第1話 そんなわけで従者の見習いをすることになったのだが①
入学式から既に一週間が立っている。親父の都合で、生まれてから中学までずっと過ごした地方とは縁もゆかりもない新しい土地。
友達なんて一人もいない、聞いたこともなかった高校。
中学卒業とともに、引っ越しを言い渡され、反抗するすべもなく親父の言われるがままに従った俺だったが、まあそこは若者の特権。新しい環境にはそれ相応の適応力ってもんが備わっている。
具体的に言うと、休み時間に無駄話を叩くぐらいの友人なんてのはすぐにできた。俺ってそれほど人見知りじゃあないからね。度を越えた社交性なんてものは持ち合わせてはいないが。
そんな程度の俺だから、今こうやって机に突っ伏してぼーっと過ごしているのは、やることが他にない、話す相手が見つからないという悲しい理由からではない。
6時間目の授業が終わって、終わりの会、さして毎日たいした連絡事項があるのでもないのだが、それを終えなければ一日が終わらず、朝のホームルームと合わせて担任教師が、受け持ちの教科以外でその力を存分に発揮する限られたイベントの開始を、半ば疲れ果てた頭を休めながら待っている。
はっきりいってきつい。
引っ越しを名目に、通常の入学試験とは別ルートで進学を果たした俺のレベルと授業の内容がどう天秤をかけても釣り合わない。
ついていくのがやっとのハイレベル、ハイペースな授業が繰り広げられている。
でもって、そんな学校だから、周りにはいけ好かない優等生ばかりかっていうと、そうでもないのが救いではある。なんだったら、俺の方が上品なくらいだ。成績と普段の言動は比例しないっていう高尚なる論文をでっち上げられそうなくらい、俺が友人として選んだ奴らの程度は低い。俺が選び方を間違えたとかっていう可能性は無きにしもあらずだが。
なんせ、昼休みには弁当を並べながら――俺は家庭の事情で購買部のパンが主食だが――くだらない話を谷口達と繰り広げつつ、午前中授業で酷使した頭を休めたものの、さらに午後の二時間で疲弊した脳を休息させている。
ちなみに、その新しい友人であるところの谷口達との語らいは、あらたまって『本当に楽しかったのか?』と聞かれると、即答に困るところの、要はくだらない与太話なのだが、平均的な男子高生の、ごくごく一般的な昼休みの過ごし方と楽しみ量を満たしてはいると自負しよう。
パラメータを割り振って、グラフ化して徹底的に数値解析したところでさしたる大差は出ないはずだ。
しいて言えば、女っ気か。
それは望むべくもない。たまたま――席が近いとか、休み時間にトイレの帰りに廊下でであったとか――話をして気の合った今の仲間たちは、もてないといえば失礼にあたるかも知れないが、まあ異性とはちょっとばかり縁遠い男たちの模範解答といったメンバーだった。
おそらくは偶然であろうが、俺も周りからそう思われていそうで怖い。
いや、怖くはないか。それはそれで当然だ。
特技なし。ルックス普通。中学まではなんとか平均レベルを保っていた学力も、身の丈に合わない高校に進学して底辺をさまよい始めることは明白。
運動神経もさして得意協議もなく、中学時代に帰宅部で鍛えられたのは、麻雀の腕前ぐらいなもの。
これで、ユーモアでウィットに富んだ会話のセンスや面白さなどがあれば加点もされるのだろうが。
日常的にボケと突っ込みを繰り広げる某関西地方の出身でもなんでもない俺としてはそのあたりも平均的ということで。
そんなこんなで始まった高校生活。だらりと全身を弛緩させるぐらいいいじゃない?
どうせもうすぐ教師が来るんだし。
とかなんとか考えながら、目を閉じてうつらうつらとしていると、
「石神君、ちょっと……」
声を掛けられつつ、背中を叩かれた。人が寝ているのに失礼な奴だ。まあ、今さっき顔を伏せたばかりだから、本寝に入っている可能性は限りなく低いだろうけど。
それに、どうせあと数分。ことによったら十秒ジャストで教師が来てもおかしくない。どうせそんときゃ起きなきゃならない。
だから、それほど気を使うこともないっちゃないんだが、わざわざ寝てる人間起こすだけの理由と、自由とそれだけの度胸があるんだろうな……って、この声、この角度……。
ええっと俺の心境を文字であらわすと『! !!』びっくりマーク、空白、びっくりびくりってぐらいの驚愕度で……まさか、武藤さん?
まず声が間違いない。持つべきものはふたつも三つも持つというが、容姿に加えて、それと釣り合うだけの可憐な声。聞き間違いではない限り。
そして、俺はおそらく斜め後ろ四十五度から背中を突っつかれた。
その席に座っているのは、前述の容姿端麗、スタイル抜群、清楚可憐、えっとここからは想像が入りますが、成績優秀で、その性格も文句のつけようのない非の打ちどころのない天使と見まごうばかりの学園一の憧れ女生徒ダントツトップ――それについては好みは人それぞれだったり、そもそも上級生や他クラスの女子情報をこの時点ですべて得たうえで評価を下せる奴がいたらそれはまさに変態のレッテルを貼られるわけであり、ほんのたとえというか強調表現の一種ではあるのだが、それにしても注目の的であることは確かな――の武藤さんじゃないか?
武藤さんが俺になにか用か?
そりゃあ、席が近いからこれまで一切関わりを持たなかったというわけではない。短い話とかなら何度かした。が、寝ている俺を起こすだけの要件なんてどこかに存在するのかなんとか思いながら、そんなことを考えている場合じゃない!
即刻、俺は起き上がり振り向いた。
「…………」
とはいえ言葉が出てこない。振り返った先にはもちろん武藤さんがいた。まあいい。呼んだのはそっちだ。相手の出方を伺えばいい。
「石神君……」
武藤さんは小声で話しかけてきた。んっ? そういえば今朝の夢。場所は学校でこそなかったが、似たようなシチュエーションだったような、そうじゃなかったような。
武藤さんはその顔を少しだけ俺に近づけた。
これまでまじまじと見つめたことは無かったが、やはり美形である。美景。
美人は三日で飽きるとは、誰かの無責任な発言だが、武藤さんのお顔なら、一週間続けて見続けてみたいものである。
それくらい整っている。かといってモデルにありがちなちょっと個性的だの、冷たい感じもしない。ご飯に例えると、ちょうどよそっておかずを半分くらい食べた時点でのまだほかほかで、それといってよそいたてのあつあつでもなくと、そんな例をあげても誰も喜ばないので割愛。
とにかく、可愛らしさと美しさのバランスが神が気合を入れて誕生させたとしか思えない絶妙で、かつ親しみやすい顔立ちだ。目も鼻も口もパーフェクト。あと顔のパーツには何があるっけ? ああ、耳ね。うん、耳だって大丈夫だよ。合格。
俺は女優の顔なんかをみてても、鼻の中央から唇に伸びる溝なんかが深すぎて、冷めてしまう困った人間なんだが、名称不明の鼻の下の溝も完全無比に美しい。
「放課後ちょっと時間を取れない?」
武藤さんからのお誘い?
俺の時間なんて、掃いて捨てずにまた散らかしてさらにそれを掃いて集めてゴミ箱に捨てるぐらい持ち合わせてますけど。
「別に……大丈夫だけど……」
どんな応対すりゃあよいかわからずに、かなり無愛想な台詞が口から飛び出た。
バカバカ! 俺の馬鹿! 大丈夫と大乗仏教をかけたダジャレぐらいサービスできんのかって! それはそれで冷たい空気が流れるだろうが。
「そう、良かった。……屋上で……待ってるから」
俺の脳内での反省会など知る由もない武藤さんは軽く微笑みながら、すっと自分の席へと体を戻した。
放課後? 屋上で? 俺に何が待ち受けているのか? 典型的なパターンとしては告白なんだろうが、すんません。ありえないことはわかってます。
それに告白するんだったら、そっと周りに目立たないように呼び出さないか? とふと気づいて周囲を見渡すと、驚くことに教室には誰もいなかった。
いや、一瞬前まで誰もいなかったと思われる。徐々に教室内にクラスメイト達が入ってくる。明らかに異常な状況だった。6時間目が終了したと同時に、武藤さんと俺以外の人間がこぞって教室から出て行ったようだ。
武藤さんが人払いをした? いや、それは逆に目立つだろう。
疑問符が頭の中でダンスを踊りだしたが、やがて俺たちの担任教師であるところのしなびかけたおじいちゃんがやってきて、俺の思考はそこで休止した。
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