*幕開きにはカクテルを
──タイダルベイスンの桜は春の到来を告げ終わったのか、視界を薄ピンクに染めるほどの花びらを風に遊ばせる。
煌びやかに儚く舞う
初めて見つけた時と同じ、前開きのシャツをボタンをせずに着こなしている。あの服装には意味があるんだろうと若干、膨らんでいる左脇腹に目をやった。
「スロウン・レイモンド」
その声に青年が振り返ると、威圧するように男が間近で見下ろしていた。しかし、青年はそれに動揺する事もなくただ無表情に男を見上げる。
「よくもやってくれたな」
追い詰めるように泉が顔を近づけると青年はやや眉を寄せたが、それ以上の反応はない。
「何のことだ」
「てめえ。堂々とすっとぼけやがるか」
「間違いでもないだろう」
「ああそうだな。仮の名だがな」
これまでの諸々の怒りをぶつけるように迫っていく。近づけば近づくほどに、見上げる瞳の神秘性に強く締め付けられる。
油断すれば引き込まれる──そんな危険をはらんだ瞳だ。
「ベリル・レジデント」
噛みしめるように、ゆっくりと青年の名を紡いだ。ようやくたどり着けた喜びと安堵感に抱きしめたくなるが、以前の返しを思い起こして手が泳ぐ。
ベリルは、よく突き止めたと感心するように泉を見やった。コニーたちの中に、あの特徴で誰だかピンときた奴がいたおかげだ。
しかし泉の瞳は、ついに見つけた安堵だけでなく、複雑な表情を浮かべていた。
「四十九歳には見えねえな」
「よく言われる」
しれっと返しやがると泉は眉を寄せる。
「あんた、本当に不死なのか」
「嘘を吐く利点などあるのかね」
平然と言ってのけた。裏の世界では、もはや公然の秘密なのだろう。調べられる所まで調べた内容だと、二十五歳で不死になっとあった。
つまりは二十四年前に不死になったという事だが、その経緯はなんとも不思議な巡り合わせだなと感嘆する他はない。
広いオーストラリアでたまたま出会った少女が不死を与える力を持っていたなんて、おとぎ話より突飛だ。笑い話にもならない。
こちらとしては、その運命に感謝しなければならないのだろう。そうでなければ、さすがの俺も五十近い奴のケツを追いかける気にはなれない──と、感慨深げにベリルを見つめた。
見れば見るほど食指をそそる。我慢出来ずにキスだけでもと両手を広げた途端、
「ぐぎゃっ!?」
脳天まで突き抜ける痛みに、膝から崩れるように地面に突っ伏し体を震わせた。
「て、てめっ──よくも。この痛みは、てめえだって知ってるだろうがっ」
ひっこんだ。腰、こし叩いて……。
「だからやった」
「鬼かてめえ」
苦しみにうずくまっているというのに、淡々と応えられて涙がにじむ。こいつは思っていたより手強そうだ。
「呼び出したのには他に理由があるのだろう」
静かに問いかけられた泉は、ゆっくりと立ち上がりベリルに向き直った。口を開きかけたそのとき──遠くから響いた爆音に言葉を呑み込む。
「なんだ?」
音の方に目をやると、高いビルの合間から黒い煙が空に上がっていた。
「おいおい」
その光景を呆然と眺める泉は、すぐさま駆け出したベリルに驚きつつもそのあとを追った。すると、バイクにまたがったベリルが泉に視線を送る。
すかさず泉はその後ろに飛び乗り、目的の場所に急行した。
──爆発のあったであろう現場に到着すると、想像していた通りの光景が広がっている。バイクから飛び降りた泉のすぐあとに、ベリルも半ば飛び降りるように止まる。
すでに駆けつけていた消防車が消化剤の準備をしていた。
「そいつじゃだめだ!」
泉は、消化剤を散布しようとした消防士を制止する。
「どうして!?」
「よく見ろ。燃えているのはガソリンだけじゃない」
その言葉に消防士たちは目を凝らす。よく見ると、あちらこちらに薄青い炎が上がっていた。
「メタノールだ」
「なんだって!?」
消防士は手にある消化剤を見直した。持っていたのは泡消化器だ、耐アルコール性の泡消火薬剤でなければメタノールに泡が吸収されてしまう。
消防士たちは慌てて粉末の消化剤と車に積んでいた砂を持ち、炎に気をつけながら散布していく。
軽く見回しても怪我人が十数人はいるようだ。その中で、炎を避けつつ怪我人を運んでいるベリルの姿に目が留まった。
いつまた爆発が起こるか解らない状況の中で的確に動いている。
「は、よくもやる」
感心して再度、よく見回した。見事に道路側だけが破壊されている。そしてふと、道路脇の変圧器に眉を寄せた。
「ここだな」
しゃがみ込み、激しく破壊された変圧器を見つめる。かなりの手練れでなければ、こんな手の込んだ仕掛けを造ることは難しいだろう。
「気に入らねえ」
脳裏に浮かぶ影に歯ぎしりした。
「どうだ」
救急車が到着し、救助を救急隊員に任せたベリルが泉に窺う。
「カクテルだな」
「ほう?」
つまりはメタノールを使った爆弾か。日本では、戦前から戦後しばらくはメタノールを含む変性アルコールを用いた「爆弾」と呼ばれる酒が売られていた。
メタノールには毒性があり、致死量には個人差がある。摂取すると中毒で失明や命の危険があったことからそう呼ばれていたのだが、揮発性が高く注意しなければならない危険物の一種だ。
爆発するシロモノだとは言っても、爆弾にするにはいささかの苦労がある。
「それを差し置いてもメタノールでやりたかったんだろうさ」
悔しげに舌打ちした。多少の落ち着きを取り戻した爆発現場に緊張を解き、立ち上がる。
「E・S・ボマー。知ってるか」
黒く焦げた足元に視線を落とす。
「爆弾魔か」
やはり知っていたかとベリルを一瞥し、現場から遠ざかる。
「ここのところ設置されていた爆弾が気になってな」
「あの一派は最近になって組織された素人集団だ」
ベリルの言葉に目を合わせる。
「そっちも調べていたか」
「お前ほど爆発物には詳しくはなくてね」
そちら方面の見当はつきかねていた。
「奴の居所を調べてオープナーをつけてある」
「ほう」
オープナーとは、指定された対象を監視し、その動向を依頼主に報告する者のことだ。情報を
「確証はなかったがな」
だがそれも、たったいま確信した。
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