悪夢を招く者 7

 振り向くより先に、理沙りさの身体は動いていた。背後から伸ばされた腕を絡めとり、体重を乗せて一気に引き落とす。

 あまりの手応えのなさに違和感をおぼえた時には、すでにその者は床へと叩きつけられていた。

 ものも言えずに震えるそれは、見知った姿。


「棒人間さん!?」


 慌てて助け起こし、顔の輪っかを引っ張ると、ぐったりと動かなかった棒人間は、がばりと立ちあがり、手で額の汗をぬぐうような動作をする。


「ふー、びっくりしたっピ……理沙ちゃんさん、いきなりヒドイっピよ!」

「そりゃこっちのセリフだ、驚かせんなバカ!」

「いたっ! 師匠はすぐ暴力をふるうっピ! そんなんじゃ、立派な師匠になれないっピ! 弟子も増えないっピよ!」

「俺は立派な師匠になる気も、弟子を増やす気もねーよ! そもそもお前を入門させた覚えもねーし!」

「二人とも落ち着いてください。今あたしたち、ここに隠れてるんですからね」


 理沙に注意され、白熱していく一方だった二人は口を閉ざし、急いであたりを見回す。特に何も起こらないことに、ほっと息をついた。


「棒人間さんは、どうしてここに? そもそも、大丈夫――そうではありますけど」


 表情などはさっぱり分からないが、少なくとも他のスタッフたちのように、自分たちに危害を加えようとしているようには見えない。

 すると、棒人間は得意気に、棒状の身体をぐいっと逸らせた。


「エッヘン。だっピ。ボクは他のヒトたちみたいに、こんな音楽で操られたりしないんだっピ」

「謎生物だもんなー」

祥太郎しょうたろうさん、ご名答なんだっピ! 研究費という名目で補助金が下りたけど、実際はそこそこアイドルのモノマネ費用になってるから、ボクの謎はまだ解明されてないってドクターが言ってたっピ。新曲の歌もフリも、もう完璧に覚えたんだっピ。完コピだっピ!」

「マジで? 見てやってもいいぞ」

「サイ、そこ食いつくとこじゃないでしょう! バカじゃないの? 他にも突っ込み所はあるけれど……とにかくボーニンゲン、どうしてわたしたちを探してたの?」

「そうそう、そのことだっピ」


 すると棒人間は顔の輪っかの中心へと手を突っ込む。しばらくごそごそと探ると、何もないように見えるそこから小瓶が四本出てくる。


「お前の体ってどうなってんの……?」

「それはヒミツ、なんだっピ。師匠にも教えてあげないっピ。とにかく、これを飲んで欲しいっピ」

「えっ、すごく嫌。絶対イヤ。断固拒否」

「マリーちゃんさん、詳しい話も聞かずに、本気の全力で否定するのはやめてっピ……よく見て欲しいっピよ!」


 棒人間はそれぞれの手に二本ずつ持った小瓶を左右に振るう。中に入った液体は、見覚えがあるものだった。


「もしかしてこれ……トーコの?」

「ピンポンピンポン! 大正解なんだっピ!」

「本当にどういうこと? 詳しいことを聞かせて」

「ダメだっピ! まずは飲むっピ! 遠子さんさんから頼まれたんだっピ!」


 どうしても譲らない棒人間に、皆ためらい、顔を見合わせる。


「俺は飲むぜ。異変に気づけたのも、遠子さんのおかげだしな」


 さいは言って棒人間の手から瓶を一つもぎ取るようにし、フタを開けて一気に中身を飲み干した。


「ぐげぇぇぇ……やっぱヒデェ味」

「棒人間さん、あたしにもください!」

「僕も飲むよ」


 続いて理沙と祥太郎も受け取ると、顔をゆがめ、奇妙な声を漏らしながらも飲み切った。


「わ――わかったわよ!」


 最後に残った瓶を目の前に突き付けられたマリーも、観念したように瓶へと口をつける。

 そのマズさにむせかえったが、何とか飲み干してから頭の中のもやがすっと晴れるまで、大した時間はかからなかった。茶を飲んだ時の比ではない効き目だ。それと同時に、昨日までの記憶もよみがえってきた。


「あの時急に眠くなって……。あれもやっぱり、トーコの薬のせいだったんだわ」

「そういえばあたしも夜、急に眠くなった!」

「俺も」

「僕も僕も!」

「遠子は知ってたのかしら……こういう事態が起こるってこと」

「何かあるってことは、遠子さんさん、分かってたみたいなんだっピ。何だかすごく大変なことが起こるから準備しないといけないから、ボクに手伝って欲しいって言ったんだっピ。アパートに住んでる人じゃ、ダメなんだって言ったんだっピ」


 事情はさっぱり飲み込めないが、アパートの住人に託していたら、もっと事態は違ったものになったであろうことは想像がついた。


「待って。あの時マスターもコーヒーを飲んでたでしょう? マスターはどうしてるか知らない?」

「マスターさんは、変な人たちと一緒にいるのは見たっピ。でも見つかっちゃうと大変だから、あんまり近くまでいけなかったっピ」

「そう……変な人って?」

「異世界人なんだっピ」

「はぁ? どういうことだよ、棒人間!」

「し、師匠、やめてっピ! あんまり揺さぶらないでっピ!」


 才がパッと手を離すと、棒人間はよろけて尻もちをつく。そしてその体勢のまま答えた。


「みんな気づいてなかったっピ? もしかして、この音楽のせいなんだっピ?」

「そうか――そうなのね。それが『悪い事』の正体」


 きょとんとするその姿を見て、マリーは呟くように言ってから続ける。


「『悪夢を招く者ファントム・ブリンガー』は『ゲート』を使わずに、違う世界へと渡れるわけでしょう? でも、全く何の影響も及ぼさずに行き来できると思う? ただでさえ、大きな力をまき散らしていくのに」

「そうか、結局は疑似的なゲートの役割を果たして、異世界同士を繋げちまうわけだな?」

「そういえばサイ、昨日わたしに言ったわよね? 知らない人と話している姿が『視える』って。――レーナたちのこと、ずっといるスタッフだと思ってた。でも本当は、そういたのよ」


 状況が明らかになるにつれ、事態の深刻さもわかってくる。この仮眠室も今はノーマークのようだが、いつ見つかるかも分からない。


「あいつらが『悪夢を招く者ファントム・ブリンガー』のせいでやって来て、スタッフの皆を洗脳して、色んな情報引き出してる最中ってことだろ? ――なら、まだ付け入る隙はある」


 才は言って腕を組み、少しの間思考する。


「……敵さんは思い通りにならねぇ俺たちのことを邪魔だと思ってる。だが、部屋をしらみつぶしに探そうとはしねぇ。優先順位が低いんだろ。恐らく、洗脳にもコストがかかる。人員が少ないってとこか。うちのアパートも大手と比べっとスタッフ少ねーし、システムまで関わってるのになるとさらに少数だからな」

「わたしたちだって最初は放っておかれたものね。大人しく遊んでてくれるならそれで良かったのかも」

「遠子さんは、どうしてるのかな? 棒人間さん、知りませんか?」


 理沙の問いに、棒人間はふるふると首を振った。


「ボクも知らないんだっピ。遠子さんさんにクスリのこと頼まれたのは、昨日のことなんだっピ」

「昨日?」

「そうだっピ。クスリを持って、隠れてて欲しいって言われたっピ。それで、なんか変なこと起きたら、みんなを探して、渡してほしいって言われたんだっピ」

「じゃあ、遠子さん危なくないですか? 才さんの言う優先順位だと、あたしたちよりずっと高いのかも」

「そうよね……向こうにとってみれば、トーコは今一番厄介なのかもしれない。わたしたちにも接触して、正気を取り戻させたんだもの」

「じゃあ、助けにいかなきゃ!」


 反射的に出た理沙の言葉だったが、それ以上続かない。皆思いは同じではあるものの、具体策は浮かばなかった。

 今は心地良いとはとても思えなくなった音楽も、脳内へとささやきかけてくる。遠子の薬の効き目も、どれだけ持つのかはわからない。


「ボクにまかせて欲しいっピ!」


 沈黙を破ったのは、棒人間の甲高い声だった。視線が集まると、少しビクッとしてから言葉を続ける。


「えっと……昨日から出番待ちをしてたおかげで、ヒキコモリエネルギーが溜まったんだっピ。二、三体くらいになら、分裂できるっピ。ボクが囮になるから、みんなはその間に、遠子さんさんを助けて、悪者もやっつけるんだっピ!」

「でも、それじゃ棒人間さんは……」

「ボクは大丈夫っピ! 逃げ足が速いのは、みんなも知ってるっピ」


 それから少し、照れくさそうに頭をかいた。


「ボクは、ずっとヒトリだったっピ。ここに流れて来て、師匠たちに出会って、みんなに優しくしてもらって、すっごく嬉しかったっピ。だから、このアパートを、好き勝手になんかさせないっピ!」


 熱い思いを語る細い体が、今はとても頼もしく見える。

 才はその姿を真っすぐに見つめ、大きくうなずいた。


「……わかった。頼む。気をつけろよ」

「師匠も、元気でっピ」


 交わした握手が、どちらからともなく解ける。棒人間はくるりと皆へ背を向け、歩き出した。


「待て」


 その足ががっしりと掴まれる。棒人間の顔はびたん、と思い切り床に叩きつけられた。


「痛いっピ! 何するっピ! 感動の場面が台無しっピ!」

「お前分裂できんだろ」

「だからそう言ってるっピ!」

「マリーちゃんにしたみたいなのも、今のエネルギーで出来るか?」

「マリーちゃんさんに……? あー、出来るっピよ」


 唐突な才の言動に、戸惑うのは棒人間だけではない。

 続いて放たれた言葉で、皆の表情は凍り付いた。


「じゃあ俺を、今すぐ棒人間にしろ」

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