嵐の後に 4

「ない……ですね」


 集中を解いたマリーが言葉を発する。静かに見守っていた周囲も、大きく息をつく。

 あれからマスターを呼びに行き、ついでに才も回収しつつミーティングルームへと戻ってきた。しかし、改めて確認したところ、肝心の違和感の元がすっかり消え失せてしまっていたのだ。


「すみません、確かにあったと思うのですが……」

「あたしも思います! というか、あたしが言い出しっぺなので、ごめんなさい」

「いやいや、二人とも謝らなくていい」


 申し訳なさそうにするマリーと理沙りさに言って、マスターも、もう一度部屋を見回した。それから、小さく頷く。


祥太郎しょうたろう君、そうだな……第2会議室は分かるね?」

「あ、はい」

「では、そこへ頼む」

「了解!」


 返事が終わる事には、すでに周囲の景色は変わっていた。細長いテーブルの周りにパイプ椅子が置いてあるだけの、シンプルな部屋だ。

 会議室と名はついているが、打ち合わせはそれぞれの仕事場やミーティングルームで済んでしまうため、普段使われることはほとんどない。


「マリー君」


 少しあたりの様子をうかがった後、マスターはマリーへと声をかける。


「情報遮断の結界を」

「かしこまりまして」


 彼女は頷き、ゆるやかに扇を振った。部屋全体が淡い光に包まれ、やがて沁み込むように見えなくなっていく。


「ありがとう。――さて、どう話したものか」


 皆が見守る中、マスターはあごに手を当てて考え、再び口を開いた。


「まず、マリー君が見たものは、いわゆる盗聴器のようなものではないかと思われる。源二には立場上、敵も多いからね」

「いるんだよなー、嫌がらせしてくるヒマなヤツとか。俺も巻き添え食ったことあるし!」


 嫌なことを思い出したのか、才が口を尖らせ、いきなり話の腰を折る。


「――まあ、それで、今はそういう輩にとって、チャンスでもある訳だね。何かを仕掛けてくるのではないかと、予測はしていた」

「じゃあ、あたしたち、作戦の邪魔をしちゃったってことになりません……?」


 不安げに口を挟む理沙へと、マスターは首を振る。


「いや、そうではないんだ。私は君たちが気づいたことに気づけなかったし、源二にもその様子はなかった」

「そんなことあります? わたしやリサの勘違いだったという方が、筋が通ると思うのですけれど……」

「結界だって、対象の特性をよく理解したり、指向性を高めれば強力になるだろう?」

「……つまり、大臣とマスターだけを想定して仕掛けたってことでしょうか?」

「恐らく。そうすれば欺ける自信があったんだろうね」

「それって、わたしたちなんか最初から眼中になかったってことですわね」

「だが、それが向こうの誤算だ。お手柄だよ、二人とも」

「えへへ、褒められちゃいました!」


 素直に喜ぶ理沙とは対照的に、マリーの表情は晴れない。


「でも仕掛けられたのが仮に盗聴器だったとして、それが失くなったという事は――」

「犯人が解除していったんだろうね。わざわざ魔力の範囲を絞って忍ばせたくらいだから、遠隔で行ったとは考えづらい。君たちが私のところへ来たわずかな間に取り除いたのだろう。そうであれば犯人は、まだこの管轄区から外へ出ていないはずだ」

「だけど、僕みたいな転移能力者なら、簡単に出られるんじゃないですか?」

「では祥太郎君、ちょっと管轄区外に出てみてくれるかな?」

「……? はい、了解です」


 首をかしげながらも、マスターの指示に従う祥太郎。


「ぶふぁっ!」


 が、消えたはずの姿が一瞬にして戻り、床へと叩きつけられる。


「このように、現在管轄区外へは容易に転移できないよう、結界の設定を変えてある。アパート内であれば二重の力だ」

「だから口で言ってくださいよ……!」


 祥太郎は床に突っ伏したまま、恨み言を呟いた。


「あー、あれかー。自動修復の術を発動させる時にやったのか。抜け目ねぇなぁ」


 才は言いながら、どこか遠くを見ている。


「――んで、俺様も怪しいヤツ発見! しちまったかも。ほら、祥太郎は寝太郎してねーで起きろよ」

「人遣いが荒いなぁ。僕はタクシーじゃないんだぞ」

「まーまー、手柄立てれば後でマスターが何か奢ってくれるって。多分」

「才君、何が『視えた』んだ?」

「んーと、影だけしか視えなかったんすけど、倉庫のあたりかな。什器置きっぱにあなってるトコの角を、すげースピードで曲がってって」

「確かにそれは怪しいな。他になければ、そこへ行ってみよう。祥太郎君、悪いが、頼む」

「了解です。才、どこらへんだっけ?」

「んー……じゃ、書庫のあたりでいいや。そっから歩きで」

「何かほんとにタクシーに乗るみたいな会話ですねー」


 理沙がのんびりとツッコんだところで、周囲の景色が溶け、再構築される。


「よし、着いたな」


 才はあたりを軽く見まわしてから、皆を誘導しようと歩き出す。


「あらー、皆さんお揃いで。どないしはったん?」


 その時、背後からおっとりとした声がかかった。


「あなたは……江上秘書官」


 そこには、以前、源二が連れてきた秘書官の一人、江上友里亜えがみゆりあが立っていた。今日はレトロなボタニカル柄の着物を着ている。彼女はぴょこん、とお辞儀をすると、にこにこと皆の顔を眺めた。


「皆さんご無沙汰してますー。ゆりあっちって呼んでもろてもええよ。マスターさんは、ちょっと見いひん間に、えらい男前になりはって」

「ゆりあっち! 久しぶり! 相変わらずめっちゃキレイやでぇー!」

「ありがとうー。才ちゃんも、やっぱ孫だけあって、源ちゃんに似たとこあるわー。かわいいかわいい」


 颯爽と前に出ていったはいいものの、謎の敗北感により静かになる才。


「それより秘書官、どうしてこのような所に?」


 あくまで態度を崩さないマスターに、少し面白くなさそうな顔をしてから、友里亜は話し始める。


「あんなー。源ちゃんと一緒に来たんやけど、用事あるから勝手にぶらぶらしててもええて言われてぶらぶらしてたら、迷うてしもて。ほんで源ちゃんに連絡したら、忙しいから適当に帰ってって……ひどない?」

「うんうん、人の気持ちも分からない、ひどいジジイだよねー」

「才ちゃん、自分のじいちゃんにそういうこと言うんは、良くないと思うよ」

「江上秘書官!」


 才が二度目の撃沈を迎えた頃。また別の方向から声がした。




「こんなところに居たんですか。探しましたよ」

「あっ、桜木さくらぎちゃん。うちのこと心配して探してくれるなんて、ええとこあるなぁ」

「大臣の指示で仕方なくです」


 以前にアパートを訪れた時と同じ、黒のパンツスーツに身を包んだ桜木秘書官は、事務的な口調でそう答えると、友里亜の腕をがっしりと掴む。


「さ、帰りますよ。皆様、ご面倒をおかけしました」

「いややー! せっかくやし、みんなでお茶でもしよ?」

「しません」

「もうー! 桜木ちゃんアタマ固い! そんなやから、男の一人もできへんのやで」

「それ今関係ないですよね!」

「まーまーまーお姉さん。何だったら俺が――」

「あーっ!」


 そこで突然、理沙が大きな声を上げた。


「な、なんだよ理沙ちゃん!」

「今、あっちの通路に影みたいなのが通りましたよ!」

「そういえば、すっかり忘れてた……ちょっと待ってろ。もう一度予知するから」


 呆れる皆の前で、才はまた集中を始める。


「……任務中でしたか。申し訳ありません」

「いやいや、気になさらずに」


 恐縮し、深々と頭を下げる桜木に、マスターは首を振った。

 友里亜も少し責任を感じたのか、しおらしくしていたが、急に顔を輝かせると、桜木のスーツを引っ張る。


「なら桜木ちゃん、手伝うてあげたら? 追跡、得意やろ?」

「いえ、得意というほどでは……かえって邪魔をしてしまったら申し訳ないですし」

「でも、俺の予知も以下略なんで、手伝ってもらえるならその方が助かるな」

「以下略、とは?」

「いえいえ、そちらもお気になさらずに」


 首をかしげた桜木に手を振り、マスターは話を本筋へと戻す。


「どうでしょう桜木さん、三剣大臣にもかかわってくる事ですし、お力をお貸し願えないでしょうか?」


 しばらく悩んでいた彼女だったが、断り切れないと感じたのか、やがて小さく息をついた。

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