第2話 敵の襲来した日・その2

 その女の声は、世界中の情報通信網ネットにいきなり介入してきた。


 インターネット上の動画サイトだけではない。世界各国のTVやラジオ放送。民間業務用の無線。航空・船舶などの特殊無線。

 警察や消防をはじめとする政府機関のデジタル通信から、軍用のスクランブル回線にいたるまで、およそありとあらゆる電波、あらゆる周波数に割り込み、その声は、なんの前触れもなく、とつぜん聞こえてきた。


「通告する! 私の名は、ベスティア・ストレーガ。粒子海洋りゅうしかいようにおける私掠しりゃく軍の首領である。私の声は、この世界のほぼ総ての周波、および言語に、同時翻訳されて流れているはずだ。


 私の目的は、諸君の『世界』に存在するすべての資源の確保である。諸君の所有する、鉱物資源、水産資源、森林資源、その他いっさいの有用物を、私に提出せよ。


 抵抗は無意味である。諸君の科学力では粒子海洋に乗り出すこともできず、私の乗艦『アルブクーク』の位置を確認することもできない。私の力は、この『世界』の大国の首都が、瞬時にして壊滅したことからもわかるはずだ。


 諸君の時間基準による一日間だけ、諸君に猶予を与える。

 賢明な選択により奴隷として生き永らえるか、無駄な抵抗をこころみ絶滅するか、好きなほうを選べ。


 ――――以上だ」




 その一分たらずの放送を聞き終わったとき、人々はしばらく、何が起こったのか理解できなかった。


 放送はあまりにも唐突で、人々の常識からすれば、思わず笑いだしてしまうくらい荒唐無稽な内容だった……東京が消滅していなければ。


 放送が終わっても、しばらくは誰も信じようとしなかった。くだらない、どこかのテロリストの便乗声明だと思ったもの。愉快犯による悪質ないたずらだと吐き捨てたもの。なぜあんな馬鹿げたことを放送したのかと、電話で放送局に食ってかかったもの。


 しかしやがて、あの放送がいたずらでも何でもなく、世界じゅうの電波に、まったく同じ時間に干渉があったことがマスコミにより報じられると、人々は徐々に、それから急速にパニックに陥った。


 もっとも、これがいったいどういう事態なのか、正確に理解できたものは、おそらく一人もいなかったに違いない。それは、突然始まり、突然終わった。悪質なジョークで自らの素性を隠そうとする新たな、そして大規模なテロリスト集団が、われわれ市民の日常を脅かそうとしている、としか人々は判断できなかった。


 モニター画面のなかで極東の一角を見舞った大破壊が伝えられ、ついで女の声が――たとえ全世界の電波に干渉して――犯行声明を出したからといって、などと、一般市民にどうして想像できるだろうか?


 人々は何をしたらいいのか、どこへ逃げたらいいのか、見当もつかなかった。ただ荷物をまとめ、あてもなく車を走らせるだけだった。人々はパニックのなかで動揺し、せきたてられ、「とにかく郊外へ逃げるんだ!」という強迫観念が、人々の心をわしづかみにした。




 ――よくはわからない、しかし核によるテロリズムなら、大きな街から離れなければ!

 ――戦争が起こるの?

 ――異星人の侵略? 馬鹿な! きっと何かの間違いさ。

 ――きっとコミーかファシストどもが、我々を撹乱するために極秘の計略を……。

 ――奴らだよ! 頭のいかれた狂信者どもが、ついにやりやがったんだ。

 ――たとえ相手が誰であろうと、我々の軍隊が守ってくれる。




 もっとも早く声明を発表したのは、アメリカ合衆国だった。アメリカ国民へ、そして全世界へ向けて、合衆国大統領はホワイトハウスの執務室からTV演説をおこなった。

 合衆国は断じて脅しには屈しないこと、いかなる敵であろうと、合衆国の威信の前には無力であること、世界はこのような無法で野蛮な行為をけっして容認しないことを、彼は強調した。そして世界じゅうの国に、これに同調するよう求めた。


 EU諸国は、すぐさま合衆国と歩調をあわせて、自称『私掠軍』に対し、断固たる措置をとるという声明を発表した。ロシアや中国をはじめとする共産圏も、独自にテロリストと戦う用意があるとの声明をだした。第三諸国のなかでは、『私掠軍』への非難決議を国連で採択しようとの声も上がりはじめた。


 だが、報復はすぐにきた。


 最初の一〇時間で、ニューヨーク、ワシントン、北京、上海、シドニー、モスクワ、キエフ、ロンドン、パリ、ベルリン、シンガポールなど、世界各国の首都や主要都市、およそ八〇が、空間破砕攻撃により消滅した。


 軍隊は無力だった。緊急動員がかけられ、数多くの戦闘機が、本土防衛のための警戒飛行をつづけたが、彼らはつぎの攻撃で帰る基地を失った。荒野を走る戦車大隊は、内に秘めた破壊力をしめす機会も与えられぬまま、同胞とおなじく虚無の空間へと消えた。一国を灰に変える力をもつ空母打撃群は、大洋から永遠にその姿を消した。


 私掠軍の攻撃は、とどまるところを知らなかった。大都市から地方都市へ、彼らの攻撃はつづいた。多くの国が元首や指導部を失い、政府の指揮系統は寸断し、やがて軍隊は烏合の衆に成り下がった。


 混乱した民衆が暴徒と化し、掠奪や放火、暴行、殺人を山ほど犯しても、それを鎮圧するはずの警察部隊は、とうの昔に散りぢりになっていた。子供や老人が踏みつけられ、女性が襲われても、助けようとするものは、もはやひとりもいなかった。

 まれに、止めようとしたものもいたが、彼はすぐさま、周囲の荒くれた男たちになぶり殺された。


 そして、その男たちの上にも、暗黒の裁きの瞬間はひとしく訪れた。


 日本でも、状況は他国とあまり変わらなかった。およそ三週間で、最初の攻撃目標となった東京をはじめとする一二大都市のほとんどが、空間破砕攻撃により壊滅した。もっとも早く失われた政府の官僚機構をはじめ、自衛隊や警察機構も、要員の六割以上を失い、半身不随に陥った。


 地方での行事に参加するため東京を離れていた首相は、たまたまこの大難を逃れることができた。彼は非常事態を宣言し、生き残った有力代議士と臨時内閣を組閣すると、私掠軍の攻撃がいったん収束したのを機に、秩序の回復に全力を尽くした。


 首相は、それと同時に新たな組織づくりに着手した。すでに戦時被災者は、生存者数だけでも四百万人を超えており、多くの人員を失った政府機関の能力では救護活動などとうていできるものではなかったし、自衛隊の保有する通常戦力がまったく役に立たないことは、これまでの私掠軍の攻撃により明らかだったからだ。


 多くの志願者をつのり、また連絡のとれた技術者、専門家、なんらかの技能を持つ人員を戦時特別措置法による召集でかき集めて創られたこの組織は、『特殊兵器災害対策部隊(通称・特災対とくさいたい)』と名づけられ、空間破砕攻撃により被災した人々の保護、および空間破砕の原理を解明することが、その主任務とされた。


 もはや人類に戦う力は残っていないと判断したのか、再開された私掠軍の攻撃は散発的なものとなったが、隊員たちはこの隙になんとか勝機をつかもうと、不眠不休の努力をつづけていた。


 そして、最初の攻撃から、八ヵ月あまりがすぎようとしていた……。



    ☆



 平鹿ひらか市の南部には、陸上自衛隊中宮なかみや駐屯地があった。

 あったというのは、今は駐屯地として機能していないからである。一〇日前、空間破砕攻撃に見舞われたとき、施設のほとんどは破壊され、建物は半壊した。


 しかし、その広い敷地内には、一〇式戦車一輛、コブラ対地攻撃ヘリ一機を含む陸上自衛隊一個中隊が、対空警戒のためのレーダー装置を持ち込んで今もなお踏みとどまっており、他にも、平鹿刑務所の囚人護送や戦時被災者の移動を指揮する警察部隊の本部、そして久遠貴音くおんたかねを隊長とする、特災対第三〇一隊の本部も設営されていた。


 本部といっても、プレハブが二棟並んだだけの簡素なものだ。ひとつは電算・通信室、もうひとつは試料保管室だった。それぞれ、女性隊員と男性隊員の宿舎も兼ねている。


 貴音たちが、破壊された平賀市中心部から戻った翌朝。試料保管室の一隅には、折りたたみ式のテーブルが据えられ、貴音をはじめとする三人の隊員が集まっていた。


 特災対創設のさいにいち早く志願し、隊員のなかでは古参の部類に入る大垣哲夫おおがきてつお、二六才。

 小隊最年少ながらも情報処理部門を一手にひきうけ、事実上小隊の頭脳ともいえる少女、相馬結衣そうまゆい。一七才。

 そして隊長の久遠貴音、二四才。


 本来なら、ここにあとふたりのメンバーが加わるのだが、彼らは警察との連絡のために隣の磐船市へ移動している。戻ってくるのは二日後だ。


 哲夫は、大きな紙の筒をテーブルの上に広げてみせた。この平鹿市の詳細な地図である。

 線だけで描かれた白地図だが、今はいくつかの色に塗りわけられており、さらに見ると、あちこちにかなりの量の書き込みがしてある。


「前の一〇六隊が、ずいぶん念入りに調べてくれたものね」


 貴音は、感心したようにいった。


「舞鶴じゃ、こうはいかなかったわ。……まあ、急造の組織だから、各隊ごとにレベルが違うのはしようがないけど」

「うちだってあまり人のことはいえないぜ」


 哲夫が笑う。


「たった五人でこの平鹿市全域を見てまわるなんて、想像しただけで気が遠くなるな。本当に二週間で終わるのかい、貴音ちゃん?」


 どうやら、こういういいかげんな物のいいようが、この不精ひげを生やした男のトレードマークであるようだ。


「どこも人材不足なのよ」


 遠慮もなくあっさりと言ってのける哲夫に、貴音はあいまいな笑みを浮かべた。

『人材不足』というのは、最近どの機関でも切実に叫ばれている言葉だ。ただし、まだ世界が平和だった頃、日本が景気回復を迎えていた時代に経済界からあがっていたそれとは、意味あいが一八〇度異なっている。


 当時は、景気回復にともなっての相対的な人材不足だったが、今は人間の数そのものが、絶対的に減少しているのだ。


 現在国内で、住宅家屋を失った人々の数は約四百万人。しかし死者や行方不明者の数は、推計でもその六倍のオーダーにのぼっている。開戦当初は人口密集地域ばかりを攻撃されたのだから、人的被害は甚大だ。


 政府が蓄積していた全国居住者マイナンバーデータは、東京消滅時に失われていた。住民を所管する行政主体そのものが消失して、正確な人口規模を確認できなくなった地域もある。

 そうした数も含めれば、現在の国民総人口はゆうに一億を割る……との噂が、民間人のあいだでもまことしやかに囁かれていた。


「できる範囲でやるしかないわ。休暇が取れるわけじゃなし、といって、過労で倒れたって補充の隊員はまず来ないでしょうからね」


 貴音はため息をついて肩をすくめると、板上の地図を指先でたたいた。あらためてふたりの注目を集める。


「いい? 一〇日前の平鹿市への攻撃は、ほぼ全市に影響を及ぼしたけど、とくに海浜部近辺は、この地図に比べて大きく地形が変化しているわ」

「地面がえぐられてるってこと?」


 結衣が口を開いた。その問いに、貴音がこくりとうなづく。


「そう、ジオイド基準で最大マイナス三まで地面が剥がされてる。異空間への吸引がそれだけ強かったんでしょう。……でも、海岸そのものに達しなかったのは不幸中の幸いね。海水が流れ込んでいたら、近づくこともできなかったわ。ドローンじゃ地上撮影くらいしかできないし」


 貴音は、地図上に書き込まれているラインを指先でなぞった。


「この地図の書き込みによれば、周辺地域との重力偏差は、やはり海浜部に近づくほど大きくなってる。コンビナート付近で最大値。……たぶん、ここが爆心よ」

「ということは、調査はコンビナートを中心にやるわけか?」

「ええ。コンビナートには一週間あてるわ。さいわい、駐屯地からは目と鼻の先だし、器材の運搬の手間はそれほどかからないと思う」

「おい、ちょっと待てよ。コンビナートには……原発があるぞ?」


 哲夫が、確認をとるようにきいた。


「それもしっかり海岸線に立地してるぜ。大丈夫なのか?」

「平気よ。放射性物質の有無は、一〇六隊が最初に確認してるから。危険値以下だから問題ないわ。申し送られたデータが正しければ、ね」

「やれやれだな」


 こともなげに言ってのける貴音に、哲夫は天を仰いだ。

 いくら原子力発電所は五重六重のフェイル・セイフ機構をもち、強固に設計されているとはいえ、外からの、それも粉砕する、などという異常な攻撃にさらされて、本当に無傷ですんでいるのだろうか。


「まったく、俺も今までいろいろと無茶をやったもんだが、貴音ちゃんときたら俺より肝が据わってるぜ」


 哲夫は嘆息した。


「あきらめが肝心よ、大垣さん。貴姉たかねえは一度いいだしたら絶対退かないんだから」


 結衣が、くすっと笑って哲夫に耳打ちした。


「コンビナートでは、距離と方位ごとに二〇ヵ所くらいのポイントを設定して、試料を集めるから。やり方はいつもどおり」


 貴音は、いったん言葉を切り、ふたりの顔を見た。


「大垣さんは装備を整えて。三〇分後に出発するわ。結衣はここで待機、搬入された機材の確認と設営、あと回線を調整して今夜じゅうに使えるようにしておいて。……こんなところだけど、何か質問は?」


 ほとんど有無をいわさぬ貴音の口調に、どちらからも声はあがらない。


「ないのね? では解散。さっそくかかってちょうだい」


 貴音の命令とともに、三人はそれぞれの仕事に戻っていった。

 これまで各地で行なってきた調査と、なんら変わるところはあるまい。ルーティンの作業だ……三人はみな、そう思っていた。


 この大地の上で、自分たちが明日を迎えることはないのだと、このときの彼らには想像もできなかった。

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