第6話 来るべき悪夢的状況②
ようやくのことでたどり着いた校門。胸騒ぎは相変わらず。それどころか、とらえようのない焦燥感が俺の心を支配している。やはり戻ってきて正解だったようだ。俺はここに居なければならない。この門をくぐらなければならないという半ば確信にも似た感情が沸き起こる。
やはり戻ってきて正解だったようだ。
いや、正解がひとつだけなのであれば、これは部分点しかもらえない準正解なのかも知れない。真の正解は関わり合いにならないことだという可能性だってある。
とにかく先を急いだ。武藤さんが俺を呼んでいる。その居場所はわからないが、とりあえず教室にでも向かうか……。それでだめなら、あのすべての始まりの地である屋上へ行ってみると、なんの根拠もなく、思いつきで行動指針を立てた。
校門を抜け、校内に足を踏み入れた途端に悪寒が全身を貫いた。地面に足をつけているようで、地に足が付いていないような感覚。周りの風景が鮮明に見えつつも、それらすべてがホログラムのように希薄に感じられる、言いようのない違和感。
ここは、何かが違う……。現実感、リアリティが乏しい。
いわば亜空間? 閉鎖なんとか空間だと表現してしまえばそれまでだが、それとも違う。もちろん俺は閉鎖空間なんぞに足を踏み入れた経験も二次体験も無いがな。
この感覚を説明しろと言われると自分の言葉では不可能に近いが、いうなれば、宇宙刑事が三倍ほどに能力を高めた敵怪物と戦うようなスモークで満たされた超常空間。例えが古いって? じゃあプリティでキュアキュアな少女戦士が、敵と戦う際に巻き込まれる空の色が微妙に変化した特殊な属性を持つ異次元空間とでも言おうか。
ふと空を見上げると、さもありなんと先ほどまで青かった空がありえない紫色に彩られている。
そして、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。
人の気配がしない。
さすがに、その地面は煙幕的なもので埋め尽くされてもおらず、空にヒビが入ってもいないが……。
何者かの叫び声が静けさを打ち破った。この方向は、グラウンドのほうからだ。
さすがに俺は、体に鞭打ちつつ小走りで声のした方向へ急ぐ。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
六十年ぐらいの絶句と、フリーズを使い果たした気分だ。
俺の目に飛び込んできた光景は筆舌に値しがたい。
武藤さんが居る。いつものセーラー服姿で。その四肢はところどころ砂にまみれている。
そして、その武藤さんと対峙しているのは『悪魔』だ。
言葉にするのは簡単だ。当事者であるところの一人、武藤さんについては何も問題ない。クラスメイトだし、見慣れた格好。見慣れた美貌。すらりと伸びた細い脚。長袖のセーラー服からちょこんとでた、華奢で趣のある手首。いつもどおりのお姿だ。いつもならきれいにまとめられている長い髪が多少乱れている程度。
俺がどんなに馬鹿でも武藤さんを認識できないことはあるまい。今日だって話したんだ。問題はもう一方だ。
どこから説明したものか……。
え~、角が生えてる。頭から二本。長くて、湾曲している。それから、衣服の類は身に着けていない。青紫がかった皮膚? が全身を覆っている。それから、尻尾が生えてるね。長い、ご丁寧に、尻尾の先は鋭利に尖って、矢印みたいな返しまでついている細く長い尾。
それから羽だ。鳥の羽っぽくはない。蝙蝠というよりも、まああれだ。先に悪魔と言っちゃてるから、それを元に想像してくれ。
顔は痩せこけており、大きく開いた目には白目の部分が存在しない。小さな口からは牙が何本も覗いている。
三つ又の鉾というか槍のような武器こそ持っていないが、その両手両足の爪はかぎ状で、見るからに攻撃力がありそうだ。
幸いにして武藤さんのお肌にはまだ傷がついている様子はないが……。
とにかく、俺の目についたのはその一人――武藤さんと謎の生命体一体。普段ならグラウンドを埋め尽くす運動部員の姿など姿も形も気配も残り香も無い。
孤高に存在する武藤さんとその他一名? と俺との距離はまだ数十メートルはある。
悪魔が飛び立つ。武藤さんの身長をはるかに超えた高さまで。そして武藤さんめがけて急降下。
その時だ。胸が熱くなった。比喩的な意味ではなく。感動したわけではなく。物理的に熱量を感じた。体感的な温度上昇を俺の体は検知した。
「うわぁぁ!」
叫んでしまったのも致し方あるまい。俺の胸の前で炎が渦巻いた。見る間にその炎は勢いを増し、一羽の鳥の姿――猛禽か、ぶっちゃけフェニックスと呼んでも差しさわりないだろう――を模しながら、飛び立った。
悪魔へ向かって。
思いもよらない方向からの攻撃に、対処しきれず、悪魔は炎に焼かれた。そしてそのまま地面に墜落する。
「石神君! 来てくれたのね!」
武藤さんが俺を見つめて微笑む。状況が状況であるからか、どこか緊張まじりの微笑みではあったが、それを見て俺の心はキュンと音を立てた。
ああ、来ましたとも。それともお呼びじゃなかったですか? なんだその、呼ばれてるかなって思ってこないほど薄情な人間じゃないからね、俺ってやつは。基本はお人よしなんです……とは言えず。
「……これは…………?」
俺は武藤さんに歩み寄りながら問いかけた。
「詳しい話はまた後で! とりあえず、魔力の伝導ルートを確保、構築するわ!」
俺の疑問はうっちゃられ、武藤さんは呪文を詠唱し始めた。
途端に、武藤さんの周囲が輝きを放ち始める。仮契約の時と似たような状況だ。そしてその光は一瞬魔方陣を浮かび上がらせたと思うと、まとまった一本の光条へと変化して俺へ向かって伸びてくる。
まさにあの時と同じだ。俺の首回りへ光が集まり、収束し、螺旋を描く。そして……唐突に消える。
なにやら、首に違和感を感じる。触ってみようかと思い、怖くなってやめておく。しかし、なぜだか事態が認識できた。これは首輪だ。俺の首には不細工なのか恰好いいのか定かではないが、首輪が巻き付いている。
これはあれか? 武藤さんと屋上で過ごした素敵なひと時の影響なのか? それともつい今さっきのやつがこれ――俺の首に巻き付いているであろう首輪――を生み出したのか?
武藤さんは教えてくれない。自分のペースで淡々と着々と作業を進める。
「伝導路基礎確保。接続するわ」
なんの説明にもなってない一言を残して新たな詠唱に入る。その表情は明るい。既にやり遂げた感で満ち溢れている。俺もなんだか嬉しくなったが、意味不明の事態の真っただ中に投げ出された身としては、それを表に出すことは苦労しなくてもできそうになかった。
今度は武藤さんではなく、俺の体から光が漏れだす。その光量は、すざまじいものだったが不思議とまぶしさを感じない。が、つい反射的に目を細めてしまう。閉じると細めるの中間。限りなく閉じているに近い俺の視界がゼロの近似を取る。
やがて光が収まり、目を開けた俺の目に飛び込んできたのは……鎖。
見間違えることなどできそうにない。ところどころ錆びかけたような、古びた鎖が俺の首、首輪から伸びている。そしてその鎖の一端は、武藤さんの左手首に巻かれた腕輪と直結していた。
さっきまではこんな腕輪はしていなかったはずだ。
ひょっとして、俺の首輪とペアルック的な何かかも知れないが、うっひょ~、武藤さんとお揃いのアクセサリー身に着けてるぜ~! と興奮する場合ではないのは確かだな。うん。
と視界の片隅で何かが動く。
「あっ!」
その声、俺が思わず出した声に反応して武藤さんも視線を俺と同じくする。
飛翔する炎に焼かれ、その動作、ことによると生命活動を停止していたかに思えた悪魔が、ゆっくりと立ち上がった。
よく見るとその皮膚のところどころには焦げ跡が残っているがそれ以外の傷や異常、つまるところダメージに類するものは見当たらない。
まあ、健康体の悪魔の皮膚をや姿をじっくり観察したことがあるわけではないので俺の評価なんてなんんお価値も無いとは思うがね。
「きいてないのか……?」
本人的には、あの自分の胸から出たド派手な攻撃は必殺技か、最終兵器だと思い込んでいた。ので、平気で立ち上がる悪魔の姿に鳥肌を湧きたてながら、震える声で、恰好悪くも不安を口にしてしまった。
武藤さんはほほ笑む。そんな不安でいっぱい二乗の俺に向かって。
「そう、さっきのはまあ、目くらまし。時間稼ぎね。でももう大丈夫。あなたが来たからね。ほんと困ってたのよ」
困ってたのか。なら来て正解だったな。武藤さんにとっては。が、その自信に満ち溢れた武藤さんを見て、正気を取り戻しつつある俺の口からは溜まっていた疑問が矢継ぎ早に節操もなく溢れ出す。
「ちょ、これ……ここは何? で、あいつはなんなんだ? いったどうなって……」
「あれは悪魔よ。見ればわかるでしょ」
はい。わかりました。うすうす想像していました。でも、面と向かって言われないと認識できないこともあるでしょ?
「この空……?」
「ああ、魔空間ね。魔界と人間界の混じりあった状態。魔門が開くとその周辺は魔空間で包まれるわ。とりあえずね。門を閉じない限りはそれは徐々に広がり、魔界の影響が強くなる」
ほう、簡潔に説明いただきましたが、さっぱりわかりません。では次の疑問。
「で、この鎖は……?」
「それは、あなたの魔力を私へと転送するためのルート。パイプみたいなものね。ってちょっと黙っててくんない? わかるでしょ? 今はそれどころじゃないから!」
怒られました。確かにそれどころじゃない。
起き上がった悪魔が、爪をむき出して武藤さんへ襲いかかろうとしているところでした。
で、俺はどうすりゃいいんだ?
「遠くへは行かないで! でも近づきすぎないで! でもって死なないで!」
死なない。それは、重要だ。頼まれなくたって無意識に俺は死なないように頑張って生きている。……はずだ。改まって言われるってことは、それだけ死の危険が近くに迫っているということか?
悪魔が爪を振り上げる。振り下ろす。武藤さんはそれを転がって躱す。武藤さん起き上がる。
距離を取って見つめあう武藤さんと悪魔。
悪魔が大きく口を開けた。その口から稲妻にも似た閃光が煌めき、武藤さんを襲う。
武藤さんはどこからだしたのか、長―い杖――木製で古びた印象――を突き出す。すると閃光は、弾き飛ばされたように発散し、バチバチッと大きな音を立てつつ拡散する。
再び悪魔はその爪で武藤さんを切り刻もうとする。今度は武藤さんはその杖で攻撃を受け止める。受け止められた悪魔の腕のあたりから煙が吹き上がる。悪魔は、苦痛の雄叫びを漏らしながら、一歩退く。
そんな武藤さんと悪魔の攻防を俺は為すすべもなくぼおーっと眺めていた。
『死ぬな』
それは、今のところ大丈夫だろう。一対一で武藤さんと悪魔の力は均衡している。どちらかというと武藤さん有利と俺には見える。
悪魔の攻撃は俺に向かうことなく、今のところはすべて武藤さんに向けて繰り出されている。
それを、その攻撃にさらされている武藤さんを手助けすることもなく、かばうこともなく傍観しているのは倫理的にはともかく、男の生き様的にはどうかと思われるが、人生七十年として、俺の残存フリーズ時間はあと十年分ほど残っているはずだ。ここで使ってもばちは当たらないだろう。
悪魔が再度飛び上がり、武藤さんをその眼下にとらえる。
武藤さんはそれを見て、杖を構えながら呪文の詠唱を始める…………。
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