よるべなき侵略者

よるべなき侵略者 1

 『それ』は暗闇の中、もぞりと体を動かした。


 長い間ここにいる気がするが、いつからかはわからない。ずっと昔からなのかもしれないし、もしかしたらたった今、始まったことなのかもしれなかった。


 いずれにしろ緩慢かんまんに流れ出した時は、次第にそのスピードを速めていく。やや遅れて澄み始めた意識は、遠くからやってくる小さな振動を捕捉した。

 情報のかけらは試行錯誤を経て組み合わせられ、やがて言葉になる。


 ――こえ。


 それはどこかから引き出された記憶。


 ――ざわざわ、こえがする。


 かつて聞いたはずの風がそよぐ音とも、雨が打つ音とも違う、騒々しく弾ける音。

 不安とも憧憬どうけいともとれるさざなみが内側で湧き起こった。その揺らめきはさぁっと体中に広がり、やがて細やかな輝きを映し出す。


 ――ひかり。


 とても遠くにも、ごく近くにあるようにも見える、微かな光。

 『それ』は、そちらへと向かって手を伸ばした。


 ◇


雷火御前らいかごぜんの話だけれどもね」


 いつものように皆がミーティングルームでくつろいでいると、やってきたマスターがぽつりと言った。

 やけに静かになった部屋の中、目が合ってしまったために祥太郎しょうたろうは仕方なく口を開く。


「ライカゴゼン? ああ、ええーっと――そうそう、定食の話でしたっけ」

「違うよ、君たちが捕まえてきた能力者だよ」

「ああ、あの200歳のBBAか!」

「記念すべきライトニング――」

「リサ、もうそれはいいわ」

「私もどこのお店の話かなって思ってたの」


 急激に活気が戻った部屋に、マスターは大きく溜め息をついた。


「実際は150年生きているという話だが」

「そっちにサバ読むの? 意味わかんねー」

「だって150年なんて、まだまだひよっこじゃない?」


 げらげらと笑うさいに、遠子とおこがおっとりと言う。ぽかんとした顔を見て、彼女はくすくすと笑った。


「もっと長生きしている魔女なんてざらにいるから、きっと見栄を張りたかったのね」

「そういや俺たちのこと、こわっぱとか言ってバカにしてたっけ」


 二人の会話を聞きながらマスターはまた溜め息をつくと、空いていたソファーに腰を下ろして眼鏡を外し、ポケットから出した布で拭う。


「彼女は色々と悪さをしていてね。服役中の身だったんだが、偶然現れた『ゲート』に逃げ込んでしまい、異界捜査部いかいそうさぶが行方を追っていたらしい。お手柄の君たちに、異種技能省いしゅぎのうしょうが表彰したいと言ってきたよ」

「異種技能省から!? ホントですか!?」


 しかしそれを聞いて興奮したのは祥太郎だけだった。周囲の温度は再び急降下する。


「……俺、いらないです」

「わたしも謹んで辞退させていただきますわ」

「あの、あたしも特には……」

「え、なんでなんで!? だってあの異能省から表彰だよ?」


 異種技能省は能力者を束ねる国家機関であり、多くの能力者が憧れる組織だ。そこから表彰されるというのに、皆が乗り気ではないことに彼は納得がいかない。


「あの異能省って言っても、『アパート』だって異能省の管轄なんだし、ショータローだってその一員なのよ?」

「マジで!?」

「知らなかったの!? 契約書本当に読んだの? ――異種技能省異界局異界対策部いしゅぎのうしょういかいきょくいかいたいさくぶ、通称『ゲートキーパーズ異界の門番』。だからここは『ゲートキーパーズ・アパート』って呼ばれてるの」

「ほえぇ」


 次々と来る驚きの情報に、間の抜けた声しか出ない祥太郎。マスターは小さく咳ばらいをすると、話を続けた。


「まあ、とにかく皆はそう言うだろうと思って、丁重に断っておいた。――そうだ、それからもう一つ」

 

 そして手に持った資料を確認する。


「シミュレーターの損害分、全員の給料から引いておくから」

「えええええっ!」


 ざわつく一同を差し置き、マスターが部屋から出て行こうとした時のことだった。


 ジリリリリリリリリリリリッッッッッッッッ!!!!!


 けたたましいベルの音が突然鳴り響く。

 皆一瞬にして表情を引き締め、周囲を見回した。


「……あ、ごめん。俺のアラーム」


 そんな中のんびりと、才が『コンダクター』をいじり始める。


「またかよ! 更新忘れ多すぎだろ!」

「アラーム音ちょくちょく変えるせいで全然慣れないからやめて!」

「だって慣れちゃうと危機感なくなるしさ」

「そもそも危機感あるなら更新を忘れないんじゃ……?」

「せっかくの才能も、使い方次第なのねぇ」

「えっと……」


 祥太郎とマリーに続き、理沙と遠子にもひそひそとやられる中、再び意識を集中する才。


「――これはやべぇ。新規の『ゲート』が来る!」


 それを聞き、彼以外の者の表情もすぐに真剣なものへと変わった。


「いつだね? 場所は?」

「エリア30のあたりに20分後ってトコ」

「ぎりぎりかもしれんな。君たちも来てくれ」


 言ってマスターは、急いで部屋を出る。皆もその背中を追った。


「新規の場合はどうすればいいのかな?」

「この前のこと覚えてるでしょ? 現れてすぐの『ゲート』は不安定だから、まずは他の場所へ移ってしまわないように、繋ぎとめなきゃならないの」


 マリーの話を聞き、祥太郎の頭に、先日やっとのことで潜り抜けてきた『ゲート』のことが思い出される。

 その間にもゲートルームはぐんぐんと近づいてきていた。しかしあの扉だらけの部屋と、空のシミのようにぽつんとあった『ゲート』が、いまいちしっかりと結びつかない。


「それで、誰がつなぎとめるんだ?」

「私だよ」


 さらに口から出た疑問には、低く穏やかな声が返ってくる。

 そしてマスターは、不敵な笑みを浮かべてみせた。


 ◇


 ――ざわざわ、こえ。ざわざわ。


 複数の声のやり取り。それはとても賑やかだった。

 賑やかで、でも緊張していて、不穏な輝きも放っている。


 ――たくさんのそんざい、いっしょにいてもばらばら。


 声のやり取りは硬いものを叩くような音と共に近づいてくる。

 不規則な響きは『それ』の中に眠る緊張や恐怖をも呼び起こし、しきりに煽り立てた。


 ――いやだいやだ。あらそいはいやだ。


 『それ』は考えることをやめ、さらに強くなった光に向かって泳ぐように突き進む。


 ――みんなみーんな、おんなじになればいいのに。



 何度か情報の再確認をしつつ、たどり着いたエリア30の一室。


「あった!」


 片隅には、明らかに異質な黒い点が浮かんでいた。それはうごめきながらも大きくなっているように見える。


「まだ現出げんしゅつ直後のようだ。――捕縛ほばくする」


 マスターは言うと足を踏みしめて立ち、両手で素早く印を結んでいく。


シツヨクジョシュウ――!」


 それを見て慌てて散り始める一同。


「危ないから祥太郎さんも伏せてください!」

「え、どういう――」


 一人あたふたしていた祥太郎も理沙に強く手を引かれ、体を低くさせられた。


「お互いの術が干渉して『ゲート』に影響するといけないから、結界は張れないのよ」


 壁の窪みに身を隠すようにしながら言うマリー。

 マスターが大きく息を吸った。緊張感が一際大きくなる中、右手が力強く突き出される。


無相捕縛楔むそうほばくせつ!」


 指から放たれた無数の風が『ゲート』の周囲に叩きつけられた。跳ね返ったものは突風となり、あたりへと吹き荒れる。

 皆が耐えながら見守る中、点から小さなシミほどの大きさとなっていた『ゲート』の姿は、薄い膜がかかったようにぼやけ始めた。そしてそれは段々と、ドアの形へ変わっていく。


「すげぇ……」


 ようやく収まり始めた風の中、呟いた祥太郎に、遠子が言った。


「これがマスター――『マスター・オブ・ゲートキーパー』の力」


 しかし、モノトーンのシンプルなデザインのドアがまさに完成しようとしたその時――何かが隙間から飛び出してきた。


「ひゃっ!」


 それは、ちょうど柱の陰から体を出したマリーへと直撃する。軽い破裂音と同時に立ち込めた煙により、視界は一瞬にして真っ白になった。

    

「マリー君!」

「マリーちゃん、大丈夫!?」


 煙を掻き分けながら、すぐにマスターと理沙が駆け寄る。


「いたた……」


 そして腰をさすりながら立ち上がったマリーを見て、言葉を失った。

 白煙が次第に晴れ、その理由が他の者にも明らかになっていく。


「大丈夫、少しぶつけただけだから。大したことないわ」


 しかしいまだ引きつった表情のままの一同に、マリーは首をかしげた。


「ま、まりーちゃん……」

「ごめんね。このままだと先に進めないから、深呼吸してから見てね」


 何も言えない理沙に代わり、遠子が取り出した小ぶりの鏡をマリーへと差し出す。彼女は不審に感じながらもそれを受け取り、覗いてみた。


 そこには、天井が写し出されている。

 何かがおかしいと思い、よく目を凝らすと、鏡の中、黒い線が動いた。鏡を左右に動かし、自らの顔を映そうと試みる。そこには黒い線がまるくつながっていた。首元にも線、肩にも線、体も一本の太い線、足も線。

 ――棒人間である。落書きでよく描かれるアレである。


「わ、わたし……?」


 マリーは鏡を持っていないほうの手をじっと眺めた。やはりそこにも指や手のひらはなく、ただ黒い線がふるふると揺れている。


「ち、違うわよね……? これ、わたしじゃないわよね……?」


 顔を上げると、仲間たちの同情するような視線。

 それが、現実をはっきりと物語っていた。


「い、いや――」


 マリーはじり、と後ずさる。


「いやぁぁぁぁっっっ!!!! こんな没個性ぼつこせいな存在になるのはいやぁぁぁぁっっ!!!」


 そして止める間もなく、泣きながらゲートルームを出ていった。


「マリー君! ――皆、追うぞ!」


 マスターの声に、一同は慌てて後を追う。

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