第15話 敵の艦《ふね》へ

 モナルキア号が破片世界を脱して、一週間。

 彼らは、まだ地球に還されてはいなかった。


 リーチェが約束を反古にしたわけではない。『世界』の完全消滅に巻き込まれたモナルキア号の損傷は、思った以上にひどかったからである。


 三〇分間もの全力運転を強いられたエンジンは、通常出力に戻したときには融解寸前になっていた。もちろん整備と調整が必要だったし、無理な姿勢での着陸や強引な操船、熱と爆風のために船体の傷みもひどく、とても地球までの航海を乗り切れる状況ではなかった。


 そのため、リーチェはしばらく現海域に停泊し、モナルキア号の修理にかからせたのだ。


 リーチェの言葉を借りれば「条件の一方的な上積み」になるのだろうが、彼らが修理に異を唱えるはずはなかった。それさえすめば、彼らはやっと地球へ還れるのである。


 もちろん、還りついたところで、廃墟のなかを駈けずりまわる日々が再開されるだけのことだ。希望を喚起するなにものも、今の地球には望むべくもない。

 それでも、地球は彼らのたったひとつの拠り所だったし、なにより彼らの仲間が、肉親がいるのである。自然と心が弾むのも、当然といえるだろう。


 それに、これまでに収集した貴重な情報も持ち帰る必要がある。徹底的に分析し、戦いの趨勢をなんとかひっくり返すために。


 なかでも戦車乗りの三人は、この一週間、ほとんど機関室に篭もりきりになっていた。


 モナルキア号の機関室は、粒子海洋航行用のエネルギーを封入したプライマリー・ドライヴを収容するために、三層分が吹き抜けになっている。出入口のある二階部分には、作業用のプラットホームが張りめぐらされ、そこからタラップで一階へ降りることができた。


 一階では、慶太けいた嘉一よしかずが動力生成用のエンジンからのびるパイプの前にうずくまり、外板を取りはずしているところだった。

 迷彩服の代わりに着込んだ船内作業服は、埃にまみれてすっかり汚れている。


「車長、二番チェンバーの外板はずれました」


 嘉一が口元に手をそえて、プラットホームに立つ丈昭たけあきへ叫んだ。


「動力は?」

「こっちのほうは安全弁がかかってます」


 嘉一の返事を聞いて、丈昭は壁の船内通話器を取りあげ、回線をブリッジにつないだ。


大垣おおがき、そっちの命令系も完全にブロックしたな?」

『だいじょうぶだ。安心して作業にかかってくれ』

「了解。……ふたりとも、なかに入っていいぞ! 放熱はすましてあるが、気をつけろよ」

「了解」


 慶太はやや疲れていたが、それでも張りのある声で応えると、チェンバー内にもぐりこんだ。

 取りはずされた外板は初めから整備用のもので、人ひとりが中に入れるくらいのスペースは確保してあった。というより、このエンジンの設計者は、構造上そうなるところに整備孔を選んで空けたのだろう。


川内かわうち、そこの検波器貸してくれ。三番のやつ」


 慶太はライトで内部を照らしながら、外の工具箱を指で示した。彼の手はここ数日の作業ですっかり油がしみ、黒ずんでいた。

 嘉一は検波器を慶太に渡してから、自分も顔をなかにつっこんだ。


「そっちでどれくらいかかります?」

「ちょっと待ってくれ、このへん配線がややこしくて……チッ、このへんのセンサー類、やっぱり焼きついてやがるな……」


 半ば炭化している受電素子を指で弄びながら、慶太は顔をしかめた。交換用の部品がそのへんに転がっていれば楽なのだが、どうせまた船倉から取ってこなくてはならないだろう。


 戦車に搭載されているディーゼルエンジンの修理なら訓練や実地で何度もこなしてきたが、船のエンジンをいじるなど初めてのことだ。しかも、こいつは普通の船ではなく、どちらかといえば宇宙船に近い。脳注入された知識がなければ、とうてい太刀打ちできなかったにちがいあるまい。


「整流系はいけるか……川内、そこの検査用のミニコンを……」

「どうだ?」


 下に降りてきた丈昭が聞いた。


「ここはセンサーの交換だけで何とかなりそうです。四時間もあればいけるでしょう。もっとも、プライマリー・ドライヴには手を出せないし、あとでこいつ単体で動かしてみないと、何ともいえませんが……」

「そりゃ、大垣の仕事だな。そいつも伝えとくか」


 丈昭は、エンジンの図面が表示されたデジタルペーパーに、つづいて慶太があげていく交換用部品の名前を書き込んでいった。


「通常炉の電力だけだと、どうしても足らんな……早いとここいつに火を入れんと、そのうちローソクで生活することになるぞ」


 丈昭は巨大なエンジンを見上げた。

 プライマリー・ドライヴからエネルギーを取りだし、動力として稼働させるこのエンジンは、船に推進力を供給するのみならず、送電系とも接続して、モナルキア号の主電源となっている。

 だからエンジンが動かないと、あとは非常用の燃料電池と、通常炉と呼ばれる補助用の電子タービンしかない。必要量の六割ほどしか発電できないが。


 異常が発見された箇所の大半はすでに修理を終えていたが、まだあと二箇所、これから見なければならない所が残っている。これも部品の交換だけですむことを、彼は祈った。


「まあ、一両日中にはすべて完了しますよ。あとは船体の補修が終わってくれりゃ、地球へ還れます」


 慶太は整備孔から顔をのぞかせて、丈昭にうなずいてみせた。

 これが終われば、地球へ戻れる……慶太は、もうリーチェの言葉を疑うことはしなかった。


 このあいだ見た、『世界』崩壊の光景。「想像を絶する」とは、まさにあのことをいうのだろう。乱気流と放電現象、幾千にも重なりゆく凄まじい核爆発の輝き、熱線と衝撃波……。実際、よく助かったものだ。


 そして、あれが間近に迫っていたというのに、リーチェは自分で歩けない貴音に肩を貸して、いちばん最後に船へ乗ったのである。


私掠しりゃく軍にも、武士道や、敢闘精神に近いものがあるのかもしれないな……)


 慶太は、そんなことを考えはじめていた。


 奔走していたのは、もちろん彼ら三人だけではなかった。哲夫てつおは、ブリッジで付近の粒子流の監視、各員への連絡中継、停泊ポイントの定期確認、復旧確認のための各モジュールごとの試運転、ブリッジからの各修理作業の支援など、やることが山のようにあったし、結衣ゆいは全員の食事を作るのと身のまわりの世話とでてんてこまいだった……他の時間は、リーチェの手伝いとやらで、コンピュータ室に入り浸りだったが。




 そして、ブリッジ下部にあるエアロックの手前で、貴音たかねもレアーレとともに、船外作業用の防護服を身につけていた。


 防護服といっても、たとえば消防が備えている化学防護服や、あるいはNASAの開発した宇宙服のような無粋なスタイルではない。酸素供給装置やバッテリー、外部とのコネクタ類はバックパックの形で非常に小型化され、危険防止のために薄い装甲までついている。動きやすいようシルエットも洗練された、機能的な鎧のようだった。


 だが、もっとも大きな違いは、ヘルメットがないことだ。

 電磁気工学によって、着装者の周囲には微弱なバリアが張りめぐらせてあり、バリア界面では一定以上の大きさの分子は簡単には漏れないようになっている。そのため、たとえ着装者が粒子海洋へただようことになっても、呼吸に必要な空気だけは防護服の周囲から吸いだされることはない。


 防護服を着ているかぎり、使用者はつねに直径数メートルの空気の繭の中心にいることができるのである。


 貴音は腰に手をやり、防護服の電源を入れた。ピ、ピ、と音がして、AIが自己診断をはじめる。

 まもなく“問題無し”のモードが点いた。


「どこをするんですって?」

「甲板と右舷は、もうやっちまったからな。あとは左舷の横と後ろと……明日は船底をやるぜ」


 レアーレは手足を屈伸させ、防護服を体に慣らした。


「船の装甲を伝わりゃ、横だろうと下だろうとちゃんと歩けるけど、踏みはずすのだけは注意しろよ。この服の性能じゃ、粒子流の干渉までは防ぎきれないからな。粒子流の支流なんて、どこをどう流れてるか知れたもんじゃねえんだから……うかうかしてたら、文字どおり塵になっちまうぜ」

「わかったわ」

「そんじゃ、かかるとするか」


 レアーレは、一度うんと伸びをすると、工具箱と溶剤の入ったチューブを小脇にかかえた。

 貴音も、大きなラミネートシートのロールを持ち上げた。船体の補修用に使われる特殊なもので、重さは一本で一二〇キロもある。


 もちろん、貴音が生身で持ち上げられるような代物ではない。防護服に内蔵された、動作支援システムによるものだ。


 強化外皮――レアーレが得意げに語ったところによれば、着装者の筋電流をひろいあげ、その動作をトレースすることによって、筋力を支援するのだそうだ。


 地球でも義手などでは実用化されているが、防護服の大きな特徴は、これを機械的に支援するのではなく、服の繊維にそうした機能を持たせている点にある。


 もっともレアーレのほうは、自分の着ている防護服の支援システムを作動させてはいなかった。よほど重いものを持ち上げるのでもないかぎり、レアーレやリーチェには必要のない機能だった。


 レアーレは船内通話器をとり、ブリッジと回線をつないだ。


「ブリッジ、こちら二番エアロック。これから外に出るから、フォロー頼むぜ」


 通話器から、哲夫の声が返ってくる。


『了解。結衣ちゃんが「今夜のご飯には自信がある」っていってたからな、がんばって腹へらしてこいよ』

「ほんとかよ! 楽しみが増えたって伝えといてくれ。姐さんの手料理じゃ、保存食とどっこいだからなあ」


 レアーレは、瞳を輝かせて本当に嬉しげに応え、通話器からは爆笑が返ってきた。

 貴音も小さく笑った。まだまだ子供のレアーレは、一人前を気取ってはいるが、それでもときおり、年令にみあう「らしさ」が顔をのぞかせる。

 きっと、私掠軍でさえなければ、可愛い弟のようにも思えたのだろう。


 回線を切って、ふたりはエアロックへ入った。内殻が閉じ、外気圧と同じ圧力にまでなかの空気が抜かれていく。無論、ふたりとも防護服のおかげで減圧は感じない。


「あんまり無理しなくってもいいんだぜ、貴音ねえちゃん。脚、まだ治ってねえんだろ?」

「もう平気よ。それに、身体を動かしていたいの。そのほうが気がまぎれるし……」


 貴音は、あいまいに首を振ってみせた。

 不思議なことに、彼女はレアーレに親しげに話しかけられても、少しも腹が立たなかった。


 外殻が開き、ふたりは甲板へでた。左の舷側まで工具を運び、甲板上のフックに命綱を固定する。

 ふたりは、舷を横に歩いて降りていった。


「……あの人、さ……最近出てこないけれど、どうかしたの?」

「あの人って?」


 レアーレは貴音をふりあおいだ。


「……あなたの、姐さんよ」


 貴音は、なんとなくレアーレの顔をまともに見られなかった。


「ああ。姐さん、最近コンピュータ室にこもりっきりなんだ。“スクード”にちょっと書き替えしなくちゃならない部分があるって」

「そう……」


 貴音は力なく応えると、漆黒の空間を見あげた。

 生の瞳で見る粒子海洋は、漆黒のなかをときおり光芒が流れて薄く煌めき、互いに錯綜しあっている。

 まるで、液体でできたネオンサインが、離れたりくっついたりしながら、粒子流のなかを自由気ままに泳ぎまわっているかのようだった。


 貴音は、自分の身体も意識も、この奇妙な蛍火のただよう果てしない異空に吸われて、消えてしまいそうな気がした。


「まるきり宇宙空間というわけじゃないのね、粒子海洋って……」


 幻想的な光景を見つめたまま、ぽつりとつぶやく。

 粒子海洋は、宇宙のような真空にちかい希薄空間ではない。〇・六気圧ほどの大気が充満し、粒子流に乗って渦を巻いている。ただ、呼吸には適していないだけのことだ。


「どうりで、地球から放りだされたとき、身体が破裂しなかったはずだわ……」


 貴音は、これまでのことをぼんやりと思い返していた。

 愛する人を奪われてから今日まで、私掠軍に復讐することだけを心の支えにして生きてきたはずなのに、未だにリーチェに何もできないでいるのは何故だろう。


(わたしが何もしないのは、ほんとうに結衣や仲間のためだけなんだろうか)


 破片世界を脱してからというもの、貴音の思いは、いつもそこにたどりついてしまうのだ。


「ほらほら、ぼうっとしてんじゃないぜ。仕事はたっぷりあるんだからさ」


 貴音の心境にはいっこう気がつかず、レアーレが急かした。


「ええ」


 貴音はうなずいた。そのほうが気楽だ。それに、身体を動かしている間は思い悩まなくてもすむだろう。

 まだ右足に痛みは残るが、貴音は船の修理に専念しようと思った。


「あったあった。これだよ」


 レアーレは装甲のめくれあがった箇所を見つけた。

 ここの内側にある通路が、脱出のさいに空気漏れを起こしたのだ。さいわい、自動的に隔壁が下りたのでたいした影響はなかったが、それでも破片世界崩壊時の核爆発の熱線に曝されつづけていたら、内壁の融解が起きていたかもしれない。


「えーっと、こっから……ここまで、焼き切るからさ。切った跡をシートで覆ってよ」

「これ、応急用のラミネートでしょ? 保つの?」

「あたりまえさ。触れれば柔らかいけど、このシートは鉄より頑丈なんだぜ」


 レアーレは、切断する部分にマーカーで線を引くと、工具箱からレーザートーチを取りだした。電源を入れて出力を調整し、船殻の焼き切りにかかる。


「残念だなあ。みんな残ってくれりゃあさ、けっこう楽しく暮らせるのに……」


 つぶやいたレアーレの声音はすこし寂しげだったが、貴音はなにも応えなかった。


「……なあ、ホントにさ、この船に残る気、ないのかい? どうせ、いったんは地球へ還さなくっちゃいけないけど、もし俺たちが戻ってきたらさ。もういちど、この船に乗らねえか?」


 レアーレは遠慮がちに、けれど思いつめたように言った。


「船に乗ってさ、あちこち渡り歩くってのは、すっごく楽しいんだぜ! 今まで一度も見たことのない『世界』へいってさ、旅してまわるんだ。仲間は多いほうが楽しいよ。そうだろ?」

「わたしたちに、私掠軍の仲間になれっていうの」


 やっと口を開いた貴音の声音は、堅かった。


「ちがうよ! そうじゃなくて……」


 レアーレはあわてて首を振った。


「私掠軍は、俺たちもうすぐ廃業する予定なんだ。うまくいけば、だけどさ」

(廃業……?)


 意外な言葉に、貴音はレアーレの顔をまじまじと見つめた。私掠軍の組織というのは、そんなことができるのだろうか。

 しかしレアーレはあまり言いたくないのか、貴音が口を開きかけるのを見てすぐに言葉をついだ。


「だ、だからさ! その後でだよ。俺たちが私掠軍でなくなったら、そのあと……俺たちと一緒に旅しねえか?」


 せっかく調整したレーザートーチのスイッチを切り、レアーレはすがるように貴音を見あげた。何かを必死に訴えかけるような、熱を帯びた瞳だ。


 少年らしいひたむきな視線を向けられ、貴音はひどくとまどった。

 この男の子の希望を打ち砕きたくないと、そのとき一瞬でも思ってしまったことが、貴音には我ながら不思議でならなかった。私掠軍を今さらやめようとどうしようと、彼らがこれまでにやってきたことが消えるわけはないのだ。


 ましてや、失われた人の命が還ってくるわけでもない。


 それを、「私掠軍をやめるから」という理由で、やすやすと許すことができるだろうか?

 いいや。そんなことは不可能だ、絶対に。

 そんなことをすれば、いったい今まで何のために、地べたをはいずり回るようにして闘いつづけてきたのか、わからないではないか。


「…………。そういうわけにはいかないわよ。結衣だって、家で待ってる親御さんがいるし……だいいち、他の人を見捨てて逃げるような真似、できやしないわ」


 貴音は、心のなかでかすかに湧いた――湧いてしまった――罪悪感を黙殺した。


「……そうか……。……ま、そりゃそうだよな。帰るところがありゃ、帰りたがるのが人情ってもんだよな……」


 レアーレはうつむき、気落ちしたように肩を落とした。

 しばし、黙ってうつむいていたが、やがて未練を切り捨てるように、トーチの電源を入れなおす。


「いいや、まあ……でも、この一ヵ月ばかり、けっこう楽しかったよ。手伝ってくれるから、楽もできたしさ、へへっ」


 右の人差し指を鼻の下にこすりつけ、にかっと笑うと、レアーレはそれ以上何もいわず、船殻の切断をはじめた。






 左舷の修理をすべて終え、ふたりが船内へ引きあげたのは、それから六時間もたってからだった。

 貴音は、シャワーを浴びて汗を洗い流すと、舷側にそって緩やかなカーヴを描く通路を自室へと歩いていた。


「あら貴音、ちょうどよかったわ」


 その声に、貴音はふりむいた。

 かすかに隈の浮かんだ顔をして、リーチェが立っていた。


「リ……!」


 貴音は、名前を呼びかかった口を閉じ、目を伏せた。


「……なにか用?」

「用があるから呼んだんだよ?」


 リーチェは苦笑した。


「これ、返しとくわ。みんなで適当に分けて」


 リーチェは、持っていた巾着袋を貴音に押しつけた。

 貴音はあわてて受けとったが、袋には何か硬いものがたくさん入っており、ずっしりと重かった。


「それから、これもね」


 いたずらっぽい瞳をして、リーチェは貴音の目の前で、小さな瓶を振ってみせた。


「哲夫に返しといて。ちょいと飲んじゃったけどね」


 貴音に手渡されたそれは、ウイスキーのポケットボトルだった。


「どこの『世界』にも、酒だけはあるもんだね。アルコール分がちょいとばかし物足りなかったけど」


 リーチェはにやりと笑い、貴音を追い越して通路のむこうへ歩いていく。

 その後ろ姿を目で追いながら、貴音はなにげなく巾着袋を手でまさぐった。


 瞬間、貴音の視線は巾着袋に吸い寄せられた。

 もういちど、今度は注意ぶかく手触りをたしかめる。

 異様に硬いものが入っていた。ふたつか、みっつ。他にも棒状のものと、丸いものがいくつか……それぞれ五、六個くらいはあるだろうか。


 貴音の背すじを、戦慄が走り抜けた。

 いま、この手で感触をたしかめているL字型をしたものは、もしかしたら……。

 結われた紐をいそいでほどき、袋のなかをのぞきこむ。

 身体が、ぎくんとこわばった。


 入っていたのは、拳銃と予備弾倉、それに手榴弾だった。


 最初にこの船へ収容されたとき、船倉でリーチェが腰から引き抜いた9ミリ拳銃。丈昭たちが没収されていた武器だ。

 少なくとも一丁はリーチェが握り潰したはずだが、ちゃんと使用可能な状態のものが三丁、つまり丈昭たちの人数分、たしかに放りこまれていた。


 貴音は、ふたたび通路に視線を走らせた。リーチェは、まだそこにいる。通路を奥へと歩いていくが、疲れているのか、脚運びはずいぶんとゆっくりだ。まだ数メートルと離れていない。


 貴音は予備弾倉を確認した。弾丸は、入っていた。すべての予備弾倉に。さらに拳銃をつかみ取り、挿入済みの弾倉を震える手で引き抜いた。

 こちらも、弾丸は入っていた。九ミリパラベラム弾が九発、弾倉いっぱいに。


 貴音は愕然として、その信じられないものを見つめた。

 こんな馬鹿な! なぜ袋にこんなものが!? なんとか取り返そうと思っていた武器を、私掠軍がみずから返してきたとは、いったいどういうことだ!


「こんな……!」


 喉の奥から、うめくような声が漏れる。どうにも理解できぬリーチェの行動に、思考がうまくまとまらない。


 だって、彼女はしょせん、私掠軍ではないか! 我らの敵ではないか! それなのに、どうして武器を返却する?

 彼女にとっても脅威だからこそ、最初に取り上げたのではなかったのか!?


 貴音の意識は、ほとんどマヒ状態だった。もしかしたら、その瞬間息をすることさえ忘れていたかもしれない。

 いくらなんでも、いま自分たちが侵攻している敵世界の住人へ、せっかく奪い取った武器をわざわざ返すものがいるだろうか? それも、潰したものを再生してまで!


 だが、リーチェは現に返したのである。


 数瞬、貴音の目は手のなかにある拳銃へと吸い寄せられていたが、やがて視線がみたび、リーチェの背中へと向けられた。


(……馬鹿にして……!!)


 貴音の心に、激しい怒りと憎悪の念がわきおこった。


 あの女は、わたしに撃てないと思っているんだ……研究所の地下で助けてやったから、自分にはもう手出しができないと思っているんだ。あれですっかり懐柔されたから、自分を殺すことなんて、もう無理だと思っているんだ……!!


(そうに決まっている!……よくも、よくも……!)


 目のくらむような悔しさに、貴音はぎりぎりと歯噛みした。


 リーチェを憎むことに迷っていた自分への情けなさ。子供とはいえ、人殺しの仲間にすぎないレアーレを拒絶したことに、罪悪感を感じてしまったふがいなさ。

 そして、そんな心の弱いありさまだから、残虐な敵にここまで舐められたのだという厳然たる事実。


 それらすべてが、心の奥底に沈んでいた憎悪を激発させた。


 貴音は、袋を静かに床へおろした。

 音をたてないように細心の注意を払いつつ、拳銃の遊底をスライドさせて弾丸を薬室へ送り込む。

 銃把を両手でしっかりと握りしめ、去りゆくリーチェの背中へ銃口をむける。


 リーチェの背は、まったくの無防備だった。こちらをふりかえることもなく、かけらほどの警戒もしていない。

 それが、貴音の神経をさらに逆撫でした。


 もはや仲間たちの存在などは、貴音の頭から消し飛んでいた。


(見てなさい……この手で、あなたを殺してあげるわ。少しばかり恩を着せていい気になってるあなたは、背中から撃たれるくらいがちょうどいい死に様よ!)


 貴音は撃鉄を引き起こし、右手の人差し指をトリガーにかけた。脚を大きくひろげて安定姿勢をとり、弾丸がけっして外れないよう、照星を注意ぶかくリーチェの背中に合わせる。


 心臓の鼓動音が、耳元でやけに大きく響き、貴音はごくりと唾を飲んだ。手のひらがじっとりと汗ばんでいるのがわかる。呼吸も、荒く乱れていた。


 少しずつ絞るように、指先でトリガーを引いていく。リーチェとの距離は一〇メートルたらず。一撃必殺の距離だ。


(さあ、死になさい……私掠軍の化け物!)


 すべての憎しみを――すべての恨みをはらしてやる。この引き金を引けば、あの女は死ぬんだ。いいや、一発だけじゃまだ足りない。弾倉の九発を全弾ぶちこんで――


 貴音は、引き金を引いた。

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