第10話 壊れた街への旅路・その2
翌朝、リーチェたちは装甲車に乗って、モナルキア号を出発した。二台の車両を連結した、6×6の大型車両だ。
目的地は、破片世界のかつての東南東方向、四二〇レグ(地球の距離単位で約六百キロ)。そこに、“プログラム”を開発していた研究所があるというのだ。
定員オーバーのため、レアーレと
あとのふたりは、彼らのなかでもっとも若かったからだ。
「いざってときは、あの子たちだけでも、この世界から脱出させきゃいけないしね」
手をふる留守番たちの姿が見えなくなったあとで、リーチェがいった。
空気がからからに乾いた砂漠の上を、装甲車は巡航速度で疾走していった。走ったあとには、もうもうと砂塵が舞い上がり、タイヤの跡が刻まれる。
雨は降らず、大気の対流も破壊されて風がほとんど吹かないため、残した轍が消えることはないだろう。この世界が完全な分解を遂げるまでは。
「昔見た映画に、こんなシーンがあったな……」
「へえ、どんな映画だい」
となりで、屋根の上にあぐらをかいていた
「なんだったかなぁ……大昔の、核戦争の映画さ。アメリカの、安っぽいTV映画でな……核で世界が終わりをつげたあと、どこかの基地の連中が砂漠みたいになっちまった地上を装甲車で脱出するんだ。そいつらは、あちこち彷徨ったあげく、最後に生き残っている集落と合流して、ハッピーエンドになるんだが……」
「俺たちもハッピーエンドになりたいもんだ。こんなところで朽ち果てるのは真っ平だからな」
「まあな……けどよ、兵隊ってな、いくさが商売だろ? それなりの覚悟をきめて、自衛隊に入ったんじゃないのか」
「こんなことが起こるとわかっていりゃあ……」
「入らなかった、か?」
哲夫はにやにや笑って、慶太を見た。
「逆だ。もっと早く入ってたよ。……俺も
慶太は双眼鏡をのぞきこんだまま嘆息したが、すぐに顔を引き締めると、すこし語気をつよめた。
「……この戦いは、これまでの戦争とはわけがちがう。俺たちの『世界』そのものを、侵略者から守るための戦いだ。異世界からの侵略なんて、それこそ映画みたいなもんだが……俺たちには、誰はばかることのない大義がある。ちがうか?」
「いや、ちがわん」
「だろ? だから、複雑な気分だよ。……顔も見たことのない、いったいどんな化けもんかと思っていた
「戦争なんてそんなもんだろ」
哲夫は笑みを浮かべたままいった。
「末端の兵が、人間としてはけっこういい奴だってのは、よくあるこったぜ」
「しかし、敵であることに変わりはないぜ」
慶太は再確認するようにいった。
「脱出できない以上、俺たちはみんな捕虜みたいなもんだ。リーチェが俺たちを自由に振る舞わせているのは、お互いの力がちがいすぎるから、閉じこめるだけの意味もない、と考えているからかもしれないしな」
「そりゃまあ、そうかもしれんな」
哲夫は肩をすくめた。
なるほど、兵士らしい考え方だ。理解はできるが、理路整然と考えるより、勘のほうが的確な答えをだすときもある、と哲夫は思った。
哲夫には、リーチェが悪人とは思えなかった。賭事の好きな彼は、同世代のものとは比べものにならないくらい、数多くの人間をその目で見ている。相手がどういうタイプの人間かを瞬時に見抜けなければ勝負に勝つことはできないし、だいいち金払いがいいかどうかもわからない。
しょせん人間というやつは、金が絡めばどんなに非情にも冷酷にもなれる、というのが哲夫の信条だった。
だから、相手の正体を見抜くことは、無駄な勝負を避けることにつながるし、自分の身を守ることにもつながる。
その長年の経験からいえば、リーチェは、本気で彼ら全員を気にかけている。貴音でさえも、だ。ただ、それを表にあらわしていないだけで。
たしかに、小なりとはいえ私掠軍船の船長をしているだけあって、リーチェはどれほどくつろいでいるように見えても、隙だけはまったく見せない。
だが、敵意や殺気を感じさせたことも、これまでに一度もなかった。
あるいは、哲夫ですら感じ取れないほど、殺気を押し殺すことに長けているのかもしれないが、哲夫は自分の勘に賭けてみたい気がした。
それにリーチェには、どこか人を引きつけるような、不思議な魅力があるのだ。
(その点、結衣ちゃんは柔軟だよなぁ。やっぱ若いからかね……)
哲夫は、ゆうべの結衣の様子を思いだした。
(まあ、肉親を殺られてないってのもあるんだろうが……ちぇっ、こんなこと考えてると、一気に年寄りになった気分だぜ)
そのとき、ふいに誰かが哲夫の足をたたいた。
「?」
下をみると、
「
夕方には装甲車は砂漠を抜け、荒野へ入った。
そこには、まだ若干の植物が見受けられた。といっても、やはり絶対的に水分が足りないのか、生育しているのは膝ほどの高さしかない、サボテンのような植物だけである。
けれども、その姿には意外にも全員が目を奪われた。モナルキア号に拾われてからすでに半月。その間、草木など一本も見ていなかったのだ。
久しぶりに見る緑は、生き抜くことで精いっぱいだった彼らの心に、深くしみ込んでいった。
「植物なんて、まだ残ってたんだねぇ」
リーチェも、顔をほころばせた。
一行はその夜、サボテンの荒野の真ん中で野営をした。
翌日の昼には荒野も途切れがちになり、装甲車は山岳地帯へ入っていった。
切り立った山の間を、徐行しながら縫うように進み、それを抜けるとまたスピードをあげる。相変わらず光源は見あたらないが、赤く染まりはじめている空の下、山のふもとを走っていった。
そこではもう山岳地帯は終わりに近かったが、代わって装甲車の行く手に現われたのは、砂漠でも岩場でもなかった。
右手を山に阻まれた平らな大地の上には、黒い帯状の地面がつづいていた。その表面には無数のひび割れが走り、うすい石のような破片が散らばっていた。
それは、明らかにアスファルトに類するもので舗装されたあとだった。
ところどころ陥没している舗装路の断面は、土を均等にならした上で薄く塗り固められており、かなり進歩した土木技術によるものだとうかがえた。
やがて最後の山を抜け、右の視界が急に開けた。
「……おい、あれを見ろ!」
ドライバーの
彼らの口から、すぐに丈昭とおなじ驚きの声が発せられた。
ドームだ!
装甲車が方向を転じる先。――そこには、椀を伏せたような姿をした巨大な建造物の群れが、前方の大地をうずめ尽くすようにして、粛然と建ち並んでいたのだ。
彼らは、驚きに目をみはった。
モナルキア号どころではない、それは、彼らが初めて目の当たりにする、別世界の文明の圧倒的な自己証明だった。
陽炎のなかでゆらゆらと揺らめきながら、遠く連なる人工の丘陵地帯。ドームの外延は夕方の空の光を反射して、赤く輝いている。
異界の大規模な建造物群を、貴音たちは絶句して眺めつづけた。我々はまさしく、人類とはちがう別の知的生命体が造り上げた文明を目の当たりにしているのだと、彼らはしびれるような思いで実感した。
「なんとまあ……」
ようやく、哲夫がうめいた。
「こいつぁ、すげえぜ」
「生きて、こんな光景にお目にかかれるとはな……」
慶太も興奮したようにあえぐ。
貴音は、装甲車が切っていく風に髪をなぶられながら、ドームの群れを見つめた。
たしかに、息を呑む光景だ。かつて南米の密林のなかで、初めてインカやマヤの遺跡を発見した探検家たちでさえ、これほどの興奮を味わいはしなかったろう。なにしろ、ここは地球ではないし、建造物の規模もまるでちがうのだから。
だが、
「……待って、ふたりとも」
貴音は眉をひそめた。
「なんだか、様子が変よ」
――結局、彼らの感動は長続きしなかった。
近づくにつれ、建築群の正体が、彼らの目にもはっきりしてきたからだ。
それは、廃墟だった。
遠くからはあれほど美しく光り輝いてみえたドームの天蓋は、あちこちが崩れ落ちていた。
巨大な天井を支えていたであろう構造材や、ドーム内の建物もむきだしのありさまだ。
外壁にも大きく亀裂が走り、どのような力が働いたのか、内部から爆発したように四散していたり、上からきれいに押し潰されているドームがいくつもあった。
ドーム群の敷地に入ると、もはやここに住む者などいないことは明らかだった。
貴音たちは、装甲車の横を流れていくドームの群れにひたすら注意を払ったが、人影はどこにも見あたらなかった。街路には、かつてこの街の夜を照らしだしていたはずの照明が整然と立ち並んでいたが、それらはとうの昔に役割を終えていた。
枯れはてた街路樹が、幹の部分からへし折れて風化し、装甲車の走る振動であっさりと枝が折れ、ぼろぼろと砂のように崩れていく。
動くもののない異界の都市に、装甲車の走る音だけが、がらんがらんとこだました。
それは、死の静寂のなかで放たれる、唯一の音だった。
「こいつは……」
運転席から街の状況をみていた丈昭は、小さくつぶやいた。
「ちょっと待てよ、このぶっ壊れかたは……」
破壊された街。瓦礫の山と、いっそせいせいするほど開け返った空の眺め。私掠軍との戦争がはじまってから、さんざん見てきた光景だ。
だが、何かが丈昭の感性を刺激した。見慣れすぎた光景が。
(そうだ! やっぱりこいつは……!)
「何をぶつぶついってるのさ?」
となりにいたリーチェが、彼のつぶやきを聞きつけた。
丈昭は、リーチェの顔を一瞥した。
すぐに視線をそらす。
「……いや、なんでもない」
「そこ、右だよ。大通りにでるはずだ。でたら、三つ目の交差点を左に曲がりな」
リーチェは、窓から外の様子を眺めつつ、丈昭に指示した。頭上のコンソールを操作して、車載コンピュータから市街マップをモニターに呼びだし、自らの記憶と照らし合わせる。
崩れ去って道をふさいでいるドームの外壁やら錆びた支柱やらが邪魔だが、この車の機動力なら、残骸の山も難なく踏破できるだろう。
「ついにここまで来たか……」
リーチェは、しばし感慨にふけった。
彼女の記憶とマップデータどおりならば、もうまもなく研究施設が見えてくるはずである。
しかしその記憶とデータは、この破片世界がまだ漂流をはじめる前の、つまり『世界』の構造がばらばらになる前のものであり、ここに足を踏み入れるのは、じつに五年ぶりのことだ。この目で確認するまで、安心はできない。
順調にいけば、六日でモナルキア号に戻れるにもかかわらず、食料や水を二週間ぶん積みこんだのも、リーチェの慎重さのあらわれだった。あまり、めったなことで船を呼ぶような真似は、したくないのだ。
「ずいぶん、ここの様子にくわしいのね」
その声に、リーチェはふりかえった。
うしろに貴音が立っていた。
「どうしてだか教えてほしいわ」
貴音の声からは、以前のようなとげとげしさは、とりあえず影をひそめていた。
しかし、遠慮というものもまったく感じられなかった。感情を押し込めた昏い瞳で、冷たくリーチェを見つめる。
リーチェはしばし、その視線を見つめ返していたが、やがて口元に小さな笑みを浮かべた。
この場に哲夫がいれば、まるで自嘲するような笑みだ、と思っただろう。
だが、哲夫はいなかった。
貴音は、馬鹿にされたと感じた。
「なにがおかしいの……」
のどの奥で、噴き出しそうな感情を必死に押し殺す。
「おちつきなよ、貴音」
リーチェは肩をすくめた。
「あたしは記憶力に自信があるのさ。前にも来たことがあるって、言ったろう? このマップも、そのときに作ったんだよ。どんな資料でも、とっておけばいつかは役に立つもんさ」
リーチェはふたたび貴音に背を向け、コンソールに手をのばした。
「あなたに気安く名前を呼ばれるいわれはないわ」
「そうだっけ? まあいいわ。それより、もうすぐ日が暮れる。そんなに入れ込んだって、どうせ研究所に入るのは明日だよ。すこしはリラックスしたら?」
「できると思う?」
貴音は腕を組み、壁にもたれかかった。
リーチェは、貴音の憎悪のこもった視線が背中に突き刺さるのを、痛いほどはっきりと感じた。
「あんたじゃ、無理だろうね。あんた、自分に気持ちに正直すぎるよ。そんなんじゃ、今どきの世の中、渡っていけやしないよ」
「きいた風なこと……!」
「あんたを見てるとさ、まるで……」
リーチェはいい淀んだ。
「……とにかく、寝首をかこうってんなら、もっと慎重にいくべきだよ。力押しじゃあどうにもならないことだって、世の中にはいくらもあるんだ。無謀な真似をしたって、あんたの彼氏とやらが喜ぶとは思え――」
つぎの瞬間、リーチェは吹っ飛んでいた。貴音が、猛烈な勢いで殴りつけたのだ。
リーチェの体が壁にぶつかり、計器盤のガラスが派手な音をたてて割れた。
顔をしかめるリーチェの襟首を、貴音はねじあげた。ふたたび拳を見舞おうとする。
「このっ……!」
「お、おい!」
丈昭が驚いて貴音に飛びついた。
「何やってるんだ、いきなり!」
「離してよ! あなたには関係ないでしょう!」
しばしのもみ合い。丈昭は苦労して、貴音の手をリーチェの襟首からもぎ取った。もがく貴音を、必死で押さえこむ。
「頭を冷やせ! 協力するって、納得したんじゃなかったのか!」
「気が変わったわ! こんな女、こんな……!」
貴音は、リーチェをにらみつけた。
「『命の恩人』ですって? 人殺しの分際で、よくそんなクチがきけるわね! しらじらしい!」
「おいおい、どうしたんだ?」
「車長?」
騒ぎを聞きつけた哲夫たちが集まってきた。
リーチェは口元に手をやった。また唇が切れている。医務室でのことといい、よほど貴音に殴られる縁があるようだ。あるいは、貴音の手が早いだけか。
だが、今度はリーチェは何もいわなかった。
黙って血をぬぐうと、軽く頭をふって静かに立ちあがる。
「あたしは器材を点検してくるよ。もうすぐ目的地だ」
リーチェは後ろの車両へ移っていった。
「哲夫、そこのガラスを片しときな。危ないからね」
残った彼らは、連結包をくぐっていくリーチェの後ろ姿を見つめた。
それがひどく寂しげなものに見えたのは、気のせいだったろうか。
「……もういいでしょう。いいかげんに離して!」
貴音は、丈昭の腕をふりほどいた。
「車長、何があったんです?」
慶太がきいた。
「なんでもないわ。ちょっとしたトラブルよ」
「ちょっとしたトラブル、だと?」
運転席に戻りながら、丈昭がうなった。ここが廃墟でなければ、とうの昔に追突事故を起こしているところだ。
「おい、久遠さん。いっておくがな、俺にいわせれば……」
「まあまあ、遊佐の旦那、落ちついてくれ。何もなかったんだし、いいじゃねえか。貴音ちゃんだって反省してるさ。な?」
最後の言葉は、貴音に向けたものだった。しかし、貴音はそれには応えなかった。
「私掠軍にも、赤い血が流れてるのね」
貴音は、連結包に目をやりながらつぶやいた。
「知らなかったわ」
哲夫は頭を抱えた。……が、実際には、貴音はもう少しちがうことを考えていた。
(あの女は、どうして反撃してこなかったんだろう?)
そうなのだ。丈昭が貴音を引きはがすまで、リーチェはまったく抵抗するそぶりを見せなかった。まるで無抵抗のまま、立ち尽くしていたのだ。
襟首をねじあげたときも、リーチェの力なら簡単に跳ねのけられたはずなのに。
その気になれば、いつでも勝てるという余裕だったのだろうか。もしそうなら、しゃくに触る。
けれども、殴りつけたとき、リーチェは計器に頭を強打した。一瞬顔をしかめたのだから、もちろん痛みも感じたろう。
にもかかわらず、何故かばうような動作をとらなかったのか。
(どうして?)
貴音はしばし考えたが、答えは見つからなかった。
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