第7話 タッチアンドゴー・その2


「姐さん、なんであんな真似したのさ」


 船内通路をブリッジへと歩きながら、レアーレはリーチェの顔を見あげた。

 貴音たかねたち六人の身柄は、船倉に捨ておいてある。内部の意見をまとめる時間を与えたのだ。

 どうせ船内に逃げ場はないし、粒子海洋船の操船技術も、自分の世界の位置さえもわからない彼らに、反抗する手段などあろうはずがない。


「あんなって?」

「あの連中に脅しをかけたじゃねえか。らしくないぜ、どうしちまったんだよ?」


 どう考えてもおかしいよ、という風情で、レアーレは歩きながら腕を組んだ。


「そりゃあさ、“あれ”が見つかって気がはやるのはわかるけど。……なんか、無理してるよ、姐さん。あの連中だって、脅しをかけるよりきっちり話通してさぁ」

「黙っといで、レアーレ」


 リーチェは足を止めると、ふりむいてレアーレの言葉をさえぎった。


「こいつは危険なのよ、わかるでしょう? よけいな連中は巻き込みたくないの。それに、“あれ”の存在を知るものは少ないほうがいいわ。万一、あのこたちがベスティアたちに捕まったとき、下手にしゃべらないとも限らないしね」


 そういって、ふたたび歩きだす。


「それより、船首の貨物艇ネフリートのハッチはしっかり封印かましときな。あの連中が乗ってたの、たぶん戦闘車両だから。あれはアルブクークへいく口実に使える。ベスティアは兵器マニアだからね」

「アルブクークに持っていくの?」

「ああ。それまで、連中に気づかれて奪われるんじゃないよ。あの指揮官っぽい男、取り戻したがってたから。あんなものに船のなかで暴れられると、さすがにやっかいだわ」

「……姐さん、“あれ”が手に入ったらさ……本気でやるつもりなのかい?」


 レアーレは不安そうな顔をした。いつもはいっぱしの口をきく彼が久しぶりにみせた、歳相応の表情だった。


「やるさ、もちろん」


 リーチェは明快に応えた。


「……だったらさ……絶対に俺もつれてってくれよ、頼むからさ」


 レアーレはすがるような瞳で、リーチェを見た。

 リーチェは穏やかに笑って、レアーレのねぐせ頭をかいぐった。


「安心しな。あたしが今までに、あんたに嘘をついたことがあったかい?」


 その言葉に、レアーレは黙った。

 そうだ。リーチェに拾われてから五年間、そんなことは一度だってなかった。

 これからもないはずだ、きっと。


「じゃあ約束だぜ、姐さん」

「ああ」


 リーチェは、鷹揚にうなずいてみせた。

 だが、レアーレはなぜか、リーチェの応えにも安心することができなかった。



    ☆



 ……小さな争いの予兆を秘めた私掠しりゃく軍船モナルキア号から、はるか遠く。

 粒子海洋の別の海域に、もう一隻、別の艦が浮かんでいた。


 遠くといっても、空間的な距離の遠さではない。多くの時空連続体とつながりをもち、物理法則の混乱する粒子海洋においては、通常の意味での距離感は、用をなさない。


 いくつもの位相のずれを飛び越え、多くの次元を通り抜けねばならない海域。地球のすぐそばでありながら、地球に存在するどのような観測機器を用いても、決して探知できない異空間。


 アルブクークは、外敵への恐れも知らず、悠然とその巨体を粒子海洋にはべらせていた。


 私掠軍の旗艦であるこの艦は、その姿を一度も通常空間に現したことはない。侵略を受けた世界は、反撃すら試みることもできず、突如荒れ狂う空間破砕の威力の前に滅び去ってきた。


 しかし、仮に反撃することができたとしても、これを墜とすのは容易なことではないだろう。アルブクークは強力な戦艦であり、装甲は厚く、重武装だ。生半可な攻撃では揺るぎもしない。叩きつぶされるのが落ちである。


 その内部には、数百人の戦士により構成される、絶対的な階級社会が存在していた。

 彼らの階級を決するのは、力だ。より強靭な肉体をもつもの。より血に飢え、より完全に獲物の肉体を破壊できるもの。


 優れた戦闘能力を有するものがすべてを支配する、絶対的「力」の組織。


 その組織を支えるのは、侵略した世界から掠奪してくる資源であり、捕らえてくる奴隷である。奴隷は弱者であり、戦う力もなく、したがって人間以下である。


 彼らは使い潰れるまで、私掠軍のために働かされる。死ねばその身体はゴミとして艦外に投棄される。すぐさま粒子流がきれいに分解してくれるのだから、まったくもうしぶんのない処理方法だ。この恐るべき艦のなかでは、人権などは紙くずほどの存在価値も与えられない。


 破壊、破壊、破壊。

 すべては死と暴虐と、破壊のために。


 私掠軍が誇る無敵戦艦。絶対不敗の浮かぶ城。

 それが、アルブクークなのだ。






「お姉さま。いったいいつまで、こんな世界にかかわっておいでなのですか?」


 間接照明の灯りにうすく満たされた、アルブクークの艦長室。

 ネルガは、ロッキングチェアに腰をおろしながら、探るような目を部屋の奥へむけた。


 奥の壁ぎわに配置された、バロック調に似た装飾を施されている執務机に、隻眼の女がすわっている。

 ベスティア・ストレーガ。アルブクークの艦長、この部屋の主だ。

 残虐非道、殺戮と掠奪しか知らない私掠軍をひきいる女である。


 ネルガの実姉だけあって、ふたりの面立ちはよく似ている。

 ただし、ネルガの美貌が女神のような端麗さであるのに対し、ベスティアの顔は、さすがに殺戮集団をひきいる女のふてぶてしさがにじみでていた。頬に残る刀傷が、それをひきたてている。


 ネルガの問いに、ベスティアは何も応えなかった。

 執務机にあるスタンドの明かりを頼りに本を読んでいる。


「このような、なんの価値もない生物の住む世界など、早く滅ぼしてしまえばよろしいのに」


 ネルガは、本心からそういった。

 なにしろ弱すぎるのだ、地球人は。私掠軍の戦士たちが持つ強靭無比の戦闘力とは、赤ん坊とダンプカーほどの差があった。


 ネルガは私掠軍のなかでもとくに力の強い上位戦士だが、彼女がその弱さゆえに日頃から侮蔑している下位戦士どもですら、地球人と比べれば一騎当千のつわものに見える。


 そして、『力こそすべて』が信条の彼女にとって、弱者とは強者に殺されるときにのみ、その存在意義が発揮されるのである。


「いっそ、ジェミトにでも任せてしまっては? こんなつまらない世界の残務処理は、あれひとりで充分でしょう。私は新しい世界を攻略すべきと思います」

「ここに留まるのは不服かい?」


 とうとつに、ベスティアが口をひらいた。本からは顔をあげないままだ。

 ネルガは一瞬思案したが、すぐに応えた。


「はい、不服です」

「この私のやることに、よくそれだけはっきりと不平をいえるねえ」

「ご気分を害されたのでしたら、もうしわけありません。ですが、お姉さまには常に私の本心を知っておいていただきたいのです。……心の底まで、すべて……」


 ネルガの声音が、嘆願まじりの淫蕩な響きを帯びる。


「ふふっ……可愛いことを言うねえ、ネルガ。しかし妙な話だ。帰ってきたとき、お前の身体は血にまみれてどろどろだったじゃないか」


 ベスティアはようやく顔をあげた。隻眼を妹へむけて、くすくす笑う。


「あのときのお前の瞳ときたら、すっかり濡れて、とろけきっていたよ。相当楽しんできたんじゃないのかい?」

「数など問題ではありませんわ、お姉さま。“狩り”とは獲物の抵抗が激しければ激しいほど楽しめるものです。下等生物のなかでも、あのように弱いものは最悪の部類に入ります」


 ネルガは、最後に戦った地球のなさけない戦士たち――恐怖と絶望に悲鳴をあげ、命乞いまでした男たち。もちろん、ひとりとして生かしておかなかったが――に、身も溶けそうな興奮を興醒めさせられてアルブクークへ戻ってきたのだ。


 せっかく、あの紅蓮の炎が、夜空をじつに素敵に赤く染めあげてくれたというのに、なぜこんな不快な気分にされねばならないのだろうか。

“獲物”の体を輪切りにし、吹きだした新鮮な血潮を全身に浴びて、このすべらかな肌を美しく彩る。それはこの世で最高の法悦を与えてくれるもののはずなのに、これでは全てがだいなしである。


 今となっては、嫌悪感に鳥肌しかたたなかった。


(まったく、あんな脆弱な戦士どもは、汚物にひとしい。思いだすだけで吐き気がする)


 ネルガは、本当に口元を押さえた。


「お前がそういうのも仕方がないかもしれないが、資源の供給地としては、ちょうどいい座標に存在しているんだよ。この“地球”という世界はね」


 ベスティアは、ふたたび本に目を落とした。


「新しい拠点を築くのには、使い捨ての奴隷も大量に必要だ。心配しなくとも、もうじき片がつく。そうすれば、他の世界で好きなだけ“狩り”を楽しませてやるさ」

「そのときは、もっと強い戦士のいる世界を選んでくださいませ」


『強い』の部分にアクセントを置いていうと、ネルガはついと立ちあがった。ベスティアへ歩み寄っていく。


「ずいぶんご熱心に、なんの御本をお読みになっているのですか?」


 そう声をかけたわりには、ネルガは本の表紙に一瞥もくれなかった。


「お姉さまが読書とは、お珍しい……」


 この言葉に、ベスティアは苦笑した。


「私とて気の向くときはあるさ。最近は静かだからね。地球の馬鹿どもにも、自分たちの身の程をわきまえる時間くらいは与えてやらねばならんだろう?……以前攻略した世界では、やりすぎて元も子もなくしてしまったからね。馬鹿どもを飼い慣らすには、殺すばかりでなく、撫でてやることも必要さ」

「慈悲深いお姉さまですこと……でも」


 ネルガは手を伸ばし、本の表紙に指をかけた。

 ページを、ゆっくりと閉じる。

 そして、顔をあげたベスティアの身体に、柔らかくしなだれかかっていった。

 ベスティアの首筋に、ネルガの熱い吐息がかかる。


「私には、その慈悲を賜らせてはくださらないのですか……?」


 ベスティアの耳へ唇を寄せ、ネルガは囁いた。

 そのまま耳朶を唇ではさみ、甘えるように吸っては、舌先でねぶる。


「……しようのない子ね……」


 ベスティアはすこし物憂げに、しかし先ほどより明らかに艶のある声音でつぶやくと、本を執務机においた。

 指先をネルガの白い喉元に添わせ、細くて形のよいあごへとなぞりあげる。


 ネルガが、吸っていた耳朶を放す。ベスティアの指が、そのままあごをたどりあがり、ネルガの唇に触れた。

 しばらく唇のふちをなぞり、その柔らかな粘膜をもてあそぶ。


「くく……」


 ネルガはちいさく含み笑いをした。

 抱き寄せられるまま、その身をすっかり姉に預けていく。

 下賎のものたちの血でけがれた肉体は、高貴なるものの愛撫で清めなければならないのだ。


 ベスティアはネルガの、いくぶん小振りで、血のように真っ赤な唇を吸い、舌を差し入れた。ネルガは唇をひらいて、それを積極的に受け入れた。己のそれと絡めあわせ、いっそう貪欲に姉の唇を求める。


 ふたりは互いの唾液をすすりあい、その唇の端から、透明な蜜が糸を引いてしたたり落ちた。


 もう何十回もくりかえされた儀式をふたたびくりかえすかのように――事実、それは何度となくふたりの間で行われてきた秘め事なのだが――ベスティアは慣れた手つきで、ネルガが身にまとっている衣装をするりと剥いだ。


 ほのめく弱い灯りのなかで、ニンフのように妖しく麗美な裸身が揺れる。

 美貌であるがゆえに悩ましく、死に彩られているがゆえにたまらなく甘美な姿態。


「ああ……お姉さま……」


 長い接吻が終わってふたりの朱唇が離れると、ネルガは切なげな声をあげて、これまでに幾度となく我が身をとろかしてくれた愛しい姉の愛撫をねだった。


「可愛い妹だこと……」


 ベスティアも、かすかに頬を上気させながら、ネルガをベッドへと横たえていく。


 ふたりの熱い夜は、まだはじまったばかりだった。

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