嵐の後に 3
「あいつは協力的だった。しかし、本来の力を隠しながら生活するには、いくつか問題があった」
「まず、どんなに力を抑えたとしても、分かる者には分かる。そのリスクを減らす必要がある。それからもう一つ。バレた後のことも、あいつは心配した。匿ったことが明るみに出れば、私たちの立場も危うくなるからと。だから何重もの仕掛けで力を抑え込み、管轄区の周囲を覆う結界にも細工をした」
「結界――もしかして、それで『レディ・サウザンド』も?」
マリーの脳裏に、見えない壁と格闘する女の姿がよみがえった。源二は頷き、足を組み直す。
「対魔女用結界だからね。『
「トーコが管轄区の外に出ようとしなかったのは、そういうことだったのですね……」
出かけようと誘っても、彼女はいつも、のらりくらりとかわしていた。
おっとりとした笑顔の中に沢山の秘密を抱えていたことを、こんな形で知ることになったのは、寂しくもある。
「当時――もう30年以上も前の話になるね。源二が考案した『アパート』の計画も最終段階に来ていた時、私達は彼女と出会ったんだ。というより、『発掘』してしまった」
「発掘?」
そこでようやく術を解いてもらった
「そう、アパート建設の前に、この土地を調査していてね。そうしたら埋まっていたんだよ、彼女が」
「埋まっていた……封印されていたということなのでしょうか?」
マリーの問いに、マスターは腕組みをする。
「確かに、彼女は魔力の繭に包まれた状態ではあったが、誰かに封印を施された訳ではないだろうね。まるで……冬眠しているかのようだった。私はすぐに源二を呼び、周囲に被害が出ないように結界を張らせたんだ。明らかにただ者ではなかったからね。慎重に掘り起こして、繭を剥がしていったところ、彼女は目覚めた。そして言ったんだ。『鳴原君と申します』と」
彼は一呼吸おいてから、言葉を続けた。
「驚いたよ。
「ま、それで私達も放っておけなくなってしまったのさ。だからこのアパートのデザインを大幅に変更し、匿うことに決めた」
大袈裟な身振り手振りで話す源二と、穏やかに語るマスター。対照的な二人が、実は長年の友人だったことは、才ですら知らなかったことだ。
「そんで? ダチ同士知らんぷりして、
「別に
「マスター、アラタって名前なんですか?」
「そうだよ。
初めて知る事実に、驚く
「えっ、みんな知ってたの? 『マスター』はコードネームみたいなので、本名は秘密とかじゃないの?」
「ショータロー、知らなかったの!? 書類とか、責任者の所にも名前書いてあるじゃない!」
「い、いや……そういえば、見たような見なかったような……。でもさ、最初に会った時も名乗らなかったし、みんなマスターマスターって呼んでるじゃん」
「すまないね、祥太郎君。どちみちマスターって呼ばれることになるし、そのうち分かるから良いかと思ったもので」
「うわっ、まさかのドクターと同類……!」
ショックを受ける祥太郎に、笑いが起きた時――アパートが、大きく揺れた。
「地震……!?」
「……じゃないですね」
その断続的な揺れは、もっと別のものに似ている。
「何だか、工事してるみたい」
「
「はい?」
理由を知っているらしい源二に、注目が集まる。その間にも、頻繁に部屋が揺れた。
「アパートの修復が始まったんだよ。私はそのために来たからな。しばらく揺れ続けるが、夜までには終わるから、居住棟も各自の部屋も使ってもらって構わない」
「修復って、誰がしてるんですか?」
「勝手に」
「自動ってことですか!?」
「そうなるね」
彼は目を丸くする理沙へと、ウィンクで応える。
「といっても、ここに来る前に必要なポイントに行って、術を発動させた訳だが。……では、そろそろ帰るとしようか。見送りは結構。よい週末を送りたまえ」
そう言って服を整えると、足早に部屋を出ていく。皆、挨拶をすることも出来ず、ぼんやりとその背を見送った。
「自動修復って……どういうシステムなんだよ」
「俺に聞かれても知るかよ」
「アパートを建設する時に、あらかじめそういう術を組み込んでおいたんだね。破損時に修復しやすいようにと。何が起こるか分からないしね」
「マスター、さらっと言いますけど、大変な術ですよ?」
「仕方ねーよマリーちゃん。あのジジイ天才だし」
「人一倍の努力家でもあるけどね」
「知ってまーす。ガキの頃は一緒に住んでたし。あーあ、ムカつく」
特にいつもと変わらぬ口調で言いながら、才はミーティングルームを出ていく。
「才、どこ行くんだよ?」
祥太郎が声をかけた時には、もうドアは閉まっていた。
「……触発されたかな。仕事でも探しに行ったんだろう。まったく、素直じゃないね。二人とも」
マスターは笑って、自らも支度をし、扉へと向かう。
「今のところ頼みたいことはないし、君たちは自由にしてもらって構わないよ。――ああ、食堂の稼働は明日以降になるだろうからよろしく」
パタンという音と共にマスターの姿が消えると、祥太郎とマリーは、何気なく隣を見た。
「
「リサ、どうしたの?」
思わず同時に声が出て、顔を見合わせる。
「うーん……」
理沙は眉根にしわを寄せ、壁をじっと見ていた。
「おかしいなぁ」
「だから何が?」
マリーの問いにも、彼女はうなり声で返事をしてから、ようやく口を開く。
「何だかね、壁がおかしい気がするの。こんなだったかなぁ」
「こんな……だったと思うけどな。僕は」
試しに祥太郎も近くに寄って見てみた。白く、何の変哲もない壁だ。指先で触れると、少しだけざらっとしている。
「でもさ。確かにちゃんと見ると、こんなだったかなって思うよね。いつも見てるようで見てないんだなぁ」
「そう――なんですけど、ちょっと違うというか」
そこでまた地面が揺れ、一旦言葉が途切れた。少し落ち着くのを待ってから、会話は再開される。
「……まあ、自動修復とかやっちゃう人が作ってるんだし、僕らが知らないだけで、実際はしょっちゅう変わってるのかも?」
「そうか! 結界の関係なのかな。マリーちゃん、何か分からない?」
「そんなこと言われてもレベルが違いすぎて、正直、どこに結界が張ってあるのかすら――」
ため息をつきながらも、ひとまず目を凝らしたマリーの動きが止まる。
「どうしたの?」
「ちょっと静かに」
彼女は身を乗り出す理沙を手で制してから、改めて意識を集中させた。
分かると胸を張っては言えない。けれども、感じられた。その感覚は拡大し、次第に形をあらわにしていく。見えて来たのは、輝く糸で緻密に織られた、最高級のタペストリーのような存在。
こんなに身近にあったのに、それに気づけなかった。いや、もしかしたら今までのマリーだったら、理沙のヒントがあっても見ることは出来なかったかもしれない。
(なんて綺麗……)
読み取り、仕組みを知るには力が足りない。けれども、その計算し尽くされたような術式は、ただただ美しかった。天才と呼ばれる結界師、三剣源二の織り成す世界に、マリーは圧倒される。
「え――」
それを眺めているうちに、思わず声が出ていた。集中は途切れ、目の前には白い壁が戻ってくる。
「大丈夫? マリーちゃん」
「ええ、大丈夫。ごめんなさい」
心配そうに覗き込む顔に、今度は頷きを返してから、また考え込む。
見えたのは一瞬。それほどの自信はない。でも。
「リサ、ショータロー。マスターの所へ行きましょう」
完璧に見えた結界の中に混じっていた違和感。
――恐らく、術者である源二の意図とは別に、何かが仕組まれている。
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