第12話 女たち、地下にて

 リーチェと貴音たかねは、打ち込まれたハーケンに結わえられた縄梯子を降りていった。

 それぞれ、手にはバッテリーとブリーフケースをもっている。研究所の機能を回復させるために、リーチェが用意したものだ。


 貴音は、ふと上を仰ぎ見た。すでに入口は十数メートルほど上方にあり、縦穴をのぞきこむ丈昭たけあき哲夫てつおの姿も小さく、頼りないものに思えた。


 暗い縦穴のなかの空気はひんやりとして、かすかな湿り気を帯びている。長いあいだ密閉されていたため、ここだけは空気中の水分が保たれていたのだろう。


 先を行くリーチェは、ライトをベルトに挟んで下を照らし、縄梯子を踏み外さないように注意ぶかく降りていく。貴音も、あわてて後につづいた。


 やがて、ふたりは底にたどりついた。リーチェが、ベルトのポーチからレーザートーチを取りだし、床板の焼き切りにかかる。


 そのとき、縦穴の壁が、びりびりと震えはじめた。


 ゴオォォォォ……!


 不気味な地鳴りが暗い地の底に響き、縦穴はすぐに目に見えてぐらぐら揺れはじめる。


「なんだ!?」


 リーチェは手を止めた。


「地震?」


 貴音はリーチェの顔をみた。そうするうちにも、揺れはますます強くなってくる。床に置いたライトが転がり、壁にぶつかった。

 立っていられないほどではない。しかし、地下にいるということが、ふたりの不安感をあおった。


「ちがう。地殻変動なんて、今さらこの世界に起こるはずが……」


 リーチェは、はっとして上へ叫んだ。


「哲夫、丈昭! 近くのものをどけな! なかに落とすんじゃない!」


 突然の地震に驚いていた地上のふたりは、リーチェの怒声に、あわてて周囲のものを取り払おうとした。

 が、まにあわなかった。作業用においてあったショベルやバッテリー、ケースのたぐいが縦穴にずり落ち、ふたりの上にばらばらと降ってきた!


「ちっ」


 リーチェは舌打ちし、貴音の体を乱暴に引きよせた。同時に、腰からサーベルを抜き放ち、頭上にかざす。

 瞬間、サーベルの刀身が三つに裂けた。


「!」


 貴音は息を呑んだ。裂けたそれぞれの刀身が、まるで別個の意志を持っているかのように、凄まじい速さでしない、折れまがり、自在に動きまわって、落下物をことごとく弾き返してしまったのだ。

 工具とともに降ってきた瓦礫の、小さな欠けらにいたるまで、ふたりの体には触れることもかなわず砕かれ、四散する。


 しばらくして、揺れはおさまった。

 ふたりのまわりには、砕かれた落下物がきれいに環を作っていた。

 貴音は、大きく目を見開いてリーチェを見つめた。リーチェも、一瞬見つめ返す。視線が交錯した。


「……だいじょうぶか!?」


 上から、叫び声が響いてきた。


「こっちは無事だよ! それより、もうないだろうね!?」


 リーチェが叫び返す。


「ああ、やばいやつは全部どけた」

「了解」


 リーチェはサーベルをおさめると、貴音に向きなおった。


「それじゃ、作業再開といこうかしらね」






 床板に侵入口を穿って、ふたりはさらに下へ降りた。

 なかは狭い小部屋で、四方の壁の片面が、両開きのスライドドアになっている。

 貴音は、ようやく思いいたった。これはエレベータだ。なるほど、そう考えれば、あの縦穴にも納得がいく。もっとも、それにしてはウインチやワイヤーがなかったが……おそらく、なにか別の方式で動いていたのだろう。


 リーチェは、バールでドアをこじ開けた。

 その奥は通路になっており、真正の闇がどこまでもつづいている。

 彼女は腰の携帯無線器を取り、呼び出しボタンを押した。


「聞こえるかい?」

『よく聞こえる……そっちの状況は?』


 哲夫の声だった。


「これから奥へ入る。以後の連絡は全部無線だ。……それと、慶太けいたにいって、装甲車の長距離無線でモナルキア号に連絡を取らせろ。すぐこちらへ迎えに来させるんだ」

『船は使えないんじゃなかったのか?』

「いってる場合じゃなくなったのさ。この世界、もうだめだね。さっきの揺れは、たぶん粒子流がこの世界を分解する前兆だ」

『……なんだって!?』

「なんですって!?」


 貴音と無線の声が重なった。


「この世界は時空連続体の構造がかなり弱ってる。大きな粒子流と接触したら、たぶん今度こそ完全に分解されて、跡形も残らないよ。その前に逃げださないとね」


 返事を待たずに、リーチェは無線を切った。ハンディライトで通路を照らし、恐れげもなく奥へ進んでいく。

 貴音も自分のライトをつけ、あとを追った。


「ほんとうなの、粒子流がくるって?」

「嘘ついてどうするのさ。この世界は、空間のつながり方がもうおかしくなってるんだ。地殻変動を起こせるような連続したプレートなんて、とうの昔になくなってるはずだよ。

 それに、揺れの大きかったわりには、最初に縦揺れがなかったからね……」


「縦揺れ?」

「初期微動と主要動。あんたの世界じゃ、地震学は発達してないのかい?」


 その問いに、貴音は意味を呑み込んだ。

 地震が発生した場合、上下動を起こすP波が地殻を伝わる速度は、横揺れを起こすS波よりも速い。だから、普通の地震なら――まして、あれほど強い揺れなら――最初に下から突き上げるような振動があるはずだ。


(この女、あの状況で!)


 貴音はあぜんとした。まかり間違えば、重傷を負っていたかもしれないあの瞬間、リーチェは揺れの方向まで的確に分析していたのだ。

 くやしいが、リーチェの経験と冷静さだけは、認めざるを得なかった。さすがに私掠軍というだけあって、度胸がすわっている。


「……粒子流がくるまでに、どれくらい時間がかかると思う?」


 貴音はしぶしぶ訊ねた。こともあろうに、仇敵に判断を仰がねばならないということが、心底悔しかった。

 しかし、勝手のわからないこんな世界では、リーチェの経験をあてにせざるをえない。


「さあて……まだしばらくは保つと思うけど。予想より早かったね」


 リーチェは、貴音の思いになど、まるで気づく様子もなかった。


「モナルキア号がくるまでに、二時間くらいはかかるか……まにあえばいいけど」






「痛っ!」


 嘉一よしかずが、情けない声をあげた。


「なによ、これくらい。男でしょ、がまんしなさいよ」


 結衣ゆいがなんの遠慮もなくいった。消毒薬をしみ込ませたガーゼで、砂のついた嘉一の擦り傷を拭ってやる。


 嘉一は、外で船体の補修作業をしていたのだ。しかし、突然の地震に足場を崩されて砂地に落下、体があざと擦り傷だらけになってしまった。

 手伝っていた結衣が、さっそく救急箱を持ってきてくれたのはよかったが、どうやらあまり優しい看護師ではなかったらしい。


「はい、おわりっ」


 結衣はそういって、絆創膏を張りつけた嘉一の腕をぺしっとたたいた。


「いて! おい、ちょっとは怪我人をいたわれよ!」

「怪我ってほどじゃないでしょ、こんなの。つばでもつけとけば治るわよ」

「大雑把なやつだなぁ……」


 嘉一は、呆れたようにつぶやいた。

 もっとも、うちの車長にあれだけの勢いで食ってかかった娘だから、これでもまだマシな扱いかもしれない。やれやれ、と周囲の砂漠を見やる。


 リーチェたちが出発してから、今日でもう五日だ。定時連絡によれば、“プログラム”の回収作業はあまりはかどっていないらしい。戻るまでには、まだしばらくかかるだろう。


「みんなどうしてるかな……」


 嘉一は、ぽつりとつぶやいた。


「……そうね……」


 結衣も、ふと遠くを見るような目をした。嘉一のとなりに腰をおろす。


「どうしてるかな……お父さんもお母さんも……」


 結衣は、嘉一のつぶやきの意味を取りちがえたようだった。

 嘉一は眉をあげて、結衣の横顔をみた。


「そういやお前、なんで特災対とくさいたいなんてやってるんだ? あの姉ちゃんのほうなら、わからなくもないけど」

「それって、貴姉たかねえのこと?」

「他に“姉ちゃん”がいるかよ」


 嘉一は肩をすくめた。


「うちの車長がもし“姉ちゃん”だったら、俺は世をはかなんで出家するよ」


 その冗談に、結衣はころころ笑った。

 もっとも、長くはつづかなかった。可愛い笑顔はすぐに、愁いを含んだ表情へ変わっていく。


「……貴姉、なんだかおかしいの、最近……」


 結衣は、かすかに瞳を曇らせた。


「なんだか、とっても無理してるみたい。……だいじょうぶかなぁ……」


 救急箱を胸元に抱えて、結衣はじっと砂漠を見つめた。

 特災対に召集されてからずっと、彼女は貴音の隊で働いてきた。いろんな苦難も、いっしょに乗り越えてきた仲間だった。今では本当のお姉さんのようにも思えるし、貴音のほうもそんなふうに接してくれる。


 だから、モナルキア号に回収されてからの貴音の変わりようは、ずっと気になっていた。以前は、あんなに感情をむきだしにすることなんて、一度もなかったはずなのに。

 今の貴音は、まるで鋼だ。冷たくかたく、近寄りがたい。


「まあ、いちおう敵さんの船だからなあ、こいつは」


 嘉一は、モナルキア号の船体をコンコンとこづいた。


「車長も、地球へ還るためにしかたなく妥協したってところだし……ある程度ぴりぴりくるのも、しょうがないんじゃないの?」

「そうかなぁ……それならいいけど……」

「まあ、そんなに気にするなよ。なるようになるって」


 嘉一は、結衣の背中を手のひらでばしんとたたいた。


「……んもうっ。乱暴にしないでよ、女の子の体は繊細にできてるんだからっ」

「さっきのお返しだよ。女の子なら、もうちょっと優しく手当てしてくれてもよさそうな……」


 嘉一は、いいかけて止まった。


「……女の子って……そういや、お前歳いくつなんだ?」

「お前じゃないわ。わたしには、ちゃんと相馬結衣っていう名前があるんだからね」

「わかったよ。で、いくつなんだ」

「……一七」


 結衣は、すこし躊躇ってから、こそりと言った。


「一七ぃ!?」


 嘉一は心底驚いた。若いとは思っていたが、まさかそれほどとは。


「まだ高校生じゃねえか!」

「なによ。ちゃんと仕事はこなしてるんだからね。あんたこそいくつなのよ」

「俺はもう一九だ」

「……たったふたつしか違わないじゃない!」

「だけど、俺は戦争前から自衛官やってるんだ。それともうひとつ、俺には川内嘉一って立派な名前があるんだよ。覚えといてくれ」

「ふうん。じゃ、嘉一くんね」

「“くん”なんて付けるなよ。年下にいわれたら馬鹿にされてるみたいだぜ」

「じゃあ、嘉くん」

「あのな……」

「うふ、怒った?」


 結衣は、屈託のない笑みを浮かべた。

 嘉一は、その可愛らしい笑顔に、どきりとした。これまで味わったことのない、不思議な感覚が心の奥からこみあげてくる。

 胸奥を甘くつよく締めつけられるような、そんな感じだ。


「べ、べつにっ」


 嘉一はそっぽをむいた。なぜだか、結衣と目を合わすのが急に恥ずかしくなった。


「あ、怒ってる」

「怒ってないって」

「……やっぱり怒ってる」


 不思議な甘い当惑を悟られたくなくて、嘉一はわざとぶっきらぼうに言ったのだが、結衣は勘違いしたようだ。ふたりとも、しばらく無言のまま、眼前にひろがる砂漠を見つめていた。

 先に沈黙を破ったのは、結衣だった。


「ねえ……こんなこと、いつまでも続かないよね……」


 そのつぶやきに、嘉一は思わず、結衣の横顔にふりむいた。


「きっと、また元どおりの生活を、おくれるようになるわよね?」


 先ほどまでと違って、結衣の言葉には、ひどく頼りなげな響きが交じっていた。

 疲れているのだろう。ふと、嘉一の肩に寄りかかる。

 元気よく振る舞ってはいても、平和だった日常からの環境の激変は、やはり少女の心と身体には重荷なのだ。

 長いあいだの張りつめた緊張感が、結衣の心の奥底へ澱のように溜まっていき、ふとしたはずみで、その愛らしい輝きを曇らせる。


「……つらいか?」


 嘉一はそっときいた。


「うん。ちょっとだけ……」


 結衣が静かにささやく。嘉一の肩へ頭をのせ、力なく髪を擦りつける。

 その仕草に、嘉一は、ふたたび胸が締めつけられるような思いがした。


 この世界へ入るときに、ふと感じたことを思いだす。

 こいつは、こんなところで、こんなつらい思いをするべきじゃない。


 危険な目に遭うのは、俺たち自衛官だけでたくさんなはずだ。充分に覚悟を決めたものだけで。敵と戦い、同胞を守ると誓ったものだけで。


(こいつを守ってやりたい)


 嘉一は、とつぜん激しく、そう思った。

 特別なところがあるわけじゃない。めだって綺麗なわけでもないし、大雑把で、ちょっと生意気な女の子だ。


 ……だけど、とても愛らしくて、元気をふりまいて、いつも一所懸命なこいつを、どうにか守ってやりたい。


「だいじょうぶだ」


 自分でも驚くほど熱のこもった声で、嘉一はいった。


「いずれきっと、何もかもうまくいくさ。俺たちはそのために戦ってるんだ。……それに……」


 彼女に、自分の鼓動の音が聞こえやしまいかと、嘉一は不安になった。生まれて初めての勇気をだして、結衣のうすい肩をそっと抱き寄せる。嫌われるかもと思ったが、励ましてやりたい気持ちのほうがずっと強かった。

 となりで、こちらを見上げる気配がした。


「それに……もし、うまくいかなかったとしても……お前は、俺が守る。ぜったいに」


 静かに、けれど力づよく、心が震えるような声で、嘉一はいった。

 結衣は目を見開いて、嘉一の横顔をじっと見つめた。

 少しうつむいた嘉一の表情は、緊張してかたく引き締まっている。精悍さを感じさせる顔つきだ。

 ふいに、自分は男の腕のなかにいるのだと悟って、結衣の頬が朱を散らしたように赤く染まった。

 抱き寄せる腕に、力がこもる。

 少しもいやな感じはしなかった。とても好もしくて、頼もしい。身体がしびれてしまいそうだ。


「それ……どういう意味……?」


 結衣は、胸奥を甘く震わせながら、絶え入りそうな声でささやいた。

 嘉一が、緊張して言葉をつなぐ。


「だ、だから……だから、つまり……」

「あーあ、やってらんねえよなー!」


 間近で弾けた大声に、ふたりはとびあがった。


「えっ、あ……!」

「レ、レアーレ!」


 いつのまにか、ハッチから小柄な体がのぞいていた。


「姐さんから連絡が入ったから呼びにきたら、こんなところで仕事さぼっていちゃついてやがんだもんな。あー熱いあつい」


 レアーレは、わざとらしく顔を手でぱたぱた扇いだ。


「ご、誤解だ!」

「そ、そうよ! わたしたち、いちゃつくだなんてそんなっ」

「あー、いいっていいって、気にすんな」


 レアーレは、にやにや笑いながらしたり顔でうなずいた。


「ふたりとも、ちょうどそういう年頃だもんな。くっつきたがるのが当たり前だ。どんどんやれよ、止めやしねえよ」

「レ、レアーレ! お前ガキのくせに生意気だぞ!」

「俺はガキじゃねえっ!」


 レアーレは、かっとして怒鳴った。


「いっぱしの船乗りだよ。兄ちゃんたちこそ、半人前の研修生じゃねえか。……と、そうそう、忘れるところだった。器材かき集めて、なかに引き上げてくれよ! 発進するぜ!」

「発進?」

「そうだよ。姐さんから連絡が入ったっていったろ? さあ、急いだ急いだ!」


 レアーレは親指を立てると、くいと振ってみせた。






 哲夫は無線でリーチェたちを呼びだそうとしたが、聞こえてくるのはサーっという空電音だけだった。


「だめだ。よっぽど深い所に入っちまったんだな……」


 哲夫は回線を切り替えた。


葉山はやま、モナルキア号はどうだって?」

『もう発進した。しかし、けっこうかかるらしい。むこうでもかなりの揺れを感じたそうだ。六百キロも離れているのにな』

「……てことは、やはりリーチェのいうとおりってわけか」


 丈昭がつぶやいた。あたりを見まわすと、空のところどころに虫食いのような黒いしみが浮かんでいる。

 どれもこれも最初からあったような気がするが、今はそのひとつひとつが、いやがうえにも彼らの不安を煽りたてた。


「まにあうと思うか?」

「そう祈るしかあるまい。こうなると、川内かわうちたちを残してきたのは正解だったな……」


 丈昭は、哲夫の手から無線器を取った。


「葉山、他のドームの影をよく見張っていろ。こちらからは死角になる部分もあるからな。異常を見つけたら、すぐに報せるんだ」

『了解』


 交信を終えると、丈昭は口元へ手をやり、なにごとか考え込んだ。視線は空へと向けられ、刺すように鋭くなっている。前線の指揮官としての顔だ。


「やめとけよ、遊佐ゆざの旦那。考えたって、事態が好転するわけじゃないぜ」


 哲夫がまぜ返した。――しかし、実のところ彼も不安だったのだ。まごまごしていると、やられるのではないか。しかも、自分の力ではまったく逃れるすべはない。助かる方法は、時間との戦いであり、完全に人任せにしなければならないのだ。


 己の能力をはるかに上まわる次元で、己の生死が決定されようとしている。そう思うと、哲夫はひどく落ちつかなかった。こういうとき、自分独りでないのがありがたかった。


「ん? ああ……」


 丈昭は、さして聞いているふうでもなく考え込んでいたが、ふいに哲夫へ向きなおった。


大垣おおがき。リーチェな……どうもおかしいと思わんか?」

「あん?」


 哲夫は眉根を寄せた。


「というと?」

「真っ先におかしいのは、この世界のありさまだ。このあたりの廃墟にしたってそうだ……あの破壊された街を見たろう。あのドームの壊れかたは尋常じゃない。通常の爆撃では、あんなふうには壊れん。……しかし、ああいう壊れ方をした建造物を、俺たちは地球で山ほど見ている。この戦いが始まってからずっとな。言っている意味がわかるか?」

「空間破砕攻撃だな?」


 サングラスの奥で、哲夫の目が光った。


「そうだ。あれはどうみても空間破砕攻撃で破壊されたあとだ。火災のあともあったが、爆弾で破壊されたような形跡はなかったからな」

「……かもしれんが……しかし、それとリーチェとどう関係があるんだ? リーチェは、この世界は粒子流の影響で構成空間がバラバラになった、と言っていたはずだぜ。あの空の黒い染みだって、その関係だろ? だったらそのバラバラになる過程で、空間破砕みたいな現象が自然に発生してもおかしくは……」

「おかしいんだよ」


 丈昭は語気をつよめた。


「たしかにリーチェはそう言った。だが、ナノマシン学習で得た知識をよく思いだせ。


『粒子海洋には、薄いながらも大気が満ち、粒子流と呼ばれる普遍的なエネルギーの流れが存在する。それは穏やかなときもあれば、嵐のように乱暴に、荒々しく渦巻くときもある、巨大なエネルギーの潮流である』


 そういう説明がなされていたはずだ。

 もし粒子流が、粒子海洋に存在する普遍的な流れなら、なぜそれが『世界』を破壊するんだ? 穏やかにも荒々しくもなるなら、粒子流は荒れるたびに、あちこちの『世界』を破壊してまわるっていうのか?」


 丈昭の言葉に、哲夫ははっとした。

 たしかにおかしい。それでは、自分たちのいた地球を含む『世界』だって、遙か昔に破壊されていても不思議はないはずだ。


「地球の海にだって、いろんな海流がある。だがよく考えてみろ。? それでも破壊されたというなら、まず最初に粒子流とはまったく性質を異にする相当規模の異変が、この世界を見舞っていなければ説明がつかん。

 粒子流のせいで空間が壊れたんじゃない。何かが起こったせいで、空間が粒子流に耐えられなくなったんだ。順番が逆なんだよ」

「じゃあ、リーチェは嘘をいってるってのか? あの黒い染みも、別のことが原因だと?」

「あるいはこの世界について、俺たちに隠しておきたい何かが――」

「おい見ろ!」


 哲夫が、はっと丈昭の言葉を抑えた。


「あれだ!」


 丈昭は、哲夫の指し示すほうを見た。……その先には、あの見慣れた黒いしみのひとつが、しかし先ほどの倍近い大きさにひろがって、不気味な口を開けていたのである!

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