第13話 女たち、地下にて・その2


 女たちは、入り組んだ回廊を、ひたすら奥へと歩いていった。


 いや、リーチェの進むあとを貴音たかねがただついていった、というべきか。


 ところどころに部屋のドアらしきものがあったが、リーチェは目もくれなかった。

 暗く不気味な通路をライトで照らし、黙々と歩きつづける。


 ふたりの足音だけが、暗闇に寂しく吸い込まれていく。

 あるいは、ここは全くの密室といえるのかもしれない。無線の交信も、とうにできなくなっていた。


「……寒いわね」


 貴音が、ぶるっと身を震わせた。


「地下深いからね。熱の対流もないし……すっかり活動を停止しているな……」


 リーチェの最後の言葉には、感慨深げな響きがあった。

 貴音は、リーチェの背を見つめた。

 ずいぶんと入り組んだ通路である。枝分かれし、折れ曲がり、階段を下り。どこをどう歩いたのか、貴音はとうにわからなくなっていた。


 なのに、リーチェはさっきから、まるで自分の庭のように歩いている。


 もうかなりの距離を来ているのに、一度として進む方向を迷った様子がない。この研究所地下の構造を、完全に知り尽くしているとしか思えなかった。


 貴音は、今や確信していた。この女は、この場所に浅からぬ因縁がある。


「……そろそろ、本当のことを話したら?」

「へえ、なにを?」

「とぼけないで。……あなた、ここには前に来たことがあるなんて言ってたけど、それだけじゃないでしょう。いくらなんでも詳しすぎるわ。地上で金属板を剥がしたときだってそうよ!」


 貴音は興奮して叫んだ。自分でも、どうしてこれほど過剰に反応してしまうのか、わからなかった。


「融点が四六〇〇〇ヘルデ? 来たことがあるだけにしちゃ、ずいぶんと物知りじゃない! あなた、ここにことがあるんじゃないの?」


 暗い通路に、しばしの沈黙が流れた。


「そういえば、装甲車のなかでも似たようなことを聞かれたね」


 ようやく口を開いたリーチェは、そっけなくいった。


「はっきりいうけど、あんたには関係ないよ。あたしがどこで何をしていようとね。今回、あんたらを付き合わせたのは、あくまで人手が足りないから、臨時雇いさ。これがすめば、あんたらは地球とやらへ帰してやる。それが最初の条件だったし、一方的に上乗せされる謂われはないね」


 リーチェの言葉は、まるで城塞のように貴音を阻んだ。

 地球人の疑念の介入など、けっして許さない、とでもいうように。


「だいたい、なんでそんなに知りたがるのさ?」


 リーチェが、不審そうに貴音を見やる。


 貴音は、とまどった。

 たしかにそうだ。聞いたところで、なんになる?

 だいいち、なぜこの女の事情が、こうも気になるのだろう。


(さっき助けられたから? ちがう! こいつは、わたしを……)


 ……わたしを、どうするというのか?


 貴音のなかで、思考が混乱した。

 先ほどの地震で、上から器材が降ってきたとき。この女は、なぜわたしを助けたんだろう?


 だって、そうだ……助ける必要が、どこにある? 仮にあれで貴音が怪我をしたところで、リーチェ自身が手にかけたわけではないのだ。地震による事故でしかない。それで遊佐ゆざたちも納得せざるを得ないだろう。もとはといえば、工作道具が降ってきたのは、彼らの不注意によるものなのだから。


 では、研究所の機能回復用の器材を運ばせるためだろうか? けれども、いったん地下へ下ろしてしまえば、どうみてもひとりで持てない量ではない。

 ましてリーチェの力なら、この倍の量があったところで、難なく抱えてしまえるだろう。


 貴音は混乱した。目の前を歩く女の、正体がわからないのだ。


 ――『私掠しりゃく軍が』じゃなくて、『あたしが』欲しいのさ。


 あの言葉の真意は、どこにあるのだろう? 自分は私掠軍ではない、とでも言いたいのか? だが、リーチェが私掠軍なのはたしかなはずだ。『私掠軍船モナルキア号』と、自分で名乗ったではないか!


(……いいえ、きっと、わたしを生かしておきたい理由があるんだ。私掠軍に優しさや情なんて、あるはずないわ。……そう、たとえば、この器材を研究所のシステムにつなぐために、どうしてもふたりの人間が必要とか……)


 貴音は、その結論で納得しようとした。


 極悪非道な私掠軍が、人の命を気遣う……そんなことはあり得ない。いや、。私掠軍は、あの駐屯地でみたネルガのように、残虐で、冷酷で、人の命などゴミ同然に扱っていなければならない。それでこそ、貴音は裕文を殺したものたちを、心の底から憎悪できる。この手で敵を斃し、復讐を遂げることができるのだ。

 そのために特災対とくさいたいに志願し、女であることを捨てたのではなかったか。


 貴音はかぶりを振った。

 ……そうだ。この女は、私掠軍なのだ。地球を壊滅させ、わたしの愛する人を殺した連中ではないか。

 わたしが未だ仇を討たないでいるのは、仲間の安全を確保するため、機会をうかがっているためだ。


 他に理由など、ない。


「……そうね。あなたのことなんて、わたしの知ったことじゃないわ。でも協力している以上、そっちも条件は守ってもらうわよ」

「最初っからそのつもりだよ。……と、着いてわ」

「え?」


 貴音は、リーチェにつられて立ち止まった。

 正面に、大きな両開きのドアがある。どうやら、ここが終着点らしい。


「さあて、さっそく御開帳といこうかしらね」


 つぶやくと、リーチェはドアの脇にあるキーパネルに手をのばした。

 が、ふいにその手がとまった。

 閉じられたドアの合わせ目に、彼女の視線が張りつく。


「どうしたの?」


 貴音はいぶかしげに訊ねた。


「……こじ開けられた痕だ」


 茫然とつぶやくリーチェに、貴音は眉をひそめて視線を追った。

 なるほど、よほど注意して見なければわからないが、たしかに、ドアの合わせ目の一部が、奇妙にひしゃげて破損している。


 リーチェは数瞬、ほうけたような顔をしていたが、すぐにきっとまなじりを釣り上げると、キーパネルの埋め込まれた壁の隙間にむりやりバールをたたき込んだ。

 パネルを一気にひっぺがし、配線を奥から引きずりだして、すばやく選別する。


「貴音、バッテリー! こっちに接続するんだ、急ぎな!」


 リーチェの急なあわてぶりを、貴音は不審に思ったが、とりあえず言うとおりにしてやった。

 実にこのとき、誰かがここに来た、ということだけが、リーチェの頭のなかでがんがんと反響していたのだ。


(ちくしょう、誰だ!? こじ開けて偽装したのか、こじ開けようとして失敗したのか!? どっちだ!)


 二〇秒とたたないうちにパネルは生き返った。リーチェがあわただしくキーを押し、最後に記録カードを取りだしてスリットへ差し込む。ぎいぎいと耳障りな音をたてて、ドアが開いた。

 リーチェはなかへ踏み込んだ。貴音もあとにつづく。


 そこは、かなりの広さをもつ部屋だった。

 ふたりのライトで照らしだされた室内には、たくさんのコンソールが幾列も並んでいた。用途不明の装置や、数々のモニターとつながり、手前から奥へと扇状に配置されている。


 床は全体に傾斜して、ドアからは室内を見下ろす形となっている。コンソール越しに望む奥の壁には、今はもう機能していないひび割れた巨大な表示パネルがあった。


 それはまるで、軍事基地の作戦指令所さながらだった。床には書類が散乱し、椅子が乱暴に投げだされていた。


 リーチェは、中央の階段をいっきに駆け降りた。いちばん下にある六角柱型のメインフレームにとりつくと、ライトであちこち照らし、執拗に検分する。


「いったいどうしたの!」


 貴音が階段を降りながら叫んだが、リーチェは応えなかった。

 だが、やがて得心がいったのか、ふう……と長い息を吐く。


(どうやら、無事みたいだね。いじられた形跡はないし、システムが爆破されてない)


 その表情に、ようやくいつもの余裕がよみがえった。

 重要機密をあつかうコンピュータは、部外者への機密漏洩を防ぐために強力なファイアウォールを内部に走らせている。それらは何重にも機密をプロテクトし、ハッカーの侵入を防ぐのだが、どうしても機密漏洩を防ぐことができないとき、最後に取られる手段がある。コンピュータシステム自体を爆破することだ。


 地球で使われている軍事用コンピュータは、人間の判断により手動で爆破が行なわれる。だが、ここのコンピュータは、自律的に状況を判断し、必要とあらば自動的に爆破がなされるよう設計されていた。


 そしてもちろん、リーチェはそのことを知っていたのだ。


 だいじょうぶだ……彼女は、自分に言い聞かせた。誰がここへ侵入を謀ったのかはわからないが、プログラムは奪われていない。まだ生きているはずだ。


「貴音、外のバッテリーをはずして持っておいで。こいつを生き返らせるよ」


 リーチェの声は、落ちつきを取り戻していた。

 貴音はドアまで引き返すと、キーパネルの残骸からバッテリーの接続を外した。

 ふたたび階段を降りて、コンソールの点検蓋を外しているリーチェのとなりに腰を下ろす。


「手伝うわ」

「ありがとう。バッテリーのケーブルを、こっちに……」


 リーチェは、コンソールの配線部に頭をつっこんでいる。

 貴音は、導電端子を渡してやりながら、そんなリーチェの姿を力なく見つめた。


 彼女のしていることに、どうしてもふたりの人間が必要とは、とうてい思えなかった。


「……はじめてね、『ありがとう』なんて殊勝なこといったの」


 貴音はぽつりといった。

 リーチェの口の端が歪んだ。血管の束のような配線から頭を引きぬいて、導電端子を、見つけだしたメインフレーム用の配線へとつなぐ。


「あんたも、ずいぶん協力的になったじゃないの。こないだまでは、あんなに大騒ぎしてたのにさ」


 貴音は、わずかに眉を動かしたが、すぐ無表情に戻った。


「……いいかげん、何の“プログラム”なのか教えてほしいわ」

「そう?」

「ええ。こんな辺鄙なところまで人を連れてくるんだもの。いったい何を捜しているのか、聞く権利があるはずよ」

「……お宝さ」


 リーチェは、ぼそりとつぶやいた。


「……宝?」

「そう。あたしと……『モナルキア』にとってのね」


 リーチェは、一瞬遠い目をした。

 それは本当に一瞬のことだったので、貴音は気がつかなかった。しばらく、ぽかんとした面持ちでリーチェを見つめていたが、ふいに大声で笑いだす。

 リーチェが、貴音を一瞥した。


「船乗りがお宝を捜して海に乗り出すのは、そんなにおかしいことかい?」

「いいえ、お似あいよ」


 貴音は笑いをおさめてから、


「ただし、あなたには、ね。付き合わされたほうはたまったものじゃないわ。冗談だと思いたいけど、どうやら本気?……で、“プログラム”の内容はなに? あの辛気くさい船がらみなら、どうせろくな代物じゃないんでしょうけど」

「目的を果たすために、どうしてもそいつが必要なのさ。あたしにとっちゃ、この世でたったひとつの大事なお宝なんだ」


 リーチェの言葉は、むしろ淡々としていた。

 貴音は、今度こそ不審そうにリーチェを見つめた。

 いったいこの女は、何をいってるんだ?


「じゃあ、目的って何よ」

「そこまで話す義理はないね」


 リーチェは、口の端にあいまいな笑みを浮かべた。


「ただ……うまくいけば、あんたらにとっても、いいことが起きるさ。それだけは保障するよ」


 彼女は、静かにつぶやいた。

 まもなく、ぶうんと音がして、モニターに光がともった。数行の文字列がならび、システムの復帰状況が示されていく。

 リーチェはモニターを見つめながら、コンソールのキーをたたいた。

 モニターにウインドウが開き、明滅して、さらに奥のウインドウが開いた。

 リーチェがキーをたたくたび、つぎつぎと新たなウインドウが開いていく。


「貴音、ブリーフケースに書類が入ってる。ちょっとだして。グリーンのやつ」


 リーチェは、モニターから目を離さずに言った。

 貴音は、黙ってリーチェの言うとおりにしてやった。ここで何をするつもりなのか、この目でたしかめてやろうと心に決めたのだ。


 渡された書類にリーチェは目を走らせ、そこに書き込まれた数列や、一千近い単語から構成された長い文章などを、逐一確認していった。

 そして、一字一句間違えないように細心の注意を払いつつ、それらをコンピュータへ打ち込んでいく。


 画面上で文字列が完成するたび、モニターは新たなパスワードを要求してきた。そのたびに開くウインドウは、分岐し、ループして、リーチェにそれぞれのコードを打ち込ませようとする。


 リーチェが最後のパスワードを入力し終えたのは、じつに三〇分後だった。


「……きた! 最終ゲートが開くよ!」


 リーチェは喜声をあげてモニターを見つめた。貴音も横からのぞきこむ。

 重なりあっていたウインドウがすべて消えていく。代わって、最高機密を示すマークと、データの暗号名、開発統括責任者の名前、ファイルの最終開帳日時などが映しだされていった。


「プログラム“スクード”……」


 瞳を爛々と輝かせて、リーチェはささやいた。


「“スクード”?」

「そう。この無限次元研究所が開発していた、最重要機密プログラムさ」


 リーチェは、ブリーフケースから小さな黒いチップをつまみあげた。


「それは?」

「記憶素子さ。こいつにプログラムを納める。それで作業はすべて完了よ」


 リーチェは、モニター脇にあるボタンを押した。かたっと音がして、すぐ下に小さな挿入口が開いた。

 彼女はそのなかへチップを押し込み、パイロットランプが点灯するのを待って、ふたたびいくつかキーをたたいた。

 かすかな駆動音とともに、モニター上を大量の数式が流れはじめた。

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