第9話 壊れた街への旅路

 光源がなくとも、世界のなかで時は流れる。

 星は見えなかったが、そのぶん空は漆黒に濡れて、みにくい虚無の淵を覆い隠してくれる。


 モナルキア号のクルーは、無事着陸した船の外で、夜闇に焚火をかこんだ。


 着陸した地点はもともと林だったらしく、砂漠化した地面の上を、枯れ果てて倒れた樹木が覆っていた。

 彼らは、あたりに散らばる朽ちた枝を集めて無造作に積みあげ、冷たい夜気を追い払うように盛大な火をともした。


 食料庫に積み込んであった肉をどっさりと持ってきて、適当な枝に刺し、直接火であぶる。

 赤身がじゅうと音をたて、脂を垂らしながら香ばしく焼きあがっていく。


「こいつはいい匂いだ」


 慶太けいたは唾を飲みこむと、焼けた肉にかぶりついた。


「糧食じゃない、目の前で焼いた肉なんて、何ヵ月ぶりですかね、車長?」

「そんなこと、わざわざ思い出したいのか?」


 丈昭たけあきは苦笑した。


「こいつは合成じゃなくて、ほんとうに本物の肉なのか、レアーレ?」

「あたりまえさ、俺たちでもめったに食えない上物だぜ。こんなの船ンなかで食ったら、値打ちが失せちまわあ。俺のいうとおり、外で食ったほうがよっぽどうまいだろ」

「まるでキャンプみたい」


 脂で汚れた指をぺろっと舐めて、結衣ゆいが楽しそうに笑った。


 本来、『食べる』という行為は、こうした原始的な営みのなかに、その真髄があるのかもしれない。……少なくとも、配管やケーブルが壁をつたう船内食堂で食べるのでは、この解放感と感動は味わえないだろう。


 それにじつをいえば、六人の臨時クルーも、地球とは違う世界というものに、たいへんな興味があったのだ。……たとえば、日本では絶対にお目にかかれないほど、長いながい地平線がのびる砂漠の大地や、船のなかとは違う油臭くない澄んだ空気に。


 もっとも、貴音たかねにとって、そんなことはどうでもよかった。

 彼女は、目立たないようにみなと同様、焼けた肉を口のなかへ放りこみながら、そのじつ、傍らにすわっているリーチェの一挙手一投足に全身の神経を集中していた。


 なんとかこの女をだしぬいて、陸自の連中が――肉の味がどうしたって?――所持していた武器を取り戻さなければならない。


 ……けれども、果たしてそれで勝てるだろうか?

 中宮なかみや駐屯地で見せつけられた、私掠しりゃく軍の無敵の戦闘力。グレネードの直撃を受けても傷ひとつ負わず、完全武装の戦闘ヘリをあっというまに撃墜してしまった。生身でだ! まったく、なんという化物なのだろう。


 そして、貴音はおぼえていた。

 あの、銀髪を自在にあやつったネルガとかいう女――リーチェから名前を聞いたのだ――が、自衛隊員の体を切り裂くとき、たしかに笑っていたのを。


 奴らは、人殺しを楽しんでいる。スポーツのように。ゲームのように。


(人の姿をしてるだけの怪物よ! かえって、そのほうが似合いだわ!)


 人間性、などという上等な言葉は、私掠軍どもには永久に理解できまい。きっと奴らの心には、あんなふうに残忍で、狂暴で、得体のしれない何かが巣食っているのだ。

 彼らの猛悪さの前では、軍用拳銃の破壊力さえ、子供のおもちゃ同然だろう。


 とはいえ、ひとつだけ気になることがある。


(でも、この女は……銃を取り上げて、隠したんだ……)


 それが重要なのだ。もしこの女が、ネルガほど強くないとすれば? 私掠軍の強靭さにも、個体差があるとしたら?

 銃さえ取り戻せば、主導権を奪うのは意外と容易かもしれないではないか。

 なぜ男どもは、この程度のことにも気づかないのだろう。


(それにしても……)


 と、貴音はあらためて、夜闇にそびえたつモナルキア号の船体を見あげた。

 回収されたときは気を失っていたので、この船の外観を見るのはこれが初めてだが、こうしてみると、思っていたよりかなり大きな船である。


 その船形を、貴音の知識のなかで説明するなら、『下あごの突き出した方舟』というのがいちばん近い表現だろう。

 全体になめらかな弧を描く船体のラインが、船首の下部だけは涙滴型に大きく膨れており、船尾両舷にはスクリューならぬジェットエンジンの推進機のようなものがついている。


 この女は、これでも小型船といっていたが……私掠軍の首領、ベスティアが乗るという『アルブクーク』とは、いったいどんな船なのだろうか。


「いっそ、林全体に火をかけたってかまいやしないんだけどね。誰も困りはしないし」


 食べ終えた取り皿をかごのなかへ放りこむと、リーチェはそういって口の端を歪めた。


「ほんとうに、生き残っている人は誰もいないんですか?」


 結衣がおずおずと訊ねる。


「ええ。もう何年も前に滅んじゃったわ、この世界の住民たちはね」

(……?)


 結衣は、ふと気がついて、リーチェの顔を見つめた。

 応えたリーチェの瞳に、ほんの一瞬、たまらなく淋しげな、悲しげな影がゆらいだような気がしたのだ。

 もっとも、それがどうしてなのかは、結衣にはわからなかった。


 少女のとまどいにはおかまいなく、リーチェはすぐにいつもの引き締まった顔に戻ると、立ちあがって尻の埃をはたき落とした。

 炎をかこむクルーのまわりを歩きはじめる。


「残念だけど、これ以上船で進むわけにはいかないわ。調べたんだけど、この破片世界はこっちの予想以上に不安定な状態なのよ。『世界』に超空間振動を放ちながら進む粒子海洋船をこれ以上飛ばしたら、下手するとせっかく残っているこの世界も、最終的な分解を起こしかねない」

「最終的な分解?」

「粒子海洋のなかで、素粒子にまで還元されてしまうってことよ。跡形も残らず、消え失せる。永久にね」


 嘉一よしかずの問いに、リーチェは応えた。頭をぽりぽりと掻く。


「そうなったら、もう取り返しがつかないわ。あたしらの今までの苦労も、すべて水の泡ってわけよ。ここの所在をつきとめるのには、ずいぶん時間がかかったんだ。どうあっても必ず“プログラム”は回収する。……ギブ・アンド・テイク。せっかく命を助けてあげたんだから、そのぶんはしっかり返してもらうわよ」


 リーチェは、冷徹にいい放った。


「ひとつ確認したいんだがな」


 丈昭が、一語一語区切るようにいった。


「いいよ。なに?」

「その“プログラム”とやらの回収に成功したとして、だ。ほんとうに、俺たちを地球へ帰してくれるんだろうな?」


 全員がリーチェの顔を見た。


「それは保障するわ。ただし、成功すればね」


 少なくとも、嘘には聞こえなかった。

 丈昭はちらりと貴音を見た。聞こえているのかいないのか、なんの反応も示していない。

 リーチェは歩みをとめた。


「目的地に“プログラム”がたしかに存在している……それは、もうわかっているのよ。そっちの心配は必要ないわ。だからどのみち、失敗するってことは……みんなで仲良く、この破片世界といっしょに分解されるってことね」

「そんなにやばいのかい、ここは?」


 哲夫てつおが、のんびりとした口調で聞いた。


「そりゃあもう、背すじがぞくぞくするほどよ」

「あ、あのっ……」


 結衣が、思いきったように口を開く。


「その“プログラム”は、ほんとに、地球を攻撃するためのものじゃないんですよね?」


 リーチェは、一瞬きょとんとした。

 それから苦笑する。


「こだわるねえ。まあ、当たり前か……安心しな。誓って、そんなんじゃないよ。信じるかどうかはあんた次第だけど、あたしの目的はそんなんじゃない。……ほんとうに、そんなんじゃないのよ。

 どう? 信じるかい?」


 顔をのぞきこまれるようにして逆に訊ねられ、結衣はちょっとばかり躊躇した。

 だが、すぐにこくんとうなずいた。

 あの瞳を、信じてみたくなったのだ。


「上出来!」


 リーチェは破顔した。


「さあ、いつまでも食べてんじゃないよ。明日は早いからね。みんな今夜は早めに寝て、体を休めときな。

 レアーレ、あたしはもう寝るから、火の始末、ちゃんとしときな」

「あいよ」

「もう休むのかい?」

「あたしは夜更かしはしないことにしてるんだ。美容に悪いからね」


 ふりむいて悪戯っぽく笑うと、リーチェは船のほうへ戻っていった。

 そんなリーチェを見送りながら、結衣が貴音に小声できいた。


貴姉たかねえ。あの人、なんだかそんなに悪い人には見えないんだけど……」


 ――だが、貴音の応えは、気の緩みはじめた結衣をすくませるのに充分だった。


「……人を殺す善人なんて、どこにもいやしないわ」






 それから数時間後。

 すでに船内は寝静まり、静寂に包まれたモナルキア号の一室。


 貴音は、不要な箱の上に毛布をかぶせただけの、かたい即席ベッドに寝転がりながら、暗い天井を見つめていた。


 ここは、貴音と結衣に割り当てられた部屋だ。狭いが、どうせ着替えるときと寝るときくらいしか使わない。


 男どもは、船の中央部にある大部屋にそろって放りこまれていたし、リーチェは船長室にひっこんだ。レアーレは、ブリッジの自分の席をリクライニングさせて、仮眠をとっているはずだ。この半月、ずっと船のなかで生活してきて、リーチェたちの日課や行動は読み取っている。


 最初に医務室で目を覚ましたとき、部屋の隅の、暗がりから出てきた女。


 それが私掠軍のひとりと知った瞬間、頭のなかが真っ白になった。自分があのとき、あの女にどう向かっていったか、まるで覚えていない。あるのは「仇を討ちたい」という激しい思いだけだった。


 今だって、その思いは変わらない。

 あの女は、自分の捜していた『世界』に入ることができて油断しているはずだ。いくら力の差がとおく及ばないほどだったとしても、眠っているあいだなら、関係はあるまい。


(わたしだってこの半年間、ずっと特災対の実務部隊を率いてきたんだ)


 貴音には、これまで一線でやりぬいてきた自負があった。


 いつ、奴らの攻撃があるか、わからない状況のなかで――


 避難民にあてがわれた、粗末なプレハブやテント、そしてしまいにはバラック。異様な臭気のただよう難民キャンプさながらの敷地内に足を踏みいれ、殺伐とした雰囲気のなかで、怒号やいわれのない非難をぶつけられ、哀願や泣きわめく声を聞かされた。


 つねに身の危険を感じながら、警察同行のもとで攻撃被災地の調査、試料の収集と分析、報告書の作成をおこない、けれどそれに果たして意味があるのか、こんなことで本当に奴らを倒せるのか、心の底で確信は持てず。


 戦いに勝てる希望を見いだせないなか、しだいに誰も彼もが神経をささくれだたせていった。連絡のために訪れた他の小隊では、隊員たちに殴りあったとおぼしき痣があった。別の隊では殺傷事件があった。自殺者がでた。みな疲れきっていた。


 くまの浮かんだ顔をつきあわせ、仲間と怒鳴りあい、あるいは励ましあい。新たな攻撃の報せと、それによって増加した死者・行方不明者の数の大きさとに打ちのめされながら、それでもいつかは必ず以前とおなじ平和が戻ってくると、無理矢理信じこもうと努力して。

 本部や他の隊との連絡と調整に日々を追われ、新たな任務の連続に、息つく暇もなく――


 時間の観念を喪失したのは、いつの頃からだったろうか。まばたきする間に、半年もすぎていったような気がする。

 では、平和だったあの時代は? そんなもの、何百年も昔の話だ。生命の危険? 珍しくもない。いちいち数えるのも馬鹿らしいくらいに。


 今さら恐いものなど、何もない。失えるものは、すべて失ったのだから。


(でも……)


 貴音は首をめぐらせて、となりのベッドで眠っている結衣を見つめた。


(ちゃんとした恋愛を、この娘はしたことがあるんだろうか)


 そう、貴音は思った。

 知っているだろうか。愛する男にすべてを委ねて、その代わりに身も心も深い愛で満たされる、あの何物にも代えられぬ喜びを。心がとろけそうなほどの安らぎを。


 たぶん、まだ知らないだろう。起きているときは、小隊の頭脳として立派につとめを果たすこの娘も、こうしてみると、まだほんの少女だ。


 本来なら、高校でクラブ活動に熱中したり、アイドルや、かっこいい男の子に嬌声を送り、日々の小さなことに思い悩み、友達との他愛のない会話に笑いの花を咲かせる年頃なのだ。


 丈昭がいった。ここでサボタージュを起こしてなんになる、と。


 冷静になって考えてみれば、その言葉の正しさを認めないわけにはいかない。いま、自分に課せられた使命は、仇をとることではなく、仲間を全員ぶじ地球へ連れ還ることである。

 少なくともこの娘だけは、絶対に送り還さなければならない。


 彼らに与えられた操船知識だけでは、あの得体のしれない粒子海洋とやらを彷徨ったあげく、漂流してみんなでのたれ死ぬのが関の山だろう。


 貴音は、唇を噛んだ。

 悔しいのだ。あの女に、自分の男を殺した仇敵である私掠軍の一味に頼らなければ、仲間どころか自分さえ守ることもできないということが。


 感情にまかせて、今この部屋をでてあの女の部屋へ忍びこめばどうなるだろう?

 あの腰に差している奇妙なサーベルを奪い取って、ひとおもいに胸をぐさりと貫き通してやれば、どんなにいいか!


 そうされるにふさわしいことを、彼ら私掠軍はさんざんしてきたではないか!


「……!!」


 身体が、かっと熱くなった。

 憎悪と、復讐心。今まで自分を突き動かしてきたものはそれだけだ。特災対への志願も、試料の分析も、怒鳴りあいも、警察との協力も、救助活動も、報告書の作成も、すべてはその発露だった。


(いまなら……)


 無意識のうちに、ぎゅっとこぶしを握りしめる。体が懊悩に震えだす。

 貴音の瞳に、危険な光が宿りつつあった。


(いまなら、この手で復讐できる……私には、そうする権利があるはずよ。……あの女を、この手で……)

「んん……」


 とつぜん聞こえた声に、貴音はびくんと体を震わせて跳ね起きた。

 あわててふりかえる。

 結衣だ。寝言にならない何かをつぶやいて、ころんと貴音のほうへ寝返りをうった。


「……!」


 貴音は、凝然と結衣の寝顔を見つめた。

 はあっ、はあっ、と激しくあえぐ。

 いつのまにか、全身に汗をかいていた。心臓は跳ね上がったように早鐘を打っている。


 鼓動の音が結衣に聞こえてしまいそうな気がして、貴音はたくしあげた毛布を胸に押しつけた。


 彼女は、たったいま自分をとりこにしていた考えを、結衣に見透かされたような気がした。


「……あなた……あの女のこと、かばってるんでしょ……」


 貴音の言葉に応えたのかどうか……結衣は、また何事かつぶやいた。

 仔猫のように身を丸めると、ふたたび安らかな寝息をたてはじめる。


 しだいに落ちついてきた胸元から毛布を離し、貴音はもういちど、結衣の愛らしい寝顔を見つめた。

 それから、目をつむって、ゆっくりとかぶりを振る。

 急速に、頭が冷えていくのがわかった。


(いまは……考えるべきことじゃない……)


 貴音は自分に舌打ちした。この娘の安全を守ることが、最優先のはずなのに。


 旭川に疎開したという、結衣の両親のことを思いだす。彼らはきっと、中宮駐屯地での戦闘と三〇一隊失踪の報せを受け取ったろう。結衣の無事だけを願って、毎日必死に祈っているにちがいない。


 だから、この娘だけは絶対に護りとおさねばならないのだ。

 大切な人を奪われる悲しみを、いちばんよく知っているのは、他ならぬ貴音自身なのだから。


 貴音は、何度か深呼吸をした。最後にひとつ、小さなため息をつくと、ベッドから抜けでて、結衣の毛布をかけなおしてやった。


「ん……」


 結衣が、貴音を見あげるように寝返りをうった。貴音の表情を、推し量るかのように。


「心配しないで……無茶はしないわ。……いっしょに、地球へ還らなきゃね……」


 貴音は、静かにつぶやいた。

 そのまま、しばらく結衣の髪をなでていたが、やがてふたたびベッドに寝転がり、目を閉じた。


(……だけど、いつかは決着をつけてみせる。かならず……)


 ゆったりと、睡魔が襲ってきた。

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