師匠と弟子
師匠と弟子 1
開いた目には、いつも通りの木の天井。
まずはカーテンを開け、顔を洗い、水分補給。いつものルーティーンだった。まだ5時になったばかりだが、夏の空はもう明るい。涼しいうちにと、せわしなく鳴くセミをあざ笑うかのように今日も暑くなることを予想させる日差し。青い空には白い雲がぽっかりと浮かび――と、そこで彼女の思考が止まる。
「……?」
雲が、動いていた。雲が動くのはおかしくはないが、明らかにおかしい動きで揺れている。目を凝らすと、正体は白い鳥だった。それが、凄い勢いで飛んでいる。――どうやら、こちらに向かって。
「あれって――」
思わず口に出した時には、その鳥の姿は目前へと迫っていた。
◇
「結局、どうなったんだろうなぁ」
「さぁ……特に騒がれているということはない感じもするけれど。今のところは」
「ま、何かありゃ言ってくるだろ」
「昨日の件は、解決したよ。ひとまずは、だけどね」
ドアを開けて入ってきたのは、マスター。その言葉には、流石に才も反応を見せる。
「マジで? 犯人も見つかったって事っすか?」
「まあ、そんなところだ。またタイミングを見て話すよ」
曖昧な返事ではあるが、今は突っ込んで聞かない方が良いという事は皆、理解できた。
アパートの復旧もほぼ終わり、スタッフもそれぞれの持ち場へと戻っている。このミーティングルームの中にも、日常の雰囲気が帰って来ていた。本来なら、
そして、足りない要素はもう一人。
「そういえば、理沙君はいないのだね」
「そうなんですよ。もう昼近いのに、理沙ちゃんが来ないのって珍しいですよね」
マスターの視線につられ、祥太郎も何気なく部屋の中を見た。
普段なら理沙は早朝に起きてトレーニングをし、朝食をとるとまずはミーティングルームに顔を出す。特に仕事がなければ別の場所に行くことはあっても、挨拶にすら来ないというのは珍しかった。
マリーはスマホの画面を確認し、小さく首をかしげる。
「送ったメッセージも確認してないみたいだし、わたし、様子を見に行ってこようかしら」
「でもさ、理沙ちゃんだって、そういう時もあんじゃねーの? 昨日も大変だったしさ。何か急な用事でもあんのかもしんねーし」
「それは、そうだけど……」
「まー、そこら辺ゆるいじゃん? この仕事。祥太郎なんて寝坊ばっかだからな」
「おい! 僕だってそんな――まあ、そういう時もそれなりにあるかもしれないけど……」
「おや、噂をすれば、かな」
その時、ドアの前で人が立ち止まる気配がした。しかし、何かをためらっているのか、中々入ってこようとはしない。
マリーが様子を見に行こうと立ち上がりかけた時、ようやくガチャリ、と扉が開く。
「すみません。あのぅ……」
その隙間からは、青ざめた理沙の顔が、ゆっくりと出てきた。
「どうしたのリサ!? 体調でも悪いの?」
マリーを筆頭に、皆から心配の目を向けられ、彼女は申し訳なさそうに手を振る。
「ううん、違うよ、そんなんじゃなくて、あたしは全然大丈夫なんだけど……ちょっと、皆さんにご相談したいことが」
「相談か、了解した。このままというのも何だし、とりあえず中に入ったらどうだろう?」
マスターが促しても、何故かドアに挟まったような状態のまま、動こうとしない。
「いえ……なるべくなら、このままご相談できたらいいなって思ったりなんかして」
「ちょっとリサ、本当に大丈夫なの?」
「テメエいいかげんにしろよコノヤロウ!」
そこで聞こえてきた言葉に皆、一瞬耳を疑った。
だが、もちろん理沙が発したものではない。
「おい、誰だそこにいんの?」
「いえいえ才さん、お気になさらず……」
「いやいや、気になるっつーの!」
言って才が思い切りドアを引くと、前のめりになった理沙に続き、白い物体が部屋へと入り込んでくる。
それは、一羽の白い鳥だった。
「サギ?」
長いくちばしに、すらりとした黒い脚。才の発した言葉に、サギは口をかぱっと開く。
「サギじゃワリィかよ、こちとらシロってナメェがあんだ。チャラ男のクセにケンカうってんのか?」
そこからだみ声で繰り出される悪言に皆、一瞬、思考が停止した。
「シロちゃん! ちょっと黙ろうか。あたしが皆さんと話すから、ね?」
「ああ? オレにダマレって? リサ、テメェもズイブンとエラクなったもんだよなァ?」
理沙が慌ててなだめるが、シロは態度を改めようとはしない。
「何なんだよ、この口の悪いサギは?」
「ウルセェぞチャラ男、そのカミのイロ、カッコいいと思ってんのか!? にあってねーぞバーカ!」
「何だとこの――」
「はっ、しけた部屋だぜ! ったく。ロクなヤツがイネェ。チャラ男と、若作りジジイと、ドレスのマセガキと、ジミ男――」
しかし禁句を口にしたことにより、祥太郎に問答無用でどこかへと飛ばされる。
部屋は急に静かになった。
「すみません……シロちゃんが迷惑かけちゃって」
ペコペコと頭を下げる理沙に、一同は顔を見合わせる。
「リサ、あの鳥は一体何なの?」
「何で出合い頭にジミ――あんなことを言われなきゃいけないんだ」
「本当にごめんなさい! シロちゃん、根は悪い子じゃないんですけど……」
「いや、理沙ちゃんのせいじゃないし、そんなに謝らなくても」
「……俺の髪の色、そんなに似合わねーかな?」
「リサが相談したいって言ってたのは、あの鳥のこと?」
「ううん、シロちゃんのことじゃなくて……」
「俺の髪の色」
「『
マリーの結界により才は静かになったが、理沙はそれでも、何かを言い出しづらそうにしている。
「シロ君は、もしかすると、
マスターの言葉に、彼女はゆっくりと頷いた。
「はい、師匠の
そこまで話してまた、視線をさまよわせる。皆が黙って続きを待ってくれていることで決心がついたのか、一度呼吸をしてから、はっきりと言葉を発した。
「実は、師匠が、このアパートに来たいって」
「えっ――え?」
「ん?」
「…………」
「ふむ」
言葉は違えど、微妙な反応を返す一同。
「あ――えっと、来たいっていうのは、住みたいとかじゃなくて、訪問したいってことです。この前アパートに被害が出たことをどこかで知ったみたいで、様子を見に来たいって」
「ちょっと待ってリサ。それだけ?」
「えっ、うん」
どうも話が噛み合わない。マスターは少し考え、彼女に尋ねてみた。
「私としても一度お会いしてみたかったし、大歓迎だよ。何か、問題でもあるのだろうか」
「問題……というほどのことはないんですけど、あの、いきなりだとビックリしちゃうかなーとか。あたしも久々に会うってこともありますし。それでその、一応皆さんにもお話ししとかなきゃって。――あっ、あたし、シロちゃんを探しに行ってきますね!」
それからまた、そわそわとし出し、急いで部屋を出て行ってしまう。
「一体、何なのかしら」
その姿が見えなくなると、マリーがぽつりと言った。
「僕、あんな挙動不審な理沙ちゃん、初めて見たよ」
「絶叫ヨガ以来じゃないだろうか」
「……マスター、意外と根に持つタイプなんですね」
祥太郎のツッコミは、聞こえないふりをされる。
「マスターも、リサのお師匠とは面識がないのですね」
「ああ、そうなんだよ。理沙君がここへ来た時に、手紙は頂いたのだが。普段は庵からほとんど出ず、外界とのかかわりもあまりないようだと、理沙君も言っていた」
「引きこもりなのかー」
「まあ、高名な能力者にも、そういうタイプはよくいるね。……ところでマリー君、そろそろ才君の結界を解いてあげてくれないか」
頭の周囲に色鮮やかな泡を飛ばしまくっている才を見かね、マスターはため息をついた。マリーは頷くと、取り出した扇を一振りする。
「あーっ! ようやく声が出せる! 息が出来る!」
「別に、呼吸は止まってないはずだけれど」
「気分の問題なの! つーか、気軽にポンポン俺に術かけるのやめてくれよ! ――それより、ウリョウだっけ? 理沙ちゃんの師匠、怪しくね? なんか理沙ちゃんもひどい目に遭わされたとか、そんなんじゃねーのかな?」
早口でまくし立てる才に気圧されつつも、マリーは首をひねった。
「どうかしら。たまーにリサからお師匠の話が出るんだけれど、そんなにひどい人って印象はないのよね」
「手紙も簡潔ではあったが、理沙君を思いやる気持ちは伝わって来たよ。彼女の技術を見ても、丁寧に教えていたことが窺える」
「じゃあ何で、あんな変な態度なんだよ。ぜってーおかしいだろ」
「それは、わたしもそう思うけれど……」
理沙の様子が変なのは確かだ。才の言葉に強く反論できるほどの根拠もない。
マリーが助けを求めるように視線を向けると、マスターは腕を組み、口を開いた。
「
「さっき、いきなりだとビックリしちゃうとか言ってたし、そんなとこなのかなぁ。……でも、理沙ちゃんの師匠って、どんな感じの人なんだろう」
「そりゃ偏屈じじいだろ、やっぱ。仙人っぽい感じの」
「女の人かも知れないわよ? 意外と若かったりするのかも」
祥太郎の言葉を皮切りに、今度は理沙の師匠への興味が、皆の中へと膨れ上がっていく。
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