第8話 ことはそう簡単に運ばないのだが①

 伝説の剣を引き抜いたわけでは無論ない。やむにやまれぬ状況でふと放置してあった人型の機動兵器に乗り込み、そのまま敵を退けたわけではない。

 無論、実はお前は魔族の血を引いていてどうたらこうたらだの、魂の価値がなんたらかんたらと、講釈を垂れられたようなことでもないが、なんとなくもやっとする説明不足の状況を突き付けられた昨日の一件。


 誕生日の朝に目覚めて、国王との謁見から、わずかばかりの旅立ちの資金を手に入れて、こん棒片手に冒険を始める……というようなお約束イベントからは距離をとりつつも、俺の人生は大きく迂回を始めた。


 他に考えられるのは、なんだ、俺に由来不明の眠れる力が備わっているとかそんな設定か? サタンの血脈理論とそう大差はないが、親父にでも聞いてみるか? あんたのご両親のどちらかに魔族はいませんでしたかって。

馬鹿馬鹿しさを通り越して、正気を疑われそうだから、親父に聞くのは論外としても、武藤さんへ軽く訪ねてみるのはよさそうだ。

何故俺だったのか? なんで俺が選ばれたのか? 最大の疑問だ。


 前日に寝すぎた後遺症で、普段では考えられないほどの早朝に目を覚ました俺は、ベッドの中でもやもやとした思念を、いろんな坂道で転がして、遊んでいた。


 そろそろ、起きる時間だ。まだまだいつもと比べると早すぎるぐらいだが、これぐらいの時差なら問題ないだろう。いつもより多少ゆっくりめに支度をし、優雅に朝食を取ればよいだけの話だ。


 あいにくと、我が家の朝の食卓には親父が精魂込めた純和風のメニューが並ぶため、ゆったりとしたひと時を珈琲のたてる湯気とともに……なんて風景は望むべくもないが。


 昨日までの疲れ、痛みは嘘のように引いていた。逆に言うと昨日の状態が、信じがたい悪夢のようだったのだが。

 自称魔法使いで、結局のところ、SFX真っ青のとんでもない芸当を、そらでやってのける武藤さん――正式名称、武藤=ファシリア=マリア――に、突然声を掛けられ、断る機会を与えられずになし崩し的に、従者としての――今のところ『仮』らしいが――を結んでしまった俺。


 さらには、悪魔と戦う現場まで足を運び、色っぽいおねえさんに翼が生えた正体不明のおそらくは敵属性を持つ謎の人物と会合し……。その代償なのか、武藤さんの魔法の後遺症なのかなんなのか、詳しく聞けてないから原因不明のままだが、現実問題として丸一日寝込むことになってしまった。

 しかし収穫はあった。


 昨日の夜遅くにかかってきた一本の電話。這うようにして受話器を掴むと――まあ、実のところはコードレスフォンの子機をベッドまで持ってきてもらったので、物理的な労力は消費していないが――、なんと電話の先にいたのは武藤さんだった。


 そういえば、PTAの有志で連絡網が配られていたような。クラスメイトの誰にでも連絡できる状況はお膳立てされていたはずで。


『どう? 体調は?』


 第一声がそれだった。


『すごくつらいです。死にそう。まじで動けない……』


 泣き言を臆面もなく吐く俺。みっともないが、一日寝ていりゃ心も沈む。


『ごめんね。わたしのせいで……。ちゃんと説明もせずにまき込んじゃって』

 ああ、説明不足は否めない……。


『明日は来れるよね?』


 いや、この状況が続くならわかんないんですけど。なんせ今朝から今まで一向に回復した気配がない。


『多分大丈夫だと思う。普通は一晩寝たら治るものだから』


 それは、ありがたいお話です。普通はそうなんだね。それはもはや俺にとっての普通と相いれていないのだが。


『それでね、お詫びとお礼を兼ねて……なんだけど……』


 なんでしょう?


『石神君って普段からパンとか買って食べてるよね?』


 ああ、昼まで親父に面倒見てもらうのがいやなんでね。金の面はともかくとして。


『あした……』


 そこで、武藤さんは少し間を置いた。恥じらいがどことなく伝わってくる。

『明日のお昼ごはん、用意しなくっていいから』

『えっとぉ?』

『お弁当作ってもっていくから……』


 お、お弁当! 武藤さん手作りの? いただけるの? 頂戴かしこまれますの? わたくしめが?

 とかまあ、そんな短いやりとりがあったわけだ。そのあとはまあお互い深入りせずに電話を切ったのだけど。


 ということで、俺は布団から抜け出して着替えを進めながらひとつの仮説を構築していた。

 宿屋のマジックポイント回復理論だ。MPと呼ぶのが嫌なら、メンタルエナジーでもマナでもなんでも好きな呼称を当てはめればよい。

 昨日、武藤さんは大掛かりな魔法を使った。が、彼女には十分な魔力、つまりは魔法を使うためのエネルギーが足りていないらしい。


 ということは、だ。どこからエネルギーを調達せねばなるまいはず。

 そこで、繋がる。俺の存在意義。武藤さんは俺から魔力を吸い取って、悪く言えば勝手に使って魔物を退けたというのが、もっともらしくて筋が通っている。


 であるならば、俺の魔力――それがどれだけ十分に存在しているのか、レベル3ぐらいで覚えるべたな回復魔法ひとつで空になってしまうのかはともかく――が底をつき、緊急事態、戦闘不能、行動不可状態に陥ってしまったのだろう。


 で、問題は、だ。ここからが重要。その魔力の回復のためには? コンビニに行ってもドラッグストアに行っても、魔法の聖水もエーテルも購入できないこのご時世。

 そういや以前にエリクサーなんてのは、コンビニで買えた気がするが。あんなオロナミンやレッドブルのお仲間で、魔力なんてものは回復しない。翼を授けられても、辛さは和らがない。

 早い話、自然回復を待つしかない。そのためには寝る。現に寝てると回復した。以上、証明終わり。QED。


 と、ほのかに核心を得ていそうな、それがわかったからといってさして何の役にも立たないことを考えながら学校へ向かった。

 一昨日とは全く異なり。軽―い足取りで。


 通学途中で、寺脇に出会った。吉田や、谷口はいない。

「おう」

「ああ、おはよう」


 ふとそこで、おとといの寺脇の言いぐさが思い出され、気になり始めた。そうだ、こいつ俺の首がどうしたとか言ってなかったか?


「なあ、寺脇? 一昨日の事なんだけどな、俺の首について何か言いたいことがあったんじゃないか?」

 寺脇は、ちょっと目を細めると、そのまま俺の首あたりを見つめて、


「ああ、気にしないでくれ」


「気にするなって言われても気になるんだけど」


 俺もそう簡単には引き下がらない。あきらめたように寺脇は、

「変に思わないでくれよ。まあ、信じるか信じないかは任せるけど……、あ、やっぱやめとこうかな……」


 非常に、気を持たせる。そこまで言って、はいじゃあいいですとはいかないだろう。俺は先を促した。

「見えるんだよね。昔から。幽霊だとかそんなもんだとは思ってないけど、なんだろう、街を歩いていると一部がやけにまぶしく感じられたり、靄がかかっているような雰囲気だったり……」

 おっと、霊感少年だったのか? 寺脇のやつ。


「いや、気のせいだとは思ってるんだ。それが人の形をしてたりなにかそこで事件があったとかいわくつきの場所でとかそんなんじゃないからな。だけど、お前の首にも何かが巻き付いているような気がしてな……」

「首に……巻き付く……」

「ああ、やっぱり言わなきゃよかったかな」


 いや、それは貴重な証言だ。というか心当たりがありありなんだ。こっちはこっちで事情があって打ち明けることはできないけどな。

「それって、いつから?」という俺の焦点をぼかした問いに寺脇は短く、

「何が?」

 とだけ答えた。

「いや、お前が変なものが見えるようになったの……と、俺の首に周りにそれが見え始めたの」

「ああ、ガキのころからだよ。でもってお前のは昨日始めて気が付いた」

「今も……なのか?」

「ぼんやりしてるけどな……」

「…………」

 まさか、寺脇にまで無言を使うとは……。


「頼むから、まじめに受け取らないでくれ。別に不幸の前兆とかってわけじゃないんだ。なんだかそういう風に見える時があるってだけで、いや俺が悪かった。忘れてくれ」

 忘れるわけにはいかないが、これ以上寺脇を問い詰めても何も出てこないだろう。


 その話はそこで打ち切って、俺たちは教室へ向かった。

 朝のHR。担任の到着とともに、ばらけていた生徒たちが一斉に席に向かって、教室は一瞬の騒然を醸し出す。


 と同時にそれぞれが好奇のまなざしを教壇に向ける。正しくは教壇に立つ年老いたメガネの紳士ではなくその隣に立つ、少し派手目なワンピースに身を包んだ若い女性にだ。


「え~、昨日から教育実習生として、君たちの授業を受け持つことになった佐倉木さくらぎ先生だが、今日はホームルームも実施してもらおうと思う」


 そんな、担任の岡本の話を聞きながら、俺の目は正気を失なわんばかりの衝撃を受けた。

 俺の目に飛び込んできたのは、一昨日、悪魔との死闘を終えたばかりの武藤さんと俺の前に現れた、エルーシュと名乗った悪魔そのものだったからだ。

「おっ、おい!」

 思わず声を上げてしまった。

「どうした、石神?」

 岡本が不思議そうに俺を見る。俺は、武藤さんの反応を確かめたく、即座に振り返ってみたが、武藤さんは何が起こったのかわからないきょとんとした表情で俺を見つめ返すだけだ。

 いいのか……? それとも……昨日なんらかの話し合いでもして納得済みなのか?


 とにかく、不審に思われても得なことなど何もない。

「いえ、なんでもありません……」

 俺はそのまま引き下がった。が、視線は佐倉木さくらぎという教育実習生の皮を被った悪魔に固定したまま。


 相手は俺の視線になど気づいていないふうに、何事もなくホームルームが淡々と進められた。

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