騎士と姫君

騎士と姫君 1

「師匠、肩お揉みしましょうかっピ?」

「だから師匠じゃねーっつーのに!」

「ししょおー!」

「師匠って呼ぶんじゃねー! そしてうっとーしいからついてくんな!」

「いいじゃんかさい、そんなお前でも尊敬してくれるヤツに出会えてさ」

「てめ祥太郎しょうたろう他人事ひとごとだと思って好きなこと言いやがって!」

「でも、結構いいコンビかも?」

理沙りさちゃんまでー!」


 いつものごとく騒がしいミーティングルームをちらと眺め、マスターは再び歩き出す。いくつか部屋を覗いた後、ロビーのカフェに目的の姿を見つけ、そちらへと向かった。


「あらマスター」


 遠子とおこが先にこちらへと気づき、笑顔を見せる。


「マスターも紅茶いかが?」

「……いただこうか」


 少し迷ってから答えると、窓の外を眺めながら紅茶を飲んでいたマリーが振り返らずに言った。


「棒人間のことでしょう? わたしは構いませんわ」


 マスターは微笑み、隣の椅子へと腰掛ける。同じように外を見れば、雲の切れ間から差し込む光が庭の木々を輝かせていた。


「マリー君が一番の被害者だしね」

「今はサイじゃないかしら」

「だけどあれはあれで楽しそうよ。……はい、どうぞ」


 戻ってきた遠子が、テーブルに置いたカップへと紅茶を注ぐ。


「ありがとう」

「そもそも、わたしに決める権限なんてないもの。帰れないんでしょう?」

「ああ」


 マスターは頷き、カップに口をつけた。

 事件が一段落した後、ゲートルームへと戻ってみると、棒人間が通ってきたはずの『ゲート』は扉ごと消えていた。原因は調査中だが、捕縛中に無理矢理出てきてしまったということも影響したと思われる。


「こうやって無事、元の姿に戻れましたし、どうぞお気になさらず」

「マリーちゃん、懐が深いのね。……そうだ、懐といえば、これを機に借金チャラにしてもらっちゃえば?」

「……トーコ、せっかくいい話でまとまりかけているのに、そうやって生々しくするのやめていただけない?」

「そうだね、半額くらいなら……」

「ま、マスター、ほ、本当ですの?」


 その時、表で何かが光を放った。皆一斉にそちらを向く。

 ――人だった。


 陽光を反射したのは、身につけた銀色の鎧だった。そのなめらかな表面には点々と赤黒い染みが落ちているのが見える。よろよろと頼りなく動いていた体が、ふいに沈み込んだ。


「誰か倒れたぞ!」

「酷い怪我です!」


 ちょうどやって来ていた祥太郎たちが、それを見てざわめく。マスターは振り返って素早く言った。


「理沙君、ドクターを呼んできてくれ! 祥太郎君は怪我人をこちらに!」

「はい!」

「了解!」


 それから残った三人でテーブルクロスを集め、折りたたんで簡易的なベッドを作り上げる。祥太郎は慎重に、その上へと怪我人を転移させた。

 鎧に身を包んだ女は荒い呼吸を繰り返し、時折うわ言のように何かを呟いている。汗と血が混じりあい、白いテーブルクロスをくれないに染めていく。


「……これ、弾痕だんこんじゃない?」


 体の向きを整えていた遠子が言った。鎧の表面に、小さく穿うがたれた穴が何箇所もある。そのいくつかは隙間を縫い、皮膚を貫いていた。


「応急処置をしましょう」


 彼女は言うと、腰に提げたポーチをまさぐり始める。


「ドクター連れてきました!」


 その時、理沙の声が背後でした。駆け寄る彼女に続き、やたらと重い足音があたりに響く。


「何かすげー武装した人が来ましたよ!」

「武装ではない。白衣だ」


 異様な姿に驚く祥太郎に、ヘルメット越しのくぐもった声が返ってくる。しかし甲冑かっちゅうとも呼べるようなその装備は、白いという以外はとても白衣の条件を満たしているとは思えない。


「ドクター徳田とくだだよ」

「ドクター? 僕、スタッフの皆さんにそれなりに挨拶したと思うんですが、会った覚えがないんですけど」


 彼がマスターの言葉に首をかしげていると、機械音と共にヘルメットが上がり、表情に乏しい青年の顔が出てきた。


「当然だ。ドクターは怪我や病気の際に出動するものだからな」

「怪我も病気もそれなりにあったような……」

「些細なことは気にするな少年」

「あっ、僕は伊村祥太郎といいます」

「そうか。私はドクターだ、転移少年。様々な呼び方をされるのも面倒だからドクターとだけ覚えてもらえれば良い。とにかくまずは患者だ」


 すると、突如うなるような声と、激しく咳き込む音がした。ドクターはがしゃんがしゃんと騒がしい音を立てながら、女の元へと駆け寄る。


「……あの人、大丈夫なんですか?」

「腕は確かなんだよ。独自の研究に没頭しすぎるきらいはあるが」

「ふむ。命に別状はなさそうだが、酷い顔色だ」


 ドクターが診察を始めたので、ひそひそとやっていた祥太郎とマスターも口をつぐんだ。


「傷口もふさがってきている。――何だこの緑色の液体は」


 彼はそれを指先ですくうとにおいを嗅ぎ、顔をしかめる。


「貴様か、薬師くすし


 すると隣で見守っていた遠子が、ふわりと笑った。


「ひどい状態だったから、応急処置しておかなきゃと思って」

「ふん、また患者を癒す楽しみを奪いおって」

「命が先決でしょう?」

「ふむ、正論だな。それにまだ治療は必要だ。このスープの薬効は目覚しいものがあるが、不味まずすぎて大量摂取が難しいという欠点がある。とりあえずこれは必要なくなった」


 ドクターは突然、背中に結びつけた鞘から剣を抜き出して放り投げる。


「あ、それ注射器なんだ――ってあぶねっ!」

「うわぁっ!?」

「ひょげぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!」


 慌てて自らを転移させる祥太郎。背後にいつの間にか来ていた才が頭を抱えてしゃがみこむと、飛んできた注射器はさらにその後ろにいた棒人間へと直撃する。

 その様子に、皆が一瞬気を取られていた時のことだった。


「動くな!」


 聞き覚えのない声に視線を戻すと、倒れていたはずの女が遠子の体を抱え込み、首筋に刃物を突きつけている。鎧の腕部分に仕込まれていたようだ。


「やめるのだ患者。まだそんなことが出来る状態ではない」

「そうそう、お医者さんの言うことは聞いたほうがいいわ」

「嘘をつくな! このように武具で身を固めた医者がいるか! 貴様ら、イディスの間者かんじゃであろう!」

「イディスってのが何かは知らないけど、ドクターは確かに怪しいよな……」

「転移少年、君はどちらの味方なのだ?」

「いいか? そのまま動くなよ?」


 このような事態になっても全く緊迫感のない一同に、かえって女の表情のほうが硬くなる。彼女は遠子を抱えたままアパートの出口へと向かい、じりじりと後退していく。

 祥太郎がマスターへ目配せをしたその時――ぱちん、と軽やかな音がした。


「――なっ」


 女の首が突然かくん、と傾く。目蓋まぶたは抵抗も虚しく重たく閉じていき、体もバランスを崩していく。やがて女は逆に遠子に抱えられる形で、安らかな寝息を立て始めた。


「ふふ、特製の薬草スープには、体を休ませる効果もあるから」


 遠子は支えていた体を、ドクターの白衣から担架にそっと乗せる。


「何でも特製ってつければ良いってものでもないわよね」

「僕もあんなの飲まされたのか……えげつねぇ」


 ぽつりと言ったマリーに頷く祥太郎。その隣でしばらく考えを巡らせていたマスターは、表情を引き締めた。


「皆、聞いてくれ。これよりプランBに移行する。――才君は至急コントロールルームへ。ドクターと遠子君は怪我人を頼む。彼女が話せる状態になったら連絡を。マリー君、理沙君、祥太郎君は外へ向かってくれ。詳細は随時『コンダクター』で知らせる」


 皆それぞれに了承の意を示し、素早くその場を離れる。

 祥太郎も大分こういう事態には慣れてきた。とりあえず、理沙とマリーの後に続いて外へと出る。

 マスターは自らもコントロールルームへと急ぎながら、『コンダクター』に手を触れた。


『ハロー?』


 呼びかけに返ってきたのは、陽気な女の声。


「申し訳ないが緊急事態だ。手伝って欲しい」

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