第11話 壊れた街への旅路・その3


 まもなく、装甲車は停止した。


 ハッチが、シュッという圧搾空気の音とともに大きく上に開き、リーチェは地面へ降り立った。

 急速に濃くなっていく夕闇が、彼女の頬を暗い赤に染める。


 リーチェは顔をあげ、眼前にひろがる瓦礫の山を見やった。

 他の者たちもつぎつぎと車を降り、そのありさまに嘆息する。


 進むにしたがって、はじめの、美しさを残した輝かしい外観から、破壊の見本市のような様相に変わっていった廃墟都市だが、ここはとくにひどかった。

 コンクリートや鉄骨が、まるでミキサーでかき回されたかのように見事に粉微塵になって入りまじり、彼らの前に哀れな骸をさらしている。


「照明の設営を頼むよ。ここいらを照らすんだ。あたしは、ちょっと様子を見てくるから」


 リーチェは後ろの連中に言いおくと、瓦礫と残骸のなかへ分け入った。作業服の腰に巻いたベルトポーチからハンディライトを取りだして、悪い足場に苦労しながら、奥へと進んでいく。


 まもなく、彼女は目的のものを見つけだした。


「……あった、こいつだ!」


 リーチェは瞳を輝かせた。それの上に散らばる小さな瓦礫くずを、片っ端から手で払い落とす。


 ようやく素顔を現わしたそれは、ひと抱えほどもある、大理石のようにすべらかな一枚のプレートだった。

 縁が欠けていたり、ひびが入っていたりしたが、表面に刻まれた文字を、リーチェははっきりと読み取ることができた。


『王室軍直属・無限次元研究所』


 そこには、たしかにそう刻まれていた。


「やっとみつけた。……やっとみつけたんだ……」


 リーチェは天を仰いで、茫然とつぶやいた。


 ベスティアに忠誠を誓い、私掠しりゃく軍の一員として、粒子海洋を渡り歩いてきたこの五年間。

 それは、ひとえにこの破片世界の行く先をつきとめ、この研究所を捜しだすためだった。


 さまざまな『世界』へ自在に入り込み、多くの異界人とつながって情報を得るには、私掠軍として活動するのが、もっとも適切と思えたのだ。


 つらいことは数限りなくあった。それでもレアーレとふたりでこれまでやってこれたのは、いつか必ず、この研究所を見つけだしてみせる、と固く心に誓っていたからだ。


(いま、あたしの目の前には研究所の残骸がある。地上は潰れちまったかもしれないが、地下はかなりの堅牢さを誇っていたはずだ。瓦礫さえどかせれば、中へ入るのはあたしにはたやすいことさ。あのとき、“プログラム”はもうほとんど完成してるって報告も受けていたしね)


 リーチェは、久しぶりに心がわきたつのを感じた。


「……おーい、リーチェさん。テント出しちまっていいのかい」


 装甲車から、哲夫てつおの声が聞こえた。


「あ、ああ! 資材も全部おろすんだ! 明日から、ここで作業開始だよ!」


 喜ぶのはまだ早い。安心するのは、例の“プログラム”をこの手にたしかに握ってからだ。

 リーチェは、興奮を抑えきれない自分にそういい聞かせ、装甲車へ引き返していった。




 ……だが、彼女は気づいていなかった。


 超小型、高感度の受像素子が、プレートから――正確にいえば、かつて無限次元研究所の建っていた場所からそう遠くないところに、目立たぬよう残骸の一部に偽装されて、設置されていたことに。




 死に絶えたはずの街のなかで、それだけは生きていた。研究所のあった方角を向き、それは辛抱づよく待っていたのだ。


 やがて現れるはずの、“プログラム”の回収者を。


 それは、忙しく立ちまわるリーチェに焦点を合わせた。

 そして、その姿がフレームから外れないよう、注意ぶかく首を振りながら、被写体の動きを追いはじめた。






『よし、さがりな』


 ダッシュボードにおいた携帯無線器から、リーチェの声が聞こえた。


「……了解」


 慶太けいたは小さく応えると、ギアをバックに入れて、装甲車をゆっくりと後退させた。


 バンパー下のウインチドラムからのびたワイヤーが、太いコンクリートの柱をひっぱり、引きずっていく。研究所の建物だった瓦礫の山を取りのぞくための作業だ。


 もちろん、急激な張力がかかると、ワイヤーはたやすく切れてしまう。なので、ワイヤーの先を重い瓦礫にくくりつけてからウインチを回してたるみをとり、それから車体で引くことになる。

 だが、ウインチは一機しかないため、自然と根気のいる作業になった。

 彼らは、リーチェがプレートを見つけた翌朝から、すでに三日間、この作業をおこなっていた。


「ったく、いつまでつづけるんだ……」


 運転席で、慶太はぼやいた。さすがに、こういう単調な作業はいいかげん飽きていた。


「せめて、施設作業車イーヴイが一台欲しいな。こう車体がでかいと、かえって不便なんだ。小回りが効かん。だいぶ燃料も食ってるし……」

「ぼやくなって。焦ったってしようがあるまい」


 となりで、哲夫がなぐさめた。


「やれって言うんだから、やるしかないだろ。……第一、こういうこたあ、もともと自衛隊の専売特許だったんじゃねえのか?」

「あのな。自衛隊の活動は、基本的に人海戦術なんだよ。ここには隊員はたった二名、特災対おたくらと、あの」


 といって、慶太は前方窓越しにリーチェをあごで示した。


「私掠軍の女を入れても五名しかいないんだぜ。まあ、要救護者の心配がいらないぶん、まだ楽だけどな……それに、俺はそもそも機甲科の整備中隊だし、入隊してから今まで、災害出動する機会なんてなかった」


 慶太は、注意ぶかくワイヤーの張り具合を確認した。もし切れてしまったら、替えのワイヤーは一本しかないのである。


「よしんばあったところで、装甲車一台で復旧作業をする、なんてことはないよ」


 リーチェが手を挙げたのを視認して、慶太は装甲車を止めた。三〇メートルほど先で、リーチェや貴音たちがさっそくワイヤーを外しにかかっているのが見える。


 哲夫はサングラスを外すと、油の浮いた顔を手のひらでごしごしこすった。

 それから、給水タンクの蛇口をひねり、コップに水を注ぐ。

 ここへきてから、やたらと喉が渇くようになった。砂漠の真ん中にいるのとたいして変わらないのだから、当然といえば当然だが。


 まったく、この『世界』の砂漠化は想像以上だ。


「タンクの水が保つかね? ずいぶん長丁場だぜ」

「だいじょうぶだろう。けっこうたくさん持ってきたからな、あと一〇日分くらいはあるはずだ」


 その慶太の応えに、哲夫は片眉をあげた。


「そうじゃねえ。俺が聞いてるのは『腐らねえか』ってことだ」


 といって、コップの水を、喉を鳴らしてうまそうに飲んでいく。


「そっちもだいじょうぶさ。たっぷり薬をぶちこんでるそうだぜ」


 慶太は、何をいまさら、と言わんばかりだった。

 哲夫は口に含んでいた水を吹きだした。






 コンクリートの柱に結わえられたワイヤーをほどきながらも、貴音たかねの忍耐はそろそろ限界に差しかかっていた。

 いったいいつまで、こんなことを続けねばならないのか? 研究所があったあたりの瓦礫は、あらかた片づいている。そろそろ何か進展があってもよさそうなものだ。


「地球でのことを思いだすな、こんなことしてると」


 丈昭たけあきがつぶやいて、額の汗をぬぐった。


「あちこちの街が瓦礫の山になっちまっても、まだしばらくの間はこういう復旧作業をやってる余裕もあったがな。今じゃ、生き残ってる施設隊なんてせいぜい……」

「やめて、いやなこと思いだすから」


 貴音が、かたい声で丈昭の言葉をさえぎった。


「いやなこと?」

「……攻撃された街の地下って、見たことないの?」


 言葉にすると、三ヶ月前のことが貴音の脳裏をよぎった。攻撃されたときに発生した天井崩落で潰された地下鉄車両。そのなかで折り重なっていた、たくさんの犠牲者たち。

 火炎放射器を使って、葬送するしかなかった人たち……。


 貴音は、頭を振って忘れようとした。いやな巡り合わせだったが、今さら思い返しても詮ないことなのだ。

 それに、今は他に、気になることがある。


 貴音は、リーチェのほうをちらりと見た。ワイヤーにかからないような小さな礫石を、手で懸命にどけている。


(あの女、なにか隠してる)


 そんな気がした。

 きたことがある? 地図を作った? たったそれだけで、ここまで破壊し尽くされた街並を、まったく迷いもせずに目的地までたどりつけるものだろうか。


(そんなはずないわ)


 と、貴音は断定した。空間破砕攻撃は、文字通り空間を粉砕する。その空間を占める構造材もろともだ。破壊エネルギーが空間を伝わるのではなく、空間に直接転移してくる。だから物理防壁による遮蔽効果は、ほとんど期待できない。

 これまで、調査すればするほど、そういう結論に達せざるを得なかった。


 そんな異常な攻撃にさらされ、根こそぎ粉微塵に破壊された市街地で、特定の建物なり位置なりを限定するのは至難の業だ。それは、特災対の隊員ならだれでも知っている。


 実際、付近を見まわしてみるといい。このあたりは、文字どおり瓦礫の山と化しているではないか。目印にできそうなもの、特徴を残したものは、何も地上に残っていない。昨日見た街の外延部なら、まだ話は別だけれども。


 そもそも、“プログラム”とはいったい何なのだ? リーチェは、それについて一言もいおうとしない。


 ――『私掠軍が』じゃなくて、『あたしが』欲しいのさ。


 リーチェが、最初にいった言葉だ。

 もちろん嘘に決まっている! こっちを騙そうとしているんだ! そうに決まって……。


 ……だけど、もし本当なら……あの女が、まったく個人的な理由でここへ来たというのなら、それはなんのために?

 そうまでして欲しい“プログラム”とは、いったい何だ?


 瞬間、貴音の心にひとつの疑惑がかすめた。


 なんの脈絡もない思いつきに、彼女は我ながら唖然とした。そんな馬鹿なことがあるものか。理性がそれを否定した。




 ――あの女は、本当に私掠軍なのか?




「貴音、丈昭! そっちはいい、手を貸しな!」


 リーチェの声に、ふたりは手を止めて振りかえった。

 見ると、リーチェはようやく剥きだしになった研究所の土台から、何かを引き剥がそうとしている。


 ふたりは一瞬顔を見あわせ、それからリーチェのもとへ駆け寄った。


 それは、金属でできた板だった。優に二メートル四方はある。土台の窪みにはめこまれているようだ。

 リーチェは、その金属板と、土台のコンクリートとの間にある溝にバールをつっこみ、なんとかこじ開けようとしていた。


「こんなでかいの無理だぜ」

「厚みはたいしてないさ。古くなって接地部分がくっついてるだけだから、ちょっと動かすだけでいいんだよ。そうしたら、隙間にこのバールをつっこんで、一気にこじ開けられる」


 リーチェは、早く、というふうにあごをしゃくった。

 貴音がバールに手を貸し、丈昭が溝に指をつっこんだ。彼のたくましい腕の筋肉が、みるみる緊張して盛りあがる。

 だが、金属板はぴくりとも動かなかった。すっかり周りと固着してしまったようだ。


「……焼き切れないの!?」


 貴音が、力をこめたまま聞いた。


「こいつの融点は、四六〇〇〇ヘルデ(約一二〇〇〇度)もあるんだ。あたしのレーザートーチじゃ、どうしようもないよ」


 その応えに、貴音はリーチェの顔を盗み見た。

 よほど聞いてやろうかと思ったが、今は黙っていることにした。


「こいつは、爆薬を使うしかないね」


 リーチェは舌打ちして、バールにかけていた力を抜いた。


「強い振動や衝撃を発生させるものは、あんまり使いたくなかったけど……丈昭、哲夫に連絡して、一式持ってこさせて」


 リーチェは、丈昭に携帯無線器を放って投げた。

 代わりに、近くにおいてある工具箱から、折り畳み式のストックを取りだす。


「貴音、てつだって。この溝に爆薬をうめるわ」


 鋭い先端で溝を突き、細かい砂をかきだしはじめる。


「この板を破壊するんじゃないの?」

「ちがう。いいから言うとおりにしな。時間がないんだからね」


 やがて、心なしか青い顔をした哲夫が、爆薬と信管の入ったケースを抱えてやってきた。

 リーチェは、ケースのなかからチューブを何本か取りだすと、蓋を開けてゲル状の爆薬を溝に塗りつけていった。四方にじゅうぶん塗り込んでから時限信管を埋め込み、みなを下がらせる。


 信管が起爆して、爆発で生じた風圧が貴音の体を打った。耳を押さえてはいたが、爆発音に思わず顔をしかめる。爆破作業というのは久しぶりで、油断していたようだ。


 四人は、ふたたび金属板の引きはがしにかかった。今度はバールに引っかけられて、あっさりと持ちあがった。

 貴音は、はっと目を見張った。今まで金属板で覆われていた下に、深い縦穴がつづいている。

 金属板は、ただはめこまれていたのではなく、この縦穴の蓋になっていたのだ。


「なに、これ?」

「地下への道よ」


 リーチェはにやりと笑った。


「この下に、研究所の本体がある。機能は停止しているだろうけど……この様子だと、五年間、中には誰も入らなかったみたいだね」


 リーチェは、満足そうだった。

 大きな正方形をした縦穴は、真っすぐ下へ延びており、底は暗くて見えない。

 貴音は、暗闇に対する本能的な恐怖を感じた。のぞきこんでいると、そのまま地獄の底へ引きずり込まれそうな気がする。

 この暗い地の底に、リーチェのいう“プログラム”があるのだろうか。


「さ、ぽけっとしてても始まらないよ。できるだけ早く、こんな処からはおさらばしたいからね」


 リーチェは、三人を見まわした。


「貴音、あんた一緒にきな。てつだってもらうよ」

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