布石 5
「ちょ――ちょ、危なっ!
驚いた
「す……すいません」
祥太郎は謝るが、その自分の声もどこか遠くから聞こえてくるかのようだった。だが、先ほどの違和感はひとまず消えている。何とか抑え込めたのだと安堵すると、汗がどっと噴き出してきた。
「あの、暴走……しちゃったみたいで」
「暴走、て」
「ここのところ何ともなかったし……先生も大丈夫だって言ってくれたので……安心しちゃってたんですけど」
呼吸はまだ苦しく、言葉が切れ切れになる。ぼんやりとした頭の中に、キャキャキャと耳障りな
そうだ、時間がない。――焦燥が、また力の手綱を焼き切ろうとする。それをまた抑え込み、友里亜の方へとゆっくり目を向けると、彼女はバッグの中に手を突っ込み、何かを探しているようだった。
「……よし、暴れん坊。お姉さんが何とかしたるから任せとき」
「こ、こんな時に下ネタはちょっと……」
「あほ、下ネタやないわ。落ち着きや」
「す、すいません、何か頭の中ぐちゃぐちゃで……」
「きみの中での、うちのイメージってどうなっとるん? ――ま、ええわ。少しはリラックス出来たやろ。ピンチの時こそ余裕を持つことは大事やで」
友里亜はにっこりと笑う。そう言われると、前よりも少し呼吸が楽になった気もしてくるから不思議だ。
彼女はバッグから取り出した煙草状の道具を咥えながら続ける。
「今からうちが吐く煙、ちゃんと吸うてな?」
「え、ええと……?」
「難しく考えんでええんよ。煙を思いきり吸い込むんや」
そしてまだ戸惑っている祥太郎の顔めがけ、煙をふうと吹きかけた。
「んぐ……!」
毒々しいピンク色の煙。一瞬怯んでしまったが、とにかく思いきって吸い込む。
むせるのを覚悟していたが、そういうこともなく、甘い不思議な香りがすっと鼻の中を通っていった。煙が肺の中まで届いたと感じた次の瞬間、しびれるような感覚が体に広がる。
「あ、あの……?」
声が出しづらい。頭の先からつま先までふわふわと浮いているようで、自分の体ではないみたいだった。
「祥太郎ちゃん。これからきみの体は、うちの思うがままや。ええな?」
「……はい」
口が勝手に動いていた。恐怖が襲ってくる。それを察したのか、友里亜は指先で『OK』のサインを作ってみせる。
『ここ乗り切ったらちゃんと解除するから安心しいや。うちと祥太郎ちゃんの「つながり」を強うするには必要やねん』
今度は言葉が頭の中に直接響いてきた。驚く祥太郎に、もう一度『OK』のサインが返ってくる。
『つまり、こういうこと。――あそこや!』
友里亜の『声』と同時に、祥太郎の右手が動く。力が集まるのが分かった。近くにあった花瓶が瞬時に消え、別の場所に出現する。
「ギギャッ!」
短い悲鳴。『隙間鬼』の声だった。続いて花瓶が割れる音がし、隙間鬼は姿を隠す。
『よしっ!』
「当たった……?」
『もっとバッチリ当てたかったけど、初動にしてはまずまずというとこやね。これは祥太郎ちゃんの体にうちの「命令」を聞いてもらう術なんやけど、暴走もひとまず大丈夫みたいやし』
確かにエネルギーの流れは分散も暴発もすることなく、むしろいつもよりも明確で迷いがない。今までの戦いでは隙間鬼の位置を友里亜が察知し、祥太郎へと指示していたが、そのラグがないおかげで素早い動きも可能だ。
時計を見るともう後半戦へと入っている。――ようやく、希望が見えて来た。
『ほな、どんどん行こか。今度はあっちや!』
指示と同時に祥太郎の指先が動く。床へと落ちていた数本のナイフが浮き、こちらの様子をうかがいに顔を出した隙間鬼へと襲いかかった。
「ギギギィ――!」
隙間鬼はとっさに床へとダイブする。その後をナイフがカカカッと突き刺さりながら追いかけ、一本が足へとヒットした。
「グギャァッ!」
ナイフは跳ね返されるように落ち、血が出た様子もないが、やはり痛いのだろう。隙間鬼はゴロゴロと転がりながら物陰へと身を隠す。
『よっしゃ、ええ感じや! ほら見てみ? ダメージゲージが上がったで!』
友里亜の言葉とともに、勝手に祥太郎の首が動く。いつの間にか空中に一本の横線が出現し、その左端が赤色に変わっていた。
「あー……なるほどー」
祥太郎は次々と登場する謎システムに気の抜けた相槌を打つしかできない。
『右や!』
そうしている間にも指示は飛んでくる。棚にあった高そうな酒が次々と砕け、破片が降り注ぐ。いつ移動したのかすら見えないが、隙間鬼の甲高い悲鳴が、その狙いの正確さを物語った。
『あの隙間や!』
「ギギャァァッ!」
『今度は上や!』
「ギギギィィィィッッ!!」
それからも着実にダメージゲージは上がっていく。戦いを眺めているうちに、彼女は最初に張った煙の動きを読んでいるのだと祥太郎にも分かってきた。
『そっちやな!』
「ギギョェェェェェェl!!」
隙間鬼の悲鳴もエスカレートしていく。ゲージを上げるのに必要なのかもしれないが、当たったら痛そうなものばかりを投げつけられる隙間鬼に、祥太郎は少しだけ同情した。
『祥太郎ちゃん、体平気? 疲れてない?』
友里亜がそう聞いてきたのは残り時間5分、ダメージゲージもあと少しで満タンになりそうな頃だった。
「……いえ、特に大丈夫ですけど。むしろ力を使ってる割には疲労感ないというか」
『そうか。なら、術の効き目が弱くなってきとるんやな』
「言われてみると、最初の頃よりも攻撃を外すことが多くなったような……もしかして、力の暴走も関係ありますか?」
『その可能性はあるて思うわ。でも祥太郎ちゃんは余計なこと考えんで、出来るだけリラックスしといてくれたほうがええ。変に力入ると困るからな』
「わ、わかりました」
そう言われるとかえって緊張してしまう。何度か深呼吸をした祥太郎の頭の中に、少し迷うような声が響いた。
『とにかく早う決着つけんと……祥太郎ちゃん、これからあいつの動きを鈍らせるさかい、合図したら息止めてな』
「りょ、了解です」
それから友里亜はすぐ行動した。バッグの中から小袋を取り出し――そこへ何かが飛び込んでくる。隙間鬼だった。
ずっとチャンスを待っていたのだろう。自分が動くか、祥太郎を動かすか――そんな一瞬の迷いも、大きな隙となった。体当たりを喰らった友里亜の体はよろけ、小袋が顔に当たって中身が飛び散る。あわてて着物の袖で鼻と口を覆ったが、遅かった。その場を急いで離れようとしても、体が疲労したかのように重い。
「友里亜さん!」
『ごめん祥太郎ちゃん……しくじったわ』
体のコントロールを預けている友里亜のコンディションは当然、祥太郎にも影響する。連携も対処も、少しずつの遅れが蓄積していく。普段の生活であれば大した問題にもならなかったが、今は戦いの最中だった。
「キャキャキャッ」
遠くから嬉しそうな声が聞こえる。友里亜に一撃を与えたあと、すぐに引いた隙間鬼の姿は煙に隠れて見えない。ずっと逃げるばかりで攻撃をしてこなかった『スピードスター』に油断を誘われたと後悔しても、時間は戻らないのだ。
「友里亜さん、術を解除してください! こうなったら僕が!」
「それは、あかん」
祥太郎の訴えを、友里亜は声に出して否定した。
「もう時間がない。潔くあきらめようや」
「そんな……!」
彼女は目を閉じると、静かに床に腰を下ろす。
『ええか、あきらめるんやで?』
祥太郎は宙に浮かぶ時計を見る。残り3分。まだ何か出来るのではないかという思いはあっても、どうしたら良いのか全く分からない。隙間鬼の笑い声は一層大きくなり、けたたましく店の中にこだました。勝利を確信した笑いだ。
自分が暴走などしなければ、もっと違った結果になったかもしれない。そんな悔しさが体中をぐるぐるとめぐる中、ふと、疑問がわいてくる。
――なぜ、友里亜は同じことを二度、伝えてきたのだろうか。大事なことだから念を押すため? それとも、何か別の意図があって?
すると、隙間鬼の笑い声がぱたりと止んだ。
「ギギャ?」
かわりに訝しむような声。訪れた、空間が歪むような感覚。
『――来た』
再び友里亜の声が祥太郎の頭の中へと響いた。直後、どぉぉぉんという大きな音とともに地面が揺れる。
目の前に落ちてきたのは、テーブルだった。その隣には見知った人物が立っている。
「よっしゃー! 助かったわぁ。おおきに」
「いえいえ、こちらこそ生徒がお世話になって」
「先生……!?」
エレナだった。闖入者の登場に、隙間鬼はギィギィと騒ぐ。
「おや、ご不満のようだね。トリックホーン。でも私はショウタロウくんから招待状をいただいたからね」
「招待状……?」
「ほら、これだよ」
彼女が軽くたたいたテーブル。それは先ほど、祥太郎がどこかへと飛ばしてしまったものだった。
「うちは元々、チームでこの仕事をしとった。予定が変わったとはいえ急に連絡がつかなくなれば怪しむやろ? それは祥太郎ちゃんかて同じ。しかも、きみの先生はトップクラスの実力を持つ転移能力者や。何とかしてたどり着いてくれると思うたわ」
「マスターにトリックホーンのことを調べてもらったら、撃退チームの一人が消えたと知ってね。その足取りを追っていくとこのバーから避難させられた人に会い、テーブルも見つけたから、元あった場所にこうやって戻ってもらったんだ。少々手こずってしまったが、一瞬結界が緩んでくれたおかげで楽になったよ」
「ギギャギャギャッッ!!!」
「ああ、ごめんよトリックホーン。放置してしまって」
――ずごん。
「グギャッ……」
エレナが指を鳴らすと、突如天井から金ダライが降って来て、隙間鬼の頭を直撃した。その瞬間、ダメージゲージがマックスになる。
宙に浮かんだ時計は、残り1分を示した状態――11時59分で止まった。時計も、隙間鬼も、紫の闇も次第に薄れ、消えていく。
気がつけば、店はすっかり元通りになっていた。
「あー……終わった終わった!」
友里亜が大きく息をつき、それから伸びをする。
「律儀というかなんというか、負けたらきっちり元に戻していくんよ。あいつらにとっては遊びなんやわ。せやから最後は調子乗ってくれた、いうのもあると思う。油断大敵はお互い様、やね」
「それで結界に侵入しやすくなったんだね。サポートに感謝するよ。ええと――」
「初めまして、やね。うちは友里亜って言います。ゆりあっちって呼んでくれてもええよ、エレナさん。――今回は祥太郎ちゃんもお手柄や。お客さん避難させて、テーブルも吹き飛ばしたから見つけてもらえたんやから」
「いや、僕は……」
避難指示を出したのも友里亜だし、後者に至っては暴走の結果だ。そう言おうとした祥太郎の顔に、青い煙が吹きかけられる。
「はい、これで術もおしまい。調子の良し悪しは誰にでもあるんやから、あんまり深く考えんとき。その時に出来ることを積み重ねてくだけや。ほな、お疲れさん」
「……はい、お疲れ様です」
「あ。今ごろ相棒から連絡きたわ。遅いねん。――ちょっとひーちゃん、こっち大変やったんやで?」
友里亜はエレナにもぺこりとお辞儀をすると、スマホを片手に店を出て行った。
「彼女の言う通りだと思うよ。君はよくやった。さぁ、私たちも行こうか」
エレナは笑顔で言ってから指を鳴らす。人だかりを避け、いったん店から少し離れた場所に転移すると、こちらを見て駆け寄ってくる人物がいた。
「ママ! ショータロー!」
「大丈夫ですか?」
マリーと理沙だ。まだアイドルの衣装を着ているが、周囲に結界を張って目立たなくしている。
「やぁ二人とも。こちらは問題ないよ。舞台は無事終わったのかい?」
「それなら良かったです! こっちもおかげさまで盛り上がりました!」
「ボーニンゲンから聞いて、急いで移動してきたの。トリックホーンが出たんですって? こっちも急にブロットが出て――」
マリーの口が止まった。こちらへ向けられた視線に気づいたからだ。その人物は最初はゆっくりと、だんだん歩調を速めて近づいてくる。
「あれ? ……才さん?」
銀縁のメガネも、地味なシャツとスラックスも、最後に会った時のままだ。しかしそれらは泥や草の汁で汚れており、髪はボサボサ、無精ひげが伸び放題になっている。
「キタナイ! 何なのその格好!? あなた、お風呂入ってるの?」
だが才はそれに答えず、四人と周囲の景色をじっと眺めて何度かうなずいた。
それから再度祥太郎を見て、エレナへと視線を移す。
「エレナさん、港の見える丘公園の展望台だ!」
――横浜市、港の見える丘公園展望台。
雨がぱらついているとはいえその時間、人の姿は全くなかった。ただ一人を除いては。それはもちろん、偶然などではない。
「ああ。見つかっちゃったか」
足音を聞きつけ、海の方を眺めていたその人物は振り返る。パーカーのフードを下ろすと、短い銀髪と、同じ色の瞳があらわになった。
小柄な少年だった。その体格には似つかわしくないほど大きなトランクを地面に置き、その上に腰かけている。
「ようやく会えたな。――ゼロ」
才がそう言ってためらいがちに笑むと、少年も、懐かしそうに顔をほころばせた。
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