よるべなき侵略者 2

 長い廊下を走り、休憩室のあたりまで差し掛かったが、マリーの姿は全く見当たらない。よほどの勢いで走っていったのか、それともどこかに身を隠したのか、迷うところだった。


「大爆笑してあげたほうが良かったのかしら」

「……遠子とおこさん、鬼ですか」

「でもね、そういうので気持ちが救われることってあるじゃない?」


 真面目な顔でぶつぶつと言っている遠子は放っておくことにし、祥太郎しょうたろうは休憩所のゴミ箱や自販機の取り出し口まで手当たり次第に覗き込む。


「マリー! どこだー!」

「お前も十分ひでーだろ」

「でもさー、今のあの姿だったら、どこに潜んでるかわかんないじゃんか。――マリー!」


 そうしてコイン投入口まで見始めた祥太郎も離脱。

 残った三人は居住区まで戻り、そちらを捜索するために足を速めた。


「マリー君がああなった原因も気になるところだ。とりあえずゲートに異常はなさそうだったが、捕縛ほばくが完了する直前に、何者かが侵入してきたということだろう」

「侵入者はどこ行っちまったのかな」

「あるいは、マリー君と同化してしまったとか」

「じゃあ、そいつも棒人間ってことか……」

「可能性はあるね」

「あれ、理沙りさちゃんは?」


 マスターとさいが話し込んでいる間に、理沙の姿が見当たらなくなっている。

 振り返ると、彼女は後方で立ち止まり、何かを覗き込んでいるようだった。


「理沙ちゃん!」


 才が声をかけると、彼女は顔を上げ、すぐにこちらへとやってくる。


「ごめんなさい! ちょっと気になっちゃって」


 彼女のいたほうを見ると、そこにも自販機が備え付けられていた。


「理沙ちゃん祥太郎に毒されすぎ。あのマリーちゃんが自販機の中なんか入るわけないだろ?」

「だって、あの姿をあんなに恥ずかしがって逃げ出しちゃったんですよ!? 自販機の中くらいは入っちゃうかもって思って……」

「いや、でもさ……まあ、そういうこともあるの……かな?」


 泣きながら走り去った彼女の姿を改めて思い出すと、その説も説得力が増してくる気がして、才の自信が揺らぎ始める。


「いやいやいやいや」


 このまま自販機方向に向かいそうだった会話を慌ててマスターが遮った。


「まずはもう少し普通に考えてみよう。まだ普段よく行く部屋ですら探してないんだからね」

「そ、そうだよな!」

「はい……とにかく急いで探しましょう!」


 気を取り直し、思い当たるところは片っ端から行ってみたのだが、やはり彼女は見つからない。


「まさか、外に出ちゃったとか……?」


 理沙が窓の外を見て言った。アパート内でも十分な広さがあるのに、そうなると厄介だ。


「警備班にマリー君の反応を追ってもらったんだが、どうやらゲートルームから出た形跡がないようでね」

「出てないって……でも、確かに飛び出したのは見ましたよね? あっ、こっそりゲートルームに隠れてるとか?」

「いや」


 しかしマスターは首を振る。


「ゲートルームで消失し、それきりどこにも出ていないということらしい」

「それって……まさか異世界に行っちゃったってことですか?」

「その可能性も考えられっけど、もしかしたらあの姿になっちまったことが関係してるんじゃねーかな。警備システムに反応が出ねーのは」


 才が口を挟むと、マスターも頷く。


「私もそうではないかと考えている。……とにかくもう一度アパート内を中心に、外に出たことも考慮しながら探そう。今、他のスタッフにも応援を要請した」

「はい、絶対見つけ出しましょうね!」


 意気込む理沙の隣で、才は小さく溜め息をついた。


「しっかしサボ太郎の野郎どこ行きやがったんだ。使えねーな」

「誰が使えないって?」


 突然の声にそちらを向けば、空間転移してきた祥太郎と遠子の姿。


「マリーちゃん、休憩室の自動販売機と壁の隙間に隠れてたのを見つけて二人で追い込んだんだけどね、逃げられちゃって」

「マジで自販機にいたのかよ……」

「そーゆーこと、だからお前よりもしっかり仕事はしてましたー」

「でも祥太郎くん、逃げられたんだから結果としては同じじゃない? マリーちゃんぺらっぺらだからいつもよりも素早いし、隙間に逃げられちゃうし、突然空中を舞うしで捕まえにくくて」

「マリーちゃん……」


 まるであの黒い虫のような扱いに、涙を禁じえない理沙。

 思わず逸らした視線の先、廊下の角からこちらを見ている影――いや、線を見つける。


「あっ、あそこに!」


 しかし次の瞬間には、すでに姿を消していた。急いで角を曲がると、その少し先には大きな扉。


「テストルームの中に入ったようだ。行こう」


 マスターが皆を促す。そこは以前、祥太郎が能力の試験を受けた部屋だった。


「マリー君!」


 ドアへと走り寄り、一気に突入する。


「いたぞ!」


 だが――。


「二人……?」

「いや、あっちの隅にも!」

「あっちにもいるみたいね」

「棒人間が――五体!?」


 広いドーム状の部屋の中に紛れるようにして佇んでいた棒人間は、一体ではなかった。


「み、みんな!」

「助けて!」

「いつの間にかこいつらも来てて」

「なんとかして!」

「なにこれ!? なんなの!?」


 そして一斉に喋り始める棒人間。


「どういうことなんでしょうか……」


 その有様ありさまを見て、理沙がうなる。


「マリーちゃん、本当にこの中にいるのかな」


 すると棒人間たちは、また一斉に騒ぎ立て始めた。


「わたしがマリーよ!」

「何言ってるの、わたしがマリーなんだから!」

「嘘、嘘よ嘘! わたしがマリーなの!」

「わたしが本物のマリーだってば!」

「騙されないで! わたしが本物なの! 信じて!」

「だからどういうことなんだよ!?」


 今度は祥太郎が頭を抱える。


「どれかが本物のマリーで、他はそれをマネしてるってことなのか……?」

「じゃあ、最初に発言したのが本物のマリーちゃんじゃないでしょうか?」

「そうとも言えないかも」


 遠子が腕を組み、五体の棒人間を眺める。


「どういう反応をするか予測がつけば、真っ先に動くこともできるから。あとね、どれが最初に発言したとか、わかる?」

「た、確かに……あっ」


 理沙は頷きかけ、それから何かに気づいたように顔を上げた。


「本物のマリーちゃん! 急いでこっちに来て!」

「今――あら?」

「走ろうとしてるんだけど……」

「な、なんでかしら、体が動かないの!」

「助けて!」

「もういやぁぁぁっっっ!」


 それから発した呼びかけにも、返ってきたのは言葉だけ。

    

「これは、思ったよりも状況が深刻かもしれん」

「どういうことですか? マスター。そうだ才、こういう時こそお前の予知能力だろ!」

「いやムリ。さっきから棒人間しかえねーし」

「恐らくマリー君との《もの》との同化が進んでいるのではないだろうか。体が上手く動かせないのもそのためだろう」

「いやぁぁぁっっっ! 何とかしてぇぇぇぇ!!」

「助けて! どうにかして、お願い!」

「こんな姿のままなんて――!」

「うわぁぁぁぁん!!!!」

「元に戻りたいぃぃぃ!」

「どうしよう! このままマリーちゃん、棒人間さんになっちゃうんですか!?」


 口を押さえうつむいた理沙は、ぽんと手を叩いて顔を上げる。


「こうなったら全員まとめてぶっ飛ばして身動き取れなくさせて、それから考えるっていうのはどうでしょう!?」

「ちょ、ちょっと落ち着いてくれよ理沙ちゃん!」

「いや才、いい案かもしれないぞ?」

「祥太郎君、待ちたまえ!」


 マスターの制止を振り切り、祥太郎は意識を集中させる。

 五体それぞれの場所にいる棒人間は、一箇所に集められる――はずだった。


「くっ!?」


 しかし、目的の場所に背中を叩きつけられたのは、祥太郎自身。


「大丈夫かね?」

「いてて……何とか」


 衝撃でもがく彼を助け起こしながら、マスターは息を吐いた。


「だから言っただろう。力を跳ね返されただけのようだから良かったが、君まであの中に混じってしまったら困るよ」

「……すいません」

「身動きは取れないが、会話は出来る――か」


 しばらく棒人間たちを眺めながら考えていた才がそこで口を開く。


「質問するっていうのはどうだろう? マリーちゃんしか知らないようなことを」

「なるほど!」


 理沙は表情を明るくし、すぐに質問を生み出した。


「じゃあ棒――マリーちゃん、この前友達になった巫女さんの名前は?」

「ニコでしょ」

「ニコよ!」

「ニコ」

「ニコだわ」

「ニコ!」

「全員正解……!?」

「それなら、ジョルジュ・ディーの新作発表が行なわれるのは、今年の何月何日?」


 愕然がくぜんとした理沙に代わり、今度は遠子が質問をする。

「未定」

「決まってないはずよ」

「まだ発表されてない」

「未定だったと思うわ」

「未定ね」


 答えを聞き、彼女は肩をすくめた。


「ちょっとした引っ掛けのつもりだったんだけど、ダメみたいね」

「記憶も吸い取られてきているということか……では、もっと昔のことならばどうだろう。マリー君がこのアパートに来た時、最初に発した言葉は?」


 次の質問者はマスター。


「ごきげんよう、だったかしら」

「はじめまして、だったわ」

「よろしくお願いします、よ」

「そんなの覚えてない!」

「覚えてるわけないでしょ!」


 これに返ってきた答えは様々だった。


「今度は分かれたぞ! マスター、答えは?」


 問いかける祥太郎に返ってきたのは、曖昧な笑顔。


「……いやー、私も覚えてなくてね」

「そんなの質問してどうするんですか!?」

「こうなったら……」

「遠子さん、何か別の策でも?」

「とりあえず全員まとめて」

「それはさっき理沙ちゃんが言いました!」

「いえ、何とかして『ゲート』に追い込んで、異世界に強制送還するの。どれかが本物のマリーちゃんなら、自力で帰ってくるかも」

「正気ですか!?」

「記憶――知識。リアクション……」


 再び考え込み、独り言を呟いていた才が、はっと顔を上げる。皆の注目が集まった。


「よし」


 そして彼の視線が、棒人間たちに突き刺さる。 

  

「マリーちゃんの、今日のパンツの色は?」


 一瞬の沈黙。


「ぱ……パンツ? 教えられるわけないじゃない!」

「こ、こんな時になんてこと言うの!?」

「……し、白……」

「ひ、ひどい……」


 それぞれの反応。そして。


「…………」


 その中に一体、無言でたたずんでいる棒人間がいた。

 背景が透けて見えるだけの円の中から、まるで冷ややかにこちらを見る表情がありありと浮かんでくるかのようだった。


「それそれそれそれ! ――そいつが、本物のマリーちゃんだ!」


 才がびしっと指をさす。残り四体の棒人間が、明らかにうろたえた。


「「「「な、なんでわかったっピ!」」」」

「いくらマリーちゃんから情報を盗み出し、真似したとしても、俺たちの関係性まではコピーできなかったようだな!」

「関係性……」

「そうだ、それは付け焼刃じゃどうにもならねぇ、人同士の交流によって積み上げられたもの、言ってみれば歴史のようなモンだ。所詮ニセモノはどこまでいってもニセモノなんだよ!」

「ニセモノ……っピ」


 よほどその言葉がショックだったのか、四体の棒人間はがくんと地面に膝を落とす。その輪郭がぼやけ始め、やがて一つへと集まった。

 残りの一体は白い煙を発しながら、マリーの姿へと戻っていく。


「ま、負けたっピ……完敗だっピ……」


 うなだれる棒人間。

 テストルームの中には、才の笑い声が高らかに響いた。


 ◇


 翌日。


「おはよーっす! いやー、今日もいい天気だなー」


 才が明るくミーティングルームへと入ってくると、先に部屋にいた皆の会話がぴたりと止む。


「ど、どしたの? みんな」


 そして顔を寄せ、戸惑う彼を時折横目で見ながら、小声で話し始めた。


「ひそひそ」

「ひそひそ」

「ひそひそ」

「ひそひそ」

「ひそひそ」

「何? これどういうこと? 嫌だなぁ、マスターまで混じっちゃって冗談きつい」

「ひそひそひそ」

「ひそひそひそ」

「ひそひそひそ」

「ひそひそひそ」

「ひそひそひそ」


 しかし、ひそひそと言う声は止む気配がない。


「ひそひそひそッピ」

「ちょ、棒人間、お前ちゃっかり混ざりやがって、お前だって当事者だろ!?」

「師匠、ゆるせっピ。長い物には巻かれるっピ」

「誰が師匠だ誰が!?」

「ひ、ひそひそひそッピ」

「ひそひそひそ」

「ひそひそひそひそ」

「ひそひそひそひそひそ」

「ひそひそひそひそひそひそ」

「ひそひそひそひそひそひそひそ」

「うわぁぁぁぁん! やめて! みんなでひそひそ言わないで! いじめだ! パワハラだ! ブラック・アパートだ!」


 マリーは無事助かったが、才はちょっとの間、干された。

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