師匠と弟子 2

「子供の姿だったり、あとは……パンダとか?」

「何だよ祥太郎しょうたろう、パンダって」

「結構あるんだよ、そういうの」

「着ぐるみを着てるってこと? そんなお師匠っているのかしら。……でも、もし異世界人だったら、色んな姿でもおかしくないわよね。ミリソーニル人はゾウのように見えるわけだし」

「あのぅ……」

「うわっ! ……ああ、理沙りさちゃんか、ビックリした」

「あんまり、その……噂話というか、そういうのって、良くないかなって。会えばわかることだし……」


 話が盛り上がって来たところで、ドアの隙間から、またおずおずと声がかかった。相変わらずいつもの理沙らしからぬ挙動だ。

 

「確かに、そうだね」


 マスターが言うと、彼女は少しほっとしたような顔をする。


「それよりリサ、シロは見つかったの?」

「うん、食堂に居たよ」

「食堂?」


 するとドアの隙間から長いくちばしも、にゅっと出て来た。


「おいジミ男! テメェのせいで、もうちょっとで食堂のババアに焼き鳥にされるトコだったぞ! ふざけんな!」

「……何度でも食堂に飛ばしてやろうか」


 祥太郎の一言で、くちばしは静かに引っ込んでいく。


「リサ、さっきからずいぶん遠慮してるように見えるけど、リサのお師匠って、そんなに気難しい人なの?」


 ストレートに聞いたマリーに、理沙がまた迷いを見せた時――地響きのような音が聞こえてきた。


「何の音かしら?」


 それは部屋の外、廊下の方から聞こえてくる。どうやら、こちらへと近づいてくるようだ。


「足音か? ――理沙君、大丈夫かね?」


 開けようとしたドアの前にはまだ理沙たちがつかえている。マスターが目配せをすると、祥太郎は頷き、部屋の外へと皆を転移させた。


「あれは――?」


 廊下の角を曲がり、どすどすと音をさせながら近づいてくる存在。

 鋭い爪を持った太い脚は、黒い体毛で覆われていた。その上には対照的に、白い色の腹がある。それは、動物園やTVで見かけるパンダの特徴だった。

 だがしかし、本来、愛らしく見える白黒の顔があるはずの場所には、長いあごひげを持った気難しそうな老人の顔――だけではなく、若い女、子供の顔までが阿修羅像のごとくついている。さらに頭頂には、長い鼻と大きな耳をゆらゆらとさせる、象の顔。


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「何か来る! 何か来るよ! 何か来てる!!!」

「うぉぉぉぉぉ何だあれ!? 祥太郎飛ばせ! 早く飛ばせ!」

「ちょっと皆、落ち着きなさい」


 突然のことにパニックになる一同を、マスターは冷静になだめる。

 それから目前に迫っている怪物へと会釈をした。


「お初にお目にかかります、雨稜うりょう殿。私はここのアパートのマスターをしております、坂崎新さかざきあらたと申します」

「……あ、すみません、ご丁寧に。雨稜でございます。すみません」


 すると、怪物は慌てて立ち止まり、急にぺこぺことし始めた。その異様な光景に皆、唖然とする。


「これ――この人、本当にリサのお師匠なの?」

「うん、そうなんだけど……師匠、ちょっと待ってて欲しいって言ったじゃないですか。何でまたそんな姿で」

「ええっ!?」


 理沙の言葉に、なぜか雨稜の方が驚きの声をあげた。


「これ、ダメだったの? 皆さんの期待に応えようと思って、頑張ったんだけど……」


 みるみるうちに怪物はしぼみ、一人の男の姿になる。中央にあった老人の顔と雰囲気は似ているが、もっと若い。中肉中背でゆったりとした服を着た佇まいは、武道家のようにも、仙人のようにも見えた。


「ん? そっか、俺たちが話してたことからそうなったのか――つーかおっさん、どこで盗み聞きしてたんだよ」

「す、すいません! 盗み聞きというつもりはなかったんですが、シロが教えてくれたもので」

「このクソサギのせいか!」

「るせーぞチャラ男! オレサマは、シエキジュウだからな。シゴトだシゴト」

「いやいや、そもそも僕たち、そういう姿だったらいいなって話をしてた訳でもないんで……」

「そうなんですか!? すみません……また失敗しちゃったよ……」


 雨稜は、あからさまに肩を落とす。


「ごめんねぇ、理沙。師匠、たまには良いところ見せようと思って頑張ったんだけど、また失敗しちゃったよ。理沙はとっても礼儀正しくて良い子なのに、ダメな師匠で本当にごめんね……」


 続いて膝まで落とし、床にがっくりと手をついた。


「ううう……アパートで爆発が起こったって聞いて、理沙のことが心配になってつい来ちゃったけど、やっぱりダメ師匠には荷が重かったよ……ダメでグズでノロマで空気が読めなくて何をやっても失敗で今朝だって」

「ちょ、ちょっと師匠、一旦落ち着きましょう! ほら、深呼吸深呼吸!」


 その上から必死の笑顔で励ます理沙。


「あー、こういう事か」

「なるほど、僕でも緊張するわー」

「これはこれで、大変な気がするわね……」


 それを見て、納得の一同。


「オレのクロウがワカッタか、ボケどもが!」

「てめーは調子にのんじゃねーよクソサギ!」

「ナンダトこのチャラ男! マユゲ細すぎんぞバーカ!」

「なっ――!? マリーちゃん、マジで細すぎる? 祥太郎はどう思うよ?」

「どうしてあのお師匠から、こんなに口が悪い使役獣が誕生するのかしら……?」

「理沙ちゃんだっていたのになぁ。反面教師ってのとは違うと思うし……」

「俺のマユゲ」

「ケケケケケケッ! ムシされてやがるゼ、マユ細チャラ男!」

「うるさい」


 シロとさいが、まとめて食堂に飛ばされた、ちょうどその時。


「師匠! いい加減、落ち着いてくださいって!」


 突然、理沙が跳躍し――うずくまってブツブツ言っている雨稜へと、飛び蹴りを放った。

 その速さに、誰も声をあげる間もない。次の瞬間には、重い音と共に理沙の足が床へとめり込んでいた。そのすぐ隣には、くの字になって横たわる体。先ほどまで周囲に目も向けていなかったのに、ぎりぎりのところで攻撃をかわしている。


「はっ!」


 理沙はすぐに後方へと宙返りをし、距離を取った。今まで彼女の足があったあたりを、雨稜の手刀が通り過ぎる。そのまま彼は体をひねって回転させ、流れるような動きで間合いはあっという間に詰められた。


「ふっ」


 鋭く息を吐き、掌が突き出される。ガードは僅かに間に合わなかった。鳩尾に軽く触れただけに見えるその一撃で、理沙の身体はあまりにも易々と後方へ吹き飛ぶ。


「そこまで!」


 その先で彼女の体は受け止められ、下へと降ろされる。いつの間にかそちら側へと回っていたマスターだった。


「これ以上続けられると、アパートが壊れてしまいますので」


 視線の先には、先ほど理沙が蹴った床。見事なまでに穴があいている。


「あっ、またやっちゃいました。ごめんなさい!」

「す、すみません! 何とお詫びして良いのやら……あ、あの、弁償しますので命だけは……」

「いやいや、命は取りませんから。この程度なら経費といいますか、すぐ直せますので」


 穴をあけた張本人よりも、やたらと恐縮する男に、マスターは微笑みを返す。


「でも、少しお元気になられたようだ」


 その言葉を聞き、顔をあげた雨稜も思わず破顔した。


「は、はい……おかげさまで」


 それから、今は立ちあがった自らの弟子を見る。


「理沙、腕をあげたね。師匠は……師匠は嬉しいよ!」

「ほんとですか師匠!? あたしも……あたしも嬉しいです!」


 そして師弟は抱き合い、感動の涙を流した。


「うーん、何だろうこの空気」

「でも、結局仲は良いみたいで安心したわ」


 二人が盛り上がる一方、周囲の空気は冷めていく。


「あっ、そこ何やってんだ! 俺も混ぜろ――じゃなかった、セクハラ師匠!」

「カンドーのシーンをダイナシにするんじゃねーよチャラ男! フクのセンスねーゾ!」


 そこへ、才とシロもようやく戻ってきた。


「どこ行ってたんだ?」

「お前が食堂に飛ばしたんだろ!」

「いや、そうだけど、戻ってくるのに意外と時間かかったなって思って」

「向こうでもちょこっと揉めてさ。俺はその間コーヒー飲んでた」

「おいチャラ男! ショウタロウさんにシツレイなクチ、キイテんじゃネーヨ!」

「どうしたの? 急に」


 態度を急変させたシロを見て、マリーが目をしばたたかせる。才はニヤニヤと笑いながら、シロを親指で指した。


「このクソサギ、早苗さんに喧嘩売って、返り討ちに遭ってたからな」

「ウルセーぞチャラ男! テメェ自分でイケてると思ってるんダロ! とんだカンチガイなダサ男だゾ! ――いやぁショウタロウさん、相変わらずハデですネ!」

「……それ、全く褒めてないわよね」

「え、そうかなぁ?」

「何故ショータローは少し照れてるの……?」

「それよりマリーちゃん、俺の服、どう?」

「サイはサイで、シロの評価に振り回され過ぎだと思うわ」


 そうして周囲がガヤガヤとやっているうちに、感動のシーンは終わりを告げる。


「……では、私はそろそろお暇しよう」

「師匠、もう帰っちゃうんですか? 来たばかりなのに」

「そうですよ、もう少し、ゆっくりなされては」


 マスターの言葉に、雨稜はまた涙をこぼし始めた。


「うううっ、ありがとうございます。こんなにグズでクズでどうしようもない私にまで、そんなお優しい言葉をかけていただいて」

「いえ、そんなにご自身を卑下なさらずとも」

「でも、いいんです。一度きちんとご挨拶に伺いたいと思っておりましたが、不義理をしてしまい……。アパートも大丈夫そうですし、理沙もこんなに素晴らしい場所と皆さんに恵まれ楽しそうで、安心しました。――あっ、そういえば、忘れてました」


 彼は急に泣き止むと、懐から一枚の紙を取り出し、マスターへと差し出す。


「改めて、理沙がいつも大変お世話になっております。何を手土産として良いか分からなかったので、気に入っていただけるかどうか、分からないのですが……」

「これは?」

「私が所持している山の権利書です」

「そんなのいただけませんよ!」

「えっ、ダメなんですか!? 常人にはたどり着けない秘境ですが、こちらには転移能力者の方もいらっしゃいますし……。小さい山ですが、珍しい薬草が生えるので、数億程度の価値はあると思うのですが……」

「余計にいただけません!」

「で、でも……せっかくですから……」

「いやいや、お気持ちだけで結構ですから」

「そうですよ師匠! 今度来る時に美味しいお菓子でも買ってきてください。そこら辺のお店で」


 漂う何ともいえない空気を理沙が見かね、助け舟を出した。マスターはあからさまにホッとし、雨稜も顔を輝かせる。


「ま、また来ていいのかな? ――いいんですか?」

「ええ、もちろん。気軽にいらしてください」

「はい、ぜひ! では、今日のところはこれにて失礼いたします!」


 最後は満面の笑みを浮かべ、ペコペコと何度もお辞儀をしながら、彼はシロと共に帰っていった。


「嵐のように来て、去っていったわね……」


 一人と一羽の姿が見えなくなると、マリーがぽつりと呟く。


「理沙ちゃんの師匠は無害だったからいいとして、あのクソサギは何だったんだちくしょう」

「ごめんなさい! シロちゃん口は悪いけど、そんなに悪気があるわけじゃないと思うんで……たぶん」

「たぶんって」

「そうだぞ、才。そんなに悪い鳥じゃなかったじゃないか」

「お前は調教されすぎだろ祥太郎」

「まぁまぁ、とにかく無事ご挨拶も出来たし、いいじゃないか」


 マスターの言葉に、理沙も普段の笑顔を取り戻し、明るく言った。


「はい! 師匠も最後の方はリラックス出来てたみたいですし、皆さんのおかげです。本当にありがとうございます!」


 そして。


「皆さんこんにちは! 理沙も元気にしてたかな? えへへ、遊びに来ちゃいました! そこの『つるみや』ってお店でお菓子買ってきたんですよ。皆で食べませんか?」

「オレもキテやったぞコノヤロウドモ! ……あ、ショウタロウさんは今日もハデで、ピカピカしてますネ!」


 雨稜たちは、翌日にもやってきた。

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