第23話 アルブクーク動乱・その3
「くっそお、なんて奴だっ!」
ペリスコープをにらみながら、
彼が見ているのは、途中からあらわれた男だった。プラットホームから飛び降りてきたかと思うと、手近なコンテナを抱えて投げつけ、戦車が発射した砲弾を、見事に迎撃してしまったのである。
一度は、戦車に真正面から挑みかかってきたところを跳ねとばしてやったのだが、まるで何事もなかったように起き上がり、ふたたび向かってくる。今度は徹甲弾で、遮蔽物ごと吹き飛ばしてやろうとしたが、動きがあまりに速すぎて、砲塔の自動追尾が追いつかない。
丈昭は舌打ちした。
(どうする!? 超信地旋回でやるか!?)
丈昭の頭を、戦闘教本がかすめた。左右の履帯を逆回転させる急旋回方法。それを応用して、砲塔の回転に戦車自体の旋回を上乗せすれば、敵の動きに一瞬でも合わせられるかもしれない。だが、
(いや、駄目だ!)
丈昭は即座に否定した。そんなことをしたら、戦車が一ヶ所にとどまることになる。四方に散る敵戦士どもがとたんに群がり寄って、あっという間にブレードでばらばらにされかねない。たとえ車体の装甲が保っても、履帯を切断されたら万事休すだ。
だが、男にすべてを任せるつもりか、他の戦士たちは戦車へ手をださずに両者の戦いを見守っている。ということは、敵は相当強いのか。
(あれが上位戦士か!?)
相手の底知れぬ実力を感じて、丈昭は戦慄した。
「
「こっちでは無理です! 砲塔のほうを合わせてください!」
「了解だ!
「やっています!」
照準モニターを最広角に切り替え、同軸機銃を撃ち放って牽制しながら、
「あの野郎! こっちの性能を試してやがる!」
嘉一が憎々しげに怒鳴った。ジェミトの動きが一瞬とまる。
「軸線合った!」
丈昭の命令を待たず、嘉一は砲の発射ボタンを押した。爆音、着弾! だが、その一瞬前にジェミトは跳躍していた。
「その程度か、貴様らの兵器は!」
ジェミトは高く跳躍し、丈昭はペリスコープからジェミトの姿を見失った。
「どこだ!?」
丈昭は周囲を見まわした。しかしどこにもジェミトの姿がない。
ドガン!
砲塔の真上から、何かがぶつかり落ちる音がした。
「何だ!? しまった、上に乗られたか!?」
キューポラを見あげて丈昭は叫んだが、ふたたび、ガァン! という音がして、キューポラハッチの形が歪んだ。へこんだのだ。
「な、何だ……!?」
丈昭が思わず口にした直後、また激突音がして、砲塔の装甲がさらに大きくへこんだ。
車内の三人は、ようやく、何が行なわれているかを悟った。
「殴ってやがる……」
嘉一は、茫然とつぶやいた。背すじを恐ろしいほどの戦慄が走り抜ける。
正面部に比べれば薄いとはいえ、それでも戦車の装甲なのだ。それを殴ってへこませるなどということが、果たして生物に可能なのだろうか?
だが、激突音とともに、みたび装甲がへこんだ。
あまりのことに三人は絶句していたが、さすがに丈昭の立ちなおりは早かった。ペリスコープをにらみつけ、たちこめる黒煙のなかでかいま見える、隔壁の状態を確認する。
「葉山!! 二時方向、全速前進!」
「は!?」
「車体を、隔壁に開いた穴のなかへ突っ込ませろ! 掃き落とすんだ!」
丈昭は、思わず頭上を手で払う仕草をした。
「り、了解!」
慶太は、アクセルをいっぱいに踏み込んだ。水冷ディーゼルエンジンが威勢よく吠え、ギアからシャフトへ、そして動輪へと動力が伝わり、履帯が回転する。
戦車は、全力で隔壁へと走りだした。
「うおっ!?」
突然、進行方向を変えて勢いよく走りだした戦車に、ジェミトは一瞬とまどった。振り落とされまいと、機関銃の支柱をつかむ。
「甘いわ! このまま穴だらけにしてくれる!」
ジェミトは拳をふりあげたが、気配を感じて、戦車の進む先を見やった。
ひしゃげた隔壁が、彼の視界を覆い尽くした。
戦車は、砲の着弾で破壊された隔壁の穴へとつっこみ、周囲を車体でぶち破った。一二・七ミリ重機関銃が、根元からちぎれ飛ぶ。
車外から、獣じみた絶叫が聞こえ、三人は奥の隔壁との衝突のショックで、したたかに体をコンソールへぶつけた。
「……や、やったか!?」
嘉一が鼻を押さえながら、思わず後ろをふりかえった。
「葉山、全速後退! 轢き殺せ!」
「り、了解!」
丈昭の怒声に、慶太はギアをバックへ入れた。もういちどアクセルを踏み込み、奥の隔壁へめりこんだ戦車を後退させて、ジェミトを挽肉に変えようとする。
だが、ぶち破った貨物場の隔壁から出たところで、突然、戦車の後退がとまった。何か柔らかなものにでも乗り上げたかのように、車体が不安定に揺らぐ。
「どうした!」
「う、動きません! 履帯は動いているんですが!」
慶太が叫んだ直後、車体ががくんと揺れて、大きく上へ持ち上がった。
いや、ちがう――と、三人にはわかった。持ち上がったのではない。そうではなくて、これは――
「おい、まさかそんな……」
車内の誰かがいった。
戦車が、さらに跳ね上がる。その下には、体中の筋肉を膨張させ、憤怒の表情を浮かべて、戦車を二本の腕で持ち上げているジェミトの姿があった。
隔壁に激突したときに怪我したのだろう、肩が赤い血で染まっている。
「よ、くも……よくもこのジェミト様に、血を流させたな……!」
彼は激怒していた。生まれて初めての屈辱だった。まさか、このジェミトが戦闘で負傷するとは! 完膚無きまでにたたき潰すはずが、なんという醜態か! 相手が機械を使用しているなど、言いわけにもならない。誇り高き上位戦士に、「負傷」などというものは、あってはならないのだ。
戦車は、盛んに履帯を動かし、砲塔を回転させてバランスを崩そうとしたが、しょせんは無駄なあがきにすぎなかった。
「うおおおーーーっ!!」
凄まじい雄叫びとともに、ジェミトは戦車を内火艇へ投げつけた。全備重量四四トンの車体が、ぶおうとうなりをあげて宙を舞い、内火艇に激突した。
車内は、一瞬恐怖の悲鳴と絶叫に包まれ、それは衝撃とともに苦痛のうめきへと変じた。
三人は、いまやパニック状態だった。こんなことが、本当にあり得るのか! これは悪い夢だ、何かの間違いに決まっている! しかし、強打した体中が送ってくる激痛の信号は紛れもなく本物であり、自分たちがとてつもない危地に追い込まれたということも事実だった。
ただひとつはっきりしているのは、相手は正真正銘の化物ということだ。
「車、車長……」
慶太のうめく声が聞こえた。
「うう……なんてぇ野郎だ……」
丈昭は、頭からの出血を袖で拭い、車内の様子を確認した。
嘉一が、シートから放りだされていた。戦車はいま、腹を上に向けて、左へ横転しそうになっている。完全にひっくり返らないのは、おそらく内火艇の機体が支えになっているからだろう。
エンジンはまだ動いている。履帯も回転している。だが、それが貨物場の床を捉えている様子はない。ということは、車体は内火艇に乗っかる形で、完全に宙に浮いているのだ。
ドガン!
突如、車内に大音響が轟き、彼らは、びくっと身を震わせた。
腹だ。いまは斜めの壁となっている戦車の底部を、敵が殴っているのだ。
彼らはみな茫然と、つづいて轟く衝撃音を聞いた。装甲がぼこりとへこむ。
上面装甲を殴ってへこませることのできる相手だ。いちばん弱い腹の装甲を攻められたら、ひとたまりもないだろう。
「川内、砲塔を……砲塔を動かせ! 姿勢をたてなおすんだ!」
丈昭は命じたが、まもなく嘉一から、絶望に打ちひしがれた応えが返ってきた。
「……だめです。砲塔駆動系、反応ありません。作動不能です!」
さらに衝撃音が轟き、ついに拳が装甲をぶちぬいて、車内へ飛び込んできた。
彼らは、魅入られたように、その光景を見つめていた。拳は、いったん開かれ、それから何かをつかむように握られて、外へと引っ込んでいった。
だが、穿たれた小さな穴へ、すぐに両手の指がかけられ、指の筋肉に力がこもるのがわかった。
敵は、装甲を引き裂いてなかへ侵入するつもりなのだ!
「車長、いまの音はなんです!? そっちで何が……!」
慶太の震える声がヘッドセットから伝わった。操縦室からでも、何かとても異常なことが起こっているとわかったのだろう。恐怖を必死に押し殺そうとしている声音だった。
丈昭は、ぼうぜんと嘉一の顔を見た。まだ若い部下なのに、まるで幽鬼のような表情だ。
いまや、我々は絶対の死に直面している。それは骨身が潰れるほどに苛烈な実感だった。ここまで全力で戦いぬいて、打つ手はもはや、何もないのか? ここですべては終わるのか?
丈昭はどうにもならない悔しさに歯噛みして、視線を落とした。
その瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
「……!」
しばらく顔を伏せていた彼は、やがて静かにつぶやいた。
「川内、そっちのハッチから、おまえ脱出できるか?」
「……ちょ、ちょっと待ってください」
奇妙におちついた丈昭の声に、嘉一は自分のハッチを開けてしばらくもそもそと動いていたが、ややおいて返事が返ってきた。
「隙間がありますから、なんとか出られると思います」
「葉山、お前はどうだ?」
「……いけます、こっちはかなり余裕があります」
丈昭は、一瞬天を仰いだ。目を閉じ、すぐにまた開いた。
「……よし。川内、スモーク展開! 奴に目くらましだ!」
「は、はい!」
嘉一は、壁のコンソールを探り、煙幕弾の発射ボタンを押した。
内火艇に潰されるのを免れた右側の発射筒から、煙幕弾が射出された。貨物場の壁に跳ね返り、戦車の周囲を煙幕が覆い隠していく。
丈昭は嘉一から、たった一発残っていた手榴弾を受け取った。
かわりに、ガンボックスから折り畳み銃床の八九式小銃を取りだし、嘉一に渡した。
「おまえらは、各自ハッチから脱出しろ。外に出たら、できるだけ車体から離れるんだ。この防護服の性能なら、他の敵からは、なんとか逃れることができるかもしれん。煙幕と、爆発の煙もあるしな」
「……車長はどうするんです!?」
「ここで奴を仕留めんことには、逃げられるものも逃げられなくなる」
「し、しかし!」
「これは、命令だ」
有無をいわせぬ口調だった。
「俺はきっかけをつくるにすぎん。おまえらだって、生きて奴らの囲みを突破できるかどうか、わからんのだぞ。……葉山、以後の指揮は任せる。特災対の連中となんとしても合流して戦果を確認、のちアルブクークを脱出しろ」
「了解。……遊佐一曹、ご武運を」
「し、しかし、車長!」
なおもごねようとする嘉一に小銃を押しつけると、丈昭はむりやりハッチから追いだした。
それから、ふたたびガンボックスを開け、手榴弾を四発取りだす。
これからやることを確実に行うためには、最初の爆発力をできるかぎり上げておかねばならない。
金属のひしゃげる異音が車内に響く。丈昭は、破れていく装甲を一瞥すると、いまは床となったコンソールの上へすわった。
ふたたび、視線を下へ落とす。
砲弾が、いくつか転がっていた。ジェミトに放り投げられた衝撃で、自動給弾装置から飛びだしたのだ。
車内に散乱する砲弾を車内弾薬庫の前へ集めると、丈昭はうち一発を腕に抱いた。弾頭部を車内弾薬庫に向け、手榴弾はベルトでまとめて、砲弾の底部に固定していく。
二〇発もの戦車砲弾がうまく誘爆すれば、敵艦にもかなりのダメージを与えることができるだろう。そこから先は、彼の知ったことではない。
ふと、家族のことが脳裏をよぎった。彼の両親は、カトマンズにいる。父親が農業指導の仕事をしており、自衛隊に勤める彼を日本に残してふたりが旅立ったのが、もう一〇年近くも前のことだ。私掠軍との戦争がはじまってからは、各国間の通信は軍事回線だけになっており、安否は確認できていない。
だが、ネパールは空間破砕攻撃を受けなかった数少ない国のひとつだ。おそらく、ふたりとも無事でいるだろう。
ついに装甲が破られ、ジェミトの顔がのぞいた。怒りにまみれ、血で汚れた顔だ。
醜悪だ、と丈昭は思った。
手榴弾のピンをいっせいに引き抜く。かすかな音とともに、手榴弾は白煙を上げはじめた。
「ひ弱な種族にしては、よくやったと誉めてやる。この俺に殺されることを光栄に思うがいい」
獲物を前に、ジェミトは己の勝利を確信した。装甲を一気に引き破り、一歩、脚を車内へ踏みだす。
「あばよ、化物」
丈昭は、笑った。
艦が胴震いするように激しく揺れ、
「ずいぶん、派手にやってるな、旦那も」
つぶやいてから、コンソールに張りついているレアーレの肩をたたく。
「どうだ?」
「……オーケーだよ。あと二分もすりゃ、“スクード”が砲撃をはじめる。……そうなりゃ、もう誰にも止められやしないさ」
哲夫に背をむけたままのレアーレの声は、沈んでいた。ときおり、肩が震える。涙がとまらないのだ。
「姐さん……俺は、姐さんの死に水を取りに、ここまできたんじゃないんだぜ……」
涙が、コンソールにひとつぶ、ふたつぶ落ちて、小さな水溜まりを作っていく。
哲夫は、サングラスの下のまなこを曇らせた。
ややおいて、刀を抜き、
「いくぜ、結衣ちゃん」
だが、結衣は不安げに瞳を震わせると、哲夫の不精ひげに包まれた顔を見あげた。
「
「結衣ちゃん。
「だ、だって!」
「聞き分けのないことをいうな」
腹の底に力をこめ、低くうなるような声音で、哲夫はいった。
どすの効いた声に、結衣はびくっと身を震わせて、哲夫を見つめた。
だが、そのときにはもう、哲夫はいつもの柔和な声に戻っていた。
「さあ、いこう。……レアーレ、脱出するぞ!」
「ああ……」
レアーレは、ぼそりと応えた。コンソールを離れ、結衣の背を押す哲夫についていく。
彼はしかし、ふいに足を止めた。
コンソールのそばに横たわる、リーチェの遺骸へふりかえる。
両手を胸のうえで組み合わされ、口元の血を拭われたリーチェは、まるで眠っているような安らかな表情で、ひっそりと横たわっていた。
「……哲夫、先いっててくれ」
レアーレは、ぽつりとつぶやいた。
「レアーレ?」
哲夫は、いやな予感がした。――まさか、こいつ、あとを追うつもりじゃ――
「安心しな。あとから、かならず追いかけるからよ」
声音で察したのだろう、哲夫の心を見透かしたように、レアーレはいった。
「……わかった。なるべく早くこいよ」
哲夫は応えると、結衣を急かして砲撃管制室を出ていった。
ふたりの足音が遠ざかっていくなか、レアーレは、じっとリーチェを見つめた。ゆっくりと腰をおろして膝をつき、正座するように、リーチェの傍らにすわりこむ。
「姐さん……」
レアーレは声をかけた。
返事はない。
「…………」
この五年のあいだ、リーチェは、ずっと彼のそばにいてくれた。空間破砕攻撃による大変動のなかで、両親を失い、とほうに暮れて、廃墟と化した王都をたったひとり、とぼとぼとうろつき、断続的に襲いくる大地の鳴動に怯えていた彼を見つけて、助けだしてくれた人だった。以来、リーチェは彼の母親代わり、姉代わりとして、いつでも彼のそばにいてくれたのだ。
「姐さん。……俺、姐さんのこと、大好きだったよ……」
レアーレは、リーチェの髪に手を延ばした。
バンダナをそっと外して、自分の頭へ巻きつける。
そして、静かに立ち上がった。
「さよなら、姐さん」
レアーレは、リーチェに敬礼した。
しばらく、そのまま姿勢を正していたが、やがて、ざっときびすを返すと、砲撃管制室をでて走りだした。
けっして、後ろは振り返らなかった。
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