*デコイ
それから数日は何事もなく、何度かベリルとメールのやり取りをするも情報だけに徹底され、こちらのアプローチはまったく無視されていた。
「あのやろう」
当然だと言えなくもないが、泉にそれは通用しない。次に会ったとき、どうしてやろうかと含み笑いを浮かべた。
そのとき、スマートフォンが着信を振動で伝える。オープナーからのものだ。
「イズミだ」
スピーカーの向こうから聞こえた言葉に視線を鋭くし、監視を続行するように指示をして通話を切った。そしてすぐ、ベリルに電話をかける。
「イズミだ。奴が動いた」
それに淡々と返すベリルの声を聞きながら、泉は次の一手を考えていた。
──数時間後、すでに葉桜となったタイダルベイスンの木々を眺めながら、泉はベリルを待っていた。いつの間にか、ここが待ち合わせ場所となっている。
桜が散って華やかさは失われたものの、見つめる先にいる人物は、そこにいるだけで空間が引き締まる存在感を放っている。
あまり表情を変える事がなく冷たくも感じられる面持ちだが、外見でそれを判断するほど泉は平穏な生き方はしていない。
「どうか」
「資材を集めているっぽい」
こちらを見つめるベリルの視線がどうにも複雑な色を見せているが気にしてやらない。
「ほう?」
サヴィニオに唯一、接触している男が資材を買い付けてトラックで運んでいた。
「トラック?」
ベリルはそれに、随分と大がかりだなと眉を寄せる。
オープナーはそれ以上追うことが出来なかったため、サヴィニオ自身の姿を捉えるまでには至っていない。
サヴィニオは警戒心の強い男だ。監視している事を悟られないようにと、最低限の追跡に留めている。
「こちらが監視している組織も何かを計画している素振りがある」とベリル。
「へえ。あいつらまだ何かやる気なのか」
例の組織はやや危険な集団に位置づけられる程度の規模らしく、NY市警の方でもそれなりの監視は続けている。
爆弾騒ぎはあったものの、彼らが設置したものに大した威力はなかったためだ。
凝った造りではあったがカウントダウンは爆弾には直接つながれてはおらず、ネットで検索すれば出てくるようなシロモノで、テロリストに憧れた馬鹿どもの集まりだと考えられたのだろう。
しかし、サヴィニオが裏で絡んでいるとなれば、その見解は正しいものか疑問だ。
「ところで」
ほぼゼロ距離にいる泉を無表情に見上げる。
「なんだ」
「会う必要はあったのか」
「当然だ」
これだけなら通話で良かったのではと眉を寄せるベリルに、ややキレ気味に目を吊り上げる。
「なるほど」
しれっと応えたその足元には、抱きつこうとした泉がしこたまスネを蹴られて声もなく悶絶していた。
「ま、まだ何もしてねえだろうが」
「されてからでは遅い」
それもそうだと思いつつ、抱き心地の良さそうな腰を見やる。そんな思考が丸見えなのか、軽く睨まれて視線を外した。
「むやみな接触は避けたい」
もちろん、件のことでの話だ。どちらも名のある傭兵なのだから、今まさに事件が起こっている場所で余計な接触をして相手に警戒されては内密に動いている意味がない。
泉だってそんなことは充分に解ってはいる。しかし、この衝動を抑えるのはどうにも難しい。
つくづくだと自分に呆れるくらいには、心が目の前の人物を追いかけている。
「その喋り方が気になっている」
「すまんね」
「悪かないが」
下からベリルをまじまじと眺めて、尊大な口調だが別に嫌な気分でもない。その容姿に相応しいとさえ思えてしまう。
むしろ、
「ベッドで泣かせたくなっ!? ──る」
脳天にかかと落としを食らって撃沈した。スネと脳天に連続で食らったダメージにさすがに目が潤む。
「て、てめっ……。俺をなんだと」
「仕事仲間」
とりあえずは味方という位置づけに安心した。
「あぶり出すつもりか」
ベリルの察しの良さに口角を吊り上げる。
「あんたに睨まれて無事だった奴はいないんだろ」
「言い過ぎだ」
それに、私は相手にとってそれほど怯えられている存在だろうか。サヴィニオについて詳しい訳でもないのでその部分においてベリルは図りかねていた。
「今は慎重に」
「めんどくせえな」
こちらは大勢の人質を取られているのと変わらない。それは重々、理解しているものの、この現状はなんともじりじりする。
とにかく今は、いかに迅速に相手の動きに先回り出来るかだ。
「変更される指示には、いつでも対応してもらいたい」
ベリルの言葉に口の端を吊り上げる。泉の提案も受け入れているということか。ベリルが主導権を握っているように見えるが、協力し合ううえで泉は当初からそれを了承していた。
指揮に長けているとされるベリルの闘い方を見てみたい。変に張り合うよりも、その力量を計りたいというのが泉の思惑だ。
それに、使うよりも使われている方が楽だ。自分は誰かに指示をするタイプじゃない事を泉はよく知っている。
──結局、少しも手が出せないままベリルと別れて街中を歩き回る。気晴らしと暇つぶしに、アイスコーヒー片手に
モーテルでふて寝というのも、体がなまって仕方がない。都会の喧騒は止むことなく、人混みに煩わしさを感じながらもこれはこれで楽しんでいた。
そのとき、バックポケットのスマートフォンが振動している事に気がつく。見るとベリルからのものだ。さっき会ったばかりだというのに一体どうしたのか。
「何かあったのか」
<ちょっとした情報が入ってきた>
「あん?」
<狙われているぞ>
どういう事なのかと耳をそばだてて歩く速度を弱めた刹那、眼前を何かがかすめたと感じたと同時に右にある店のガラスに小さな穴が空いた。
叫び声が響くなか、泉は空いた穴を見つめる。
「おい、どういうことだ」
<
対象が泉でなければ、依頼主不明の情報がこちらには伝えられなかったかもしれない。
<とりあえず引きこもれ>
「そうさせてもらう」
<ああ、戻るときは解りやすく頼む>
「てめえ……。やりゃあいいんだろ」
いつまでも狙われているのも面倒だ。泉は通話を切ってコーヒーを飲み干し、歩く速度を一定にしないように宿泊しているモーテルに向かった。
その途中で入ったメールに眉間のしわを深く刻む。銀行からのもので、結構な額が振り込まれていた。
振り込んだ名前は「B」とだけ表示されている。
「あいつか。案外、律儀だな」
あれだけ見事に失敗すれば、スナイパーも警戒してしばらくは攻撃してこないだろう。依頼主がサヴィニオならばそれなりの殺し屋を雇うはずだ。
むやみに自分の姿を晒すような攻撃はしてこないと踏んで、泉は恐れることもなく歩みを進めた。
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