好の機会ととらえるべきか……。


「あのさ」

「あのね」


 と間の悪いことに、俺の第一声と武藤さんの第一声がぶつかった。


 ういういしいね。初々しくて、涙腺が過剰に反応しそうになる。花粉症の季節は真っただ中かも知れないが、俺は花粉ではなく、武藤さんのそのたたずまいに鼻やら目やらをしてやられた。新婚ほやほやの出来立てカップルでもこんな照れる状況はそうそう味わえまい。


「ごめん、先どうぞ」

 俺は、とりあえず、相変わらず会話の主導権を武藤さんへと差し出す。


「うん、とりあえず……食べながら話そう」

 意義も無く同意。俺は、武藤さんから差し出された、彼女のものよりも若干大き目の弁当箱を膝の上に広げた。


 中には、うすうす心の奥底で恐れていた、イモリの尻尾や蝙蝠の羽、紫色で毒々しく泡を立てる正体不明の物体などが収まっていることもなく、ごくごく普通の弁当だった。卵焼きやらソーセージやら。若干ファンシーに盛り付けられたブロッコリーやプチトマト以外は、どこに出しても恥ずかしくない高校男子への弁当。見ると武藤さんの弁当のメニューも当然同じ構成で量がちょっとだけ少なかった。


 とりあえず俺はその中から、箸でつまみやすいかつ、固有の味付けという概念が存在しえないという理由のためソーセージをチョイスし口に運んだ。


「うん、美味しい」

 そうだろう。ソーセージをまずくできたら致命傷だ。卵焼きには当たり外れがあろうとも、加工済みで味付け済みの燻製食品を食べにくくする調理法があったら知りたい。


「ありがとう」

 が、武藤さんはそんな俺の思惑を知ってか知らずか素直に喜んでくれた。

 で、そんなハッピーなだけの、ラブラブモード全開展開が続くのかと思えばそうではない。俺たち、俺と武藤さんには話し合わなければならない課題が山ほどある。向こうにはなくても、俺には聞きたいことが積み上げられている。どれから片づけたものかと優先順位をつけようと四苦八苦していると、武藤さんから話を進めてくれた。


「昨日は……一日中寝てたでしょ?」


「うん」そうだ、起き上がるのも辛かったというか起き上がった記憶が夜までは無い。


「あれね、わたしのせいなの……」

「……」知ってるよ。それ以外に思い当る節がまったくないから。

「気になる?」


 この件――魔法使いやら従者やら悪魔やら、魔門やらサキュバスやらなんやらかんやら――について今までかなりの秘密主義、言葉すくなであった武藤さんであるが、ここは少しでも情報を引き出したいところだ。

 その権利はもちろん俺に帰属する。なんてったって当事者なんだから。

 しばしの間を置いて俺は答えた。


「まあ、そりゃね、一応は……。ひととおりは話を聞いておきたいと思う」

 こんどは、武藤さんがふた呼吸ほど。だるまさんが転ぶくらいの間を開けて、


「一昨日も似たような感じだったでしょ? 体が動かしにくいとか……?」

「昨日ほどではないけど……たしかにそうだった」

「あれも私のせいなの」

 知ってるってば。こんだけ状況証拠がそろえばそれ以外を疑う気なんておきないよ。先を促せ、急がせろ俺。ただし場の雰囲気を壊さぬように配慮せよ。難題だ。


「そうなんだろうね」

 とそこで、話が横道に逸れた。


 なんでも、このお弁当。普通に見えてそうじゃないらしい。武藤さんいわく、「魔力の回復にとってもいいのよ」らしい。


 となれば、普通の弁当に見えていたおかずの数々が妙によそよそしく感じられる。確かにソーセージなんて豚の肉の腸詰めだ。だがその豚がなにがしかの儀式を行った特別な豚でないとなぜ言えよう。


 だめだ、考えだすときりがない。無心で俺は弁当をほおばった。

 で、本筋に帰って武藤さんが語り始める。今日の時点での俺が聞けた話。

「わたしの魔力が少ないってのは前に話したでしょ?」

「ああ、それで魔法が使えないって……」

 何の気なしに返した台詞だったが、それを聞いた武藤さんがプルプルと震えだした。


 いかん、デジャブ。この体験前にもしたことがあった。


「使えないなんてことはないってば! あほ! ひとでなし! ノータリン! 極悪非道! 魔法使えない低能力者! 人類滅亡へのカウントダウンの引き金! トリガー男! くされ外道!!!!」


 ちょ、二度までも怒らせてしまったし、罵倒の意味不明度増してません?


「死ぬ前に地獄の責め苦を味わいなさい! 路頭に迷いなさい! なんでまた同じこと言うのよ! 思いやりのかけらもないの? そんな短い取扱い易い槍でしか…………」


「ちょっ、ごめん俺が悪かった。頼むから……頼むから落ち着いて……」

 俺の必死のとりなしで武藤さんはなんとか正気を取り戻したようだ。

 見ると今回は、大きな瞳から大粒の涙をぽろぽろとこぼれ落としながら、泣き笑いの表情を浮かべた。


「ごめんなさい……。魔法の事で、ケチつけられるとどうしても冷静でいられないっていうか……」


 はい、しっかり心に刻み込みました。以後気を付けます。

 でもって、話の続きを進めてくれたらありがたい。


「えっと、石神君って生まれ持っての魔力がね、相当なのよ。この学校で一番沢山貯めておけるのは間違いないし、日本中探してもそうはいないレベルだと思う」


 それって、俺が特別な存在ってことなのか? 血統とか、生育歴とか……?

「ううん、たまたまだと思う。ごく普通の人間のはずよ」

 あ、さいですか。


「でね、そんな桁はずれの魔力を持ってたから、ちょっとぐらい私が使わせてもらってもなんの問題もないのね」

 いや、影響ははしばしに深刻に出たのだが……。


「契約した日のね夜ね、うれしくて、今まで使えなかった魔法をいろいろ試しちゃったのよ。近くに居たら全然大丈夫だったはずなんだけど、ちょっと遠くから魔力を持ってきたから必要以上に負担をかけちゃったみたい」


 なるほど、新しいおもちゃを買ってもらった子供の心境ですな。迷惑千万だが、そんなかわいい顔して言うんだから許してしまおう。


「ちょっとだけよ、ちょっとだけ。そんなに無茶してないから。でもやっぱり近くに居なかったから魔力が発散しちゃって」


 聞くところによると、武藤さんはあの夜ほとんど夜通し遊んでいた、いや魔法技術の向上と発展を目指して修行に打ち込んでいたらしい。俺の寝ている間に。


 それにしては、翌日の武藤さんは肌の張りもつやも血色もいつもどおりだったが。若さっていいよね。

「ほんとはね、魔法使いと従者の間で直接の魔力の伝送路を作ってルートを構築するところから始めるの」


「それが……鎖……。……首輪……」


「そう」武藤さんは大きく頷いた。


「そうすれば、石神君の魔力をストレートに私に供給できるから。魔力の拡散もないし、石神君の魔力って桁はずれだから……」


 で、俺は興味本位で聞いてみた。


「それって俺も、修行したら武藤さんみたいな魔法が使えるようになるってこと?」


「う~ん、それは別の話。魔法が使えるのと魔力の量が多いか少ないかって単純に比例しないのよ……」


 要は、魔力というのは単にガソリンというかエネルギー、電池みたいなもんでそれを使うエンジンがどういう性能を秘めているのかってことらしい。武藤さんクラスになれば、三リットル、五リットルクラスの高性能エンジンが搭載されているのだろうが、俺には五十CCの原付クラスのエンジンが搭載されているかどうかすら怪しいところ。


「でも、努力次第で魔法使いにはなれるけどね。相当の修行が必要よ。やってみる?」

 いや、遠慮しときます。武藤さんがこれまでやってきた秘密特訓の一部を聞きかじっただけで俺は断念した。


 蝋燭の炎を見つめて、数時間じっとしているだとか、何もない空中を見つめながら、燃え盛るイメージを何時間も抱き続けるだとか、地味で根気のいる作業もあれば、素振り千回みたいな体育会系を地で行く特訓もあり俺のしょうにはあわないこと甚だしい。


 そもそも魔法使いになろうなんて思ったことの無ければ、進路指導票の第三志望欄にだって書こうと思ったことはない。


 で、話を元に戻すと、直結ルートさえ確保すれば俺への影響はないという話だが……昨日も寝込んだのは何故?


「あの時は、調子に乗って……というか、限界を試してみたくって、石神君のポテンシャルを最大現に引き出す魔法を使ってみちゃったの」

『みちゃったのね、てへ』みたいに言われて納得いくか! とはおくびにも口にも出さずに、

「それで疲れ果てたって話か……」

「そう、ほんとなら一晩で回復するはずだったんだけど……」

 丸一日余計にかかったが……?


「張り切りすぎちゃったみたい。必要以上に魔力使っちゃった」

 あ~そうですか。ここまでの理解度はおよそ、七十パーセント。よくわかる話だった。すべてが真実だとしてだ。武藤さんの話を百二十パーセント信じたとして、聞いた範囲で矛盾は見いだせない。


 残りはおいおい聞いていくか、もしくは聞かなくて済むような状況を作り上げたい。理想は武藤さんとのコネクションを残しつつも魔法使いの従者からはおさらばするという展開。


 困難なプロジェクトであろうとは容易に想像がつく。が、万一成功すれば、報道ドキュメンタリーで取り上げてもらってもよいくらいのスペシャルな一大事業だ。

 そして、早めに片づけておきたいもうひとつふたつかの重要事項のうちのひとつ。

「あの……あの時のあれ……悪魔みたいなの……」

「そうね、その話ね。そう、ここからが本題なんだけど……」

 長かった。前置きが長かった。危うく休み時間が終わりそうなところだ。幸いにして食事も終え、まだ時間を残している。


 聞かねばならない。武藤さんが何と戦っていたのかを。そして、もうひとつ、あの教育実習生だ。エルーシュという名の悪魔そっくりの女性。彼女の登場が何を意味しているのかを……。

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