第14話 女たち、地下にて・その3


「また地震だぞ」


 背すじをざわつかせる大地の鳴動。哲夫てつお丈昭たけあきは、激しい揺れになかば四つんばいになっていた。


 さいわい、周囲はすべての建造物が倒壊したあとなので、今さら彼らの上に落ちてくるものは何もない。だから、直接生命の危険に晒されているわけではなかった。


 だが、先ほどの黒いしみは、すでに天空の三分の一ちかくを呑み込んでいた。注意ぶかく観察すれば、はるか遠くにのびる地平線も、すこし近づいてきていることがわかったろう。


 哲夫は、ぼんのくぼにぴりぴりするものを感じた。地鳴りは相変わらず続いている。今度は、揺れもおさまりそうにない。


「なかの施設が、埋まったりはしないだろうな」


 つねに飄々としている彼も、さすがに不安を隠しきれなかった。


「耐震設計は万全だといっていた。このていどなら普通の地下街でも保つさ」


 気休めにしかならないだろうが、丈昭はそう言ってやった。それから、無線器を取りだしてがなる。


葉山はやま! モナルキア号はまだか!」


 やや間をおいて、返事が返ってきた。


『……あと二〇分はかかるそうです』


 丈昭は、天に向かって呪いの言葉を吐いた。


「急がせろ! それと、地中のふたりに車載無線で連絡が取れないか? そっちのほうが大出力のはずだ」

『モナルキア号との回線が途切れますが……』

「こっちには向かっているんだ、やむをえん。リーチェたちを呼びだしてみてくれ」

『了解』


 丈昭は回線をそのままにして、ふたたびあの黒いしみを見やった。

“しみ”と呼ぶには、もはやあまりにも大きすぎる闇だったが。


「地獄の底ってやつだな……」


 彼は、ぽつりといった。


「たしかに、こんなもんを兵器にできれば、『奴隷か死か』なんてでかい口も叩けるってわけだ……」






 ドドドドド!


 地下では、大地の揺らぐ鳴動が不気味に反響していた。壁から天井へ、ばりばりと音をたてて亀裂が走ってゆく。


 激しい揺れに翻弄されながら、リーチェと貴音たかねはコンソールにしがみつき、かろうじて身を支えた。モニター画面が乱れ、バッテリーやブリーフケースが床をすべる。貴音はバッテリーへ手をのばし、コンピュータと接続した電力投入用のケーブルが外れないようにした。


 貴音は、もはや気が気ではなかった。天井から、髪や肩へ粉塵がぱらぱらと降りかかってくる。ふりあおぐと、天井はいまにも崩れ落ちそうで、彼女は思わずぞっと身を震わせた。


 これでは間に合わないのではないか? 自分はここで、大量の土砂に押しつぶされて死ぬのだろうか? だが、たとえどんなふうに人生を終えるとしても、この女と心中するなんて絶対にごめんだ。


「あとどれくらいかかるの!?」

「もう終わる!」


 貴音の声に、リーチェが叫んだ。そのとき、モニターが画像を乱れさせながらもプログラムコピー終了のサインをだした。


「終わった!」


 彼女はドライブのボタンを押し込み、飛びでた記憶素子をひっつかんだ。


「ずらかるよ! 器材はいい、ほうっときな!」

「いわれなくったって!」


 ふたりは階段を駆けあがり、部屋から脱兎のごとく走り出た。真っ暗な通路をライトで照らし、懸命にもときた道を急ぐ。地鳴りの轟音と、ふたりの靴音とが通路にこだまし、激震に舞い上がった埃が、ライトに照らされて踊った。

 リーチェは、走りながら腰から無線器をつかみ取った。


「哲夫、慶太けいた! どっちでもいい、聞こえるかい!?」


 マイクに叫んでみたが、やはり電波が届く距離ではない。空電の音が聞こえるだけだ。

 いや。かすかだが、たしかに男の声が洩れ聞こえてくる。


『リーチェ船長、応答し…………こえますか……』

「慶太かい? モナルキア号はどのへんだ!」


 リーチェはふたたび叫んだが、返答はなかった。慶太の再度の呼びかけが聞こえるだけである。

 慶太の使う車両用の無線機とはちがって、リーチェの携帯無線器では出力が弱いのだ。この深さでは、受信はできても送信はむずかしかった。


『……長! モナルキア号が来ました!』


 慶太の歓声が、無線器から洩れた。


「モナルキア号!?」


 貴音が反応した。


「来たの!?」

「らしいね、こっちに言ってるんじゃなさそうだけど」


 さすがにほっとしたようなリーチェの声だった。通話モードを受信のみに合わせ、彼女は走りながら貴音にふりむき、檄を飛ばした。


「さあ早く! もうちょっとで抜けられるよ!」

「わたしは」


 あなたの部下じゃない、と貴音が叫び返そうとした瞬間、


 ドドン!!


 巨人のハンマーにぶん殴られたような猛烈な衝撃が、通路全体に襲いかかった。

 ゴムチューブがくねるように通路が波打ち、貴音は突然足場がなくなったように感じた。床がめくれあがり、一瞬宙に浮いた貴音の足をとらえる。


「あっ……!」


 貴音は、もんどりうって壁にたたきつけられ、そのまま倒れこんだ。

 同じく突然の衝撃に転倒したリーチェは、しかし頭を振ってすぐに起き上がった。盛大に舌打ちする。


「こんちくしょう、なんて揺れだい!……貴音!?」


 リーチェは、後ろをふりかえった。

 貴音は、倒れ伏したままだ。

 ぶるぶると身を震わせ、苦しげな息をついて、なんとか自力で起き上がろうとしている。


「しっかりおし。もうすぐだよ!」


 リーチェは、貴音を助け起こしてはっとした。貴音の口元から血が滴っている。


「肺か、腹をぶつけたのかい!?」

「……口のなかを切っただけよ……」


 貴音は大きく唇を開いて、苦しげにあえいだ。


「じ、自分で歩けるわ、これくらい……」

「無茶いうんじゃないよ」


 リーチェは、貴音の腕をとった。


「な、何をす……」

「黙って」


 あらがう腕を、リーチェはむりやり自分の肩へまわした。貴音の背中から自身の腕をまわし、しっかりと身体を支える。


「だいじょうぶだよ、まだ間に合うさ」


 足取りのおぼつかぬ貴音と歩調を合わせながら、リーチェは元気づけるように言った。

 力づよく、あたたかな気持ちが心のなかでひろがっていくような、優しい声音だった。


 貴音は、頭のなかが真っ白になるような気分に襲われた。


「な……なんで、わたしを連れていこうとするの」


 鉄の味のする唾を吐きすて、この残忍なうえに偽善的な女への憎しみを鼓舞する。


「善人ぶるんじゃないわ……人殺しの、私掠軍のくせに……!」

「置いていってほしいのかい?」


 リーチェは、いたずらっぽい目をした。


「どうしてもっていうならそれでもいいけどね。手伝いさえすれば、あんたらを地球へ送ってやるって言ったろう? あたしは、嘘はつかない主義なの」


 貴音は、そんなリーチェの顔を見つめた。

 汗と埃でうす汚れた顔だった。たぶん、貴音のほうもそうなのだろう。

 だが、リーチェの瞳は美しく輝いていた。たくましい腕で貴音を支えながら、その表情には一点の曇りもなく、勇気と情熱に満ちて、気高ささえ感じられた。


 それは、己の力のつづくかぎり、命を懸けて闘い抜こうと決意した人間のかおだった。


 憎悪で鎧った心を激しくかき乱されて、貴音はもはや、何と言えばよいのかわからなかった。目の端にどうしようもなく涙があふれ、けれど決してこぼすまいと唇をきつく噛み締める。


 憎いのに、憎くてたまらないのに、どうしてこういうことをするのだ。


「あなたは……あなたは敵よ」


 顔をそむけ、貴音は唇のあいだから、絞りだすようにしてささやいた。

 頬を、涙が伝っていった。


「あなたは、あなたは……」


 ふたりは、長く暗い廊下を歩いていった。






 ゴオオオオオ……。


 地鳴りと振動は、おさまらなかった。

 そんななか、レアーレはモナルキア号を着陸させて、慶太の乗る装甲車の収容を急いだ。


「哲夫、丈昭! 撤収できる資材は、今のうちに全部引きあげてくれ!」


 マイクにそう叫んでから、結衣ゆいにふりむく。


「ソナーは?」

「全天球から反応が返ってくるわ。卵の殻のなかにいるみたい!」


 結衣は、目を丸くした。


「ここの空間が完全に閉塞しちまったんだ。もうすぐ大崩壊がはじまるぜ!」

「エンジンは良好だ。いつでも全力運転できる」


 嘉一よしかずがいった。


「姐さんはまだ回収できないのかよ!」


 レアーレはマイクに怒鳴った。


「もたもたしてるンじゃないぜ! ここもいつ“穴”に呑まれるかわからないんだ!」


 レアーレの目はまっすぐに、視界の大半を覆ってなお、淵の部分が空間侵食をつづける暗黒の渦へ向けられていた。

 はじめは小さく、あちこちにぽっかりと開いていた空間の断層が、しだいに大きくひろがって互いに結びつき、かろうじて平衡の保たれていたこの破片世界を、今度こそ完全に破壊してしまおうと来襲しつつある。


「レアーレのやつ。俺たちが泡食ってたって、ふたりが戻ってこないんじゃどうしようもねえ」


 哲夫は苛立たしげにつぶやいて、縦穴をのぞきこんだ。底は暗く、何も見えない。


「リーチェさん、聞こえるか? 聞こえたら応答してくれ」


 丈昭が無線器に呼びかけてみるが、やはり返事はなかった。


「やっぱり、なかで何かあったんじゃねえのか?」

「かもしれんな。……大垣、船に戻ってろ」


 いうなり、丈昭は無線器をベルトにつっこんで、縄梯子に足をかけた。


「どうするんだ!」

「降りてみる。下の状況を、この目で確認したい!」

「そんなこといってると、旦那まで間に合わなくなるぜ」

『そうだよ、丈昭。あわてんじゃないよ』


 その声は無線器と、縦穴の底のほうから聞こえてきた。

 ふたりは一瞬顔を見あわせ、それから下へふりむいた。


『いい女は、いつだって男をハラハラさせるもんさ』


 縦穴の奥底で、ハンディライトの光が回った。






 リーチェはブリッジに上がると、貴音を船長席の脇にある補助席へすわらせた。


「ハーネスで身体を固定しときな。動くんじゃないよ、あとで検査してやるから」

「ええ……」


 貴音は、返事はしたものの、リーチェの顔を見ることはしなかった。

 彼女がハーネスをつけるのを確認して、リーチェは船長席に駆けあがり、どさっとすわりこんだ。


「やっぱりこの感触はいいねえ。やめられないよ」

「のんびりいってる場合じゃないだろう、姐さん!?」

「そうだね」


 青ざめているレアーレの顔に、リーチェはくすっと笑った。


「ようし、船体上昇! 嘉一、エンジン出力最大! ずらかるよ!」

「了解!」


 全クルーを収容したモナルキア号は、ぶるるいとその身を震わせ、崩れゆく大地からふわりと浮き上がった。


「アップトリム八〇、両舷全速! 直上の小さい空間断層から粒子海洋へ抜ける!」


 ブリッジにリーチェの檄がとんだ。

 船体をつつむ振動のなか、貴音は疲れきった身体を背もたれにあずけ、窓外で繰り広げられる狂宴に目をやった。


 世界は、まさに暗黒に呑み込まれようとしていた。ガラスにひびが入るかのように空全体に亀裂が走り、ばりばりと音をたてて割れ飛んでいく。それを虚無がまたたく間に吸い込み、渦を巻くその中心では大量の微粒子が大気の奔流に煽られて摩擦を起こし、ものすごい量の静電気を発生させて雷電の幕を作りだした。それはこの破片世界の、断末魔の声だった。


 空間そのものが、あたかも炎にあぶられた絵画のごとくじわじわと消滅し、食い潰されていく。物質構成が破壊され、原子が崩壊して素粒子へと還元されていく。およそ通常の物理空間において、これほどの完全な破滅というものは他にあるまい。そのさいに放出される膨大なエネルギーは近接の『世界』をも大きく揺るがし、ひとつの『世界』を完全に終焉させるのだ。


「ソ、ソナーが! 一面が真っ白に……!」


 結衣が、コンソールにしがみついたまま悲鳴をあげた。


「かまうな! レアーレ、もう消壁コイルはいい! 断層を強行突破する!」


 前方をきっと睨みつけ、リーチェは叫んだ。

 貴音は、ハーネスで固定してなお、身体を翻弄する激震に耐えかねていた。しだいに朦朧としてくる意識の片隅で、先ほどしたたかにぶつけた脚が痛みを訴えている。挫いたのかもしれない。

 すぐにドスンという衝撃を感じた。『世界』を抜け、粒子海洋へ出たのだ。

 その直後、貴音は失神した。


「過負荷になってもいい、出力を超過域まで上げろ! できるだけ距離をとる! 総員耐ショック!」


 命じてから、リーチェは手元のコンソールに手をのばし、デスク脇のモニターを後方視界に切り替えた。


 モニターのなか、急速に遠ざかる破片世界付近では空間位相が混乱し、瞬時に重なりあった物質の原子同士が激突して連鎖核爆発を起こしていくところだった。核反応のまばゆい輝きに包まれながら、さらに粉微塵に砕け散っていく。


 いま、あの内部では、恒星並みの超高温とエネルギー流の嵐がガス雲を形成していることだろう。その膨大な熱エントロピーも、いずれは周囲の空間断層から粒子海洋へ放出され、急速に拡散していく。


 そして、あとには何もない、虚無だけが残る。


「さようなら」


 リーチェは、ひどく哀しげな瞳をして、口のなかでそっとつぶやいた。

 未だ轟音に包まれたブリッジのなかで、そのつぶやきを耳にしたものは、誰もいなかった。

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