襲来

襲来 1

 目を開くと、天井がぼんやりと見えた。

 何度かまばたきを繰り返し、次第に視界が鮮明になるとともに、記憶もはっきりとしてくる。


 祥太郎しょうたろうはあの得体の知れない『異世界人』を全て撃退した後、何とか扉だらけの部屋から脱出し、這うようにして休憩所までたどり着いた。

 自販機の奥に仮眠室があるのを見つけ、ベッドに倒れこむようにして寝たのだ。

 それからどのくらい眠っていたのか定かではないが、疲労はまだ取れてはいない。起き上がることさえひどく億劫だった。


「しばらく麺類食えないかも……」


 つぶやく声もかすれている。何十体――いや、何百体だろうか。飛ばしても飛ばしても、後からきりなく迫り来る異形をひたすら飛ばし続けること十数時間。ともすれば脳裏によみがえってくる禍々しい姿に体が震える。

 その時、ドアをノックする音が耳に届く。か細い返事をすると、人が入ってくる気配がした。


「祥太郎くん、お疲れ様」


 遠子とおこだった。顔を少しだけ動かせば、トレイのようなものを持っているのが見える。


「おなかすいたんじゃないかと思って、スープを作ってきたの」


 そういえば、ずっと何も口にしていない。そのことを思い出した途端に腹の虫が騒ぎ出す。


「……ありがとうございます」

「はい、あーん」


 上半身をゆっくりと起き上がらせた祥太郎の目の前に、スプーンが差し出された。視線をあげると、遠子のにこやかな顔がある。

 流石に気恥ずかしかったが、体も上手く動かないことだし、結局、親切に甘えることにした。


「ん」


 流し込まれた少しぬるめのスープが、どろっと口の中に広がる。


「ん? ――うっ」


 思わず吐き出しそうになった口を手で塞がれ、強引にベッドへと引き倒された。

 その衝撃で、液体は食道から胃へと一気に侵入していく。


「んぬぬぬ、うおぁっぷ!? おえっ!?」


 何だか分からない青臭さと生臭さ、刺すような辛味と鼻につく酸味、口の中には粘りつく甘みと舌が痺れるほどの苦味が残り――想像を絶するほどの不味さだ。

 むせて咳き込むと、鼻から臭気が噴出して、さらにむせてしまう。

 涙を浮かべてのた打ち回る祥太郎を、遠子の変わらぬ微笑みが見下ろしていた。


「うげぇぇぇぇぇっっ、なんなんすかこれ!?」

「元気が出る薬草のスープよ。さあさあ、もっと飲んで」

「もうもうもういいです。結構です! うわまずっ、喋るとまたまずっ」

「もう一杯?」

「いやいやいやいや、ほんとに、ほんとにいらないから!? 死んじゃうから!!」

「でも、元気になったでしょ?」

「元気になんかなるわけ――あれ? ……ほ、ほんとだ」


 確かに彼女の言うように、あれだけ重かった体がすっかり軽くなっている。


「ね、遠子さん特製のスープは効くんだから。でもお腹はまだ空いてるでしょう? もう少し食べたらいかが?」

「いや、ほんとに、お気持ちだけで。助かりました。十分ですから、ありがとうございます!」


 せっかく作ってくれた彼女には悪いが、あと一滴ですら口に入れる気にはなれない。

 祥太郎は何度も頭を下げると、ベッドから転がるようにして降り、そそくさと休憩所を後にした。


「そう、残念。……残りはどうしようかしら」


 一人残された遠子は呟くと周囲を眺め、やがてぽんと手を叩く。


 ◇


「ぐはらぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」


 アパートの中に悲鳴が走る。

 慌しい足音のあと、荒々しくミーティングルームのドアを開け、さいが鬼のような形相で入ってきた。


「遠子さん! あれだけ缶コーヒーの中身を薬草スープとすり替えるのはやめてくれって頼んだだろ!?」

「やっぱり才くん、今日は微糖を選んだのね」

「いや選んだけども、ブラックよりは微糖の気分だからと思って選んだけども!」

「良かった。せっかく作ったから、捨てちゃうのももったいなくて」

「こっちは全然良くねーし! なんでコーヒー飲もうと思ったのに薬草スープ飲まなきゃなんないんだよ!? あのスープ、心の準備なしで飲むと、すっげー心臓に悪いんだから!」

「でも、元気になってるから結果オーライじゃない? 女の子ともよろしくできるでしょう」

「急におっさんみたいなこと言うのも禁止! 体が元気になってもダメなの! 気持ちがすっげー落ち込むの! 口も臭くなるし!」

「でも先に言うと、誰も飲んでくれないんだもの」

「当たり前だって! 遠子さんも自分では飲まないじゃんか!」

「だって私は元気だもん」

「……遠子さんの薬草スープは、死んだ人でも生き返るんじゃないかと思うくらい強烈だからなぁ」


 二人のやり取りに圧倒されていた理沙りさが、ぽつりと呟く。

 それから大きなソファーにごろんと横になっている祥太郎のほうを見て、ぽんと手を叩いた。


「ああ、だから落ち込んでるんですか? 祥太郎さん」

「……違うよ。仕事で、あんな酷い目に遭うなんて思わなかったんだ」


 彼は力なく答えてから、体をがばっと起こす。


「異空間? 異世界人? 侵略? 冗談じゃない!! ……僕、やっぱこんな仕事やめるよ。まだちゃんとした契約もしてないし」


 憤る彼に、静かに紅茶を飲んでいたマリーが冷めた視線を向けた。


「あなたこの前、超高速で契約書にサインしてたじゃない」

「えっ?」


 昨日――いや、ほぼ一日寝ていたらしいので一昨日となった面接の日の細かい記憶は、かなり曖昧になっている。

 目を閉じ、祥太郎は改めて面接の時の記憶を手繰り寄せてみた。



『ああ。早速これから仕事にかかってもらいたいんだが、いいかな?』

『はい、もちろんです!』



「うわぁぁぁぁっっっ!! してたぁぁぁっっ!!!! 『いいかな?』の時に契約書見せられて、超高速でサインしてたぁぁぁぁっっっ!!!!!」

「馬っ鹿じゃねぇの?」


 頭を抱え、ごろごろと転がる彼を見て、すっかり落ち着きを取り戻した才が吐き捨てるように言う。


「バカよね……わたしも一応忠告してあげたのに」

「契約書はきちんと確認しないとねぇ」


 さらに畳み掛けるようなマリーと遠子のコメントが重くのしかかり、祥太郎をソファーへと沈み込ませた。


「で、でも、転移能力者が必要だったわけだし、世のため人のためにはなるわけだし……」

「じゃあ理紗ちゃんは、完全に納得してここで働いてるわけ?」


 再び顔を上げ、子供のように口を尖らす彼に、理沙は頷く。


「あたしはそうですよ。やっぱり自分の能力も最大限に活かしたかったから」

「まー、それはそうなんだけどさ」


 祥太郎がろくに調べもせず、ここへとやって来た一番の理由もそれだ。

 サインしたのをすっかり忘れるくらい気分がたかぶっていたのも、初めて思う存分能力を使えたからこそで、ここで働きたいという気持ちで一杯だったからでもある。

 視線をマリーに移すと、彼女は扇を開いて口元に当てた。


「わたしは納得してるに決まってるじゃない。他に働き口もないもの。お仕事が面倒だということを除けば、住み心地もいいし」


 彼女が言うように、休憩所から逃げたあと向かった食堂も綺麗で、料理も美味かった。

 そこのスタッフに聞いたところ、飲み物も自由に飲んで良いとのことだったし、ジムやプールなどの設備も充実しており、それらも無料で使えるらしい。

 割り当てられた自室はまだ確認できてはいないものの、居心地のよい場所なのだということは想像がついた。

    

「俺がこの仕事をやってるのは、まあ、世のため人のためだな」


 聞かれないうちから胸を張りつつ言う才に、祥太郎はふんと鼻を鳴らす。


「才のは絶対嘘だろ」

「サイのは嘘よね」

「才くんは胡散臭いわよねぇ」

「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん……」

「ちょちょちょちょ待って何、何、何その手のひら返し!? 理沙ちゃんも悩みすぎだろ! あとてめぇは呼び捨てにしてんじゃねぇよ新人! 才様と呼べ才様と!」

「は? サイ様ぁ? バカじゃないかしら」

「才様だって……ふふっ。才くん面白い」

「えー」


 言われた当人である祥太郎が反応を返すよりも早く、何故か女性陣に全力で否定され、ぷるぷると震える才。


「皆、すっかり打ち解けたみたいだね」


 そこへにこにことしながら、マスターが入ってくる。

 祥太郎はソファーへと座り直し、彼を見上げた。


「まあ……それなりには。ところで、契約書の控えってないんですか?」

「事務室にあるから、後で持ってこよう。ただ、祥太郎君には、頑張って続けてもらいたい。実を言うと人手が足りなくて困っているしね」

「転移能力者なんて、いくらでもいると思いますけど」

「いや」


 マスターはかぶりを振る。


「あの求人広告は、A5ランク以上の能力者しか見えないように設定されていた。そうそう居るレベルじゃない。実際、君以外ここへは来てないよ。今は締め切ったがね」

「A5? ……僕もそうなんですか?」

「そうだよ。それだけの力を持っている」


 そういうランクが存在するというのも、祥太郎は初めて知ったことだった。


「前々から思ってたけれど、その分類の仕方、和牛の格付けみたいよねぇ」

「それに一番大事なことは、何だかわかるかね? 祥太郎君」


 のんびりと挟まれた遠子の言葉は完全に無視される。


「強い思いだよ。君は自分の生まれ持った才能を、最大限に発揮したいと思った。そういう能力者を我々は求めてるんだ」


 丸眼鏡の奥の優しげな目を真っ直ぐに向けられ、深みのある声で熱く語られると、胸を打つものがあった。


「まぁ、ころっと騙されるのね。おめでたいこと」


 そんな心の動きを感じ取ったのか、馬鹿にしたように言うマリーへと、祥太郎は顔を向ける。


「マリーは、ここに何か思うところがあるのか?」

「借金だけよねぇ、マリーちゃんにあるのは」

「トーコは黙ってて! ……別にそういうことはないけど」

「ふーん」


 そう言ってそっぽを向く彼女には、どうも含むところがありそうだ。何か口に出来ない事情があるのかもしれない。

 ここに留まり続けるのはやっぱり危ないんじゃないだろうかと祥太郎が考え始めた時、遠子の穏やかな声が耳に届いた。


「マスターが言うように、誰もが持ってる力じゃない。それをどう使うかはその人の自由だけれど、祥太郎くんには、他の人が選びたいと思っても選べない道があるってことだから、よく考えたほうがいいわ」

「ご高説もっともだけれど、トーコはいつも大したことしてないじゃない」

「あら、さっきも祥太郎くんに薬草スープを作ってあげたわ。元気になったもの。ね?」

「ええ、まあ……」


 しかし、あのマズさがまだ口内に残っている。才が言ったように、体は元気になっても、気分は上向いてはこない。


「確かに、わたしも薬草スープの効果は認めざるを得ないけれども、元気になるために毎回あんな思いをしなきゃいけないなら、飲まないほうがマシってものよ」


 よみがえる記憶を追い払うがごとく、マリーが扇をパタパタとさせた時のことだった。


 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッッッッッッッッ!!!!!


 大きなサイレン音が突如、部屋中に鳴り響く。

 皆一瞬にして表情を引き締め、周囲を見回した。


「あ、ごめん。俺のアラーム」


 そんな中のんびりと、才が腕時計をいじり始める。


「何なのそのアラーム!? 緊急事態かと思ったじゃない!」

「俺にとっては緊急事態だからさ、データの更新忘れ。薬草スープにすっかり気をとられてて」


 マリーの非難の声にひらひらと手を振ってから、彼は腕時計に手を重ね、目を閉じた。

 周囲が見守る中、しばらくして眉がぴくりと上がる。


「でもわりかし緊急事態。B1-146、ミリソーニルに30体。1時間後。……12時間以内には、とりあえずそれだけだな」

「1時間後にミリソーニルか」


 マスターは腕を組み、やがて落ち着いた声で告げる。


「ではマリー君、理紗君、祥太郎君、頼む」

「かしこまりまして」

「了解です!」

「え? また僕? だって僕は――」

「ぐだぐだ言うのは後! 1時間しかないんだから。45分後にここ集合よ」

「ふ、二人ともどこに?」


 さっさと移動を始める二人に祥太郎が戸惑っていると、理沙が振り返り、笑顔を見せた。


「あたしはちょっと泳いできます。マリーちゃんは食堂かな? ほら、好きなことしとかないと、しばらく何も出来なくなっちゃうから」

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