悪夢を招く者 8
「サイ、こんな時に何を言い出すのよ!?」
「まーまーマリーちゃん。別にネタとかで言ってるわけじゃねーから」
信じられない、という顔の前で
「いいか? マリーちゃんが棒人間になった時のこと、思い出してみてくれよ」
「イヤよ。あの時のことは記憶から消したから」
「…………いや、えーっと……」
だが出鼻をくじかれ、泳ぎまくった視線は棒人間の方へと向かった。
「と、とにかくだな、お前は分裂しても、それぞれが意思疎通できるんだよな?」
「全部ボクなんだっピ。当然っピ」
「なら棒人間Aが偵察に行って、棒人間Bがこっちで状況を報告するってことも出来るだろ? 少なくともこの中で誰よりもアパート内の設備に詳しい俺が棒人間になれば、一々指示出すよりもスムーズだ」
「なるほどー。そういえばマリーの時も、すごい連携プレイだったもんな」
「だろだろ? やっぱ俺様、天才」
「さっすが師匠なんだっピ! これは……ボクと師匠が混ざり合って、初めての共同作業なんだっピ……!」
「気色悪い言い方すんな! ――やっぱやめよかな」
しかしその勢いは、棒人間の嬉しそうな言葉であっという間に失速する。
「……話は終わった?」
「まだ聞かない方がいいかも」
耳を塞いで後ろを向き、会話を遮断していたマリーが恐る恐る問う。
振り返ると、なぜか才が祥太郎に羽交い絞めされている。
「さぁ棒人間、ひと思いにやってしまえ」
「やめろ祥太郎! まだ心の準備が!」
「今、非常事態だから! そんなこと言ってる場合じゃないから! 才一人の犠牲で済むなら安いもんだろ?」
「安くねーよ! つーか犠牲とか縁起でもないこと言うんじゃねー!」
「お前が言いだしたんだろ! 覚悟を決めろよ!」
「だから離せって祥太郎! 棒人間、お前もやる気出してんじゃねー! ストップストップ!」
「もうとにかく、いくっピよ~!」
棒人間が勢いをつけてダッシュする。祥太郎は暴れる才を突き飛ばすようにしてその場を離れた。
――激突。
もくもくと白い煙が立ち上る。それが晴れた後には、棒人間が二人、もつれるようにして床へと転がっていた。
「おー、成功したか! 見事な棒人間だ」
「くっそ、やられた……!」
「わーい! 師匠のカンカクが、手に取るようにわかるっピ! デュフフ」
「だからそういう気色悪いことを言うなと……」
才はぶつくさと言いながらも、ひとまず立ちあがる。それから腕や足をぐるぐると回したり、軽く飛び跳ねたりしてみる。
「軽いなー、体。あとやっぱ視点が低い。それ以外は割と普通だな」
「快適なボクの体のミリョクに気づいちゃったっピ?」
「ないない、魅力はない」
「ついでにボクも分裂しておくっピ! その方が便利なんだっピ。ひとりが師匠と一緒に行って、ひとりがここでお留守番っピ」
言うが早いか、にゅにゅにゅーんと棒人間はもう一人増えた。
「わたしはマリー人間の女の子わたしはマリー人間の女の子わたしはマリー人間の女の子わたしはマリー人間の女の子……」
「あ。マリーがショックのあまり自己暗示かけてる」
「マリーちゃん、しっかりして!」
「じゃ、じゃあ行くか、棒人間」
「ラ、ラジャーだっピ、師匠」
こうして何の緊張感もないまま、責任重大の作戦は始まる。
◇
目蓋があがる直前、思いとどまった。目を閉じたままで周囲に意識を凝らす。誰もいないようだ。
ようやく薄く目を開ければ、見慣れない部屋。
ただ、少し記憶をたどれば答えは見つかる。普段はあまり使われていないはずだが、コントロールルームの一角だ。やや暗めに設定された照明の中で、棚と中身の分からない箱がひしめき合っているのが見える。
その棚の一つに、
「――っ!」
軽く動かしただけで、後ろに縛られた手首に重い痛みが走り、思わずあげそうになった声を飲み込む。
力が上手く入らないことから、能力者を捕縛するための特殊な道具が使われているのだということが分かった。このアパートの備品には痛みを与える機能はなかったはずだが、何か手を加えたのかもしれない。
あの音楽はここでも聞こえ続けている。無論、薬は飲んでいるが、どこに目があるか分からないため、大掛かりな調合は行えなかった。力を和らげるので精一杯。このまま聞かされ続ければ、持たないかもしれない。
幸い、捕まる前に仲間へと接触することは出来た。あとは棒人間が上手くやってくれることを祈るばかり。
――そこまで考えた時、唐突に気配を感じた。
「気分はどうだい。遠子さん」
部屋の外――と思ったが、すでに目の前にいる。距離感が上手く掴めない。襲われた時もそうだった。先ほどまで閉まっていたはずのドアは、少しだけ開いている。
「……それが、あまり良くなくて。これ、解いてくれないかしら?」
「それは出来ない相談だ」
「でしょうね」
肩をすくめながら言う相手に、苦笑いを返す。
ジュノと呼ばれていた男――のはずだ。特徴のあまり感じられない顔の輪郭がぼやける。まるで作りが荒い映像を見ているかのような気分だった。それは、薬で音楽の魔力が中和されているせいなのかもしれない。
「皆は、どうしてるの?」
少し迷ったが聞いてみる。男の表情は変わらなかった。それから、ゆっくりと近づいてくる。
「さて、どうしてるんだろう?
鼻先が触れそうなほどの距離の中、男の目が、あやしく光った。
「ほら、ぼくには見えるよ」
はったりだ。瞬時に悟った。遠子の心は動かない。
「……流石にガードが固いね。残念」
ジュノは軽く跳躍するようにし、後ろへと下がった。
「遠子さん、とっても優秀なんだね。ぼくたちの術を中和する薬品をとっさに用意するなんて」
また男の目があやしく光った気がした。だが遠子は何食わぬ顔で、言葉を返す。
「お褒めいただき、光栄だわ」
「でもその効果もずっとは持たないだろう? 時間の問題だね。ほら、よく聞いてみて。いい曲だと思わないかい?」
「私、別の曲も聞きたいんだけどな。最近お気に入りのアイドルがいてね。市原あまなちゃんっていうの。かわいいのよ」
「へぇ」
ジュノは興味なさげに、声を漏らした。あたりを少し見回し、それからもう一度遠子をじっと見つめる。
「もっと仲良くなれた時に、色んな曲をかけてあげるよ。元より手荒な真似はあまりしたくないんだ。出来るだけ穏便に、ぼくたちのことを受け入れて欲しいからさ」
「その人の意思に反する方法で操って、支配しようとすることは『穏便』とも『仲良し』とも言わないのよ。ご存じないかしら?」
「そこは価値観の相違ってことで一つ。――そろそろ行かないと。やらなきゃいけないことは山積みなんだ。このアパート、思ったより人いないしさ」
「だって弱小アパートだもの」
その言い方が面白かったのか、男は先ほどよりも大きく笑った。
「
「才能豊かな建築家が作ったんですもの」
「
男は満足げに何度か頷くと、遠子へと背を向ける。
「良かったよ。最初にこのアパートへとたどり着けて。ここよりもっとステキな場所が各地にあるなんて、本当に楽しみだ」
気づけば、その姿は消えていた。もう気配も感じられない。
遠子は小さく息をつくと、注意深く周囲を見回す。ドアはピタリと閉じられていた。
人の形をとってはいるが、そういう風に見せられているだけなのかもしれない。鳴り続ける音楽を消すことが出来れば、本当の姿が分かるのだろうか。
マスターは侵略者たちと一緒にいるのだろう。恐らく、祥太郎たちは捕まってはいない。
あちらにもそれほどの猶予はないはずだ。回りくどい方法で周囲を支配し、取り込んでいるのは、力押しが出来ないから。長引けば、外部の者に気づかれる可能性が高まる。ならばどうするか。簡単なことだ。気づかれても問題ない状態まで仕上げればいい。
けれども、と遠子は思う。最悪の事態は、まだ訪れていない。
――『切り札』は、こちらの手の内にある。
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