第6話 タッチアンドゴー・その1
空は暗く重く、地上は一面がゆらゆらと動く赤いものに覆われていた。
炎だ。
真っ赤な炎が、ごうごうと囃したて、残酷で、情け容赦のない触手をのばして、あたりを舐め尽くそうとしている。
どちらをみても、炎の海だ。
(ああ……)
空を見あげ、
飛行機が。
ひこうきがおちようとしている。
(いやぁ……!)
貴音は駆けだそうとした。
とたんに炎が吹きあげ、貴音のゆくてに巨大な瀑布となって立ちふさがった。
あまりの熱さに脚がすくむ。それでも貴音は、炎の壁をまわりこもうとした。
ゆく先を、新たな炎の壁がふさいだ。
またたくまに、貴音のまわりを炎の壁がとりかこんだ。どこにも逃げ道がない。
うろたえる貴音をみて、まわりの炎がいっせいにあざわらった。
飛行機が火を噴いた。
翼をもぎ取られ、落下していく。
(だれか、助けて……!)
貴音は泣き叫んだ。自分を、ではない。飛行機だ。このままでは飛行機が墜ちてしまう。あの人が死んでしまう!
だが、どこからも救いはなかった。飛行機はもろく、あっさりと炎の海に墜落した。
目もくらむ爆発の閃光と大音響が轟き、どす黒い煙がわきおこる。
すべてが終わり、何もかもが止まった。貴音の身を業火が包み、心が打ち壊され、断ち切られた瞬間!
「いやあああああああ――――」
「――――あああああああっ!!」
絹を裂くような悲鳴をあげて、貴音はベッドから跳ね起きた。
はあっ、はあっ、はあっ、……。
荒い息を吐きつつ、たしかめるように自分の体を抱きすくめる。
どうやらちがう。べつだん、彼女の体は焼かれていない。では、今のは現実ではなかったか。
いや、それもちがっていた。
背中が焼けるように熱い。全身が、冷汗でびっしょりと濡れそぼっている。熱が出ているようだ。
「ああ……うううう……」
苦悶の声をあげ、貴音は両手で顔をおおった。嗚咽がとまらず、頬を涙が濡らしていく。
また、あの夢だ。……何も感じるまい、何も思い出すまいと、必死になって心を押さえつけていたのに。
「
あごまで伝った涙が、シーツまで、ひとつぶ、落ちた。
七月一五日、午後三時。東京に、あの忌まわしい空間破砕攻撃がかけられた瞬間。
羽田空港は直接の攻撃範囲には入らなかったものの、攻撃が生みだした空間の歪曲と暴風は、周辺部にも多大な影響と被害をもたらした。
そしてあのとき、貴音は心から愛したひとを、永遠に失ってしまったのだ。
あのあと、ガスタンクや石油コンビナートがつぎつぎと爆発し、巨大な炎が東京湾を覆い尽くすなかで、貴音は恋人の名を呼びながら、夢遊病者のようにふらふらと一六七便が墜ちたほうへと歩いていった。空港関係者――おそらくは、生き残った作業員のひとりだったのだろうが――に抱えられて建物のなかに連れ戻されるとき、貴音は半狂乱になって、泣きわめきながら海へ出ようとしていた。
その後のことは、何も覚えていない。
気がつくと、あれから何日もすぎていた。自衛隊の大型テントのなかで簡易ベッドに寝かされながら、ぼんやりと天井を見つめている自分がいた。
何が起こったのかはわからなかったが、知りたいとも思わなかった。知ったところでどうなるというのだろう? もはや何が起ころうと、自分があれほど愛したひとは、二度と還ってこないのに。
だが、やがて少しずつ意識の焦点がはっきりしてきた貴音は、愛するひとを奪った敵の存在を知った。
許せなかった。自分の男を殺したものたちが。ささやかな夢を奪った彼らが憎かった。
どうしてもこの手で復讐せずにはいられないほどに。
貴音が、設立まもない特災対に身を投じたのは、それからすぐだった。
この八ヵ月のあいだに、ずいぶん変わったと自分でも思う。以前の自分は、もっとよく笑ったし、よく泣いたものだ。少女の頃は勝ち気で男勝りな性格をしていたけれど、いつのまにか一人前の女として、ひとりの男性につくす喜びも、愛される悦びも覚えていた。
だが、今はちがう。つややかだった長い髪も、ばっさりと切り捨てた。もう私は女ではないのだ。女である私は死んだのだ。
あのひとが死んだ、あのときに……。
背中に鋭い痛みがはしり、貴音はうめいた。
気がついて自分の体を見ると、迷彩作業服を脱がされ、代わりに包帯が体や手足、頭にも巻かれていた。
「どう、なったの……」
全身が熱い。まだ少し意識が混乱しているのか、自分がなぜ包帯を巻かれているのかわからなかった。
私はいつ怪我をしたの? このベッドは? こんなふかふかのベッド、感触さえ忘れかけていたほどに久しぶりだ。
貴音は周囲を見まわした。
うす暗くてよくわからないが、どこかの部屋のなかにいるようだ。
「どこ、ここ……」
「気がついた?」
何気ないつぶやきのつもりだったが、とつぜん返ってきた女の声に、貴音ははっと身構えた。
とたんに背中がずきんと痛み、苦悶の息を洩らす。
「……だれ!?」
それでも薄闇を誰何して、声の聞こえたほうを見やる。
人影が、壁にもたれて立っていた。顔は、暗くてよく見えない。
「なんだって? こっちの言葉で返しな。あんたらの言語野には、情報をたっぷり乗せたナノマシンを注入してある。もう脳に定着してるし、あたしの言葉だって意味はとれるはずだよ?」
女の言葉に、貴音はしばらく呆然とした。
たしかに、耳慣れない響きの言葉で話しかけられている。今まで聞き知っているどんな言語ともちがう言葉だ。
なのに、なぜか意味が理解できる。
だが、その伝わってくる内容は、理解の範囲を超えていた。
情報……マシンを注入? 言語野って?
「……あなた、誰?」
頭のなかで、伝えたい意味と初めて使う言語をつなぎ合わせながら、貴音は慎重に問うた。
「どこの、誰なの?」
「礼儀を知らないねえ。人に名前を訊ねるときは、まず自分から名乗るもんだよ」
そういうと、影は――声の主はのそりと動いて、貴音のほうへ歩いてきた。近づくにつれ、顔だちがはっきりしてくる。
黒い髪に、黒い瞳。日本人か? いや、それにしては目鼻だちがはっきりしすぎている。
ツナギのような上下一体の作業服を着込み、頭には赤いバンダナ。
腰には、形状からすればサーベルらしきものを差している。ただし抜き身だ。刀身はやや太い。
服の左胸の部分には、見たことのないデザインのエンブレムが縫いつけられていた。
「まあ、いいか。あたしはリーチェ・レントゥス。このモナルキア号の船長よ」
「モナルキア号?」
耳慣れない船名に、貴音は眉をひそめた。
現在、日本で稼働している船舶――すべて政府の徴発船だ――の船名リストは、頭のなかへ叩き込んでいるはずだが、まったく記憶にない。
だいたい、いつのまに船になど乗ったのだろう。
(たしか、わたしは
とつぜん、貴音の意識のなかで記憶が像を結んだ。燃え盛り、崩れ落ちる駐屯地の建物。それをバックに銀色の髪をなびかせたあの――
「……あの女! そうだわ、あれから……ほ、他のみんなは!? わたし以外にふたりいたはずよ!」
あせって問う貴音に、リーチェはいぶかしげな顔をした。
「ふたりだって? あんたを入れて六人だよ、漂流してたのは」
「え?」
「あんたと一緒に生身で海を泳いでたのがふたり、頑丈そうな何かの乗り物のなかに三人。……あれのエンジン、もしかして化石燃料使ってるの? あっちのほうはあんたの仲間じゃないのかい? 服の模様は同じに見えるけど?」
リーチェは、貴音たちとともに飛ばされてきた一〇式戦車のことをいったのだが、貴音にはやはり内容の大半が理解できなかった。
最後の言葉で、何人か自衛官も混じっていることには思い当たったが……。
「……あの……漂流、ですって? 海を泳いでいた?……それ、どういうこと?」
「わからない娘だねぇ。あんたらはそろって粒子海洋を漂流してたのさ。たぶん、どこかの世界から何かの拍子に吹っ飛ばされてきたんだろうけど」
貴音を値踏みするように見ながら、リーチェは言葉を継いだ。
「いくら凪いでたとはいえ、回収があと二分も遅れていたら、あんたらみんな粒子流のなかで原子分解されていたよ。あたしの目の前に吹っ飛んできた身の幸運に感謝するんだね。
もちろん、助けてやったこのあたしにも」
リーチェは少しばかり恩着せがましくいってみたが、貴音はやはり理解できないようだ。きょとんとするだけである。
リーチェは拍子抜けした。
(粒子海洋を知らないのか?……どこかの、未開世界の連中かな、こりゃあ……)
どうやらお荷物をしょいこんじまったらしいね、とリーチェは腹の底で思った。まったく、この大事なときに。やはり無視するべきだったか?
まあいい。今さら船外へ放りだすわけにもいくまい。
「ま、しばらく養生していきな。近くの『世界』なら送ってやらなくもないけど、あいにくあたしらもちょいと行くところがあってね、そうそう時間はないんだよ。私掠軍の幹部連中も、新しい『世界』を攻略中とかで、こっちにまで目が届いてないしね」
リーチェは立ち去ろうと貴音に背を向けた。
だが、今度は貴音の反応はすばやかった。
「私掠軍?」
貴音はリーチェの腕をつかんだ。リーチェは何事かとふりむいたが、貴音の食い入るような真剣なまなざしに、すこし鼻白んだ。
「私掠軍って? あなた、いったい誰なの?」
その押し殺した声音に、リーチェは妙な胸騒ぎをおぼえた。なんなんだ、こいつ?
「おかしな女だね。だからいったろう? あたしはリーチェ。この私掠軍船モナルキア号の船長で――」
リーチェは最後までいえなかった。貴音が、まるで獣のような勢いでリーチェにつかみかかり、殴りつけたからだ。
「なっ! なにすんだい!」
リーチェは叫んだが、貴音の動きはとまらなかった。つづいてリーチェの体にタックルをかけて床へ押し倒すと、馬乗りになって顔面を殴った。二発、三発!
だが、リーチェも私掠軍のはしくれだった。四発目をぶちこもうとした貴音の腕を取って体をひねり、相手を床に倒しこむと、あごにひじ打ちを食らわせた。貴音がひるんだ隙に体勢を立てなおして起き上がり、みぞおちに痛烈な蹴りを見舞う。
「ぐうっ!」
貴音は床を転び、背中を壁に打ちつけた。あまりの痛みに、一瞬意識が遠くなる。
「なんだっての、このアマっ」
リーチェは口元を袖でぬぐった。唇が切れて血がにじんでいる。
「けっ」
血の混じる唾を吐き捨て、リーチェは忌まいましげに貴音をにらんだ。
しかし、貴音はあきらめなかった。頭をふり、傍らのテーブルに手をついて立ちあがると、叫び声をあげながらふたたびリーチェに突進した。
「このばかっ」
リーチェは軽く身をかわすと、ふたたび貴音の腕を取ってねじあげた。
「いいかげんにおし! さっきはふいを突かれたからやられたけどね、あたしが本気になれば、あんた一人ひねり殺すくらい、わけはないんだよ!」
「……なら、殺せばいいでしょう」
「なにをっ!?」
「あんたたちみたいな人殺しの集団に助けられたくなんかないわ! この鬼、悪魔……たくさんの人を殺したくせに! 私の裕文さんを殺したくせに!!」
「裕文?」
「そうよ! あんたたちが殺したのよ! 私たち、もうすぐ結婚するはずだったのに……もうすぐあの人と一緒になれるはずだったのに、あんたたちが来たから!!」
貴音はリーチェのすねをかかとで蹴りつけた。そのまま腰をひねって、思わず手を放したリーチェのこめかみに肘打ちを見舞おうとする。
が、リーチェはスウェーバックして身をかわすと、逆に踏み込んで貴音の腹に当て身を食らわせた。
「ふっ!」
衝撃が背中へ突き抜ける。激痛に、貴音の視界が暗転した。がくりと膝をつく。
「ぜ、ぜったい……ゆるさ……!」
床へ倒れたときには、もう気を失っていた。
「……そういうこと……」
リーチェは、少々ばつが悪そうな顔で、気絶している貴音を見下ろした。
よほど憎しみがつのっていたのだろう、気を失いながらも、リーチェの作業服をしっかりと握り締めている。
仇を決して放すまい、とでもいうように。
「あたしは、他の世界の植民地化に直接手を貸したことはないよ……それに、あたしにだって、都合があるんだ」
まるで自分にいい聞かせるようにつぶやくと、リーチェは貴音を抱えあげた。
ふと見ると、包帯を巻かれただけの貴音の背中にうっすら血がにじんでいる。いまの乱闘で傷口が開いたようだ。
「むちゃな娘だね、まったく……」
リーチェは、かすかに悼ましげな目をした。
☆
モナルキア号の医務室で軽い乱闘騒ぎがあってから、船内時間にして翌日の午後。
結衣と哲夫、そして武装を解除された一〇式戦車の搭乗員たちは、レアーレに連れられ、モナルキア号の最下層に位置する船倉に集められていた。
船倉にあるのは、大型の連結式車両が一台と、あとは内火艇らしきものが一機。他には補修用の資材やコンテナがいくつか積んであるだけだが、もともと狭いため、それで船倉は半分以上埋まっている。
「なんてことしてくれたのよ!」
その狭い船倉に、
「あんなところで大砲撃つなんて!
今にも噛みつかんばかりの結衣の剣幕に、戦車長の
すぐ後ろに控えている操縦手の
そして、三人のさらに後ろで、レアーレはにやにや笑いながら事のなりゆきを見守っていた。
「貴姉だけ別室に運ばれてるのよ! まだ会わせてもらってないのよ! ひょっとしたら意識もまだ戻ってないのかもしれないじゃない!」
結衣は大声で叫んだ。感情に抑えが効かなくなっているのか、目尻に涙がたまっている。
彼らがモナルキア号に回収されて、すでに三日が過ぎていた。ただ、意識を取り戻したのは昨日になってからだったが。
自分たちが、こともあろうに私掠軍に救助されたと知って、彼らの心境は一様に複雑だったが、もっともショックを受けていたのは結衣だった。
貴音だけがいないのである。
リーチェに聞いたところ、怪我をしているので別室へ移したとのことだったが、意識はまだ回復していないという。腕時計の短針が半分まわったころ、ふたたび訊ねてみたものの、その時点では貴音の意識は依然戻っていなかった。
その三〇分後に貴音はいったん目をさまし、リーチェと乱闘になったのだが、結衣はそれ以降リーチェに会っていない。
自分をかばってひどい怪我を負った貴音の背中をみているだけに、結衣の心のなかでは悪い想像ばかりが広がっていった。
それが、船倉で戦車乗りたちの姿をみて爆発したのである。
「どう責任をとるつもりよ! なんとかいってみなさいよ!」
丈昭は弱りきった顔をして頭を掻いた。三十路をすぎた彼にとって、女子高生のけんか相手はあらゆる意味で荷が重すぎる。しかも相手は完全に度を失っていた。弁明して切り抜けられるような状況ではあるまい。
それでも丈昭は、なんとかこの場を治めようとした。
「しかしあのときは気がつかなかったんだ。なにしろ駐屯地全体が……」
「気がつかなかったですみますかっ!!」
丈昭の弁明は、火に油を注いだだけだった。
「あんな危険なことして! 貴姉になにかあったら、絶対許さないから!」
「おちつけよ、結衣ちゃん」
そろそろ頃合と見たのか、
「あの女船長、貴音ちゃんをつれてくるっていってたじゃねえか。だったら、ちゃんと意識は戻ってるんだよ。心配するなって」
「でも!」
怪我の程度がひどかったら? 歩けないのを、むりやり連れてこられるのだとしたら?
だいいち、私掠軍がほんとうに満足な手当てをしてくれているのだろうか。
結衣は気が気ではなかった。
「悪かったと思ってるよ。だからもう勘弁してくれ。撃てと命じたのはたしかに俺だ。俺が悪かったから……」
丈昭がそういいかけたとき、船倉の入り口から、通りのよい女の声が響いた。
「ちょいと、こりゃあぜんたい、なんの騒ぎだい!? 騒々しいねえ、まったく」
その場の全員が、声のほうへふりむいた。
私掠軍の女、リーチェ・レントゥスである。
そして貴音も、リーチェにせっつかれるようにして、船倉へ入ってきた。
「貴姉!」
その姿を認めた結衣が、心底ほっとした様子で真っ先に駆け寄り、貴音に抱きついた。
背中に鋭い痛みがはしったが、貴音は顔にはださず、結衣をそのままにさせておいた。
「無事だったのね、結衣」
仲間の姿をみて多少安心した貴音は、この船に乗ってから、初めて笑顔をみせた。
結衣は体を震わせ、何度もうなずいた。
「うん、わたしたちはだいじょうぶ。でも、貴姉だけひどい怪我してたから、わたし心配で……でも、元気そうでよかった……ほんとによかった……」
あとは、涙で声にならなかった。
「結衣ちゃん、あんまり強く抱きついてやるなよ。まだ背中の怪我は癒えてないはずだぜ」
哲夫が苦笑して声をかけると、結衣ははっとして貴音から離れた。
「ご、ごめんなさい。わたし、うれしくてつい」
「いいのよ、平気だから」
貴音は結衣に微笑みかけ、それから傍らに立つリーチェをにらみすえた。
「どういうことか、説明してもらいたいわね」
多分に険を含んだその口調に、リーチェは肩をすくめてみせた。
「また暴れだす前に、てっとりばやく言おうか? 面倒くさいのは好きじゃないしね」
そういって、あらためて全員の顔を見渡す。
「あたしらが何者か、この船が何なのか、あんたらが今どこにいるのか。それは説明したわよね。……で、取引がしたいってわけよ」
「取引?」
丈昭が用心ぶかく目を向けた。結衣を扱いあぐねて困り果てていた彼の顔つきは、すっかり戦車指揮官のそれに戻っていた。
「そう、取引よ。はっきりいって、この船には難民に無駄飯食わせていられるほどの余裕はないの。といって、せっかく助けたものを外に放りだすような真似はしたくないわ。だから、ちょっと手伝ってほしいのよ」
「手伝うって何を」
「まさか、仲間になれとかいうんじゃないだろうな」
戦車乗りたちが騒いだ。
リーチェは眉根をよせて彼らを見やると、
「うるさい連中だね。人の話は最後まで聞くもんだよ。……あたしらはいま、ちょっとした捜し物をしてる。粒子流の影響で、滅んでしまった世界ってのがあるんだけど、そこで開発されていた、ある“プログラム”が欲しいのよ」
リーチェは全員の反応を瀬踏みするように、彼らを一人ひとり見つめながら話を継ぐ。
「その『世界』は粒子流のせいでばらばらに吹き千切られて、世界を構成する空間の破片があちこちに流されたから、プログラムの存在する破片を見つけだすのが大変だったわ。……まあ、この間、ようやく特定できたんだけどね」
「いったい何なんだい、その“プログラム”ってなぁ」
張りつめた空気とは場違いに能天気な口調で、哲夫が訊ねた。
リーチェは思わず哲夫にふりむき、にやっと笑ってから、
「ふふん。まあ、某重要プログラムってやつよ。あたしはなんとしてもそれを回収したいんだけど、なにせこの船は、あたしとレアーレのふたりっきりだからね、人手が足りないのよ。
で、あんたらに手伝ってほしいわけ。
もし回収できれば、あんたらを元の『世界』へ送ってあげるわ。そう悪い話じゃないと思うけど?」
「お断りよ!」
貴音が切りつけるように叫んだ。
「人殺しの手伝いなんて、絶対にごめんだわ! どうせ地球を攻撃するのに使うに決まってる!」
とりあえず交渉は自らの姐御にまかせ、脇にさがって彼らのやりとりを聞いていたレアーレが、そばにいた嘉一にこそっと訊ねた。
「……“地球”って、お前らがいた『世界』か?」
「え? ああ。ここが別の世界って話が本当なら、そういうことになるかな」
貴音のように敵意をあらわにすることもなく、嘉一はいつもと変わらぬ口調で応えた。
実をいえば、自分たちが今目のあたりにしているのが『異なる世界の人間』ということに、実感がわかないのだ。
私掠軍といえば、たしかに地球の仇敵だ。久遠とかいうあの特災対の隊長がはげしい反発を見せるのも、もちろん理解できる。
だが、その『異なる世界の人間』とやらはどうみても地球人……というより、髪と瞳の色を考えあわせれば、東洋人といってもさして違和感はない。
ましてやこのレアーレときたら、まるで中学生くらいの幼さだ。
モナルキア号の乗組員もリーチェとレアーレのふたりきりだというし、どうも今までに彼が抱いていた『私掠軍』のイメージとこの船とは、あまりにもギャップがありすぎた。
「勘違いしてもらっちゃ困るね。あたしは、どこかの『世界』を侵略するとか、そんな目的のために“プログラム”が欲しいんじゃないよ。『私掠軍が』じゃなくて、『あたしが』欲しいのさ」
「どっちでも同じだ! 私掠軍に協力なぞできるか!」
慶太も不機嫌そうに怒鳴った。嘉一とちがって、こちらは心理的にはかなり貴音に近いらしい。
「助けてくれたことには感謝するけどな、俺たちの世界は、お前ら私掠軍のせいでけっこうな状況になっているんだぜ。それなのに、お前らに協力なんぞ、できると思うのか?」
慶太は注意ぶかく言葉を選んだ。相手は敵なのだ。わざわざこちらの被害状況の詳細を教えてやることはない。
それに、これでもニュアンスは充分伝わるはずだ。
だが、その言葉に、リーチェは静かにため息をついた。
そして、腰の後ろから何かを引き抜いた。
戦車乗りの三人が、あっと声をあげた。リーチェが手にしているのは、彼らが携帯していたはずの9ミリ拳銃だったのだ。
「……気を失ってるうちに武装解除されてると思ったら、そんなところに隠して持ち歩いてたのかよ……」
慶太が舌打ちして、忌々しそうにつぶやく。
リーチェは、露骨に不快そうな様子を見せる慶太を、どこか挑発するような眼差しでねめつけた。
「ふうん? そういうこと言うってことは、やっぱりこれがあんたたちの対人武装ってわけね」
「……そのとおりだが、それを認めたら、我々に返してくれるのかな?」
丈昭が口を開いた。
顔にうすく笑みを浮かべながら、油断なくリーチェの出方をうかがう。
「ついでに、戦車も返してもらえると、とても助かるんだがな」
「こいつを返してほしいのなら、それも取引のうちってことでどう?……ていうか、どうもあんたら、自分たちの立場がまるでわかってないようね」
リーチェの声音が、ふいに硬くなった。
すうっと目を細める。
「好むと好まざるとにかかわらず、あんたらはあたしを手伝わなきゃならないのよ」
銃で脅迫するつもりか――戦車乗りの三人は、銃撃を警戒して身構えた。貴音と哲夫も、結衣を後ろにまわしてかばう。
だが、リーチェは撃とうとしなかった。
銃身を握ると、無造作に力をこめただけである。
しかし、ふたたび手のひらを開いてみせたとき、拳銃の銃身は、プレス機にかけられたように指の形にきれいにひしゃげ、潰れていた。
貴音たちは絶句した。半口を開けて、役に立たなくなった拳銃を見つめる。
彼らの背すじを、戦慄が駆け抜けていった。
「わかった? あんたらとあたしらとじゃ、そもそも力のレベルがちがうのよ。あたしもあんまりこんな真似はしたくないけど、これ以上くだらない御託を並べるなら、本当に外へ放りだすよ」
「あんた……!」
貴音は、怒りに燃える瞳をリーチェに向けた。
「その後ろにかばった女の子が大事なら、あたしのいうことを聞いたほうがいいね」
リーチェはあごで結衣を示すと、冷たくいい放った。
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