嵐の後に 5

「承知いたしました。……ただ、本当にお力になれる自信はありません。最善は尽くしますが」

「ありがとうございます。我々の中には追跡を得意とする者もおりませんし、アパートのシステムも復旧途中なので、大変助かります」

「では、先ほど影が目撃された場所へと向かってみましょう」

「こっちです!」


 すでにそちらへと近づいていた理沙りさが、手招きをする。足は自然と速まり、すぐに目的地に到着した。長い廊下が一度途切れ、左右に道が伸びている、ちょうどTの字の交差する部分だった。


「影は、どちらに走っていきましたか?」

「あっちから見た時は、右から左だったから、こっちですね。すごく速かったです」


 桜木さくらぎは理沙が指差した方を見て、少し考えるように沈黙する。そして腰に付けた小さなバッグから、先の尖った金属製の道具を取り出した。


「ペンデュラムね」

「ええ。これで侵入者の痕跡を追います」


 興味深げに覗き込むマリーへと頷くと、彼女はペンデュラムを握りしめて何事かを呟く。それから鎖の部分を持ち、三角錐のおもりを、床近くへと垂らした。おもりは自然と揺れ、回転をし始める。

 やがて、見えない力に強く引かれるように、真っすぐ通路の先を指し示した。


「こちらで間違いないようですね。参りましょう」


 呼吸を忘れて見守っていた周囲も、きびきびと歩き出す桜木の後へと続く。しばらく無言で歩いている間にもアパートは何度か揺れたが、気にせず進んだ。

 そしていくつかの扉の前を通りすぎ、大きな窓がある場所を通った時のことだった。


「あっ」


 小さく声をあげたのは、理沙。視線の先には、桜木の持つペンデュラムがある。それはかかった魚が引く釣り針のように、勢いよく窓へと向いている。

 皆、一斉に窓の外を見た。薄暗くはなっていたが、庭の木々の形も確認できる。その隙間に――影が走った。


「見つけた! ――はっ!」


 理沙が壁へと素早く手をつく。壁を挟んだ向こう側の空気が振動し、影を絡めとろうとしたが、それは難なくかわされた。


「『怠け者の蔦スラッガード・アイヴィー』!」

 

 続いて展開されるマリーの結界。先回りをするように半透明のツタが伸びる。少しでも掠れば動きを遅くすることが可能なはずだが、影は跳躍し、その全てから逃げ切った。


「ちょっと何なの、あれ?」


 新たな結界を張ろうかとも思ったが、考えている間に見失ってしまいそうだ。距離があるために正確なことは分からないものの、人にしては小さいように思えた。


「祥太郎君、追ってくれ。お二人は才君とここで待機を。才君、何かあったら連絡を頼む」

「ラジャー!」


 才の返事に見送られ、四人は外へと転移する。


「はぁっ!」


 着地と同時。マスターは膝を沈め、気合ともに地面へと掌を叩きつけた。そこから光が漏れ出し、蜘蛛の巣のような模様を描きながら、周囲へと一気に拡散する。

 自分たちの足下も謎の光に囲まれ、誰も身動きできずにいる中、マスターはひとり長い息を吐いた。


「……逃げられたようだ」


 それから、才たちの方を見る。こちらよりも明るい窓の中、才は大きく首を横に振った。隣に立つ桜木も、今の光景に驚いたのか、緊張した面持ちでこちらを見ている。彼女のペンデュラムも、もう反応を見せてはいないようだった。


「もう、管轄区にもいないってことですか?」


 祥太郎の問いに、マスターは視線を横へと移す。


「マリー君と理沙君はどう思うかな?」


 二人は顔を見合わせた。少し考えた後、理沙が自信のなさそうな表情で言う。


「管轄区内のことは分からないんですけど、この近辺にはもう居ないと思います。ただ……手ごたえみたいなのが、なかったんですよね」

「確かになかったかも、手ごたえ」


 それを聞き、マリーも頷いた。


「もしかしたら、魔法で作った幻みたいなものだったとか? 何だか、やけに小さかった気がしますし」

「ああ。先ほどのは陽動目的で、実際の犯人はその間に逃げてしまったのかもしれないね」

「それだと、マズくないですか? 源二さんや、マスターの立場も危うくなるんじゃ?」


 声を潜めた祥太郎へ、優しいまなざしが返ってくる。


「そうなったらなったで、仕方ないことだよ。私たちは間違った事をしたとは思っていないしね。何とか乗り切るさ」

「でも――」

「ちょっと失礼」


 マスターは唐突に言って、ポケットに手を入れた。そこから銀色の懐中時計を取り出し、何やら確認を始める。


「……成る程、源二には何か考えがあるようだ」

「それ、時計じゃないんですか?」

「そうだよ。少し変わってるけどね」


 そう笑って、マスターは蓋を閉じた。


「あとは、あいつに任せるとしよう」

 

 ◇


「……お役に立てず、申し訳ありませんでした」

「ええやないの。元々うちらの仕事やないんやし。手伝うてあげただけでもマシやって」

「江上秘書官!」

「いえいえ、本当に、手伝っていただいただけで十分です。ありがとうございました」


 マスターに頭を下げられ、桜木は口から出掛かった言葉をぐっと飲みこんでから、頭を下げ返す。


「ほな、うちらはこれで帰りますー。またお会いした時は仲良うしてくださいね。ほら桜木ちゃん。あんまお邪魔してても悪いし、帰ろ」

「貴女という人は、本当に自分勝手ですね! ――では、これで失礼いたします」


 彼女はもう一度深々とお辞儀をしてから、歩き出した友里亜の後を追った。


「ゆりあっちと桜木さん、またなー!」


 小さくなっていく二人へと手を振る才の後ろで、マリーは大きくため息をつく。


「マリーちゃん、疲れた?」


 気遣った理沙へと曖昧に頷いてから、彼女は呟くように言った。


「……それもあるけど、切り替えがずいぶん早いんだと思って」


 それから、ちらりと才の背中を見る。


「トーコが居なくなったばかりなのに、美人秘書官相手に、あんなにはしゃいで」

「遠子君とは、今生の別れという訳じゃない。また会えるさ。エレナ君とも、きっとね」

「それは……わたしもそう信じてますけど。このお仕事をしていれば、少なくない出来事だっていうのも理解してるつもりですし」

「それに」


 マスターも同じ方向へ視線を向け、言葉を続けた。


「私には、才君が何か別のことを考えているように見える」

「わたしにはいつもと同じに見えますけれど……そろそろ、居住棟も大丈夫ですよね? 今日はもう休ませていただこうかと思います」

「ああ、お疲れ様。ゆっくり休んで欲しい」


 マリーは軽く一礼すると踵を返し、長い廊下を戻っていく。


「送ってやれば良かったかな」

「一人で歩きながら考えたい時もあるさ」


 角を曲がり、その後姿が見えなくなった時、祥太郎の中でずっと引っかかっていた疑問が口から出ていた。


「……エレナさんって、誰なんです? 遠子さんも似たようなこと言ってたんで」

「マリー君の母君だよ」


 答えはすぐに帰ってくる。


「前任の転移能力者でね。異界派遣の際、行方不明になった。……もう、一年になるかな」

「そう、なんですか……」

「彼女も才能と実力を備えた能力者であるし、『心配しないで』というメッセージを現場に残していた。何らかの意図を持っての行動だと、そう信じている」


 穏やかな表情で言うマスターに、何も言葉を返せなかった。どこか漠然と考えていた『異世界』との隔たりは、こんなに大きなものなのだと、改めて感じさせられる。


「……もう修復は終わったようだね」


 少しの沈黙の後、マスターは話題を変えた。確かにアパートの揺れは、いつの間にか収まっている。


「皆も今日は休んでくれ。お疲れ様」

「はい。お疲れ様です」

「マスターも皆さんも、お疲れ様でした!」

「お疲れっす! ――あれっ? マリーちゃんも、もう帰ったん?」

「気づくの遅いなー」


 三人が話している間にも、マスターは歩き始めていた。ポケットから出てきた手には、銀色に光る物が見えた。


 ◇


「なぁ、あそこ自販機とベンチある! 桜木ちゃん、ちょっと休まへん?」

「もうですか? 大して歩いてないでしょう」


 アパートからの帰り道、友里亜がそんなことを言い出したかと思うと、さっさと自販機の方へと行ってしまう。桜木は渋々といった態度を隠さずについていった。


「だってもう夜なのに、暑いんやもん。熱中症、こわいんやで。――何だかんだで付きおうてくれるし、優しいとこあるよな。桜木ちゃん」

「だから大臣に貴女を連れ戻すように言われてるから、仕方なくです!」

「はい。アイスコーヒーでええ?」


 語気を強めても屈託のない笑顔で缶を渡される。桜木はため息をつきながらも、それを受け取った。


「……いただきます」


 それからベンチに並んで座り、しばらく無言で飲み物を飲む。

 オレンジがかった街頭の下、二人以外はあたりに誰もいなかった。


「でもなぁ。良かったよなぁ、上手く行って」


 ぽつりと言った友里亜に、桜木は怪訝な顔をする。


「何がですか? 結局、曲者は発見できませんでした。私の力も及ばず」

「せやねぇ。桜木ちゃん、別に追跡が得意なわけやないしなぁ」

「だから私は最初からそう言ったのに……江上秘書官があんなことを言うからですよ」

「せやねぇ」


 ため息をつく彼女へ微笑みが返ってくる。友里亜はそれからバッグをごそごそとやり、中から花柄の煙管を取り出すと、火をつけた。


「ちょっと、管轄区内は禁煙ですよ!」

「もぅ、桜木ちゃんは相変わらずお堅いなぁ。大丈夫。これ、タバコやないし。ええ匂いがするんやもん」

「またそういう屁理屈を……」


 今日何度目になるか分からないため息の隣で、白い煙がふぅ、と吹かれる。確かにそれは、よく知る煙草とは異なる、不思議な香りではあった。


「……桜木ちゃんが得意なんは、追跡やなくて、隠す方よな」

「おっしゃってる意味を理解しかねます」


 桜木は表情を崩さないまま、缶コーヒーを静かに傾ける。友里亜はもう一度、煙をゆっくりと吐き出した。


「あの場で一番気ぃつけなあかんのは、マスターや。他には、そういうのに聡い理沙ちゃん、マリーちゃん。才ちゃんの予知は……どうやろう」

「だから何を――」

「どんくさい同僚の秘書官なんか、最初から眼中にないやんなぁ?」


 一瞬の沈黙。

 桜木が反応するよりも早く、友里亜が煙を吹きかける。咄嗟に息を止めたが、無駄だった。体がしびれるような感覚がし、思うように動かせなくなっていく。


「これは――」


 今だけのせいではない。煙管に火をつけた時から、毒は徐々に浸透していたのだ。桜木は、思い切り友里亜を睨みつけた。


「おお、こわいこわい。だから言うたやろ? タバコやないて」

「最初からこのつもりだったんですね。大臣の命令ですか?」

「ちゃうよ。桜木ちゃんって怪しいなぁって、前から思うとったけど」

「なっ――」

「桜木ちゃん、うちのことアホやと思うとったやろ? そういうの、油断につながるんやで。あの『影』をこっそり走らせたの、あかんかったよな。先に仕掛けとったのかもしらんけど、みんなの気ぃは逸らせても、うちからは、余計に怪しまれた」


 友里亜は怒りに震える桜木を見下ろし、言葉を続ける。


「うちな、源ちゃんのこと気に入っとるんよ。だから、源ちゃんが好きなアパートも人も、守ってあげたいて思う」


 そしてまた煙管を咥え、煙を勢いよく吐き出す。今度は避けることもかなわず、桜木は大きくせき込んだ。


「桜木ちゃん。うちの、聞いてくれるな?」


 次に顔をあげた時、彼女の目は、まるで泥酔でもしたかのように据わっていた。


「……はい、勿論です」

「今度の件は、『ゲートの暴発によりストームが発生。ゲートキーパー1名が巻き込まれ異世界へと転移、生死不明』。こんなとこでええんとちゃう?」

「はい、おっしゃる通りだと思います」

「ほな、ちゃんと、あんたのに、報告しといてな?」

「かしこまりました」

「よし、ほなこれで、! ――帰ろか」


 目の前で手が叩かれると、一瞬にして桜木の表情は元に戻り、それから急激に歪められる。


「けほっ――煙たい! 吸いすぎですよ! いい加減にしてください、江上秘書官!」

「ごめんな、つい調子に乗ってもうて」

「もういいですから、さっさと帰りましょう。行きますよ」

「ちょ、待ってー、桜木ちゃん! 歩くの速いー!」


 友里亜は少しだけアパートの方を振り向き、微笑んでから、早足で遠ざかる背中を急いで追いかけた。


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