GKA 2

「すみません、お待たせして」

「構わないよ」


 部屋の外で待っていたマスターは、特に気を悪くした様子もなく祥太郎しょうたろうを迎えた。


 そこから二人はさらに通路を奥へと向かう。すでに何回角を曲がったのかわからなくなってきた頃、唐突に休憩所のような小さなスペースが現れる。

 何脚か置いてある椅子の一つに、細身のスーツを着て、シルバーのアクセサリーをジャラジャラとつけた若い男が腰掛け、缶コーヒーを飲んでいた。

 明るく染めた長めの髪の下からこちらを覗く眼光は鋭い。


「待ちくたびれたぜマスター。……この冴えないツラしたのが新人?」


 男は椅子に座ったまま、あごで祥太郎を示す。


「このホストみたいなチャラい人も、スタッフなんですか?」

「ホスト? ――はっ、そんなんじゃねーから。これも特注の研究着だし」


 むっとして言い返せば、男も負けじとにらみ返した。


「わざわざ特注しなくても、スーパーで買っても似たようなものじゃない?」


 その緊張感を、のんびりとした声が一気に中和する。


「遠子さん!? ――い、いや、そんなスーパーとかと一緒にしないでくれよ! 高かったんだから」

「そのお金、もったいなくない? もっと自分磨きに使ったほうがいいと思うんだけれど」

「だからそうしてるんだって!」


 言い合いを始めた二人に、あっけにとられていた祥太郎だったが、ふと、いつの間に遠子がやってきたのかという疑問が湧いてきた。

 全く気配に気づかなかったが、男のファッションに口を出すためだけに来たのだろうか。

    

「あ、私ね、休憩所のごみを集めに来たの」


 視線が物語っていたのか、彼女は言って、ふふふと笑う。


「こちらは三剣才みつるぎさい君。解析などを担当してもらっている。才君、伊村祥太郎君だ」


 それまで状況を見守っていたマスターが、穏やかに口を挟んだ。


「知ってまーす。新しい転移能力者だろ。……はっ、男かよ! せっかく俺様のハーレムだったのに。男なんか枯れたジジイだけで十分だっつーの」

    

 気を取り直して挨拶をしようとした祥太郎には目もくれず、才は、はっきりと聞こえるように独り言を言ってからコーヒーを飲み干す。

 投げた空き缶はゴミ箱に届くよりも前に、遠子がビニール袋でキャッチした。


「才くんのハーレムってどこにあるの? ここの近く? 私も行ってみたいわ」


 真顔で問う彼女に、彼は口を半開きにしたまま動きを止める。


「では才君、引き続き解析をお願いするね」

「えっ、だってマスター、これ終わったら交替してくれるって――」

「いやぁ、枯れたジジイにはどうも荷が重くてね。専門でもないから。では祥太郎君、行こうか」


 マスターは微笑み、青ざめた顔の才と、にこやかに手を振る遠子を置いて、再び歩き出した。

 祥太郎も笑いを必死で堪えながら後に続く。


「皆、個性的だけれどもね。宜しく頼むよ」

「はい、こちらこそ!」


 才という男とはそりが合わないと思ったが、他のメンバーとは仲良くやれそうな気がした。仕事を続けていくためには、やはり人間関係は大事だ。


 やがて、見上げるほど大きな扉が近づいてくる。サイズ以外は普通の木のドアに見えるが、巨大なノブには背伸びをしても手が届きそうにない。

 だがマスターはそのまま扉の横、壁のほうへと向かった。そこに設置されていたパネルを何やら操作すると、扉は重い音を立てながら左右に開く。


「もうそろそろだからね」


 その先には、先ほど試験を受けた場所のようなドーム状の空間があり、また扉があった。

 一つや二つではない。それこそ、数え切れないくらいだ。

 木製、金属製、宝石のように見えるものや、動物の骨のように見えるもの――色も形も大きさも様々な扉が、前にも後ろにも横にも天井にも張り付いている。


「これは……」


 ここも明らかに亜空間建築だった。ここへ来て最初に感じた、カフェのようだという平和なイメージは、すっかりどこかへ行ってしまっている。

 マスターは腕時計を確認し、それから軽く手を叩いた。


「ああ、忘れるところだった。これを渡しておこう。ないと迷ってしまうからね」


 そう言ってポケットから出したものも腕時計。彼がしているのと同じものに見える。


「ここに、先ほどの才君が解析してくれたデータが送られてくる」


 そこには文字盤はなく、『C1-252』という文字と、青く点滅する矢印が浮き出ているだけだ。


「これは、どの扉に行けば良いかを示しているんだ。今回ならば、あれだね」


 マスターが指差す先には、円盤のようなデザインの扉が見えた。

 しかし問題は――それが、遥か頭上に設置されているということ。


「あんなの、どうやって行けば……」

「簡単なことだよ。ほら」


 絶句する祥太郎に笑って、マスターは地面を軽く蹴る。すると、彼の体はいとも容易く空中へと浮き上がり、あっという間に扉までたどり着いてしまった。

 祥太郎はしばらく呆然と眺めていたが、やがて意を決し、同じように床を蹴ってみた。


「うわっ。――すげー」


 それこそ本当に簡単に、地面は遠ざかっていく。コントロールが利かなくなるということも全くなく、体は楽に扉の前へと移動した。


「では行こう」


 マスターは言って腕時計を扉にかざす。扉は音もなく開き、二人を迎え入れた。


「えっ」


 声を上げる祥太郎を、マスターはまた面白そうに見る。

 その先にはまた無数の扉。確かに、これで迷うなというほうが無理だろう。

 再び腕時計の力を借りて、今度は何の変哲もないスチールの扉をくぐる。


 そんなことを何度か繰り返すうちに、やがて、最初のものと同じように大きな扉が一つだけある部屋へとたどり着いた。

 それはサファイアのように青く透明で、光る天井を映してきらめいている。


「ここがC1-252、アルテス・ミラの扉と呼ばれている場所だ」

「アルテス・ミラ……ここで仕事を?」

「ああ」


 マスターは、扉の横にあるパネルを操作する。大きな扉は、腕時計をかざしただけでは開かないようになっているのかもしれない。やがて、扉は溶けるようにすっと消えた。

 その向こうには、静かで、暗い空間。

 ねっとりとした濃い闇の中、右上のほうに淡く光る球が浮いているだけだ。それは遠い月の光のように頼りなかった。

 テラスのようになったその場所は、断崖絶壁に張り付く燕の巣にも見える。申し訳程度の柵はあるが、そこから落ちたらどうなるのか全く見当もつかない。


「こ、ここは……?」

「ゲートルームだよ」

「ゲートルーム? ゲストじゃなくてですか?」


 下を眺めていた祥太郎は、体を軽く震わせ、柵から離れる。


「確かに似たようなものかもしれない。上手いこと言うね、君」


 何故かマスターは笑い声を立て、それから右上にある光の球を指差した。


「あの光、見えるよね?」

「はい、見えますが」

「あれは強力な転送装置で、直接操作できれば楽なんだけどね。中々そうもいかないから、あれを中継点として押し戻すんだ」

「はぁ」


 何のことを言っているのかさっぱり理解できない祥太郎は、曖昧に相槌を打つ。


「ここからやってくるお客さんは、大体ロクでもないタイプだから、とにかくどんどんあそこまで飛ばす。そうすればあとは何とかなるから。簡単だろう?」

「お客さん? って……誰が入ってくるんですか?」

「異世界の人」

「異世界!?」


 何やら聞き捨てならない言葉に、脳が叩き起こされた。


「そう。それを、侵略が止むまで続ける」

「しんりゃく――今、侵略って言いました!? え? 何なんです? ここって何なんですか一体!?」

「まあ、とりあえず落ち着いてから説明するよ」

「何を落ち着けって!? どう落ち着けって――何が落ち着くんですか!?」


 すっかりパニックになった彼の肩を叩き、マスターは虚空を指差す。


「ほら、早くしないと大変なことになるから」

「大変!? 大変って――!?」

「じゃ、頑張って」


 つられて彼方を見ているうちに、いつの間にかマスターも扉も消えてしまっていた。


「え、ちょっと待ってください! 待って! せめて説明を――!?」


 しかし叩いても蹴っても、腕時計をかざしても、壁となったそこは何の反応も返さない。


 何が起こったのか飲み込めず、しばしその場に立ち尽くす祥太郎だったが、次第に気持ちは落ち着いてきた。


 自分は面接を受けに来て、採用もしてもらえた。テストで実力も見た上でなのだから、こなせる範疇の仕事なのだろう。

 ここまできたんだからやるしかない。『ミュート』もなく、自らの力を最大限に発揮できる機会なんてそうそうあるもんじゃない。

 そう自らに言い聞かせ、頬をぺちぺちと叩いて気合を入れてから、光球との大体の距離を再確認した。


「そうだ。きっと何とかなる」


 そして大きな闇が待つ方へと体を向き直らせ、目を凝らす。

 その先には――うねうねと触手のようなものを蠢かせながら、徐々に近づいてくる得体の知れない物体。


「なんじゃありゃぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!????」


 彼の絶叫に答える声はない。



 祥太郎の初仕事が完了したのは、次の日の早朝だったという。

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