第2話 そんなわけで従者の見習いをすることになったのだが②
大人びて言うならホームルーム、子供じみた言い方をするなら、終わりの会も終わり、そのまま屋上に向かってもよかったのだが、あまり人に見られて気持ちいいもんじゃない。
クラスの大半が教室を後にするのを見届けてから、俺は席を立った。幸いにして普段であれば駅までの帰り道をともに歩いて帰る数少なめの友人たちの姿は無い。先に帰ったのだろう。
廊下に出ると、人けの無さに驚いた。部活に行くにせよ、そのまま帰るにせよ、全校生徒が教室を出ていくタイミングである。なのに、誰もいない。その事実になにか引っ掛かりを覚えつつも、武藤さんをあまり待たせるわけにはいかない。
彼女の姿は既に教室にはなかった。
ということは、既に屋上へ向かっているはずだ。俺も静まり返った廊下を歩き屋上へと歩みを進めた。
屋上へ向かう階段を上っている最中にふと視線を感じ振り返ると、ひとりの女生徒が俺の方を見上げていた。
誰かはすぐに分かった。ひとむかし前なら特徴的な分厚い牛乳の瓶とでも形容されたであろうレンズのメガネをかけたクラスメイトの女子。
メガネよりも先に形容すべき点があるとすれば、その髪の毛の色だろう。
金髪なのである。たしか、ミエラ・グリューワルトとかいう舌を噛んでしまいそうな名前の外国人だかハーフだかだ。
容姿は目立つが、内向的な性格なのか、他の生徒と絡んでいるところはほとんどみたことがない。それでも授業で当てられたときなどは流暢な日本語を話すし、自己紹介でもたしかしばらくは日本に住んでいるといっていたから、語学的な問題ではないだろう。
抜群に目立つ格好をしていながら、その存在自体は陰に隠れて明らかではない、不思議な属性を持った女子生徒だ。
教室を出た俺が初めて見た人間。だが、彼女は俺の視線に気づくとふいっとどこかへ行ってしまった。
当然のことながら、既に武藤さんは屋上で俺を待っていてくれた。
教室から一緒に来なかったのは、単に向こうも恥ずかしかったからだろう。わざわざこんな場所でする話なのだ。なんであれ、目撃者は少ないほうがいいに違いない。ミエラという例外を除いて目撃人数ゼロというのも、不思議な話ではあるが。
「ごめんね。急に呼び出して」
フェンスにもたれかかって、屋上への入り口を眺めて俺を待っていたであろう武藤さんが俺に歩み寄りながら言う。
「……」
ここでも無言になってしまう俺。一応は武藤さんとの物理的な距離を縮めるべくだだっ広い屋上をゆっくりとしたペースで歩く。
やがて、二人の距離は縮まり、自然と同時に足を止めた。
しょうがないじゃない。たまにどころか、それ相応に話題にあがるんだぜ。武藤さんほどのクオリティーを持った存在ならね。
まあ、あんな彼女が欲しいとか、彼氏はいるのだろうかとかそんな軽い話題だけどね。
「私が、フランス人とのクォーターだって知ってた?」
いきなりのカウンターパンチ。唐突に、前ふりなく繰り出された武藤さんの一言。
知らない。というか何? なぜいきなりそんな話?
言われてみれば…………。いや、そんなことはないな。
意思の強そうな、それでいて別段つりあがているわけでもない大きな瞳の中は真っ黒だし、目鼻立ちが通っているといっても、極端に鼻が高いというわけでもない。
背比べしているどんぐり達をあざけ笑うがのごとく突出したルックスをしていはいる。だが、いうなればベスト・オブ・ザ・ニッポンジンというタイプの美少女だというのが俺の武藤さんへの評価。そこに、その美しさに外国人の血からという由来を見出すことなんてできなかった。
嘘なのか、冗談なのか、真実なのか、どちらにしろ、言われるまでは思いもよらなかった付加情報だ。
「いや……」
ようやく紡ぎだせた言葉はそれだけだった。たったの二文字。だが、ことの終わり、つまりはこの会合の着地点が見いだせないでいる俺にとって一番懸念されるのは、余計なことを言って、武藤さんに嫌われてしまうということだと考える。無難が一番なのだ。
「そうよね。まだあんまり話したことないもんね。まだ一週間だし。それによく考えたら誰にも言ってないしね。中学からの友達とかは知ってるかも知れないけど……。あれ? どうだっけ? 言ったことあったかなぁ」
と、武藤さんは一人で考え込んでしまった。で、その先は? と促す度胸の存在しえない俺は、ただただ時の流れに身を任せて武藤さんの出方を待つ。待つがごとしだ。
「あっ、ごめん。そう、話の続き。私のね、おばあちゃんがフランス人なの。それで高名な魔女の家系なの」
魔女? そう聞こえたのは、聞き間違いでもなんでもないだろう。今朝の夢を思い出した。確かに古めかし洋館だった。
フランスに建っていてもおかしくなさそうな。でも、今の武藤さんが居たんなら、あれは日本ってことか。
どちらにせよ、夢の話だからな。水晶玉とかも、占い師でなければ、次に似合うのは魔女だろう。奇妙な符合に胸騒ぎが抑えきれない。
「魔女?」
それでも、口からでたのは一単語。会話として最小限。おうむ返し。だが、親切な武藤さんは話を進めてくれる。
「そう、魔女。魔法使い。おばあちゃんの代まではフランスで脈々とその血統をつないでいったの。でも、日本人の男性……つまりは私のおじいちゃんなんだけど、と出会って、日本に来ることになったのよ」
そういえば聞いたことがあるような無いような。世界ふしぎなんとか発見とかいう番組でやってたな。フランスじゃなかったような気がするけど、イギリスかどっかに魔女がいるって。たしか薬草とかそんなのを調合する至極まっとうな仕事をしてたはずだ。と俺は無理やり話を現実的に解釈しようとする。
「でね、日本に来てからも、魔女の秘法はちゃんと受け継がれてきたの。私のお母さんへ、そして私へと」
ってことは、あれですか? 武藤さんは魔女なんですか? とは聞けず。
「…………」
やっぱり無言になってしまった。しょうがないでしょ。
リアクション難しいよ。テレビで見たとはいえ、想像つかんわ。この現代社会において魔女なんて。しかも日本ってのがリアリティの無さを強調している。
暇つぶしに読んでみたアルバイト情報誌にも魔女募集なんて業種はひとつもなかったはずだ。ニュースでもやってないよな。武藤フアさん、職業魔女みたいなテロップ。
「日本じゃな使い魔を見つけるのも一苦労なの。というかお母さんなんかは、あきらめてフランスまで探しにいったからなんとか見つかったんだけど。
私はさっぱり。もう無理なのかもね。そんな時代じゃないし。
でも魔法は覚えなきゃならない。使うべき時には、使うべき魔法が使えるように準備をしておかなくっちゃならない」
話が見えてこないなあ。からかわれているのか? それならば納得いく。だが、なぜ俺なんだ? そんな心当たりはない。ひょっとしたら、クラス中が一致団結して俺を担ごうとしているのかも知れない。いったいなんの理由でだ?
武藤さんには失礼な話だが、あたりをきょろきょろと見渡したとこで、隠しカメラが見つかるわけもなく。そもそも隠されていたら見つからないだろうな。最近のカメラって小型で性能いいもんな。ちょっと金だしたら、素人でも買えるもんな……と思考が脱線しかけたところで武藤さんの言葉が続いた。
「でね、私……生まれつき、魔力が少ないらしいの。魔力ってのは魔法を使うと減っちゃうエネルギーみたいなものね。使うのは大丈夫。そっちのセンスはおばあちゃんにも百年に一度の天才とか言われているぐらいだから。
問題は使う魔法によっては私の持っている魔力じゃ足りなかったり、すぐに空っぽになっちゃうってことなのよ。かといって使い魔に魔界とのルートを作らせるわけにはいかないし……。
昔はよかったのよ。魔道線っていってね、使い魔を従えさせておけば、無尽蔵に魔界から魔力を抽出できたのよ。
最近だとそれも難しくなってるって聞くけど、うん、魔界も不安定なんだって。でもそれ以前に使い魔が見つからないじゃない?」
今度は、使い魔やらあまつさえ、魔界とかいった怪しげなキーワードがお出ましになられましたぞ。
魔界……魔界ねぇ。昔のゲームでそんな村があったな。だめだ、漫画の知識しかでてこない。ときめきなんとかナイトとか、なんとか幽白書とか、まあ魔界に行く人間ってのは多いよな。親しみが持てるな。一度行ってみたいな。どっかでツアーやってないかな? とは思わない。
そもそも魔ってなんなの? それがわからんから界ってつけても意味がわからないのだと思う。まじめな話。エンターテイメントとしてそんな界であれこれする作品は数多くあれど、実在してないしな。というか、そもそも武藤さんは何を言いたいんだ?
「ええっと……」
とりあえず、勇気を振り絞って聞くべし。ここで初めて俺がどこかの石に三年ほど座りこもうとしていた重い腰を上げた。相手があの武藤さんだとしても気にすんな俺。疑問はその場で解消しよう。
それが良いディスカッション、ひいては美しい人生を歩むための秘訣だって、どっかの誰かが言ってなかったっけ? 言ってなかったらこれは俺の生んだ名言として後世に残してやろう。石碑に刻んでもいいね。
「武藤さんは魔女ってこと? で、使い魔? それが居ない。魔力が足りないから魔法が使えないってことでいいのかな?」
まずは事実確認から。だが、武藤さんはそれを聞き、微妙に眉を吊り上げた。
「使えないなんてことはないわよ! 馬鹿! いじわる! ろくでなし!」
ちょ、そこまで言う? 怒らせてしまった。
「馬に蹴られろ! 豚に真珠を取られてしまえ! なんでそんなこと言うのよ! 優しさのかけらもないの? バファリンを見習いなさいよ! このけちんぼ!」
罵倒が続く。意味が分かるものから、なんかよくわからないものまで。
と、そこで、武藤さんはふうっと息を吐いた。深呼吸して呼吸を整える。見るとその大きな瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
泣かせてしまったのか? 俺? 俺のせい? じゃあ俺が悪者でいいや。
「ごめん」
と、理不尽な仕打ちに関わらず、とっても素直に謝ることができました。世渡り上手への第一歩だよ。アイムソーリーは素直さとタイミングが大事。
「こっちこそ……。ごめんなさい。あんまりにもショックだったから。
使える魔法はこのままでも使えるの。問題はね、私がセンスありすぎってことなの。だって数百年に一人の逸材なのよ。だから原理上はどんな魔法でも使えるはず。古今東西。さらには今後はオリジナルの魔法もいくつも開発して、後の魔女からも崇拝されるのよ。何千年にも渡って。
ただね、魔力が少ないの。でも、それだって本来なら魔力なんて自分のものを使わなくたって全然問題ないはずだったのよ。ほんの何百年か前までは。その辺に満ち溢れてたんだから。どんなに優れた魔女だって自分の魔力だけでは使える魔法に限りがあるから。
だから、世界の魔力を抽出して、それが難しくなったら、使い魔に魔道線を管理させて、魔界の魔力を持ってきて……」
幸いにして、武藤さんは落ち着いていた。少し気を悪くしてしまったようだが、致命傷には至らなかったようだ。
さあ、難しいぞ。次の一手。打ち間違えると即敗戦を意味しそうだ。何を聞くべきだ? どう話を転がしていけば良いんだ?
考えるまでもなかった。実際に考えようとして考えた時間なんてコンマ数秒の時間だろう。武藤さんから結論が提示されたのだ。
「で、石神君、お願いがあるの」
ええっと、今までのが前ふりね。前提条件というか状況説明というか、とにかくここまで来るのに必要な情報であり、おまけというか、階段というか、とにかくそれを登って初めて、本題に入れるのだろう。
彼女が真実を語っているのならと少し怪しい条件は付くが、魔女である武藤さんから俺は、この、平凡以下でなんの特技も持ち合わせていない俺は何を頼まれ、何を差し出せばよいのか。
「……」
とりあえず、会話の主導権どころか、従属権も全部ほっぽり出して、俺は黙って武藤さんの結論を待つ。本日何回目の無言だこりゃ。三点リーダが、労働協定違反だと騒ぎ立ててもおかしくないほどの、体たらくぶりっちゃ体たらくぶりである。
「私の『従者』にならない?」
武藤さんは姿勢を正して、真剣なまなざしで俺を見つめる。ぴんと背筋を伸ばし、大きくすぎも小さすぎしない、若干発育途中という表現でも文句が出そうにない武藤さんの胸が小さく上下しているのがわかる。
屋上を風が吹き抜ける。空は青い。真っ白い雲が綺麗だ。校庭では運動部員たちがぼちぼちと練習の汗を流し始めている。
校門からはいまだに生徒たちの流出が絶えない。それぞれに笑顔で、それぞれに友と、ときに一人で家路についている。
何度も言う。空が青い。雲が白い。すがすがしい春の一日だ。
時は平成。世は泰平。
高齢化だの少子化だの高齢者と若者での格差がどうだの、マニフェストが守られないだの、税金が高いだの、税金の使い道がおかしいだの、文句を言いだしたらきりがないが、おしなべて平和な時代。
空は青く、雲は白い。
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