第8話 破片世界
モナルキア号のブリッジは、この五年間で初めて、三つあるコンソールのすべてがクルーで埋まるようになっていた。
リーチェはナノマシンの通信機能を使って、粒子海洋の基本知識と、モナルキア号に関する一定の操船技術を貴音たちの頭へたたき込んだのである。
それから、目的地へと向かうかたわら、一二時間交替制で、彼らに慣熟航行をさせていた。
いま、リーチェの下でブリッジについているのは第二班。
ソナーには結衣。機関制御コンソールには嘉一。そして船内監視モニターの前には哲夫がすわり、ブリッジの強化窓ごしに、漆黒の粒子海洋を見つめていた。
これをもっとも喜んだのは、それまで操船を一手に引き受けてきたレアーレだった。なにしろ、機関の出力調整や操舵、ソナーの監視に、刻々と変化する航法データの処理など、モナルキア号を操るためのたいていの作業は、いままで彼ひとりで担ってきたのだから。
もちろん、ふつうにブリッジ中央にある舵輪を操作していたのでは、そんな膨大な作業を一度にこなすことなど、できようはずもない。
だから彼は、船内外のすべての情報を直接脳に集約するシンクロ・ヘッドギアをかぶり、神経をブリッジのオペレーティングシステムに直結することで、この全長九〇メートルの船をほとんどひとりで操ることを可能にしていた。
たとえ平時であっても、そのために処理しなければならない情報はかなりの量だ。地球人には、複数の情報を脳内で並列処理することは不可能である。
リーチェもいったとおり、私掠軍戦士の能力は地球人を大きく凌駕する、ということだろう。
とはいえ、負担をまったく感じない、というわけでもない。ことに、大きな粒子流に遭遇したり、多くの電子や素粒子が干渉しあう暗礁海域に入ったときには、非常に細かい操船が必要になる。
そのために脳内で処理する情報量と、それに注ぎこむ精神力はたいへんなものだ。ありとあらゆる情報を、瞬時に把握し、理解してリーチェに伝え、その命令をシステムに伝達しなければならない。
彼らとて、疲れを知らないヘーロースではなかった。ロボットだって金属疲労を起こすくらいだ。
だから、促成とはいえモナルキア号の操船技術を習得しているクルーがそれぞれの作業を分担してくれることは、じつをいえばレアーレの願望でもあったのである。
「もうすぐ目的地が確認できるぜ」
舵輪を握るレアーレの声ははずんでいた。いま、ブリッジの各コンソールについているのは味方ではないが、五年もふたりきりでいた頃に比べれば、楽しい気分になれる。
「航行ポイント、三次元軸固定……航路上に障害なし」
結衣がソナーを確認した。
「……ないけど、なんなのこれ」
「どうかしたのかい、結衣?」
リーチェが訊いた。船長席にすわる彼女は、片耳にインターコムをつけ、腕組みをしながら、前方にひろがる粒子海洋を見据えている。
「何か……ぼんやりした影みたいなものが、前方のあちこちに発生しています。急に現れたり、消えたりしてるわ」
「ああ、気にするこたぁないよ」
レアーレが、機嫌よさそうに結衣にレッスンした。
「そいつは、どこかの『世界』が近づいてきたときに出てくるんだ。ある『世界』を支える力場、まあ、その『世界』の構成エネルギーってやつだけど、そこから飛びだてくる量子と、粒子流とが干渉しあってできる、一種の残像さ」
「残像?」
「そう。だから……ほら、みてみな」
あごで示すレアーレに、ブリッジの全員が正面の窓を見た。
眼下に船の甲板がひろがっている。そのむこうは、漆黒の粒子海洋だ。
その暗い空間のなかに、淡い光の塊が、ぽつぽつと生まれはじめていた。
いくつも不意にわきあがっては、流されながら消えていく。最初は一瞬しか見えなかったものが、進むに従ってだんだん長く、数も多くなってくる。
結衣がじっと目を凝らして見ると、光のなかには、それまで見たこともないような奇妙な光景が映しだされていた。
地球と比べても、百年以上は未来のものとしか思えない、裳裾をひろげた山のような巨大な建造物。
不思議な姿をした動物たち、金や桜色の瞳をした人間たち。
大空を自在に駆けめぐる、翼と胴体の一体化したような航空機。
きらびやかな夜の市街に、爆発して焼け落ちていく展望塔。海の上を弾丸のようにひた走る、流線型の磁力船。浜辺で海水浴を楽しむ、おおぜいの人々。
さまざまな映像が、粒子海洋に浮かんでは、船の舷側を通りすぎて消えていく。光が粒子海洋を裂き、ブリッジに差し込んでは、まるで不定形の生き物のように、クルーのあいだを泳ぎまわってかすれてゆく。
初めて見る、あまりに幻想的な光景に、結衣はほう、とため息をついた。
「すごい……」
「たいしたもんだな、こりゃあ」
哲夫も感心して、サングラスの奥のまなこをしばたたいた。
「レアーレ、こいつが、俺たちがこれからいく『世界』なのか?」
「ちがうよ」
嘉一の質問に、レアーレはちょっとそっけなく応えた。
「なんていやあいいかな……この世界は、もう粒子流ンなかで崩壊しちゃって、破片が残ってるだけなんだ。俺たちが行くのは、その破片のひとつさ。……だから、この映像は……もう、昔の光景で……」
なぜか、レアーレの声はだんだん小さくなっていった。
「レアーレ、おしゃべりはそのへんでやめな。もうそろそろ近いはずだよ。結衣、どうなんだい?」
リーチェの言葉に、結衣があわててソナーをのぞきこむ。
「あ……前方に反応! ええと……設定ポイントです、確認!」
「よし。哲夫、船内のわんぱく嬢ちゃんたちに伝えな。キャビンで静かにしてないとケガするよってね」
「ケガ?」
「そうよ。船が海から陸にあがろうってのよ。それなりのショックがあって当然でしょ?」
リーチェは、にやっと笑ってみせた。
ブリッジの誰も気づかなかったが、哲夫へかけられた初めの言葉には、ちょっとした皮肉がこめられていた。
「私は、あんな女のいいなりになるのはごめんだわ!」
非常灯に照らされた暗い廊下を歩きながら、貴音は激しい口調を
レアーレが心待ちにしていた臨時クルーのうち、今のところ必要のない残りの三人は、船の士官室で待機するようにいわれていた。
しかし、そのうち少なくともふたりは――とくに貴音には――リーチェの命令にしたがう気は、なかった。
「このうすら寒い船のなかも、あいつらから恵んでもらう合成食ももうたくさんよ!」
貴音は、髪を乱暴にかきむしった。
「これ以上あいつらの施しを受けるくらいなら、今すぐ死んだほうが遥かにましだわ!」
「そうかい? ここんとこ、ずっと糧食つづきだったんだ。まともに皿に入ってるだけでも、ありがたくて感動したよ、俺は」
丈昭は、わざとそらっとぼけた。
貴音は、きっとまなじりを釣りあげて丈昭をにらみつけた。
「あなた、この状況をなんとも思わないの!? ようやく仇敵にめぐりあえたっていうのに、なんとも思わないの!」
いらだたしげに叫ぶ。
傷が癒えるまでは、と思って、今まで懸命におとなしくしてきたのだ。
しかし、もう我慢も限界だった。
「あなた、でかいのはなりだけなの!? 今なら私たちにもこの船の操縦ができるのよ。船の主導権を確保できれば、地球に還りつくくらいのこと!」
「おちつけよ、
丈昭は諭すようにいった。なんとか、この頭に血の昇りきった特災対の女を鎮めなければならない。
それにしてもこの女、なぜこんなにリーチェに敵愾心を燃やすんだ? いや、そんな生ぬるいものじゃないな。憎悪の塊といってもいいくらいだ。
「頭を冷やせよ、あんたの方針には穴が有りすぎだ」
丈昭は両腕をひろげて笑ってみせた。
「まず、どうやって主導権を確保するんだ? リーチェの力を見たろう。おまけに俺たちには、武器がなんにもないんだぜ。仮にあのふたりをどうにかできたとして、だ。地球の座標をどうやって割りだすつもりだ?」
「しかし車長、あいつらは敵なんですよ!」
「わかってる、だがな……」
「地球を滅ぼそうとしている張本人じゃないですか! 俺は、奴らの指揮にしたがうつもりは毛頭ありません!」
「俺だってない!」
とうとう丈昭も自分を抑えきれなくなった。もう二〇分もこうして言い争っているのだ。
「だがな、俺たちが今いちばんやらなきゃならんのは、できるだけ多くの情報を収集して、原隊に持ち帰ることだ! 無謀な賭けにでて帰れなくなってしまったら、この千載一遇のチャンスをみすみす失うことになるんだぞ!」
「手伝ったところで、私たちを生きて地球に帰す保障がどこにあるの! 何億もの人を平気で殺すような連中よ! 私は……あいつらのやったこと、絶対に許さないわ!」
貴音の最後の言葉に、丈昭は何かとても個人的な匂いを嗅ぎとった。これはまともな説得の効く相手ではなさそうだ。
特災対がもともと民間人の集まりであることを思いだし、丈昭はつばを吐きたくなった。
「……じゃあ、今ブリッジにいってる連中はどうするんだ。リーチェは、いつだって連中を人質にできるんだぞ」
丈昭は『人質』という部分を強調した。もっとも、自分ではそんなことになるとは思っていないのだが。というより、状況と彼我の力の差を考えれば、この船に乗っているかぎりは誰もが人質のようなものである。
リーチェが六人にブリッジを担当させているのは、おそらく純粋な必要性からだろう。でなければ、敵にまわると公言していたに等しい貴音にまで、わざわざこの船の操船技術をナノマシン注入するはずがない。もっとも、貴音はそれさえも最初は「洗脳装置」だと言い張ったのだが。
しかし、貴音を納得させるには、その感情を逆手にとる以外に手がなかった。
「もし、ここで俺たちがなんらかのサボタージュを起こしたとしてだ。それで何が解決する? 味方を危険にさらすだけだろう。葉山、お前もだ。階級は川内も同じといっても、あいつはまだ未成年だぞ。あいつまで危険にさらすつもりか?」
「そんなことは……しかし!」
「黙れ!! 以後、我々はリーチェに協力する。これは命令だ!」
丈昭は恐ろしい形相で慶太を怒鳴りつけた。
それから、貴音にふりかえって、
「……特災対さん、あんたにも部下がいるんだろう。あまり個人的なことで、彼らの命を無駄遣いさせるなよ」
と、怒気を込めていった。
『みんな、もし部屋を離れてるんなら、戻っててくれ。もうすぐ粒子海洋を抜けて、目的の世界へ入る。衝撃があるかもしれんからな』
天井のスピーカーから、哲夫の声が響いてきた。
「……ということだ。士官室に戻るぞ」
何事かいい返そうとする貴音を、丈昭は無視した。慶太の襟首をつかまえて、廊下を引きずるように歩き去っていく。
「……ったく、これだから女ってやつぁ!」
吐き捨てるような声が、最後に廊下に響いた。
貴音は、丈昭の後ろ姿をきっとにらみつけた。
……だが、その顔は、しだいに伏せられていった。
いつのまにか強く握り締めていた拳に、視線を落とす。
「くっ……」
個人的なこと……個人的なこと!
ちがう、といいたかったが、できなかった。
まさにそのとおりだったからだ。
この八ヵ月半、貴音の心のなかでは、私掠軍に対する憎悪だけが大きく膨らんでいった。
やつらが憎い。私から、すべてを奪ったやつらが。
けっして多くを望んだわけではない。ささやかな、ほんの小さな幸せだったのに。この世のほんの片隅で、ただひとりの人と誓いあった、かけがえのない愛情だったのに。
それはもう、永遠に行き場を無くしてしまった……
……だから、なんとしても私掠軍を斃すのだ。
思い知らせてやる。愛するひとを奪った異界の敵に、かならずこの手で復讐してやる……!
人類防衛の大義だとか、避難民を保護するだとか、そんなものはしょせんどうでもいいお題目にすぎない。たとえ自分の命がどうなろうと、私掠軍に復讐さえできれば……。
だが、部下の生命を守る義務も、貴音にはあるのだ。今まではそれを忠実に遂行してきたつもりだった。そして、これからもそうしなければならない。
いま、敵がこの同じ船に乗っているというのに!
「ちくしょう!」
貴音は壁に拳をたたきつけた。
『ちくしょう!』
リーチェの付けていたインターコムから、貴音の叫び声が聞こえたとき。ちょうど粒子流と破片世界との接点が、流れくる映像のあいだに見えはじめていた。
現れては消える他の幻影よりも、安定した大きさを保っている、柔らかな光の洞窟だ。
「結衣ねえちゃん、ソナーは?」
レアーレが、すこし緊張した声できいた。
「え、ええと……だいじょうぶ、進路上に障害物なし。クリアです」
「ようし。……姐さん、いけるぜ」
「……ああ」
リーチェは、面白くもなさそうに返事をすると、インターコムを外して、船内音声のモニタースイッチを切った。
「……嘉一、機関減速三分の一。レアーレ、消壁コイル開放、磁束線照射用意」
「了解!」
レアーレが元気よく応えた。
「消壁コイル?」
推進機への動力伝達を絞りながら、嘉一が思わず口にした。
「なんだよレアーレ、消壁コイルって」
「あーっと……『世界』を粒子海洋から切り離している力場を中和して、『世界』に進入する穴を空けるシステムだよ。超高収束された磁気を使うんだ。……正直、今のこの『世界』相手なら、直接力場に体当たりして突破ってのもできなくはないけど、そんなことしても船体が痛むだけだからな」
レアーレはこたえながらも、舵輪脇のコンソールを操作していく。
「体当たりで突破、か……それだけ世界の構造が脆くなっているってことか?」
嘉一は口のなかでつぶやいた。
(壁をぶち破って前に進む船……まるで砕氷船だな)
とりとめもなく考えてから、その奇妙さに苦笑する。
だが思うに、こいつは似たような状況なのだ。これからいく世界は、まさに『我々の世界』ではない。一世紀も前に、人の侵入を拒みつづけた分厚い氷の防壁を打ち破り、人間が初めて南極点を目指したときと同じく、彼らを待ち受けているものは、まったくの“未知”だった。
嘉一は、彼のすぐ前の席で、光に見とれている結衣をみつめた。
ずいぶんと小さな肩だ。迷彩作業服なんて似合わない娘である。
(この娘は、こんな危険なところにいていいんだろうか)
嘉一は、ふと心配になった……が、今さら廻れ右するわけにもいくまい。
レアーレが舵輪についているスイッチのひとつを押した。甲板の舳先から、砲身のようなものがせりあがってくる。
完全に姿をあらわし、甲板上に固定されてしまうと、その砲身が花のように割れひろがった。花弁にあたる部分が、ゆるやかに輝きを帯びはじめる。
接点まで、船はかなり近づいていた。周囲に浮かぶつかみどころのない幻影は、もう誰の目にも入らなかった。視界いっぱいに、柔らかな光の幕がひろがっていたからだ。
幕のなかには、赤茶けた大地が一面に映しだされている。
いや、幕のむこうには、実際にそういう世界があるのだ。
「さて、一丁やろうかしらね!」
リーチェが、パンと手をたたいた。気分を変えるように。
「嘉一、エンジンの出力は落とすんじゃないよ。穴が開いたら一気に進入する。……レアーレ、軸線は任せる。よけいな振動を起こすんじゃないよ、この“破片”もいつ粉々になって吹き飛んじまうか、わからないんだからね」
「わかってる。まかしとけって」
レアーレは慎重に舵輪をあやつって、舳先を破片世界の入り口、淡い光の幕の中央へとうまく誘導した。
「消壁コイル稼働。力場中和開始」
リーチェが命じた。レアーレが復唱し、手もとのボタンを押す。
砲の開いた花弁から、磁気を束ねる電子線が放たれる。それが粒子海洋の大気と干渉して薄く輝き、真っすぐに光の幕へと突き刺さっていく。
消壁コイルからの光を受けとめる幕に、波紋がつぎつぎと広がりはじめた。全体が大きく悶えるように波を打つ。強烈な閃光に、偏向ガラスが反応して、ブリッジへ差し込む光量を落とす。
つぎの瞬間、光の幕は急激に生彩を欠き、奥にひろがる荒野がはっきりと視認できるようになった。
と同時に、膨大な量の空気が、怒涛のごとくモナルキア号へ押し寄せてきた。大気が轟音をあげて渦を巻き、粒子海洋へ船体を押し戻そうとする。
「な、なんだ?」
哲夫が腰を浮かせた。
「あわてんじゃないよ。向こうのほうが気圧が高いんだ、大気が流出しているだけさ。嘉一、エンジン接続! いそいでつっきるよ! レアーレ!」
「了解!」
「あいよ!」
嘉一がエンジン出力を推進機に伝達する。レアーレは大気に流されないよう、舵輪を操作した。
モナルキア号は軽くその身をゆすると、大気の奔流に逆らって、破片世界へ突入していった。
「……きた!」
レアーレの声だ。
接点を通過したとたん、揺れは急速におさまっていった。背後では、力場の中和を解かれた破片世界が、粒子海洋と再びふたつに仕切られたところである。
そして、彼らの眼前には。
――今まで、地球のだれも見たことのない光景が、ひろがっていた。
「これが、別世界、か!」
嘉一は、我知らず身を乗りだしていた。
窓の外に、だだっ広くへばりついている大地……先ほど見た景色からすると、地表近くに出るかと思ったが、実際にはかなりの高度があった。
陸自の戦車隊員では空からの測距などできるはずもないが、四、五千メートルは上空のような気がする。
嘉一は、窓の端から端まで目を走らせた。見渡すかぎり、平坦な褐色の荒野がどこまでも広がっている。
森林や海、湖のたぐいは、少なくともこの近辺にはないようだ。
「こりゃ、まるで火星だな……」
嘉一は、素直に感想をのべた。
「水分が、ほとんどトんじゃってるのさ」
リーチェが肩をすくめる。
「もとは、青い海や緑のひろがる、ずいぶん美しい世界だったんだけどね。……空間の構造がめちゃめちゃになったせいで、水分がこの世界から粒子海洋へ、ほとんど流出しちゃったのさ。だから、砂漠化が激しい。
……もっとも、もう誰も住んでいないところだから、今さらそんなことはどうでもいいけどね」
「……そこまで知ってるってことは、この世界に来たことがあるのか?」
「まだ、こんなふうになってなかった頃にね。今は『世界』の破片が粒子流に流される一方で、ずっと跡を追っていたってわけよ」
「そりゃあいいが」
哲夫が、こりこりとあごを掻いた。
「リーチェさん、いつまで背面飛行をつづけるんだい? 目が回りそうだぜ」
窓の右下に、この世界の空が見えていた。船内重力が働いているとはいえ、すでにこの世界の重力もモナルキア号に影響を与えているので、ともすれば体が浮きあがりそうになる。
「俺、ジェットコースターは苦手なんだが」
「ほおっ……!」
あっという間に移り変わっていく窓外の光景に、慶太は思わず感嘆の声を洩らした。
先ほどまではただの暗闇だったのが、急速にまばゆい光に満たされ、それがさらに突然、赤茶けた大地と青い空に変わったのだ。
丈昭に連れ戻されたあとも納得がいかず、押し黙ったまま士官室の舷窓からむっつりと外を見ていた慶太だったが、それこそパノラマのように展開していく外の光景に、さっきまで不機嫌だったことはきれいさっぱり忘れてしまった。
(すごいぞ、これは……どう見たって、地球の景色じゃない。いや、砂漠か? 砂漠なら、似たような景色はあるかも……でも、あんなに赤い砂があるか、地球の砂漠に?……ここは本当に、別の世界なのか……俺たちの世界じゃないのか……!)
初めての興奮が、心をひどくゆさぶる。敵の船に囚われていることを、彼は懸命に忘れまいとした。
子供のころに読んだ安っぽい単行本には、UFOにつれ去られて他の惑星を訪れたという男の話がのっていたが――
(おっ……)
窓外の景色に心を奪われていた慶太は、ふと気がついて、目を凝らした。
緑のかけらもない、赤茶けた大地と青空のなかに、奇妙なものが存在していた。
「なんだ、ありゃ……」
慶太は茫然とつぶやいた。あごから力が抜け、だらんと垂れさがる。
彼は、それから目を離さないまま、丈昭を手招きした。
「車、車長。ちょっと……ちょっと来てください!」
椅子にすわって腕組みをしていた丈昭は、部下の声に片眉をあげた。
「なんだ?」
腰をあげると、慶太のほうへ歩いていく。
貴音もつられて、そちらに目をやった。しばらく考えていたが、つづいて立ちあがる。
「やれやれ。やけに身が軽いと思ったら、天地逆か」
舷窓に取りつき、外の景色を見やった丈昭は嘆息した。
「その境界線です。ほら、あれ」
慶太は、窓ごしにあごで示した。そのむこうには、地平線がゆったりとのびている。
だが、その大地と空との境界線は、途中から真っ黒な霧に覆われ、消えていた。
「……嵐か何かじゃないのか?」
丈昭は目を細めて言った。
「それなら稲光くらい見えますよ。それに、あんなに暗くもないはずです」
「そういえば、雨の降っている様子もないな……」
「それと、むこう」
慶太は別のほうを指差した。
空の一角だ。雲がひとかけらも浮いていない空に、代わりにあてがわれたのだろうか、奇妙な黒いしみができている。
まるで、書き割りされた空に、黒のカラースプレーを誤ってぶちまけてしまったかのようだ。
丈昭は、今度こそ真顔になった。
「……資料にあったな?」
「ええ。空間破砕攻撃を掛けられたときに現れる前兆と同じです。ひろがる様子は、今のところありませんが」
慶太の声は緊張していた。
「『破片』っていうより、『虫食い』って感じですね。きっとあちこちにありますよ」
「空間の関係はいったいどうなってるんだ? 光はこちら側から届いているようだが……太陽が見えんぞ」
丈昭は、舷窓に顔を張りつけるようにしてあちこちに視線を走らせ、この世界の光源を探したが、やがてあきらめて顔を離した。
「別世界だからって、太陽までいらないって法はないと思うが……それとも、ここの空は蛍光塗料でできてるのかね……」
丈昭がそうつぶやいて肩をすくめたとき、船体がゆっくりと回転をはじめた。
舷窓に映る景色も、それにつれて、大きく上から下へと流れていく。
慶太の言を証明するかのように、空の他の部分にも地上にも、黒くて何も見えないしみがいくつもあった。
大きさは、それぞれ異なっている。だが、性質はみな同じだろう――無と破滅への、底なしの谷間。
いずれにせよ、この世界が非常に危険な状態にあることは、素人目にもはっきりしていた。
知識注入で学んだとおり、粒子流にあと一度でも接触してしまったら、不安定なこの破片世界は、今度こそ粉々に分解してしまうに違いない。
ふたりの後ろからのぞいていた貴音は、何もいわず、ただその光景を見つめていた。
新しいクルーと、緊張とを抱えた私掠軍船モナルキア号は、ゆっくりと破片世界の空を飛翔していった。
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