第5話 来るべき悪夢的状況①

 誰の陰謀だか、教育委員会の通達だか、校長の独断だか、職員全員の総意だかはわからないが、わが校は、一年の一学期の始業開始から、すでに通常運転、つまりは午前中で授業が終わるなんてゆとりは持たずにみっちりと六時間のノルマを生徒に課してくれている。

 他の高校での経験がない俺はそれが普通なのか、進学校ゆえの特殊ケースなのかはわからないが。


 さすがに、一週間もたつと徐々にそのペースに慣れてくる。授業では体を使わない。今日は体育も無かったし。都合のいいことに。


 とはいえ、体のだるさは異常であり、全授業中、寝こそはしなかったが、今日はノートを取るはお休みさせてもらった。明日にでも誰かに写させて貰う予定。誰かというのは、谷口だったり、几帳面な性格っぽい寺脇だったり、欲を言えば、その原因を直接か間接かで作った武藤さん。まあそれは明日の話だ。


 結局、来るはずだった教育実習生も体調の問題だかなんだかで、今日のお披露目は無かった。谷口情報の女性だというのは正解で、男子たちが残念半分、明日の期待半分でその発表を見守っていた。 


 そんなわけで、本日は特になんのイベントもなくつつがなく過ごして放課後を迎えた。

 帰り自宅を終えて、さりげなく武藤さんのほうを伺ってみる。昨日とは違い、特になんの用もないようだ。


 じゃあ帰るか。


 駅までは、吉田たちと同じだが、俺の牛歩に付き合わせるのも悪い。ひとりで帰るべく友人たちを先に送り出した。

 それはそうと、本日も武藤さんは輝いていた。本人的にはごく自然に振る舞っているだけなんだろうがな。いつもは、休憩時間に席を移動していることが多い俺だが、今日は体調不良を名目に、トイレに立つ以外は一日中自席で過ごして体力温存を心掛けていたからよくわかる。ごくごく自然に武藤さんの席の周りに女子たちが集まってくるのだ。

 ちらほら聞こえる会話の断片を拾っても、やはりその中心には武藤さんが居た。


 それに不思議なのか当然なのか、男子生徒から注目を集めている存在であろうに、ほとんど誰も武藤さんに関わろうとしない。奥手な男子たち。お調子者がひとりやふたりいてもよさそうなもんだが、やはり高嶺の花ランキングで最上位におわすお方なのだろう。


 まあ、周囲を他の女子生徒に囲まれている状況で、あえて特攻をかます勇気は無いのかもしれんし、それは理解できる。取り巻きの女子生徒と二~三言葉を交わすぐらいが関の山。

 別段、武藤さんが男子を近づけまいとするオーラを放っているわけでもないのだが、俺からして、これまで、気軽に話しかけるチャンスは幾らかはあったはずなのに、実行に移した実績はほぼ皆無だ。

 やっぱり険しい峰にひっそりと咲く一輪? 鑑賞物としての武藤さんはそりゃあすごい存在だけど、それがずば抜けすぎていて、実在するいかなる人物、団体とも一切関係ありませんといったラべリングが施されてしまっているのだろうか?


 まあいい、そんな分析なんの役にも立たないだろうから。

 とにかく、家に帰ろう。今日は早めに寝てしまおう。

 学内はクラブ見学や体験入部の絶好の新規入団員募集日和で、この勧誘はだらだらとひと月くらいは続くのだろうけど、俺としてはそもそも部活には興味がない。


 帰宅部街道まっしぐら。そそくさと家路につくのがいつもの――といってもたった一週間でのルーティーンではあるが――パターン。

 今のところは、谷口や吉田なんかと帰りに茶店でまったり語ろうなんてイベントも勃発していない。そのうち麻雀なんかにでも誘われるかも知れないが、今のところお互いに様子見の時期のようである。

 えっちらおっちら歩いて、駅までたどり着いた俺は、空いているベンチに腰を下ろした。


 もう、ここまでくるとご老人である。若者の体力を持ち合わせていない。今日に限ったことではあるが。

 このままの状態が長く続くのならシルバーシート、優先座席の使用権パスを入手したいくらいだ。


 若者だって体調が悪いことも、立っているだけでしんどい時もある。各交通会社のお偉いさん方、そういった若者への配慮ってものを忘れちゃいませんか?


 まあ、電車を待つ間の休息スペースは確保できたが、乗車中の時間を考えていると胃が重くなった。朝は必至の思いで掴まった吊革に全体重の七割ほどをあずけて、ようやく三駅ほどの乗車時間を乗り切ったのだ。


 帰りは朝ほど込んでいないとはいえ、既に起床から八時間。積もりに積もった疲労は回復の兆しをみせずに、気分までさらに落ち込ませる。

 鞄に忍ばせた文庫本を取り出して読む気分にもならず、ただただ、電車がくるのを待っていた。

 

 ふいに、いいようのない胸騒ぎ。


 ご主人様が呼んでいる? 御主人様って誰だ? そうだ、俺は従者なのだ。期間限定かも知れないが、面接試験なんてのはなかったが、突然のヘッドハンティングで従者に抜擢されたのだ。


 今の俺は、従者。武藤さんに使える身分になったとかなっていないとか。

 気のせいか? いや、武藤さんの身になにか?

 頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かぶイメージは希薄も希薄。三十倍の天然水で割ったサイダーのごとく、甘みもシュワシュワ感もなく、内容が入って来ない。


 それでも、重要なセンテンスはなぜだか伝わってしまう。いっそ、わからなければ無視できたろうに。

『武藤さんが求めている。学校へ戻れ』


 これだけだ。そのような内容が、たくさんのジャンクに混じって俺の頭の中を占有しようとしている。このメッセージが誰発信で、発送先がほんとに俺でいいのか? 送料は誰が負担するのか? 着払いなんてことないだろうか? とクエスチョンは尽きないが……。


 無視するわけにもいかない。

 昨日までの俺とは違う。今までの俺ならこんなわけのわからない現象は気のせいで済ませてしまっていただろう。だが、見てしまった。実際に武藤さんが魔法を使うところを。常識では考えられない事象を引き起こせることを。その結果、俺の体が、だるくてだるくて死にそうになったことを。

 このまま感性に身を任せるのも悪くないか。


 俺は意を決して、ほんとに無理やり気力を振り絞って重い体を持ち上げて、改札に定期をとおし、帰宅ルートを逆向きに。

 走るほどの体力と元気は無く、それでもかといって、のんびり歩くわけにもいかず。


 できる限りの速さで。競技競歩とは比べもにならない粗末な足取りで再び学校へ向かった。





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