第7話 来るべき悪夢的状況③

 で、どうなったかって?

 あっけなく悪魔をやっつけたよ。武藤さんが。


 魔法の力だ。武藤さんが呪文を終えて、杖を振りかざしたんだ。聖水なのか、なんなのか、水属性の魔法なんだろう。その魔法はさっきの炎の鳥のように、俺の胸元からは発生しなかった。


 きちんと武藤さんの持つ杖の先から、じゃばじゃば~と、まあそんな簡単に言葉では表現できない、政令指定都市数個分の放水車を集めてみましたってくらいの勢いで悪魔めがけて降り注いだ。

 そしたら、悪魔はどろどろに溶けはじめて――実際のところ気持ち悪くて思い出したくもないが――骨も残さず消えてしまった。


 その後、武藤さんが何かを呟いたかと思うと、俺と武藤さんを繋いでいた鎖も、その両端にあった首輪も腕輪も消え失せた。

 それがまた、見えるようになるのか? 出てくるのか? それは武藤さんのさじ加減ひとつだと思う。

 そんで、悪魔が居なくなって平和が訪れたのかっていうとそうじゃなかった。

 ばさばさと翼がはためく音が聞こえたかと思うと、大きな影が地面に現れた。

 影は一点に集中しそこにあらたな闖入者が現れた。


「さすがね、ファシリアの名を受け継ぐだけのことはある」


 俺のことなんかアウトオブ眼中で、武藤さんにだけ語りかけるその姿はまたもや悪魔ちっく。だが、先ほどまでいた異形の悪魔とは趣が異なる。

 そのシルエット全体を見ると基本的には人間の女性。

 服も着ている。胸元の大きくあいた、水着のような黒いボディスーツだが。股間の切れ込みの角度はおそらく相当なもので、俺からはその後ろ姿、つまりはお尻の部分しか見えないが、思わず見とれてしまいそうなつやのある臀部。というか見とれてしまった。


 そこはかとなく、乱雑にカールしたオレンジ色の髪は、腰のあたりまで伸びている。

 その存在が人間と一線を画していると断じれるのは背中に生えた大きな翼のそれ一点。それ以外は肌の色も、瞳の色も、すべて、どこからどうみても俺たちと同種族。人間にしか見えない。


「あなたが……、魔門を開いた存在なの?」


 悪魔との激闘を終え一瞬弛緩しかけていた武藤さんに緊張が戻った。


「ふふ、どうかしらね」

 その女悪魔は、色っぽい声で武藤さんを挑発するかのように髪をかきあげながら言う。


「サキュバス……」


 武藤さんは、なにか思い当ったかのように小さく呟いた。


「残念ながら、それは不正解。あんな下等な種族と一緒にしないで。これでも魔族の中では上位に入るんだから」


 サキュバスと言われ、それだけを否定した自称上位魔族の女の背中で翼が二、三度ゆっくりと開閉する。

 それを見た武藤さんは、杖を構えて臨戦態勢を取ろうとする。

 それを見た俺は、相変わらずなにをどうしたらいいのか展開についていけず、ただただ立ちつくして経過を見守っている。


「わたしの名前は、エルーシュ。それ以上の情報は今ここでは明かさない。ま、時期が来ればおいおいね」


「どうであれ、魔門を開く存在を見過ごすわけにはいかない!」


 武藤さんは持っていた杖を水平にかざし、呪文の詠唱を始めようとしたが、

「おっと、勘違いしないで。今日はただ挨拶にきただけよ。もう帰るから。空間も元通りになろうとしてるでしょ。ね、物騒なことはおやめなさい御嬢さん」


 と、エルーシュにあしらわれ、すうっと息を吐いて、自然体、杖をおろし両腕を弛緩させた武藤さんだったが、その体にはまだこわばりが残っている。視線を相手から外そうとしない。


 ふいに、エルーシュは俺の方へ顔を向けた。

「面白いわねぇ、坊や。人間……なのかしらね? 詳しく調べてみる価値はありそうだわ。あなたとファシリアが組むなんて。面白いじゃない」


 と意味深な台詞を投げかけてくる。


 そのプロポーションも絶品だが、特に胸が少女の域を出ない武藤さんとは比べ物にならないぐらい大人びている。下品で直球を投げるとまあ巨乳という言葉がこれほどぴったりとはまる乳もそうはない。


 そして、どこか西洋人を思わせる鼻筋に切れ上がった瞳。長い睫。魅了されそうだ。体のラインを隠すことなく密着したボディスーツ越しに、そのウエストのしまりも十二分に強調されて、ほぼ完ぺきなスタイルの一翼をになっている。


 だが、見た目に囚われている場合じゃない。エルーシュと名乗った、おそらく悪魔の台詞が妙に引っかかる。まるで俺を人間扱いしていないような……。

 だが、俺の口から疑問、あるいは抗議の台詞が出てくる前に、エルーシュは次のアクションを起こした。


「じゃあ、おふたりさん。また逢う日までごきげんよう。願わくば、次回はもっと刺激的な出会いを。演出してあげるわ」


 それだけ言い残すと、さっと飛び去ってしまった。地面に落ちた黒い影が小さくなりやがて消える。

 気づくと、空の色は元通り。周囲は運動部員たちで溢れかえっている。

 それぞれのユニフォームや運動着に身を包み、汗を流す生徒たちの中で、制服姿の俺と武藤さんはかなり浮いていた。ふたりで足早にグラウンドを後にする。

 そのまま無言で校門へ向かう。


「今日はありがとう」


 ふいに振り向き、俺にそれだけを告げると武藤さんは、俺を置いて、先に帰ってしまった。後を追おうにも、体のだるさは一向にましにはなっておらず、追いつく希望もない。


 とにかく、第一戦は終わった。始まるなんて予想もしていなかった、サプライズイベントではあったが。

 とともに、俺は新しい情報を得た。魔門や魔空間や魔族といったキーワードの羅列。詳しい説明なんて例によって存在しない。


 そして、謎の女性、悪魔。

 なにやら、厄介ごとに巻き込まれた武藤さんと、その巻き込まれた武藤さんとのささやかな関係性から、どうやら同じく巻き込まれてしまったようである俺。


 武藤さんと悪魔の対立構図。武藤さんと俺との主従の構図。それが転じて、悪魔と俺とも対立の構図。

 簡単に言えばそんな図式だ。


 ちなみに、これは推測でしかないが、どうやら俺が武藤さんに魔力を提供するとどっと疲れがでるようだ。今朝の疲労度とは比べ物にならない苦痛が翌朝の俺を待ち受けていた。

 度を越えた筋肉痛にも似た全身の痛みと、倦怠感。起き上がることさえ困難に思えた俺は翌日の学校を欠席することになった。


 復帰早々、また新たな突発的厄介イベントに巻き込まれることも知らずに……。

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