布石 4

 ◇


「もう、無理……!」


 マリーは、機材の陰でうずくまる。聞こえてくる歓声も拍手も、パフォーマンスを始めた当初とは比べ物にならないくらい大きい。


「マリーちゃん、お客さんたちが待ってるよ! あと残り5曲、半分まで来たんだからすごいよ!」

「確かに下手とはいえ、我ながらこの短期間でよく10曲も覚えたと思うわ。でも、そもそも何故こんなことしてるのかしらって我に返っちゃうと、もう無理なの……!」

「きっと、どんなお仕事でもそういう時ってあるものなんだよ。だけどお客さんもいつの間にかあんなに集まってくれてるし、頑張ろう? マリーちゃんの歌だってダンスだって、すごくかわいいって喜んでもらえて、みんなを笑顔にしてるんだよ!」

「リサのその順応力の高さ、素直にすごいと思うわ……」


 本職のアイドルさながらの笑顔で励ましてくる理沙りさに、おそれにも似た感情を抱くマリー。戸惑いながら会場に目を向けた時、違和感をおぼえた。そういう気配には二人とも敏感だ。示し合わずともいつの間にか同じ方向を見ている。


「マリーちゃん、あれ何だろう?」


 観客の中に、明らかに妙なモノが混じっていた。子供の背丈ほどもある半透明の物体。それが会場の熱気とともにゆらゆらと揺れている。


「クラゲのオバケ? それとも、てるてるぼうずのオバケかな?」

「オバ……そんなのじゃなくて恐らく、『ブロット』だわ。わたしも資料でしか見たことはないけれど、ここ最近増えてるってママも言ってたから」


 マリーは軽く身震いしつつ答える。『ブロット染み』と名づけられたそれは、『ゲート』を通過して来るのではなく、隙間鬼すきまおにのように『隙間』からやってくる存在。その中の一部が引き起こす騒動は心霊現象と呼ばれることもあるため、理沙の言葉もあながち間違いではなかったりする。


「今は特に害のある動きはしていなさそうだけれど……何にしても、対処しないと」

「……マリーちゃん、ライブ続けよう」

「リサ、何を言い出すの?」


 マリーが驚いて振り返ると、そこには決意に満ちたまなざしが。


「ライブよりも、まずはマスターに報告をしないと」

「それはした」

「そんな――え? もうしたの?」

「だからすぐに助けを送ってくれるはず。あたしたちの役目は、それまでの間、お客さんたちの安全を確保することだと思う。向こうに目立った動きがないんなら、パニックを防ぐためにも出来るだけ『普通に』してることが大事なんじゃないかな?」

「確かに、それも一理あるけれど……」

「それにね、マリーちゃん。お客さんたち帰らずに、あたしたちのステージを楽しみに待ってくれてるんだよ。その気持ち、裏切れない!」


 言うが早いか、理沙はステージの中央へと飛び出していく。

 湧く観客たち。『ブロット』も何故かノっているようだ。気づいていないのか、それとも奇妙な演出だと思っているのか、人々の中に動揺は見られなかった。


「みんなー! お待たせー! 次は『BANG♪ BANG♪ ハート』を歌いまーす!」


 よく分からないまま拍手をする多数の中、会場の一部だけが盛り上がる。今回の曲のラインナップは、ドクターの趣味で市原あまなの持ち歌の中でも特に知名度が低いものばかりなのだから仕方がない。


『あなたのハートを打ち抜くために、チャンスを待って弾をこめるの♪ 傷ついたってかまわない♪』


 曲がスタートする。理沙は歌いながら『ブロット』の位置を確認した。一体、二体――三体。まだステージ脇に控えているマリーに、指を三本立てて合図する。


『ちょっぴり怖いわ、だってあなたも名手よ♪ 一歩間違えちゃったら共倒れー♪』


 そこで、それまでじっとしていたマリーがステージの中央まで躍り出た。歓声がさらに大きくなる。当然、ただ待機していたわけではない。高速詠唱を終え、『綻びの言葉ヒドゥン・スレッド 』を放つ準備は整った。


『BANG♪ BANG♪ 「臆病な弾丸クレイヴン・バレット」♪ BANG♪ BANG♪』


 二人はマイクを持っていない方の手をつなぎ、『ブロット』のいる場所を指差していく。理沙の力によって増幅された結界は、見えない弾丸となって異形へと降り注ぎ、その姿を隠した。熱狂する観客たちは、自分のすぐ隣に見ることも触れることも出来ない領域が生まれたことにも気づかない。


「おおお! 歌詞をアレンジしたのか! なんとかバレット? カッコいいな!」

「相変わらずダッセェ歌だな。俺はアイドルなんて興味ねーし」

「そう言うなってー」

「だがな。――この二人は推せるぞ」


 次の曲へと移れば、会場はさらに沸き立った。遠目に見ていた通行人たちも興味には抗えず、次々と集まってくる。


「『ブロット』の件は何事もなく終えられたようだね。処理班も到着したようだ」


 その流れには乗らず、少し離れた場所から拍手する人影があった。その黒い服に溶け込むようにして、小さな影も動く。


「助けてあげればよかったのにっピ」

「もちろん、危なかったらそうしていたよ。だけど二人は見事に乗り越えてみせた」

「センセイやるのも大変だっピねー」

「まあね。しかし、生徒の成長を見たときはこの上ない喜びを味わえるんだよ。きみも二人の素晴らしいパフォーマンスを見てそう思わないかい? 発展途上の技術を補って余るほどの魅力だ」

「たしかにー、だっピ。ボクもセンセイができて良かったっピ!」

「――さて。名残惜しいが、そろそろもう一人の生徒のところにも行かなければ」

「二人のハレブタイを最後まで見て行かないっピ?」

「そうしたいのは山々なんだが、ショウタロウくんの方は恐らくピンチだからね」

「ホントだっピ? タイヘンなんだっピ!」

「私も事態を甘く見過ぎていたようだ。先ほどからショウタロウくんと通信がつながらない」

「どっか、イセカイにいっちゃったってことっピ?」


 棒人間の問いに、エレナは首を振る。


「万が一暴走することがあればこちらで察知できるように、彼の『コンダクター』は特別仕様になっていたんだ。異世界や通信が遮断されるような亜空間に引き込まれたのであれば、その仕組みが発動したはずだ。となると――トリックホーンの類か」

「トリックホーンってなんだっピ?」

「『いたずら角トリック・ホーン』。特殊な異空間を展開して勝負を挑んでくる異世界の住人さ。他にも隙間鬼とか、レッドアイズとも呼ばれたりするね。――そうだ! ボウニンゲンくんなら、どうにかあちらの領域に割り込めないだろうか?」

「ううん……」


 すると珍しく、棒人間が難色を示した。


「たぶんダメだっピ。そのトリックホーンっていうのが、ボクと似たカンジのソンザイだからっピ。ボクとみんなのチカラはぶつからないけど、ボクとトリックホーンとかいうののチカラはぶつかるヨカンだっピ。ヒキコモリエネルギーが少ないボクだと勝てないかもしれないだけじゃなくて、ヘタしたらチカラとチカラがケンカして、タイヘンなことになるっピ」

「成る程」

「ごめんなさいっピ……」

「いやいや、非常に参考になる話だった。ドクターにはそのことをまだ話していないだろう? お土産が出来たよ。では、素敵なアイドルたちの応援は君に任せよう」

「どうやってトリックホーンを見つけるっピ?」

「『いたずら角トリック・ホーン』が現れているなら、それを追っていたチームがいるはずだ。マスターに問い合わせてみるよ」


 ◇


「キャッキャキャッ! キャッキャキャッ!」


 耳障りな笑い声が店内にこだまする。あれから10分。戦いは膠着していた。


「ほんま腹立つわー。いい気になりおってからに」

「くそっ……!」


 『隙間鬼』は二人に睨みつけられ、かえって大喜びで跳ねまわる。祥太郎は屈むようにして立ち、息を整えていた。その場から動いていないとはいえ、捕まらないターゲットを相手に能力を使い続けるのは、全力疾走を繰り返すようなものだ。


「友里亜さん、元々『隙間鬼』と戦う予定だったんですよね? 何か策はないんですか?」

「あるにはあるんやけど、今は使われへん。祥太郎ちゃんがもうちょっと動けたらなぁ、助かるんやけど」

「す、すいません……」

「ごめんごめん、マジへこみせんといて。きっと祥太郎ちゃんとやなくても苦戦したはず。『スピードスター』向けの準備やなかったからな」


 友里亜はバッグの中を物色しつつ、ため息をついた。


「対策室の予知では『ヘヴィーアタッカー』いうてな、攻撃は強いけど、そのぶんトロいヤツが出てくるはずやったんよ。そやけど予知の時刻と場所では何も起こらへんかったし、この有様や」

「何でそんなことに? ……まぁ才の予知もアレだし、予知ってそういうものなのかもしれないですけど」

「きみ意外と辛口やな。確かに予知は絶対やないけど、複数の能力者の意見すり合わせてるし、今まで大きく外すことはなかったんやけどな。ここんとこ隙間鬼が出てくること自体増えてるし、もしかしたら『大干渉』の影響もあるんかもしれへん」


 会話をしている間にも時間は過ぎていく。止まない隙間鬼の嘲笑や、宙に浮かぶ無数の時計の針の動きにも、じりじりと気力を削られた。


「祥太郎ちゃん。今は敵を観察しながら体力回復や。焦って動いたらあかんで」

「はい。わかって――」


 うなずきかけた祥太郎の心臓がどくんと大きく跳ねる。一瞬、体の輪郭がずれるような感覚がし、耳に届く音が遠くなった。

 まずい。――そう思った時には、友里亜の近くにあったテーブルが消し飛んでいた。

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