―― XII ――

『文字は人を傷つける為の武器だ』

 金髪の外国人の男の言葉が、真の頭の中を巡る。

 しかし、それをかき消すほどの驚きの光景が目の前には広がっていた。

 前回までの木々の広がった壮大な自然の景色は跡形もなく消え去っており、木々が燃えた後の炭だけがあたり一面を覆っていた。

 所々には金属でできた機械のようなものの破片も転がっている。

 ここは多分、藤沼事件の現場を再現しているのだろう。だから、金属の、飛行機の破片が所々に落ちている。

 そして、ここが古井の心の中を投影している場所ならば、彼はあの事件の日から彼の時計はずっと止まったままなのだろう。

 そう。一般人の中で唯一の生き残りが、古井新だった。

 そんな彼を救う為にここに来た筈なのに、「殺してやる」と呟いてしまった事に自己嫌悪する。

「この力は人を救う為の力だ……」

 自分にそう言い聞かせるように呟く。その時、真の耳は誰かの泣き声を聞いた。幼い少年の泣き叫ぶ声。

 その声の聞こえる方へと進もうとは思ったが、今の状態では何があっても対処できない。

 鞄ごと持ってきた本を鞄の中から取り出して、前回の時と同じように右手に黒い刀を形成し、多くの文字を宙に漂わせる為に、鞄の中に入っていた文庫本十冊に血を塗ってはページを破り捨てることを繰り返した。

 この前よりも多くの文字を空中に漂わせると、鞄を黒い地面に置いて、泣き声の聞こえる方を目指して歩き出す。

 ゆっくりと周りを警戒しながら進んでいるうちに、泣き声を上げている人影を彼の目は捉える。

 それは黒いモノで彩られた人間などではなく、すすで服や肌を汚した、普通の子どもだった。

 両膝を着いて天を見上げながら泣くその姿は、全てを失った絶望を表しているように見える。

 何の脅威も感じられない少年だったが、真は念のため、黒い文字で形成された刀の切っ先を少年に向けた。

 そして、真は少年の顔を見て気づいた。

「古井……お前なのか……?」

 古井の面影がある幼い少年は、真の声も姿も認識できないのか、何の反応を見せず、ただただ泣くばかりだった。

 そんな少年に手を伸ばして、その肌に手が触れたその瞬間、少年の記憶や感情のようなものが、一瞬にして頭に流れ込んできた。


 ◆


 それは大切な家族旅行だった。

 父親は仕事ばかりで、毎年旅行を計画しては頓挫し、その度に父親は申し訳なさそうに頭を下げた。

 笑ってそれを許してはいたが、内心では父親に怒りを向け、同時に悲しい気持ちになる。

 何故こうも、父は仕事ばかりなのだろう。家族が、自分の事が大切ではないのか。

 そんなことはない。家族が大切だから、仕事をしているというのは、分かっていたが、それでも父親を心から許す事はできなかった。

 そして、ずっと頓挫していた家族旅行にいける日がやってきたのだ。

 彼は嬉しすぎて前日はよく眠れなかった。

 父親、母親、妹、そして彼の四人での家族旅行の行き先は海外ではなく、日本国内だった。

 その事に不満は一切なかった。待ちに待った旅行なのだ。場所などどこでも良かった。

 それに、飛行機で目的地に向かうというだけで、テンションはずっと上がりっぱなしで、下がる気配はない。

 飛行機に乗ってからも感情の高ぶりように変わりはなく、離陸するのと同時にそれは最大にまで高まった。



「その時から既に事は動いていた。君が心をわくわくさせながら、妹と一緒に窓からの風景を眺めているうちに」

 黒いスーツを着て、黒いサングラスを掛けた、金髪の男が古井新に語りかける。

「藤沼事件は全て仕組まれていたのさ。内部の者によって。あの飛行機に乗っていた乗客を、君の家族を、死に追いやったのは今、現実世界で悠々と上がりを決め込んでいる政治家たちだよ」

 男の言葉にただ唖然と目を大きく見開いている。だが、古井の様子を気にすることなく、男は続けた。

「けど、乗客の殆どが死ななければならなかったのは、藤沼総理の責任だ。彼のせいで、君だけが生き残る結果になってしまった」



 古井と同じ飛行機に一般の乗客としてそこにいた藤沼総理は、五名のボディガードを同席させていた。

 両隣に一人ずつ。前に一人。後ろに二人。

 総理を囲む為に八人は同席させたかったが、一般人も乗る飛行機なのでそう言う訳にはいかなかった。

 総理の様子は落ち着きがなく、貧乏ゆすりをしながらずっと頭を抱え、妻や子どもの名前を小声で唱えている。

「落ち着いてください。あなたの命を守る為に私たちがいるのですから」

「落ち着いてなどいられるか! 爆弾が仕掛けられていたんだ……あのまま乗っていたら……私は今頃、空の上で木っ端微塵だ……」

 歯をガタガタと震わせながら、恐怖を全身で表現する。

「でも、あなたは現に生きているんですから。大丈夫ですよ」

 そんな総理を安心させるように隣のボディガードが言葉を紡ぐが、今の総理の耳には届かない。

「あなたが日本に大きな変化を与えた。それが吉と出るか、凶と出るか。吉を出すには、今が正念場です」

 「ああ」と曖昧に頷いた時、彼の右脇腹に何かが突きつけられ、すぐに視線をそこに持っていく。

「だから、認めてください。その変化は凶だったと」

「……何を……?」

 右隣でずっと口を開いていたボディガードの一人の男が、総理の右脇腹に黒い銃を突きつけていた。

 明らかに左隣のボディガードもその事に気づいているようだったが、何もしない。

 彼らはボディガードなどではなかった。

「何を、ってちゃんと言わなきゃいけないんですか? 集団的自衛権は間違っていたと認めてください。でなければ……――――乗客を順に殺していきます」

 その言葉を聞いた瞬間、総理は怯えるような表情から一変し、笑い出した。

「ハハハ……そんなことをすればここはパニック。お前たちに逃げ場はなくなるぞ」

「総理。あなたの頭は猿以下のようですね。我々は誰にも気づかれずに一人ずつ殺せるよう、一般人の中に協力者を混ぜている。パニックなど起こりませんよ。ネットで募集すれば簡単にテロリストを生み出す事ができる。凄い時代ですよ」

 総理の顔から笑みが消える。だが、まだ手立てがない訳ではない。自分が騒いでパニックを起こせばいい。そうしたら、衛星電話で――――。

 その考えは全て隣にいる男に見破られていた。

「自分が騒ぐなんて変な気は起こさないでくださいよ。その時にはあなたの家族にも危害が及ぶ」

「や、やめろ!! 家族にだけは……!」

「だったら、大人しくしていてくださいよ。騒いだりしなければ、あなたの家族には危害を加えません。

 さて、間違いだったと認めますか?」



 男は同じ質問を十回ほど繰り返した。十回も繰り返したということは、総理が一度も首を縦に振らなかったことを意味する。

「これで十人死にました。誰も気づいていないので実感が湧きませんか? それにしても強情ですね。首を振れない大きな理由でもあるんですか?」

 沈黙を貫こうとする総理の脇腹が銃によって刺激され、もう一度、総理に死を身近に感じさせる。

 そうすることで口を開かせようとした、隣の男の思惑は成功した。

「駄目だ……言えない」

「……いいでしょう。それが目的ではないですし、大体の見当もつきます。変化を起こしたのはあなたではなく、後ろで手を引く誰か」

 なんで知っているんだと言わんばかりに、隣の男を見て目を大きく見開いた。そして、次にその表情は「しまった」というように焦るものに変わり、顔を引きつらせて、すぐにその顔を俯けた。

「分かりやすい人だ。さて、それを確認できたところで本格的に始めますかね」

 男は総理に突きつけていた銃を懐にしまって急に立ち上がり、銃を持っていた手をポケットの中に突っ込んだ。

「何を……?」

「テロリズムを」

 男がポケットの中で何をしたのかは総理には分からなかったが、多分、何かのスイッチを押したのだろう。

 飛行機の揺れが急に大きくなって、天井に点いていた証明も点滅し出す。

 座席ベルトをつけるように促す表示が点灯し、キャビンアテンダントが呼びかける。

 しかし、その瞬間数人の人間が呼びかけを無視して、その場で立ち上がった。その中には女性も含まれていた。

 その全員が銃を所持しており、飛行機の揺れに加えて、武装した人間が現れれば、どんなに馬鹿な人間でもハイジャックと認識できるだろう。

 悲鳴を上げる乗客たちは、つけようとしていた座席ベルトを外して、逃げ場のない飛行機の中を走り回ろうとするが、その前に銃弾がその人の脳天を貫いた。

 サプレッサーが先端に取り付いていたため、銃声が機内に響くことはなかった。

 次々に機内の人々が殺されていく中、飛行機の揺れは激しさを増していく。

「パニックを起こさないんじゃなかったのか!」

「仕方ないでしょう? あなたは一向に“YES”とは言わないですし、それなら全員殺してしまっても問題はありませんよ。それに、あなたは少し勘違いしてませんか?」

 立ち上がっている男が座っている総理を見下し、睨みつける。

「私が銃を片付けたからと言って、あなたを殺さないとは言ってないんですが?」

 男の目が総理が見ている席とは逆の方に向けられるのと同時に、総理は反対側を振り返ろうとする。

 しかし、その目が話していた男とは反対側で、銃を持っていた人間を見ることは叶わずに、その脳天に弾丸は撃ち込まれた。

 悲鳴も何も聞こえなくなった機内は、唐突に静寂に包まれる。同時にまた、機体は大きく揺れ動いた。

 立っていたのは全員、銃を持った人々でその周りにはいくつもの死体が広がっている。その殆どが身体に何発もの銃弾を受け、確実に死ぬように頭にも銃弾を受けていた。

 そして、ずっと総理大臣と話していた男が口を開く。

「皆ありがとう。こうして出会えたのも何かの縁だけど、交流しあってる暇はない。さようなら」

 男がそう発言した瞬間、男と同様に総理大臣のボディガードとして機内に乗り込んでいた者たちが一斉に銃を持った者たちに銃口を向けて、引き金を引いた。

 完全に油断していた彼、彼女らは抵抗する事もできぬまま、ただスーツにサングラスをした男たちの手によって葬られた。

 機内で立っているのは、総理のボディガードを装っていた五名のみとなった。

 それを五名が確認すると同時に、総理と話していた男以外の四名は、握っていた銃の銃口を口の中に入れる。そして、その引き金を引いて、自殺した。

「ありがとう」

 その一言を発した数分後、飛行機は山の中に墜落した。



 一体何が起こったのだろうか。一瞬にして周りの状況が掴めなくなった。

 飛行機が大きく揺れ、銃を持った人間が数人立ち上がるのと同時に、安全ベルトをつけるのも忘れて立ち上がって逃げ回ろうとする大人たち。

 だが、その殆どが銃を持った乗客に脳天を撃ち抜かれて倒れこんだ。

 素人集団には見えなかったが、ネットで募集された普通の一般人だった。

 父親は、すぐさま、自分と妹を守るように上から被さった。

 ただ怖くて、目を瞑って父親の包容の中で身体を丸めた。

 その時点でもう、父親と妹の命はなかったのだろうが、まだ気づいていなかった。

 そして、飛行機は轟音を響かせながら墜落した。

 身体が宙に舞いそうになったが、座席ベルトに助けられ、上から覆いかぶさった父親にも救われた。

 自分と犯人だけが生き残ったと知るのはまだ先の事だった。

 ゆっくりと目を開けて丸めていた身体を起こすのと同時に、上に覆いかぶさっていた父親の身体を上げようとする。しかし、子どもの力で大人の身体を持ち上げることは叶わずに、その目は父親の服の所々に血が滲んで紅く染まった跡を捉えるのに至った。

 最初はそれが何なのか分からなかったが、段々とその意味が分かっていく。

 銃弾が貫通した跡だった。そして、貫通した銃弾はその後どこにいったのか。

 父親の身体が転がるようにして座席の下に落ちる。

 その動きを目で追いながら、自分の身体に目をやると右脇腹と左肩辺りの服が少し破れており、そこから血が滲み出ていた。

「あああああああああ――――!!」

 傷を目にした瞬間に激痛が走り出して、思わず叫び声を上げた。

 するとその声に反応した、墜落した機内で立っていた唯一の男が傍までやってきた。

「大丈夫かい?」

 笑顔でそう声を掛けてきた男は、スーツ姿でサングラスを胸ポケットに入れ、手を差し伸べてきた。

 男は、座席ベルトを差し伸べた手とは逆の手で外してくれ、その後一向に差し出された手を掴まない自分を座席から無理やり引っ張り出す。そして、男は自分を抱きかかえると、床に寝そべった人々を踏みつけながら、非常口へと向かった。

「父さんは……母さんは……?」

 痛みで気を失いそうになりながらも尋ねかけると、男は淡々と答える。

「まずは君だけを助けようと思ってね」

 その言葉を聞くと安心しきったのか、飛行機から脱出する途中で気を失ってしまう。

 男は、金髪で、外国人のような風貌をしていた。

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