第3話 殺戮の美姫
一日が終わって陽が沈む前に、貴音たちは一回目の調査をきりあげ、駐屯地の敷地内へ戻った。
夜間でも安全に作業ができたのは、治安がよく、ライトや燃料もふんだんに確保できた戦前の話だ。今はそんなぜいたくは言えない。
コンビナートの見取り図を確認しながら、試料の採取地点ごとに別のケースへ保管する。同時に観測した重力偏差のデータも、メモに書き込んで、ケースに貼りつけていく。
もちろん、これらはあとで書類にまとめ、試料とともに封入して、長野県松代にある特災対本部へ送ることになっている。
ついでにいえば、彼がテーブルに張りついているのも、そのせいだった。
「こういうデスクワークは、俺向きじゃないんだがな」
哲夫は、傍らに置いてあるカップを手にとり、冷めかけたコーヒーをすすった。
暖かみのない、機能だけが優先されたステンレス製のカップである。
その金属の感触に、哲夫は苦笑いした。最後に陶器の皿で飯を食ったのは、いつだったろう?
「こんなご時勢に、情緒を求めても甲斐がないか……」
だが、むしろこういう状況だからこそ、人の心のぬくもりを感じさせるものが必要ではないだろうか。そんな思いが、頭をよぎる。
「外の空気でも吸ってくるか」
彼はペンを転がすと立ちあがった。
ガラス戸をあけて外へ出ると、プレハブ宿舎に電力を供給する自家発電機が、低い駆動音をたてていた。この八ヶ月間で、すっかり聞き慣れた音だ。
すこし離れた場所に建つ、半壊した自衛隊宿舎のほうを見やる。
とくに物音は聞こえてこないが、無事な部分にはこうこうと明かりがついている。連中にも、山ほど仕事があるのだろう。
だが、塀に囲まれた駐屯地の外は、深い闇に閉ざされ、人の活動の気配は感じられない。
まるで、文明と切り離された流刑地にきたようだ。
「こんな事が、いつまで続くのかね……」
哲夫は夜空を見あげて、顔をしかめた。
「どう、結衣? 調整はすんだ?」
観測器材の整備から戻った貴音が、結衣に声をかけた。
一二畳ほどの広さがある彼女たちの宿舎は、ふたつの簡易ベッドといくつかのコンテナ、テーブル、書類キャビネット、大型バッテリーなどのほか、三台のPCとその周辺機器、いくつも積まれた無線装置などによって埋め尽くされ、足の踏み場もないほどだ。
「はい、もう少しです」
数十本もの色とりどりの配線に悪戦苦闘しながら、結衣は元気に応えた。ふりむいた頬に絶縁テープの切れ端がいくつもくっついているのを見て、貴音はくすっと笑った。
「大変そうね。手伝おうか?」
「いえ、もうすぐ終わりますから。あ、そこに糧食置いてますよ」
結衣は、頬からテープを一本はがすと、コードのつなぎ目にくるくると巻いた。
貴音は、野外用の小さな折りたたみ椅子にすわると、傍らのデスクに置いてある携行食パックの封を切った。本国を失いかけた在日米軍が、あわただしく撤退するときに残していったMRE野戦食だ。
カロリーやビタミン、ミネラルをこれひとつで全てまかなえるというのはたいしたものだが、味が濃いのが玉にキズだ、と貴音は思った。
たまにはちゃんとした食事を摂りたいとも思うが、それは贅沢というものだろう。今はどこでもこんなものだ。
貴音は、ミートボールの入ったレトルトパックを、携帯コンロの上で湯気をたてている薬罐に放りこんだ。本来は専用の加熱用加水バッグがあるのだが、発熱する際に水素を発生させるため、室内では使いづらい。
つづいて取り出したクラッカーをかじりながら、ぼんやりと結衣の後ろ姿を見つめる。
アンテナコードを手際よく無線に接続していく結衣に、貴音は一抹の不安をおぼえていた。
結衣は、哲夫や貴音のような志願組ではない。特災対から戦時召集されたクチだ。
本来なら、どんな事情があろうと、未成年者を特災対のような危険と隣あわせの組織で働かせるわけにはいかない。
しかし、彼女は義務教育の頃からコンピュータにすばらしい適性を示し、上級資格を総舐めにしていたそうだ。貴音は知らなかったが、かつてはメディアの取材を受けたこともあるらしい。それだけでなく、精密機器全般の扱いにも長けている。
決定的に人手の足りない特災対にとっては、たとえ未成年であっても、この才能はどうしても必要に思えたのだろう。使える人材はひとりでも多く欲しいのだ。
しかし、それは組織の上層部の事情である。ともに働く仲間としては、そんな効率第一主義で物事を捉えることはできない。
彼女が足手まといというわけではない。それどころか、結衣ひとりいるだけで、三〇一隊がどれだけデータを要領よく解析できているか、直接他の隊と連絡をとる立場にいる貴音には、よくわかっていた。
だが、なにしろ特災対の任務には危険がつきものなのだ。いつどこで、暴徒と化した元「善良な市民」たちに襲われるかもわからない。この平鹿市のように、刑務所が破壊されて、多くの犯罪者が脱獄している場合だってある。
もっとも、貴音が本当に心配しているのは、そうしたことではない。
瓦礫の山のなかには、ときどき、多くの遺体が残っていることがあるのだ。
空間破砕攻撃を受けると、たいていのものは同時に発生する異空間に吸い込まれて消失する。だから地表部には、不思議なほど犠牲者の姿が見当らない。
けれども、三ヶ月ほど前だったろうか。他の隊との合同で調査に入った街では、地下鉄の列車内を埋め尽くした遺体の山と、腐乱した肉の匂い、充満した腐敗ガスの強烈な悪臭に、参加した隊員たちはみな吐いた。
遺体の収容など、とてもできなかった。それができるだけの人員や体制は、もはや存在していないのだから。警察も消防も自衛隊も、また彼ら特災対も、生存者の救護と治安維持で手いっぱいで、それすらおぼつかない有様である。
結局、疫病などの二次被害を防止するために、火炎放射器を使って消毒してから爆破して埋めるしかなかったのだ。
(あのときは、たまたま結衣をつれていかなかったのが、不幸中の幸いだった……)
貴音は目をつむった。
調査にはかならず貸与された拳銃を携行し、警官か自衛官の護衛もつくように決められてはいるものの、貴音はそれ以降、絶対に結衣を外での作業には参加させなかった。
結衣をつれていったほうが、手間も時間もかからずにすむ場合は多い。けれど、万一あんな凄惨な現場にふたたび出くわしたら、とても結衣が耐えられるとは思えない。
とにかく、何があろうと、この娘だけは守らなくちゃ……と、貴音は思った。
わたしは、守るべき人を持たなければいけない。特災対とは、そういう仕事なんだから……。
「終わったあ!」
結衣の黄色い声が響いて、貴音は我に返った。あわてて薬罐からレトルトパックの引き上げにかかる。
「熱っ」
つまんだパックを反射的に放りだす。どうやら温めすぎたらしい。
タオルを使って注意ぶかく引き上げると、少し冷まそうと、パックをデスクの上に置いた。
「だいじょうぶ、
結衣が、その年令にふさわしい、屈託のない笑みを浮かべる。
貴音もつられて苦笑した。
「平気よ。それより、組み上がったの?」
「はい、機器そのものは。松代本部との通信の調整はまだですけど……」
「いったん休憩にしなさい。この街のデータだって、まだろくに集めてないし」
貴音は、手元の端末の電源をいれた。ぶうんと音がして、ディスプレイが明滅する。
支給されたメディアを差し込み、キーボードを叩いてファイルを読み込ませていく。
結衣が、そんな貴音の手元をのぞきこんだ。
「前みたいに、自由にネットが使えればいいんですけどね……わたしも、最近はPCやシステムじゃなくて無線ばっかりいじってるし……」
「ぜいたく言っても始まらないわよ、通信ケーブルもあちこちで寸断されてるし。低速回線ですら、もっと要度の高い通信で一杯なんだから」
「そうですね。……なんのファイルですか、それ」
結衣が、不思議そうな顔をして聞いた。
「先週、松代から送られてきた空間破砕攻撃の最新報告。抜粋だけどね。明日からまた忙しくなるし、今夜じゅうに目を通しておかないと……」
貴音は、画面に流れていく文字と数値を目で追いながら、ぱりっと音をさせてクラッカーをほおばった。
結衣も、貴音の頬に顔をくっつけるようにして、真剣な表情で画面をのぞきこんでいる。
不思議に思って、貴音が軽くふりむく。
「……? なに?」
「あの……貴姉、北海道は無事? 新しい攻撃、受けてない?」
結衣の問いに、貴音は微笑んだ。
結衣の両親は、はじめ札幌にいたのだが、私掠軍の攻撃を受けたため、いまは旭川に疎開している。
「安心して。北海道は札幌と千歳以外、まだどこも攻撃されたって報告はないから」
「よかったあ」
心底安心したように、結衣は胸を撫でおろした。
「……あ、わたし、通信の調整ももうやっておきます」
「そう? じゃあ、お願い」
「はい!」
結衣は元気に返事をすると、部屋の隅に置いてあるコンテナから、別のアンテナコードをひっぱりだした。ふたたび無線機の背面にかがみこむ。十代らしい、きびきびとした動きだ。
貴音は、何かに耐えるように目をつむり、それからまた開くと、キーボードを叩きはじめた。
同時刻、
「いやぁ……」
まだかろうじて原形を留めているブティックから、女の哀願の声が洩れ聞こえてくる。
「うるせえ、このあま!」
それを、男の野太い声がかき消した。
“八ヵ月前”の最新ファッションが散乱した店内では、まだ二〇代に見える若い女の上に、中年の男が馬乗りになっていた。
頑健な体つきをした男の目は、まるで野獣のようにぎらぎらと輝き、異様な気配を放っている。
「おとなしくしてろっつってんだろ! そうすりゃ、いい気持ちにさせてやるからよ……」
男は、組み敷いた女の服を引き裂き、ブラジャーをむしり取った。白くて豊満な乳房が揺れ、男は下卑た笑い声をあげた。
女は、なおもかすかな抵抗を示した。
「お願い、やめてぇ……」
だが、男は容赦しなかった。顔を殴りつけられ、鼻血の吹きだした女は、悲鳴をあげてむせび泣いた。
女は、この店のオーナーだ。若くして商才に長け、四年前に独立のチャンスをつかんだ。そして、それまでこつこつと貯めてきた資金を元手にして、大都市近郊としては比較的地価の安かったこの平鹿市に店を開いたのだ。
当時はまだ拓けて間もない平鹿市だったが、女には勝算があった。
今はまだ小規模都市でしかないが、大都市圏のベッドタウンとして、数年のうちにこの街は大きく膨れあがるだろう。品ぞろえさえ豊富なら、潜在的な購買力をこちらへ向けることがきっとできる。
そのためには、早いうちに店をだして、競合する店があらわれる前に得意先を開拓することだ、と。
女の作戦は当たった。景気回復の波にも乗り、四年後、女のブティックは二度の改築を経てこの街でいちばんの床面積を誇っていた。
あと二、三年もすれば、支店開業の資金も貯まるだろう。女は得意の絶頂だった――
とつぜんの戦争による社会の崩壊のなかで、彼女は店を休止せざるをえなかった。むろん、再開の見込みなどありはしなかった。七月一五日を境にして劇的に縮小した経済活動のなかでは、ブティックなどしょせん景気回復のあだ花でしかなかったことを、彼女は思い知らされた。
しかし、彼女にはやり手の経営者としての自負があった。ここまで来るためには、多少汚いこともやった身だ。総理大臣の緊急声明をラジオで聞きながらも、彼女はいつか必ず店を再建するつもりでいた。
一〇日前の平鹿市への私掠軍の攻撃で店舗が破壊されたときには、さすがに体から力が抜けたが、かえって闘志を注がれもした。それに、二階の金庫には投資目的で買っておいた金や宝石もある。
彼女のいる避難民のグループは、警察の保護のもと、明日の朝に隣県へと移動を開始する。それまでに、宝石だけでも取りに戻らねばならない。そのために彼女は今夜、夜陰に乗じてグループをぬけだし、自分の店へ戻ったのだ。
彼女にとって不運だったのは、警察がパニックを恐れて、平鹿刑務所から脱獄した囚人の存在を一般には伏せておいたことだ。また脱獄囚たちも、街がこの有様では、へたに人質をとるよりどこかに潜伏したほうが逃げおおせやすいと判断したのか、決して表に姿をあらわさなかった。
そのうちのひとりが、女の店に潜伏していたのだ。
女は、まさに『飛んで火にいる夏の虫』だった。
「ひいっ」
男の怒張したものが女の胎内に割って入り、女は悲痛な声でうめいた。男は臭い息を吐き、荒々しく女の柔肉を突きあげた。
「ちっ。腰くらい振らんかい、このあまっ!」
男が女の髪をつかんで床にどやしつけると、女は泣きながら男の言葉に従った。
(とにかく今は、この男の言うとおりにしてやろう……。この男は普通じゃない、へたに抵抗したら、きっと殺されてしまう……)
女は、頬と鼻の痛みに震えながら、ひたすら命が助かることを願って、股を広げた。
男はひさしぶりの女を前に、己の欲望を満たすことしか頭になかったし、女は乱暴に下腹を突きあげられる痛みを感じまいと、金庫の宝石のことばかり考えようとした。
だから、店のすぐ前で起こった出来事には、ふたりとも気がつかなかった。
最初に店の前にあらわれたのは、直径二メートルほどの黒い渦だった。
しばらくそのまま回転していたが、すぐに音もなく消え去る。
そのあとには、ひとりの女が立っていた。
細い身体にまとった、鮮やかな赤紅色の衣装。先ほどの黒い渦のせいか、その体は帯電したようにかすかに輝き、長い銀色の髪がゆらゆらと揺れている。
女は、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
その瞳は、見るものの背すじを凍らせ、魂までも奪うかのように、妖しく濡れ光っていた。
ぞっとするほど美しく、酷薄な表情をたたえたその女は、周囲の倒壊したビル群をぐるりと見渡した。
「下等生物らしい貧相な街だ」
彼女はつぶやいた。
「いっそ、もっと根こそぎ粉砕してやればよかったな。そうすれば、もう少し見栄えがするかもしれん」
くっくっと喉を震わせて笑う彼女の言葉には、人間らしい暖かみのかけらもなかった。
傍らの建物から漏れてくる女のうめき声に、彼女は眉をひそめて面倒くさそうに首をめぐらせた。
夜の闇にもまったく影響を受けない彼女の視界に、獣のように絡みあう一組の男女の姿が映る。
「
女が無感動な声でそうつぶやいたとたん、その美しい銀色の髪が、いくつかの束にわかれて一気に数メートルも伸びた。
つぎの瞬間、髪は白銀の刃と化し、空を切る音とともに建物を一閃した。ブティックの女と脱獄囚は、その建物ごと胴体を輪切りにされ、血と臓物を撒き散らして一瞬で絶命した。
支柱を失った建物が轟音をあげてふたりに覆いかぶさり、砂塵が舞い上がる。
まもなく、街角にふたりの人間をうずめた瓦礫の墓ができあがっていた。
復興作業がはじまるまで、この墓が暴かれることはないだろう。……もっとも、もしかしたらそんなものは、永久にはじまらないのかもしれないが。
すると、傍らの闇のなかから、唐突に拍手の音が聞こえてきた。
「たいしたものだ。相変わらず、やることに容赦がないな」
苦笑混じりの声が、銀髪の女の耳に届く。
女がそちらに鋭く目をやると、闇のなかにぼんやりと輝く人影が見えた。やはり帯電しているのか、体表からときおり蒼い火花を放っている。
声から判断すると男のようだ。こちらはかなり大柄で、屈強そうなシルエットである。
拍手を終えると、人影はかすかに身じろぎした。どうやら、できたばかりの墓を一瞥したらしい。
「しかし、簡単に殺してしまってはもったいないぞ。そいつらは非戦闘員だろう? いい奴隷か、有機燃料にでもなったかもしれんのに」
「ジェミトか……持ち場を離れおって。上陸許可は取ったのか?」
女が低い声でささやいた。怜悧な瞳で、ジェミトと呼んだ男を見据える。
「言っておくが、目付のつもりなら消え失せるがいい。私はただ、気分を換えに来ただけなのだからな」
「首領からは、好きにしろと言われたよ。それにあんたのお楽しみの邪魔をするつもりもないから、安心してくれ。……ただ、こちらにも多少回してくれると、俺も退屈が紛れて助かるんだがな?」
「お前が勝手についてきたのだ、考慮してやる義理はない。私に見えないところで勝手にやるがいい。……そんなことより、この街路の向こう。なんらかの組織の拠点があるようだ」
会話に興味はなかったのか、女は気だるげに視線を転じた。数キロ先から、幾本ものサーチライトが暗い夜空へと光条をのばしている。
ふたりのいる平鹿市北区から見ると、南東の方角だ。
「たしか、この島国の軍事基地がある方向だが……まだ生き残っている部隊があるのか」
女は銀色の髪をおさめると、ゆっくりと舌なめずりをした。真っ赤な血の色をした艶やかな唇を湿らせていく。
「あそこなら、少しは遊べる、ということか?」
「行けばわかる……すこしは強い敵がいてほしいものだ」
ジェミトの問いに、女は口の端をゆがめて、かすかに笑う。
ふたりは何事もなかったように、悠然と歩きだした。
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