◆-四の章-
*困ったひと
泉は無駄に疲れたと足取りを重くして、とあるバーの扉を開く。その店は、華やかな電飾が並ぶ通りから少し奥まった場所でひっそりと営まれていた。
店内に足を踏み入れると、上品な音楽が遠慮気味にスピーカーから流され心地よく耳を刺激する。
「あ~ら、キョウちゃん。いらっしゃーい。元気だった?」
シンプルな青いドレスを着こなした、体格の良い厚化粧の人物が野太い声で泉を歓迎する。伸びる腕には見事な筋肉のラインが走り、そこから続く手は無骨で大きい。
「まあな。その呼び方はやめろ」
乱暴にテーブル席に着くと、不機嫌に店内を見回した。
「ウルフよりはいいでしょ」
「どっちもよくねえよ」
ここは、俗に言うゲイバーだ。カフェスタイルで、実際には店員にゲイと
バーの名は「アタランテ」──名前の付け方に問題はないのかと、店を開くことを友人から聞いた泉は眉を寄せた。
「らしいと言えばらしいでしょ」という彼の言葉に、「それもそうか」と生返事をしたことを今でも覚えている。
この店が泉の馴染みである理由、それはママだけでなく、店員のほとんどが元傭兵や特殊部隊に所属していたことによるものだ。
この店が気に入っているとか、そういうものではない。
気の知れた連中ということで馴れ馴れしい所が若干、気に
注文もしていないのにショットグラスとテキーラがテーブルに置かれ、彼を「キョウちゃん」と読んだここのママだかマスターだかが透明の液体をグラスに注ぐ。
そして、泉の了解も得ず向かいにある椅子を引き寄せて腰を掛けた。
名をコンラッドといい、愛称はコニー。現在、四十二歳。現役時代は陸軍にいて、退役したあとしばらく手配屋まがいの事をしていた。
手配屋とは、要請された数の傭兵を集める以外にも、武器や輸送機などを手配する職業だ。もちろん、
「どうしたの? なんか難しい顔しちゃって」
注がれたテキーラを飲み干し、苦い表情を浮かべる泉に青い目を向ける。
肩までの緩くカールされた栗色の髪を指でいじり色っぽく接するが、泉にはまったく効果はないようだ。むしろ、煩わしく感じていることが彼の表情から窺える。
「ちょっとな」
「あん、冷たいわね。なんでも相談しちゃってよ」
女装する男にはまるで興味のない泉に嫌がらせをするように体を密着させる。
いい加減にしろとコニーを軽く睨みつけたそのとき、泉は背後から聞こえてきた口論に眉を寄せた。
目をやると、すでに出来上がっている男が店員に文句を言っている。どうやら他の店で飲んできている様子、ここでよくもあれだけ暴れられると客に同情すら覚える。
しかしふと、コニーが期待の眼差しで泉を見つめていた。
「おい、なんで俺が」
「いいじゃない。キョウちゃんの格好いいとこ見たいんだもの」
「客がやるより
「強い用心棒がいると思われた方がいいのよ」
「誰が用心棒だ」
いいから早く行けとばかりにあごで示される。ゆっくりしに来たはずなのに、どうして面倒ごとを押しつけるんだと溜め息混じりに立ち上がる。
スキンヘッドの男に近づき、おぼつかない足元を蹴飛ばした。男は当然、バランスなど取れるはずもなく威勢良くすっころぶ。
「なんだてめえ!?」
あまりろれつが回らないながらも、息巻いて転がした相手を見上げたその瞬間、男は見下ろす視線に小さな叫びを引き気味に上げた。
「あ?」
「いや、あの」
猛烈に不機嫌な顔で睨みつけられている。やりすぎたかなと目を泳がせると、泉は無言で元の席に戻っていった。
「まったくもう」
唖然とする男を店員の一人が腕を掴んで立たせてやる。
「わきまえなさいよ」
若干パンクっぽい身なりの男性は、酔いが覚めたスキンヘッドの男をたしなめて座るようにと促す。
「あれで済んでホントよかったわ」
それから男は、この店の店員が元は何をしていたのかを知って身震いし、どうりで目にする店員のガタイが良いわけだと納得する。
しかも客の半数は現役で今し方、止めに入ったのもそうだと聞かされ、無事だった自分の幸運に感謝した。
「面倒なことさせんな」
席に着いた泉は険しい顔でコニーを見やる。
「いいじゃないこれくらい」
「こっちは探してる奴が見つからなくて苛ついてるんだ」
「あら、難しい顔してたのはそのせい?」
それほど執着しない彼が人を探しているなんて珍しいと眉を上げた。
「名前はわかってるの?」
「偽名だろうがスロウン・レイモンドと名乗った」
「見た目は?」
「二十半ばくらいか。金髪のショートに緑の目だ。身長は百七十四か五」
「そしてとうぜん、綺麗な顔」
言われて目を合わせる。
「でなきゃ、そんなに必死にならないでしょ。よっぽど好みだったのね」
無意識に真剣な面持ちになっていたのだろう、コニーは呆れて溜息を漏らした。
ちょっと好みだと思うとすぐに手を出すくせに、本気になった相手はほとんどいないんだから困った人よね。それに加えて、選り好みも激しいんだから。
コニーは、新しく注文したバーボンをグラスに注ぐ泉を見つめて微笑んだ。
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