第1話 敵の襲来した日

 久遠貴音くおんたかねは、ひとり夜空を見上げていた。

 彼女が立っているのは、あるビルの屋上……いや、かつては屋上だったところ、というべきだろう。


 以前は天空高くそびえ建っていたのだろうが、いまは基底部が根こそぎ崩れ去り、横倒しになったときの衝撃のためか、瓦礫のなかに横たわるビルはいくつかの部分で折れている。


 倒壊のさいに何かの力が偶然うまく働いたのか、ビルの屋上部分はほぼ真横に――まるで鋭利な刃物でも使ったかのように――すっぱりと刎ねられていた。それが、積み上がった瓦礫の山の上にうまく軟着陸している。


 まるで、太古の祭壇のようだ。


 貴音は、その上に静かにたたずんでいた。

 表情は硬い。瞳には強い光が宿り、彼女の意志の強さをあらわしていた。口元は、何かの重みに必死に耐えているかのように、真一文字にかたく結ばれている。


 彼女が着ているのは、陸上自衛隊仕様の迷彩作業服。その上に簡易制服ジャンパーを着込んでいる。

 ただ、少し奇妙なことに、そのいずれにも階級章がついていなかった。陸上自衛隊を示すエンブレムもない。代わりに、肩章には白線だけが縫いつけられている。


 貴音はしばし、夜空に浮かぶ星の瞬きを見つめていたが、やがてゆっくりと、視線を降ろしていった。

 彼女の視界に、地上の街並みが入ってくる。


 それは、もはやかつての、経済大国日本が繁栄を享受していた頃の姿ではなかった。


 あるビルは、まるで踏み潰された模型のようにばらばらに弾け飛んでいた。またあるビルは、貴音の立つビルとおなじく、根元から無残に崩折れている。

 片側の壁が崩落して、各階に置かれたオフィスの備品が風雨にさらされたままになっているビルもある。街全体が空爆でも受けたのか、無傷な建物はただのひとつもない。


 そして、それらの破片や残骸はアスファルトの地面を埋め尽くし、瓦礫の大地を作り上げていた。

 赤錆の浮いた、ねじくれ曲がった鉄骨やパイプ類が、破壊された街の怨嗟の声のように、地上から天へむかって虚しく突きだしている。


 数ヵ月前までは、こうではなかった。街はそこで生活する人々の活気にあふれていた。見栄えよく、騒がしく、ポンプのように絶えず脈動して。広告塔のネオンサインや看板のイルミネーション、主要道路を照らすLED灯の列、いきかう車群が放つヘッドライトで照らされ、夢のように光り輝いていた街並み。


 だが、いまや“街”を照らす光など、どこにもない。

 たまに見える光は、家を失った人々の、暖をとるための焚火であったり、周囲を警戒する警察部隊や自衛隊のサーチライトであったりした。


 貴音は、それらのものをすべて見渡すと、ふたたび夜空を見上げた。

 降るような星だった。闇の天蓋にちりばめられた宝石が、自らの美しさを競いあっている。地上の惨状も知らぬげに。


(わたしたちが唯一手に入れたといえるものは、この星空だけなのかもね……)


 心のなかで、貴音は少し寂しげにつぶやいた。


 以前なら、光を敷き詰められた街のなかから夜空を見上げたところで、ビル群に区割りされた狭い空に見える星など、数えるほどしかなかったのだ。しかし建造物が根こそぎ倒壊し、街の灯がすべて消え去った今では、驚くほどたくさんの星々を見ることができる。


 加えてこの数ヵ月間、日本の工場の大部分は、操業を短縮するか停止しており、公用車や緊急車両、また特別に許可されたもの以外の車の使用は禁止されている。おかげでこの街――だった所――の空も、以前とは比べものにならないほど澄んでいた。


 ふいに、ごおっという音とともに、一陣の風が吹いた。砂塵が舞い上がり、貴音は反射的に目をつむる。

 彼女の無造作に切られた短い髪が、風になぶられ、揺れた。


 風が通りすぎると、貴音はふたたび目を開け、風の過ぎ去っていくほうを見やった。瞳にもう一度、廃墟と化した暗い街並みがうつる。

 瞳の色が曇った。悲しみやあきらめ、怒り……そして焦りにも似た感情がないまぜになり、ぶつけどころのないまま、奥底でくすぶっていた。


「だとしても……代償が大きすぎるわ……」


 今度は、口に出してつぶやいた。


「貴音ちゃん!」


 ひとり闇のなかに立っていた貴音に、ひとりの男が駆け寄ってきた。

 貴音とおなじく迷彩作業服を着たその男は、クリップボードを彼女に渡すと、持っていたペンライトを点けて、書面を照らした。


 光のなかに浮かびあがった男の顔は不精ひげに包まれており、さらに夜だというのにサングラスまでかけている。面立ちから考えれば年令は貴音とあまり変わらないはずだが、今のままではとてもそうとは思えない。


「南区の住民の避難は、あと三時間で完了するそうだ。岐阜県と三重県が受け入れ体制を整えてくれてる」


 胸のネームプレートに『大垣』と書かれた男――大垣哲夫おおがきてつおは、あごを掻きながらいった。


「刑務所のあたりを見たか?……まるで護送車のパレードだぜ。こっちのほうは近隣の県が引き取りたがらないもんで、遠いやつぁ九州まで護送されるそうだ。ここから熊本まで……ちょいとしたバスツアーだな」

「攻撃されればおなじことよ」


 貴音は冷ややかにいうと、ベルトに吊り下げた汎用ポーチから、この街の地図を取りだした。

 S県平鹿ひらか市。今日から二週間、彼らの担当区になる街だ。


「無事ですむ街なんてないわ。この街の刑務所だって、空間破砕を掛けられたときに半壊して、囚人の半数が逃げだしたんでしょう?」


 貴音は地図をひろげると、平鹿市に隣接する磐船いわふね市と、平鹿市南区のちょうど境目に位置する、平鹿刑務所を指先で軽くたたいた。


「ああ、まだ三〇人ちかく捕まってないらしいな……」


 哲夫が眉をひそめる。


「余所へ移送したって、その街が破壊されれば、いちどに逃げる囚人の数が増えるだけよ」


 貴音は、地図に印された各ポイントをチェックしながら、哲夫の持ってきた書類に記載してある項目を確認した。


 空間の歪みによる重力偏差、敵の空間破砕攻撃に対する各建造物の耐久性の優劣、爆心からみた建物の倒壊状況、土壌成分の爆心からの距離・深度毎の収集と変成の解析、生存者からの目撃証言の収集……調べることは山のようにある。


「ま、仮に避難民のなかに脱走した連中がまぎれ込んでいたとしても、調べはつかんだろうな、このさわぎじゃあ……」


 哲夫はうすく笑って、周囲の惨状を見やった。

 どうやら、哲夫がいう「さわぎ」とは、この破壊された街そのもののことであるようだ。


「気楽にいうわね」

「しょせんは警察の領分だろ? 俺たちがどうこう言ったって始まらねえやな」


 哲夫は軽く肩をすくめたが、その言葉に貴音は語気をつよめた。


「その警察の補佐も、いつ回ってくるかわからない任務の一つだってこと、忘れないで。実際に被災者のなかに紛れ込んでいたら、私たちが制圧しなきゃいけないかもしれない」


 貴音は、腰のベルトに吊り下げている拳銃ホルスターに軽く触れた。


「そのために、陸自からはこんなもの持たされているわけだしね……それに、こっちには未成年者だっているのよ。いくら本部からは出さないようにしてるからって……心配よ」

結衣ゆいちゃん、か……」


 哲夫は、ふと遠い目をした。

 それから、皮肉めいた笑みを浮かべる。


「履歴書出させてきれいに人材集めなんて、とっくに不可能だからな。志願と自己申告に頼るしかねえ。使える奴は誰でも使え、だ。だから俺みたいな奴でも、こんな仕事してられる。……とはいえ、あの子はこの仕事につくには若すぎるか……」


 その言葉に、貴音がこくんとうなずく。


「それでもあの子はがんばってるわ。……だから、よけいに心配なのよ」


 貴音は地図を折りたたんで再びポーチに押し込むと、顔をあげた。


「本格的な調査は明朝〇八〇〇時からにしましょう。……本部に無線で連絡! 駐屯地に戻るわ」

「了解」


 哲夫はすばやく応えると、きびすを返して瓦礫の山を下りようとした。


「あ……大垣さん!」


 貴音に呼びとめられ、哲夫はふりかえった。


「大垣さん、ちゃんとひげくらい剃ったら? それじゃ、民間の攻撃被災者と変わらないじゃない」


 だが、哲夫はにやりと笑うと、あごを撫でながら、


「あいにくだが、しばらく剃る予定はないな。何せこうでもしておかんと、行く先々で女が言い寄ってきて困る。任務に差し支えるんだ」


 言い終えると、彼は今度こそ瓦礫の山を下りていった。

 貴音は苦笑して小さく頭を振ると、ゆっくりと哲夫のあとを追った。



    ☆



 二一世紀を迎えると同時に世界で起こった変革は、人類史上稀にみる激変であったといっても、否定する者はいないだろう。


 始まりの号砲は、高らかに鳴り響いた――資本主義繁栄の象徴だった双子のタワービルが、旅客機の突入によって崩れ落ちる音とともに。それまでアメリカを一強として膠着していた世界は、たがが外れたように、一気に雪崩をうって、もはや予測不可能な『次の時代』へと突き進みはじめたのだ。


 失われた、大国による力の軛。そこから逃れた諸民族の戦士たちが、自由になったその手に銃を取って、挑戦を始めていく。経済的に立ち後れた地域では紛争が頻発し、中東ではドミノ倒しのような戦乱が泥沼化していった。


 だが、大国同士は、かつてのような全面対決をもはや選ばなかった。ネットにより否応なく強固に結びついた彼らにとって、全面戦争はもはや過去のオプションにすぎなかったからだ。


 彼らは、危機にあればよりいっそう、互いの市場の拡大と利害の調整に腐心するようになっていた。かつての冷戦のように核で対峙する状況を極力回避しつつ、金融と資源と力の配置で、微震する世界を安定させる。


 国際協調という名の、ぎりぎりの駆け引き。内実はけっして美しいものではなかったけれど、それはたしかにもう一度、世界に安寧と繁栄を取り戻すための努力でもあったのだ。




 そんな人類に破滅への使者がやってきたのは、二〇一X年、日本時間にして七月一五日のことだった。




 その日の東京は、梅雨前線が遠く東の海上に去って、つい三日前に「梅雨明けしたと見られる」と気象庁からの発表があったばかりだった。


 都会の夏は早い。本格的な夏はもう少し先のはずだが、東京はすでにすっかり蒸し暑く、若者たちは、間近にせまった夏休みのレジャープランに余念がなかった。会社のOLたちは、この夏を海外で過ごすために航空機のチケットを予約して、開放的な夏の遊びに思いを馳せていた。


 長い夏休みがはじまれば、各地の行楽地や海岸は家族連れでにぎわい、子供たちの嬌声で満ちあふれるだろう。お盆には帰省ラッシュがあり、高速道路が渋滞となるにちがいない。あきれるほど同じように、毎年くりかえされる光景。


 それらは人々の、救いがたいほどに平凡で、単純で、そして信じられないくらいに平和な日常だった。


 人々は、自分たちが「平和」のなかで暮らしていることを意識する必要すらなかった。ただ、昨日が訪れたように今日が訪れ、そして今日とおなじ明日がかならずやって来るだろうと、確たる証拠もないまま、当然のように考えていた。


 その日の昼すぎ、学校から帰る途中の女子高生たちは、いつものように都心の街を歩いていた。

 いつものように他愛のないおしゃべりに興じながら、毎回、帰りにアイスクリームを買うサーティーワンで、今日もやはりアイスクリームを買い、そして……


 そのうちのひとりが、ふと、空を見あげた。 


(……なにあれ)


 少女は空の一点に、小さな黒いしみがあるのを見つけた。

 車の排気ガスでくすんだ都心の空に浮かぶ、ちっぽけな

 雨雲にしては小さすぎるし、だいいち今日は快晴で、つい先ほどまで、はぐれ雲ひとつなかったはずだ。


(変なの)


 少女はそう思ったが、それ以上関心を払うでもなく、また友人との話の輪のなかに戻っていった。

 そして。


「ねえ、なんの音? これ……」


 さっきとは別の少女が、すこしとまどった声をあげた。

 低くて鈍い音が、どこからともなく響いてきて、だんだん大きくなっていく。地鳴りだろうか? 急に風が強くなってきた。


「地震かな」


 また他の少女がつぶやく。ただしその声には、とくに驚いた様子はない。

 地震なら、もう慣れっこだ。もちろん東北で起きた大震災は知っているし、東海から南海にかけての大地震も、いつ起きてもおかしくない、と聞かされ続けてはいる。


 けれども、最近起こったいくつかの地震は、みんなたいしたことはなかった。今度もそうだろうし、いちいち気にしても始まらない。むしろ普段より大きな地震なら、みんなと共通の話題ができて助かるくらいだ。彼女たちはそんなふうに気楽に考えた。


 しかし、鳴動は止むこともなく、それどころかますます大きくなり、風もどんどん強まっていく。


 さすがに少女たちも、ただの地震とはちがう異常な雰囲気を感じとり、互いの顔を見あわせた。どの顔にも、かすかに怯えた表情が浮かんでいる。


 風をともなう地震というのは、あるのだろうか。海沿いでは、津波がやってくるときに風が吹くことがある、と何かの本で読んだことがある。でも、今までに自分たちが経験した地震は、どれも突然やってきた。地鳴りくらいはあったかもしれないけれど、風なんて吹かなかったはずだ。


 でも、本当に大きな異変が起きるときには、人間にうかがいようもない現象があらわれるのだとしたら……。TVで何度も言っていた大地震の可能性が、今まさに現実のものになろうとしているのだとしたら……。


 少女たちは互いに身を寄せあい、風になぶられる髪を押さえながら、不安そうにあたりを見まわした。周囲の大人たちも、強まる風と音に、とまどいの表情を浮かべている。いったいどこから響いてくるのかと、落ち着かない様子できょろきょろとあたりを見まわしている。


 やがて、ふと気配に気づいた最初の少女が、ふたたび空を見あげた。


「な、何あれ!」


 少女は震える声で悲鳴をあげた。空には、つい先ほど彼女が見つけた黒いしみが、しかし比べものにならないほどの大きさに広がり、渦を巻いていた。それは見る間に巨大になり……いや、単に大きくなっていくだけではない。猛烈な勢いで、彼女たちに迫りつつあった。


 少女の悲鳴に、他の少女たちや、聞きつけた周囲の人々も空を見上げようとした。しかしその瞬間、暗黒の渦が轟音とともに、少女たちを己の胎内に包み込んだ。


 ――包まれたのは、彼女らだけではなかった。周りにいた大人たちも、道路を走っていた車も、周囲のビル街も。荒川、江戸川、品川、渋谷を含む、東京都心部のほぼ全域が、巨大な暗黒の竜巻に覆い尽くされたのだ。


 その物凄いエネルギーの奔流のなかで、まだ幼さを残した少女たちの肉体はこっぱみじんに砕け散った。

 くたびれた営業のサラリーマンが、買い物客が、公園を散歩していた老夫婦が、地方や外国人の観光客が、都心部で野外を歩いていた数百万の人間が、まったく同時におなじ運命をたどった。縦横無尽に走る道路の上に並んでいた数十万台の車の群れは、塵のように吹き飛ばされ、ズタズタに引き裂かれて爆発した。鉄道は、なかに乗客を満載したまま、車両が空に巻き上げられ、二度と地上に還らなかった。大小さまざまなビルの群れは強力な力にねじ切られて根こそぎ粉砕され、大地に薙ぎ倒されていった。

 海浜部に隣立するLPGや石油の備蓄施設は、タンクが破壊してつぎつぎと爆発し、巨大なコンビナートは一瞬のうちに灼熱地獄と化した。


 そして、真っ赤な炎でできた雲が、渦に流されて暗黒の内部を照らしだし、東京都心部へ、最後のとどめを刺さんと一気になだれ込んだ。


 およそ人類が想像したこともないこの異常な現象を前に、東京はなんの抵抗もできなかった。炎は炎を呼び、爆風は爆風を生み、そのなかで人々は焼かれ、吹き飛ばされ、押し潰され、ひきちぎられた。


 それはもはや『阿鼻叫喚の地獄絵図』などという生易しいものではなかった。人々は、ほとんど何が起こったのかもわからずに、叫び声をあげる間もなく徹底的に粉砕された。


 そして、それらはすべて、暗黒の渦の中心――虚無の空間へと吸い込まれていった。


 巨大な暗黒の渦が東京を蹂躙した時間は、おそらく一分にも満たなかっただろう。だが、暗黒が己の胎内に取り込んだすべてを貪欲に喰らい尽くし、やがて満足してこの世から消え去ったとき……もう、そこに“首都東京”はなかった。


 のちに『空間破砕攻撃』と呼ばれることになるこの強烈な破壊エネルギーは、爆心地となった東京タワーから半径一〇キロ圏内を完膚なきまでに叩き潰し、死者・行方不明者の数は、推計で約四三〇万人に達した。……だがこれは、これからはじまる破滅への序曲の、ほんの一小節分にすぎなかったのである。


『東京壊滅』


 ――この報せは、五時間と経たないうちに全世界を駆けめぐった。


 突然すべての通信が途絶した東京圏の状況が伝わるにつれ、世界の耳目が東京に集中した。各国の報道機関は非常態勢を敷いて、日本からのニュースを情報が入りしだい自国民に伝えた。世界の人々は、眠るのも忘れてTVやモニターの前に釘づけになり、いち早く東京に入ったカメラから、ネットや衛星中継で送られてくるライブ映像を食い入るように見つめた。


 やがて、破壊の凄まじさが判明するにつれ、「東京は核テロリズムに見舞われたのではないか」という憶測が、各国のあいだを飛びかった。

 しかし、東京が消滅してから二四時間後。


「――――通告する!」

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